No.148 ある文化人の転落の軌跡 その1
このお話はフィクションです似たような事件、地名、人物が出てきたとしても、偶然の一致で、実際の事件人物とは全く関係ありません。
その1
今から2年ほど前の、ある夏の日の午後、外回りの仕事を終え、画廊に戻って、クーラーにあたりながら一息ついていた時の事でした。高山の画商、浅茅(あさじ)さんが訪ねてこられました。彼、飛騨高山だとか、郡上八幡、美濃市等に在住するコレクターだとか、旧家、画商等の所を回って、書画、骨董といった類の物を売ったり、買い出してきたりする、風呂敷画商兼骨董商です。(註:風呂敷画商・・・お店を持たないで、作品を持ち歩いて、商売をしている画商)
彼、もともとは一流会社の会社員でした。
ところが書画骨董の類が好きで、勤めの傍ら、骨董屋だとか、画商、美術館巡り等をしていらっしゃるうちに、いつの間にか骨董狂いが高じて、骨董商兼画商になってしまわれたという変わり種です。
従って、書画骨董についての知識は比較的豊富ですが、その殆どが、書物を通して得た知識で、実物を見ていらっしゃいません。
従って物を見る目には、やや甘いところがあります。
(註:物を見る目:骨董、画商の世界では真贋を見分け、その価値を測れる力を言います)
また長い事、大きな会社にお勤めしていらっしゃった関係で、人は丸くて、付き合うには良い人なのですが、アマチュアっぽい所が未だ抜けきってない上に、助平心(註:ここでは掘り出し物を、一発当ててやろうという気持をさします)が強すぎますから、時々目が曇って、買いが甘くなっている事があります。
その為、私の所に持ち込んでこられた作品の中には、思わぬ掘り出し物も入っていましたが、値のつけようもないような、眉唾物を、相手の言い値で買わされてきたらしいと思わせる物も混じっておりました。
買い入れてこられる価格が分かりませんから、実際の所は、分かりませんが、彼の話ぶりから推察しますに、損得平均すると、商売としては、それほど儲けていらっしゃらないのではないかと推察されます。
その2
「Oさん、まあ、見たってくださいよ。久しぶりに今日は、とんでもない逸品をもってきましたから」
浅茅さんはとても得意げです。
「フーン、何。何を持ってきたの?でも、あんたの逸品は、あてにならないことがあるからなー」
「いや、今日は違います。本当に素晴らしいものですから。こんなもの、近頃じゃー、滅多にお目にかかれないような代物なんですよ」
「そう、本当に。楽しみだなー。じゃー、御題目〈おだいもく:口先でいうだけで、実行の伴ないそうもない項目〉はその辺にして、持ってきたものを、早く見せてよ」
と急き立てる私の言葉に、彼はおもむろに、箱から作品を取り出すと、テーブルの上に置きました。
「エーッ、坂本繁二郎?何処からこんな作品掘り出してきたの。でもこれって大丈夫かなー。一見した所、坂本繁二郎らしい作品で、きちんとしたサインもあるようだけど、なんだか坂本繁二郎にしては、引っかかる所があるんだけど」と私。
その作品は4号くらいの大きさの「紅葉」と言う題の油彩で、一見した所では坂本繁二郎先生の特徴を備えている作品です。絵の左下には、それらしいサインもきちんとはいっています。
しかし私の勘が、なんだか違うと囁くのです。
坂本繁二郎の風景にしては、輝くような風と光が感じられないのです。色彩も、対象の捉え方にも、彼特有の淡さや茫漠たる広がりが欠けているように思われます。
お金のために真似して画いた、いわゆる贋物そうろうといった卑しさは感じられませんが、本物の持つ、格調や、作家の心〈作品を通して訴えているもの〉が伝わってまいりません。
若い作家が、勉強のために模写した作品に、誰かが坂本繁二郎のサインを書きこんだ疑いもあります。
「どう、びっくりしたでしょう。Oさんは何時もケチをつけるけど、これは間違いないですよ。だってこれ、美術館から出たんですからね。しかもきちんとした鑑定書もついていますし」
私の考えている事が、まだ分からない浅茅さんはあくまで得意げです。
「エッ、美術館から。どこの」
「「挿絵原画美術館 花咲かおるの世界」と言う名前の美術館から出たものなんですよ」
「ヘー。でもそんな美術館の名前あまりきかないけど。それってどこにある美術館なの」
「恵那峡って知っていらっしゃる、木曽川の?無論、地元の事だから知っていらっしゃるよねー。
あのあたり、下呂温泉が近いせいもあって、バブル期の少し前頃から、恵那峡の両岸には、ホテルだとか、遊園地、国立公園、日帰り温泉、郵便局の保養所などといった施設が立ち並ぶ一大観光地になっているんですよ。その一角、恵那峡ランド(遊園地)のすぐ隣地に、『世界の食と器を主題とする “まほろば”というテーマパーク』があるらしいのですが、お話の美術館は、その中にある、テーマ館の一つとのことでした」
「どういう事。今の話ぶりからすると、どうも美術館へ行かれた事がないみたいだけど、一体どこで、この作品、買ってこられたの。本当にその美術館から出たものなの」
「美術館から出たのは確かです。
ちょっと説明不足だった為に、話が錯綜してしまいましたが、
高山市内の催事場で、この美術館が、『郷土の誇る挿絵画家、“花咲かおる“の原画展』と言うのをやっていた時、美術館の運営費を補う為と言うので、『花咲かおる』の挿絵画コピー、絵ハガキ、油彩画、花咲かおる所蔵古美術品などを販売していらっしゃったのですが、この坂本は、その中の一品ですから」
「そうなんだ。それにしても、花咲かおるって、あんまり聞かない名前だけど、そんな有名な人なの。個人美術館が作られるほどに」
「何でも、戦後の一時期、大活躍された、高山出身の、さし絵画家だそうで、児童文学、おとぎ話、童話、偉人伝等の、幅広いジャンルの絵本の挿絵を画いてこられた方だそうですよ」
「そう、それで、その花咲かおるさん本人が、美術館をやっていらっしゃるの」
「違います。花咲先生はもうとっくの昔、亡くなられています。美術館は、花咲さんのご遺族の知人とかいう人がやっていらっしゃいます」
「美術館のホームページによりますと、花咲かおる先生の遺品を整理していた時、先生の画かれた、絵本の原画だとか、デッサン、下絵、油彩画等といったものが、きちんと整理されて、そっくり残されているのが見つかったのだそうです。
所が、先生、身内には、高齢のお兄さんが一人いらっしゃるだけです。しかもそのお兄さんと言うのが、高齢の上に、持病で寝たきりでいらっしゃるせいもあってか、弟の遺品に対してそれほど愛着心がありません。従って関心もありません。
その為に、このままでは、郷土の誇りである花咲かおる画業の集大成ともいうべき、貴重な資料が、散逸、破損、消滅してしまう恐れがあることがわかりました。
それを知った、当地のいわゆる文化人たちの間にそれの保存運動がおこったのだそうです。
その時、その保存運動の先頭に立っていた方で、後にそれが美術館設立運動に変わった時、その代表者になった方が、この美術館の今の館長井田氏です」
「そう。じゃー、この絵の本当の持ち主は、誰。その美術館の物なの?それともその遺族と言うお兄さんのものなんだろうか、或いは知人と言う今の美術館長の持ち物なのかしら?」
「さー、そんな細かい事までは分かりませんが、美術館で売っていらっしゃるという事は、美術館のものじゃないの?
でも、それって今回のこの絵の売買となんか関係ある?」
「実はさー、この絵ちょっと疑わしい所があるもんだからさー、もしそうだった場合の責任は、どこにあるのかなと思って」
「エーッ、本当に。こんなキチンとした坂本曉彦氏の鑑定書までついているというのに」
「そこなの、問題は。この鑑定書そのものからして、違っているんじゃないかなー」
「坂本繁二郎の所定鑑定人の坂本暁彦氏の曉って、こんな難しい方の字だった?略した暁というほうの字だったような気がするけど。鑑定書のサイズも、ちょっと違うような気がするけど。
そういう訳だか
ら、悪いけど、しばらくの間、預からせてもらって、調べてからでないと、私のところでは、買えないなー」
その3
それから半年くらい後、例の浅茅さん、坂本繁二郎の絵画を持ち込んでこられた、あの浅茅さん、彼がまた訪ねてこられました。
あの時は、私の疑っているような言葉に、むっとされたようで、顔色を変えられると、
「それなら、他に、当たってみますわ」と言われ、そのまま憤然として、持ち帰ってしまわれました。
それっきり、その後、なんの音沙汰もありませんでしたから、どうなったのかなと、少し気にしていたところでした。
「お久しぶりです。で、今日は何か?」と私。
「いーえ、今日は、別に用があるわけではありませんが、こちら方面に来たついでに、ちょっと、お詫びを兼ねて、御挨拶にと思いまして」
「そうでしたか。それは、それは。わざわざご丁寧にありがとうございます。
そう言えば、先般のあの坂本、あれからどうされました?
どこか買ってくれるところありました?」
「いやー、あの時は失礼しました。私、あの絵は絶対間違いないと信じていたものですから、Oさんのご指摘に、ショックで、ついカーッとなってしまい、失礼な事をしてしまったようで、ごめんなさい。
あの後、2,3他の画廊さんにも当たってみたのですが、皆、同じような反応でした。
どうしても信じられなかった私は、所定鑑定人の所へ、直接、問い合わせました所、あの絵はやはり駄目と言われてしまいました。鑑定書の方も、Oさんの言われた通りで、違っているとの事でした。えらい目に遭ってしまいましたわ。
美術館のものと言っても、当てにならんのですねー。
Oさんの所へも、すぐにお知らせしようとは思ったのですが、あの時、あまり失礼な事をしてしまったものですから、ついつい敷居が高くて。
お騒がせしてすみませんでした」
「こういった商売そしている以上、そのような事は、絶えず起こりますよ。そんな事、いちいち気にされる事もありませんでしたのに。私の方だって、気に入らないものは、遠慮なく,いらないと言わせていただいていますもの。
これからも気になさらず、時々顔をみせてくださいよ」
「ところで、あの絵、ほら美術館から買ってきた、坂本繁二郎の絵、あれ『贋物だったから』と言って、その買ってきた美術館の方へ返してやりなさいよ。本物として、真っ当な価格で買ってきたものでしょ」
「無論そうです。だからそう言って、交渉してきましたよ。所がなんやかんやと言って、なかなか返品に応じてくれないので困っています。
どうも悪い奴に引っかかったみたい」
「美術館ともあろうものが、贋物を売っておいて、知らん顔なの。とんでもない。そんなやつ絶対に、赦せない。もしどうしても弁償してくれないというのなら、刑事告発と言う手もあるんじゃないの。だって偽の鑑定書迄つけて売ったんだから。
もしかしたら、その人、贋物絵画を制作販売しているグループと関係があるんじゃないの」
「いくらなんでも、それは無いと思うけどねー。
だって館長さんって、結構あの地方では、文化人として、名士の一人に数えられているくらいの人ですからね。
それに鑑定書迄偽物だったと電話した時、最初、あの人、とてもびっくりした様子でしたもの。
だから最初は、あたふたして、お金を返してくれそうな口ぶりだったときもあるんですよ。ところがそのうちに、だんだん連絡が取れなくなり、電話に出るのは、ボランティアで美術館の受付をしているという男性職員だけとなってしまったんです。
どれだけ電話しても館長本人は不在だとか、他の用事をしているとかと言って出てくれません。
メールをしても、返事はそのボランティアの受付から戻ってくるだけとなってしまったのです。
彼を通しての言い分では、貴方はその道のプロで、プロが自分の目で買っていかれたんだから責任は貴方にある。だから返品に応ずる事はできないと館長が言っていると言います。
受付のその男性では埒が明かないので、館長を出して欲しいといったのですが、今とり込んでいるとか、館長は、血圧が高くて、ちょっと電話に出られる状態でないとか言って、取り継いでくれません。
だんだん言い逃れが上手くなってきた所を見ると、彼の回りには、もしかしたら悪い奴がいるかもしれないとは思えますけどね」
「何、貴方、未だ、美術館に行っていないの。
どうして、そんな大切な交渉事を、メールや、電話だけでしているのよ。
そんなの駄目だよ。
ちゃんと美術館に押しかけて、直接相手の顔を見て交渉しなくちゃ。
こんなの明らかに相手に非があるんだから、まず美術館へいってきなさいよ。
四の五の言ったら、民事と刑事の両方で攻めてやりなさいよ。
美術館ともあろうものが、贋物を、偽の鑑定書迄付けて売っておいて、知らん顔なんて、そんな事、法的にだって許される事じゃないんだから。
美術館の物と聞けば、そんなもの、素人も玄人(くろうと)もあるもんですか。
それだけで、誰だって本物と信じて当たり前だもの。まして鑑定書まで付いているとなれば、相手に非がある事は明らかなんだから」
「そうですねー。
このままじゃー、埒が明かない(らちがあく:物事に方がつく)ものね。
社長が言われるとおり、一度行って、館長さんに会って、直談判してみる事にしますわ」
続く