このお話はフィクションです実際の事件、実在の人物とは関係ありません
その17
押し問答をしていても埒(らち:ものごとのくぎり)があきません。やむなく親しくしている弁護士に電話して聞いてみました。
『こう言った場合は、「心配ないからここに置いておきなさい」といった、お店の方にも、責任があるとおもうのですが、幾許(いくばく:ある程度)かは、弁償金を支払って貰うというわけにはいかないでしょうか」と。
すると弁護士は「言った、言わないが絡んできた話ですから、なかなか難しいでしょうね。でもお話を聞く限り、盗られた絵の代金を100パーセントとれるかどうかは疑問ですが、置いておくように言ったお店の方に、幾分かの責任がある事は認められるかもしれません。
しかし、もし裁判に勝ったとして、その人から、本当にお金がとれます?
そのお店の状態では、借金だらけ、貴方に見せてくれた家だって、抵当に入っている事だってありますよ。見せてくれたのは、最悪、人の家だったと言う事だってありますしね。でしたら、くたびれ儲けで、裁判の費用が余分に掛かっただけということにもなりかねませんけど」と言う返事です。
私も必死でした。私達は、何度も何度も、「もし何かあったら、何とかしてやる」と、言った、言わないで、押し問答を繰り返しました。
私としては、裁判も辞さないと言う事まで言って、責任をとってくれるように迫りました。
一時間近くも、押し問答を繰り返していたでしょうか。
店のご主人は、「私としては、お店の責任を認めて弁償をする訳にはまいりません。でもこれ以上押し問答を繰り返していてもどうにもなる問題でありません。
私も裁判ともなりますと、これから震災後の復興で忙しくなっていくだろうという時期ですから、私にとっては大変な負担です。
それじゃー、盗られた絵の権利を私が買ってあげるという格好で話をつけませんか。
念を押しておきますが、これは私が責任を認めて提案しているわけではありませんよ。
福島くんだりまで、来てもらったのに、損をさせることになってしまって、お気の毒だから、お宅の損害の一部を持ってあげましょうと言う意味だけですからね。
そうは申しましても、うまい具合に盗られた絵が見つかった場合は、無論、私の所に、所有権はある事になるわけですが」と言い出されました。
「それで、いくらで買って下さるおつもりですか」と聞きますと
「そうだねー。今の所何もない物を買ってあげるわけですから、売値の、五分(ごぶ=5パーセント)でも、良いとこではないですか。」とご主人。
「エッ、そんな馬鹿な。幾ら今、何もないからと言って、そんな程度のお金で売るくらいなら、損金として処理した方が、よほど気分的にすっきりするから、もう良いです。
そうすれば、万一盗まれた作品が出てきた場合には、買い戻す権利が残りますし、それによって、犯人検挙の手掛かりを掴む事だって出来るかもしれませんからね。
私達もこの道で食べている以上、こういった盗品を、探し出してくれる人も、まんざら知らないわけでもありませんし。
また、従来の判例からみて、今回のケースのような場合の、お宅から支払ってもらえる可能性のある金額によっては、裁判と言う事も考えていますし」とはったり(こけおどしの意)も混じえて(まじえて)、思い切って、強く出てみました。
すると相手はしばらく考えておられましたが、やがて「そうかね。納得できんかね。それじゃ七分と言う事で、どうかね」と言います。
黙って首を横に振る私。
「それでも納得出来んかね。それじゃー、思い切って1割弱,300万円出して上げましょう。
これが私の、貴方に見せる事の出来る、精一杯の誠意です。
これ以上は、何をおっしゃっても、びた一文だって出す気はありませんからね」とご主人。
「300万、たったの300万円、1割弱じゃーなー」となおも渋っていますと
「あなたね。もともと盗られて時点で、一円も戻ってこないのですよ。1割ちかくものお金が戻ってくるだけでも、ありがたいと思ってもらわなきゃー。私だって、こんな時期じゃなけりゃー、裁判に応じていますよ」
でも裁判ともなると、煩わしいし、こちらだって、どうせ弁護士費用だとか、自分が出廷する時の費用とかいろいろかかるでしょ。
だから、弁償と言う訳にはまいりませんが、お見舞いと言う形で、痛みを分かち合ってあげましょうといっているのです。どうせ今度、持っていらっしゃった絵だって、売値には、相当利益がみてあったでしょう。
だったら、売値の1割もの価格で、盗られてしまった作品の権利、もう今では何の形も残っていない空にすぎないものの権利を、買ってあげようといているのですよ。こんな良い話はないと思いますよ。もっと感謝して貰えていいんじゃないかな」とご主人。
そうはいわれましても、こちらは3000万余の損害です。それを300万ポッチのお金で、おいそれと引き下がるのは、なんとも悔しい思いです。
それに、商売人の間で、自分の所には、責任がないというのに、偶々、第三者の行為によって商売の相手方が損を蒙ってしまった時、損を蒙った相手が、気の毒だからと言って、それも全く見知らぬ一見の相手だった時、損の一部を肩代わりしてくれたなどという、そんな奇特な人がいるなんて話、今まで、聞いた事があません。
なんだか、話が出来過ぎています。からくりは想像もつきませんが、親切そうな、こんなお話には、何か裏があるのではと、勘ぐられてなりません。
しかし、眉唾だからと言いましても、もしこれを蹴ってしまえば、私の所は、全くの丸損の道しか残っていません。
何しろ先ほどは、口から出まかせに、はったりを、かましましたが、本当は故買(こばい:盗品を買うこと)の道に詳しい人なんか知るはずもありません。
そうかと言って、相手の言うとおりに、盗られた絵が、万一見つかった場合の絵の所有権を、この人に売ってやると言うのも、なんだか釈然としません。
そんな事、相手に知られたら、何の証拠もない話ですから、大変な事になりますから、大きな声では言えませんが、なんだか泥棒に追い銭をしてやるような気がするのです。相手の仕組んだストーリーに、うまうまと乗せられて、ただ同然で相手に渡してしまったような気がしてならないのです。
その18
私は少しでも損害を低くする為に、もう少し色をつけてもらえないかと、できる限りねばりました。
それが駄目なら、その金額しか出せないというのでしたら、もし作品が出てきた場合の所有権を、二分の一くらいは、私に残しておいてもらえないかと頼んでも見ました。
しかし、頑として、それ以上に出そうと、してくれませんし、盗られた作品の所有権を、二分の一づつにしておくという提案にも、
「私は善意で言っているだけです。だから、それが嫌でしたら止めてください」と言って、乗ってくれませんでした。
こうしたやり取りをしているうちに、イライラしだしたご主人は、「こんな事、いつまで言い合っていたって埒明かんわ(らちがあかない:物事の区切りがつかない)。
俺、まだ、他に用事があって、待たせてある人がおるで、この辺で引き取ってもらえんかね。
この提案が気にいらんというのなら、もう、訴訟でも何でも好きなようにしてくれたらいいがねん。
でも、もう少し考えさせてくれというのなら、できるだけ早う戻ってくるで、しばらくここで待っとってくれや」と言うと、私の返事も待たずに、さっさと出て行ってしまいました。
なんだか先ほどから、言葉遣いも変わって、乱雑で突き放すような口調と変わっております。
私も馬鹿ですねー。我ながら人が良すぎて呆れます。
こんな時に、「アレッ、もし私がこのまま帰ったら、ここの戸締りはどうするつもりなんだろ」と、どうでもいい事を、とっさに心配したんですから。
しかし、その時、私も、未だ迷っていて、当分ここにいる事になるだろうと、とっさに心の底で思ったようで、呼びとめる事をしませんでした。
次回へ続く