No.144 虎穴に入っては獲た(えた)ものは?その3

このお話はフィクションです万一、似たようなところがありましても、偶然の一致で実在の人物、実在の建物、実際にあった事件とは全く関係ありません。

 

その9

「中古自動車を扱っていらっしゃる業者さんの、店舗が、バラック建てのような例は何処にもある事です。だから別にそれをもって、不審に思う事は無いのですが、高額の美術品を、沢山買って下さるであろうお方のお店にしては、あまりに活気がなさすぎます。
更に、店の造りにも、置いてある備品にも、それらの配備の仕方にも、美的センスがなさすぎます。あまりに雑然と散らばっております。
店のこの様子に、本当に現在もこの店で営業されているのだろうかとか、本当に高額な品物を買うだけのお金を、持っておられるのだろうかと心配になってしまいました。
御主人は大変話し好きと見え、家の中に入った瞬間から、次から次へと、話題を見つけて、話しかけてこられます。
お店の状態から、俄か(にわか)に心配になった私の耳には、御主人の言葉は、風の鳴るように耳の傍を通り過ぎていくばかりで、意味をなさなくなっておりました。
そこで私は「ところで、景気はどうですか。この街もあちらこちらがお店を閉めてしまっていらっしゃるようですが」
と話の腰を折って問いかけました。
すると、「そうです。この通りも、御覧のように、ここも、あそこも、止めたり(やめて)撤退していってしまったりされて、今ではシャッター通りですよ。
もともと中心街にお客を盗られて、寂れてきてはいましたが、震災後はそれが急により進みまして、今では、店を開けているのは数軒程度といった有様。寂しいものですよ。
皆さん、先行きが心配なんでしょうね」
「それではお宅の御商売も大変でしょう。こんな時ですから、中古外車なんかあまり売れないのでは」と私。
「ああ、この店を見てそう思われたのですか。でも大丈夫です。私の所、ここの商売は表向きだけで、実際は、建物の解体業とか、産業廃棄物処理業をやっていますから」とご主人はいわれます。
やがてご主人は、「それで、絵は持ってきてくれたの」と切り出されました。
「エー、無論持ってまいりました。で、何処で御覧になりますか。今度、新築されたと言う、そちらの家の方か、お宅の今住んでいらっしゃる家に持って行きましょうか。奥様にもご挨拶したいと思いますから」
私は、これだけの絵を買おうという人が、自分一人で決めてしまっておられ、奥様と相談されている様子がない事とか、現在住んでいらっしゃる家の事についても、全く教えようとされないご主人の態度に、はっきり言葉にならない不安を感じておりました。
だから少し探りをいれてみました。
所が、御主人は
「いや、そんな必要はありません。
それにあの家には、今の所、未だ住んでいませんから。
いろいろと、手直しが出て、未だ住めるまでにはいたってないのです」
それに、こんな時期でしょ、今は、あの家に絵を出したり入れたりする所を、あまり近所の人には、見せたくありませんしね。
ここで見せてもらえばそれで充分です」
「まずここで絵をみせてもらって、その後、今度造った家をみてもらいます。
そこに、これらの絵を飾った時、私のイメージ通り、それらが、各部屋に合うのか、それとも、私の独りよがりで、もっと別の絵の方が良いのか、専門家の意見を聞かせて欲しいのです」と話を、はぐらかしてしまわれました。

 

その10

絵を、一通り見られるとご主人は直ぐに、「それでは、私が今度造った自慢の家を見てもらうことにしましょうか。
まだ、工事中ですから、車を止める所がありませんので、私の車で行くことにしましょう」とご主人。
価格についてのお話が、全くないままに、立ちあがってしまわれます。
慌たて私が、「支払い条件や、価格については、先般申し上げた通りでよろしいのでしょうか」と申しますと、
「それについては、また後で。何しろ、これらの絵が私の家に、本当に合っているかどうかを見てもらうのが先決ですから」とご主人。
「それでは、ひとまず、この絵、片付けさせていただきます」また家を見させてもらってから、価格については相談ということにしましょう」といってお店の壁に立てかけて置いた絵を、収め始めました。
すると御主人は、「今、私の車をとってきますから、その間に絵は片付けておいてください。
こんな場所ですし、まさかこんな所に名画があるなんて誰も思いませんから、そのまま箱にしまって置かれるだけ充分ですよ」と言われます。
「エッ、他にも駐車場があるのですか」と不審そうに聞き返した私に、
「前が狭いでしょう。だから私の車は、この家の裏のスーパーの駐車場にいつも停めさせてもらっているんですよ」という答えが返ってきました。
数分も経たないうちに、車を持ってこられたご主人は、まだモタモタと絵を片づけている私を見て、
「こんな家に、そんな高価な絵が置いてあるなんて、誰も、思いもつきませんから、箱に入れたら、そこらに積んで置かれても大丈夫ですよ」
「さあ、早速まいりましょう。私の自慢の家を、まず見てやってください」と急き立てられます。
「でも不用心ですから、せめて車の中に入れるだけでも、させてもらおうと思いますが」と申しますと、
「心配いらん、そんなもの。もし何かあったら、その時は、そんなもん位、なんとかしてやるわ」と突然不愉快そうに、ぞんざいな口調で、吐き捨てるように言われます。先ほどまでとは、打って変わっての口調と態度は、なんといえず不気味です。
しかしその時は、まだ買って頂けるものと言う一縷の希望(いちるの希望:わずかな希望)を持っていましたから、客相手の商売の悲しさ、そこまで言われると、これから何千万円もの絵を買ってくれるかもしれないと言うお客様の言葉には逆らえません。
慌てて絵を片づけると、応接セットのテーブルの上に積み上げ、後ろ髪を引かれる思いで、彼に従って家を出ました。
でも、その時閉められた、その扉のキーのあまりのチャチさに、再び、チクリとかすかな不安が胸を過ぎり(よぎり)ました。
何しろ、そのキーは、ヘアピン一本もあれば、簡単に開ける事が出来そうな、昔の安アパートの、引き戸用のドア・キーでしかありませんでしたから。

 

その11

ご主人は、相変わらず饒舌で、車に乗るとすぐから、自分の今度の家が、いかに素晴らしいかと言う事について、語り続けられます。
それもあってか、その話を聞いているうちに、その時感じた不安は、直ぐに、消えてしまいました。
車で走る事約20分、私たちは、市街地を走り抜けたところにある、新興の住宅地へとやってまいりました。
私達の行った先は、狭い敷地に、比較的小さな住宅だとか、アパートの立ち並ぶ、住宅地の一角にありました。車がやっと擦違える(すれちがえる)程度の道路脇に、建て坪40坪ほどの平屋建てプレハブ住宅が建っていましたが、その家の裏手、道路からやや奥まった所に、目的の家は建てられておりました。
まだ工事中だとかで、その家に入る為の取り付け道路も完成していません。
やむなく私達は、道路を挟んで反対側にある2階建アパートの駐車場を一時使わせてもらって、そこに停めさせてもらいました。
建物は鉄筋2階建、入り母屋式の赤褐色の屋根と、煉瓦タイル貼りの外壁を持った、和洋折衷様式の造りで、建物の前面の敷地に立って眺めると、建物の右端にある銅がね色(あかがね色)に輝く金属製玄関ドアの色ともマッチして、どこかの博物館かと見紛う(みまがう)ばかりの重厚さです。
家の中は、一階部分は、和式の造りで、二つの広い和室、納戸、下足置き場、ルーム・イン・クローゼット、洗面、浴場、化粧室、そしてユーティリティ等の各部屋からなり、
二階部分は、洋式の造りで、2階南面の殆どを占める40畳もあろうかと言う大きなダイニングキッチンで占められ、他は二つの子供部屋、洗面、化粧室、納戸などが造られております。
そしてそれらの部屋の内装や、備え付け家具、扉には、オニックス、イタリア産の大理石、黒曜石、花崗岩等の石材や、イタリア製のタイル、四方無節、無垢の檜材や無垢の杉板、柘植貼り合板等の木材や、高価な壁紙等が、床や、和室の天井、柱、長押、敷居、廊下、各部屋の扉、造り付け家具などに、惜しげも無くふんだんに使われており、各部屋の豪華さと素晴らしさとには、目を瞠る(みはる)ばかりです。
特に素晴らしかったのは、大きな、ダイニングキッチンでした。
天井は高く、中央に向かって弓なりにへこみ、南側全面を占めるガラス窓は、床上から、天井近くまで開口していて、とても明るく、広々としております。壁面や天井は、色違いの壁紙が夫々(それぞれ)貼られておりましたが、その壁紙はとても豪華で、白系統の地に金糸、銀糸が織り込まれた、劇場の緞帳(どんちょう:舞台にある客席から舞台を隠す為の幕)のような西陣織の布地が使われております。
そしてそれが、薄い黄土色のオニックス大理石の床とも相まって、絢爛豪華でありながら、そのくせゆったりとした、寛ぎ(くつろぎ)をあたえてくれる部屋となっております。
ご主人は建材についての知識が、とても豊富な方のようで、これらの建築材料はすべて、ご主人自身が探してきて、自分で交渉して買い入れてこられたものだとの事でした。

 

その12

ご主人は、部屋を回りながら、「ここはあの絵を、ここにはこの絵を」と、とても楽しそうに語られます。
また今後とも、今後絵を買う時は、貴方の所で一括購入する心算であると、何度も何度も繰り返して言ってくださいました。しかし私は、そんな話は買う人が良く口にする言葉で、値切る為の口実ないしはリップサービスにすぎない事は、分かっておりますから、真に受ける事はありませんでした。
それどころか、家の中を見て歩き、ご主人の自慢話を聞いているうちに、商いの相手としては、とても手ごわい人で、一筋縄ではいかないだろうと思えてきて憂鬱になってまいりました。
もしかしたら、購入に当たっては、とんでもない条件を付けてこられるのではないかと思え、その時点で、半分、売るのを諦めておりました。
なにしろ、これらの建材を購入された時も、相手の金銭的な弱みに付け込んで、随分買い叩いてこられたような口ぶりでしたから。
さらに気になったのは、建物の殆どが完成しているにもかかわらず、あちらこちらに、やり残しや、未完成な所がある事でした。
御主人の話では、「気に入らない所を、やり直しをさせているのだ」との事でしたが、それにしては、どこもかしこも、綺麗に片づけられてしまっていて、どこにも、そして何も、建材も道具も置かれていませんでした。
業者との間に、何らかのトラブルがあって、工事が中断されているような感じです。
仮に、そうでなかったとしても、こんなに沢山の“直し”を平然と出されるような、気難しい方が相手では、迂闊(うかつ)に商売はできないとも思いました。
今迄の経験では、そういうお客様は、ご購入下さった後、なんやかんやとイチャモンをつけてこられて、値引きを要求してこられたり、返品してこられたり、お金を払って下さらなくてトラブルとなったりしたことが間々あったものですから。
しかし、そうだからと言って、相手の求めてきた助言に対して、いい加減の事を言ったり、したりしたわけではありません。
私は、私の感性に従って、(それは、私の独善と偏見に基づくものだったかもしれませんが、)商売を離れ、絵を扱うものとして、後から自分で自分を恥ずかしく思わなくてもよいよう、誠実に対応はしました。
例えば、リビングキッチンの大きいほうの壁面には(そこは窓の反対側の面でしたが)、そこは家族が生活する場だから、色や、絵柄が、あまりけばけばしくなく、今ご主人が思っていらっしゃるような絵をかけられるより、もっと落ち着いた感じの絵を飾るとか、書のような余白を生かした美術品を飾った方が良いのではないかとか、もしどうしても大きな絵と言う事でしたら、壁面の広さとの釣り合いから、(私の画廊では持っていないにもかかわらず)もう少し大きめ、200号くらいの大きさの絵で、落ち着いた感じの絵を選ばれた方が良いのではないかとか、絹谷先生の絵がお好きで、どうしてもこの部屋に一枚飾りたいとおっしゃるのでしたら、その壁面とは別の、入り口側、東面の壁面スペースに、8号ほどの大きさの絹谷先生の絵をお飾りになっては、と言うように、各スペース、各部屋の大きさ、造り、飾る場所に合わせて、ご主人の好みも加味しながら、自分の所の持ち物に拘らず(かかわらず)、その場所に最も好ましいと思われる絵を推奨しました。

次回へ続く