No.124 反面教師、唐様で売り家と書く三代目 (気の長いある家のコレクション)前編

この話はフィクションです。たとえ似ている所がありましても、偶然の一致で、実際の人物、事件とは、全く関係ありません。

 

その1

 

「どなた様ですか」「ピンポン」と鳴らしたインターホンに答えて女性の声。「奥様でいらっしゃいますか。先ほどお電話いたしました、愛美ギャラリーの大木でございます。今、よろしかったでしょうか」と私。「どうぞお入りになって。玄関のドアの鍵は開けてありますから。チョット手が離せないの。悪いけど、ダイニングキッチンにいるから、ここまで上がって来てもらえる」とインターホン越しの奥様のお返事。
この方、以前といいましても、ちょうどバブルが弾けて、美術品全般が、大暴落していた頃のことですが、私どもから、たまたま何かの名簿で拾って出した案内状をみて、小磯良平先生の作品をお買い上げいただいた方です。この奥様、どういうわけか、私の事をとても気にいって下さって、それ以降、特に用がないのに、何かと電話して来られては、いろいろとお話になります。私も又、育ちが似ている為か、年は違っているのですが、この奥様と、とても気が合います。だから商売を抜きにして、個人的なお付き合いさせていただいております。

 

その2

キッチンでは、ちょうどお子様に勉強を教えていらっしゃった所でした。「いらっしゃい。もう少し待ってね。もう直ぐ終るから」「どうぞお構いなく、別に急いでいませんから。」「智君、今日は、お勉強しているの。偉いねー」「おばちゃん、いらっしゃい。ママ、もう終わり?」「もう少しよ。そうそう、小母ちゃんにも、チョット新バージョン、ご披露しようか。」「はい、二階から?」「目薬」「猫に?」「小判」「犬も歩けば?」「棒に当たる」「負けるが?」「勝ち」「梨下に冠?」「瓜田に靴」「凄い智君!天才。」と私。智君はチョットはにかんでいますが、とても得意そうです。「九九も少し、覚えたのよね」「ハイ、二二ンが?」「四」「続けて」「二三が六、二四が八、二五十、・・・・・・・・・二九、十八」「三二が六、三三が九・・・・・・・・」「四二が・・・・」「凄い、凄い、大天才、凄いなー、今度ご褒美に、何か持って来てあげなければいけないね。何がいい?」「新幹線」「フーン、新幹線ね。分かった」「きっとだよ。小母ちゃん。約束だからね。忘れちゃー、駄目だよ」「分かった。分かった。ちゃんと持ってくるから」智君は3歳半ば、最近やっと言葉の数が増えてきて、きちんと話せるようになったばかりの子です。しかしお母さんである奥様は3歳の手習いだとか言う事で、3歳になった頃より、いろいろ勉強を教え始めておられます。これが不思議な事に、結構いろいろな事を覚えているのです。私が来るたびに、暗記しているもののバージョンが増加しています。「智ちゃん、今日はお客様もいらっしゃっている事だし、もう終わりにしようね」「終り。もういいの。ねー、小母ちゃん、遊ぼ、ブーンして」やっと解放されてほっとしたのか、智君はとても嬉しそうな顔をして私の所に、へばりついてきました。
「駄目よ、小母ちゃんはねー、今日は、お母さんに御用があっていらっしゃったのだから」「良いの。チョットだけ。ねー、ブーンして。」智君は私から離れません。
「ごめんなさいね。この子ったら、大木さんの事、まるで身内のように思っているみたいで。」
「智、止めなさい。そんな聞き分けのない事、言わないの」
「いいわよ。少しくらいなら。さあ、こっちへおいで」
「ほら、行くわよ。ブーン」私は智君の胴体を横抱きにすると、彼の両手を拡げさせ、飛行機の形をさせながら、テーブルの周りを、小走りに歩きました。

 

その3

「いつも悪いわねー。」数回テーブルを廻っただけで、息が切れて「はあ、はあ」息をしている私に向って奥様は申し訳なさそうに、謝られます。
「いいえ、いいえ構いませんわ。私だって、智君の事可愛くてたまらないもの。それにしても大きくなったわねー。」
「それによく言うことを聞いて、お利口さんねー。でも、今の時代って、そんなに早くからお勉強させなくてはいけないの。少し可哀そうな気もするけど」
「そうよ。今時、どこの家でも、子供少ないでしょ。だからその少ない子供を一人前に育てるのに一生懸命なのよ。幼児教育をするのなんか、常識よ」
「でも、お宅なんか、資産がおありになるから、そんな幼い時から、あくせく勉強させなくても、良いのではないの?」
「貸駐車場だとか、賃貸マンション、賃貸用の店舗などから、毎月ザックザックとお金が入ってくるんでしょ。智君なんか、将来、遊んでいたって左団扇の身分じゃないの。」
「他所様からはそう見えるらしいのよねー。でも、今時の賃貸経営って、そんなに甘くないわよ。競争は激しいし、経費は掛かるし、固定資産税だってバカにならないのよ。その上相続税、これがまた大変なの。何しろ、三代相続したら、身上(しんしょう:財産)がなくなるといわれているくらいなのですから。それを少しでも減らさないように、無事、次の代へと引き継がせていくのは本当に大変な事なの。」

 

その4

この奥様のご主人は、お義父様がお亡くなりになった後は、不動産賃貸会社の実質的なオーナーですが、名義上では、妻である奥様が代表取締役をして、自分は大学の研究室にお勤めをしていらっしゃいます。
彼女の話によりますと、彼女のお義父様は、とてもやり手で、日本の高度成長期で、不動産の価格が、ものすごい勢いで値上がりしていった時代に、その波に乗り、今の資産を作りました。非常に先を見る目があった人で、それに運も味方をしたようですが、バブル絶頂期に、高騰していた不動産の一部を売却して、借金の返済に充てました。従って、借金を殆ど無くしてありましたから、バブル崩壊に伴う不動産暴落の痛手もあまり受けずに済みました。しかし、賃貸借物件というのは、ある年数が来ると、古くなって参ります。そうなりますと、大改修か、建て替えを考慮しなければなりません。それをしないと、借り手がなくなってしまいます。
賃貸マンションなどは特にこの傾向が強く、新しい所、新しい所へと、皆さん変わっていってしまわれます。このため、古い建物では、借家人が出て行った後、その修理費に、数年分の家賃相当額のお金をかけなければなりません。
他にも10年毎に屋根の防水、15年毎に外壁の全面再塗装なども必要となりますし、又不意に起こってくる水回りの修理費もみておかなければなりません。
それくらいに、いつも修理するように心掛けていませんと、きちんと家賃を払ってくれる人が、入居してきません。
仮に修理費をあまりかけないで、替わりに募集家賃を下げるような事をしますと、家賃をまともに払えないような借家人が入居してくる可能性が出てまいります。
それほど手をかけていても、3,40年も経ってまいりますと、新築との競争は難しくなってまいります。
したがって全面的な大改修か、建て替えかを考えざるをえません。そして困った事には、お義父様が建てておかれた建物の中には、ちょうどその時期に来ているものが沢山あります。その為に、建て替えの費用の工面もしなければなりませんから、結構大変なんです。
その上、もう一つ、頭を痛めているものとしては、お義父様が亡くなられたとき支払わされた、相続税による借金の返済があります。
お義父様が亡くなった時は、バブルがはじけ、相続税評価額も下がっていた時でしたから、以前に比べれば、比較的少なくて済んでいます。しかしそれでも、その金額はかなりの額にあがり、今でも、かなりのお金を返している始末です。「それやこれやと、本当に頭が痛い事ばかりなんですよ。外からは想像できないでしょうけど」と彼女。

 

その5

「いっその事、売ってしまわれて、そのお金で、相続税を払う事にされたら」
「そんなわけにいかないわよ。私たちの代で、ご義父様から受け継いだ物を、減らしたなんていう事になったら、亡くなったお義父様に、申し訳ないもの」
「私ね、嫁いできてから、ずっとお義父様の秘書みたいな事して、一緒に仕事させてもらってきたでしょ。その時、お義父様から、いろいろお話を伺いましたから、お義父様のお気持ちが良く分かるの。
お義父様が、貧しさから抜け出すのにどれほど苦労されたかということや、どんなに倹しい(つましい)生活をしながら資産を作ってこられたかということ、そしてこの財産に対する思い入れなどがね。」
「財産というのはね、いつも、殖やしていくように心掛けていないと、減っていってしまうという厄介な代物なの。
しかし宅の主人は、あの調子で学者馬鹿でしょ。お金儲けなんかには、全く関心がありませんの。
だからといって、女の私の才覚では、殖やすまでは行かないでしょ。
そこで、せめて減らさないようにしようと、密かに決心していますの。
幸いなことに、主人、お金を儲けようともしないけれど、贅沢もしない人です。だから何とか、まあまあに、次の代に伝えていけそうな気がしています。」
『お義父様からは、「財産なんて、真夏の氷のようにはかないもの。どんな資産があっても、チョット緩めたら最後、すぐ融けてなくなってしまう」とよく聞かされていましたが、
私も最近、つくづくその通りだと思うようになったわ。』
「お義父様の話によりますと、ご先祖様の中には、実際に、そうやって、ちょっと気を緩めた為に、財産の殆どをすってしまわれた方がいらっしゃったそうです。
だから、そうならないために、これからも気を引き締めて、やっていこうと思っています。そして子供にも、質素、忍耐、勤勉、努力といった家に代々伝わってきた教えを、きちんと叩き込んでおかなくてはと思っていますの」

 

その6

(奥様のお話)
お義父様の家は、江戸時代初期から、この地で代々続いていた地主の家柄です。江戸時代は、せいぜい、こつこつ荒地を開墾しながら、田畑を殖やしていった程度のこじんまりした地主でした。
しかし当時は、厳しい年貢の取り立てがあって、その収入の大半を、もっていかれてしまっていた上に、旱魃だとか、洪水による大飢饉に絶えず見舞われていましたから、非常に倹しい(つましい)生活をしていたにも拘わらず、財産がどんどん増えていく様な事はありませんでした。しかしそのような倹しさと、勤勉努力の家風が、代々受け継がれてきたおかげで、多少の財産の増減はあったにしても、極端に財産を減らすようなこともなく、何百年もの間、代々の地主として、生き残ってきた家柄です。
この家に、今から150年程前、私達の代から遡ること第4代に、札右衛門という人が出てまいりました。この人、非常に目端の利いた人で、江戸末期から、明治初期にかけての政治体制の変換による大動乱の時期、それに乗じて急激に資産を殖やしました。その頃、一時でしたが、地租が非常に高かった時期がありまして、そのあまりの高額さに、土地を持つことの将来に見切りを付けた地主が沢山でてまいりましたが、そういった人々から、田畑を廉い値段で買い集めることによって、その地方屈指の大地主にまでなりました。しかし札右衛門さんは、大地主となった後も、その生活を変えようとしませんでした。代々受け継いできた家風に従って、質素、倹約を旨とし、華美を禁じました。食事は特別のとき以外は一汁一菜、身につけるものは木綿、朝はまだ星が出ているうちから、夜は星空になるまで外で働き、夜は遅くまで、夜なべ仕事といった生活をしていました。だからといって、ただのケチではありません。ただ無駄なお金を使わなかっただけです。札右衛門さんは、私財を投じて、自分の土地だけではなく、その地区全体の用水池と用水路の整備に努めました。又不作の年などは、年末になると、そういった年のために備蓄しておいた餅米を、小作人たちの家に配って歩いたりもしました。

 

その7

息子の鉄三郎さんも幼いときからそんな父親の薫陶を受けていましたから、非常に倹約家で、勤勉だったそうです。
しかし子供のときから、大地主の息子さんとして育てられ、周囲からもその目でみられ育ってきた彼は、父親のような事はありませんでした。
迎えたお嫁さんの心構えも違っていました。
お嫁さんは、ふさのさんといいましたが、彼女の実家は、村に入ってからは、他人の土地を踏まなくて、家へ帰ることができるといわれているほどの、桁違いの大地主であった上に、海産物問屋をしていた商家でもありました。
従ってどちらかというと、鉄三郎さんの家より贅沢で、自由な気風の家で育ってきました。だから生活はどうしても、華美にながれがちでした。
それでも、札右衛門さん夫婦が目を光らせていた時は、舅、姑に対する遠慮もあり、まだそれほどでもありませんでしたが、札右衛門さんご夫婦が亡くなりますと、歯止めがなくなり、ごく自然に、贅沢が生活の中に、忍び込んでまいりました。
その上まずい事には、その頃になりますと、周りの人間が、金持ちの息子、鉄三郎さんの事を放っておいてくれなくなりました。
村の顔役として、いろいろな名誉職を押し付けてくるようになりました。
その為、お付き合いの金も増えましたし、あちらこちらに顔を出して、ご馳走を食べる機会も多くなりました。
郡会議員にもなりましたから、衣服にもお金が掛かるようになりました。
そうした影響もあって、家での食事は、以前とは比べものにならないほどに、贅沢なりました。
着る物も、いつの間にか、絹織物が使われるようになってきました。それでも、鉄三郎さんの代の間は、鉄三郎さんが、幼い時から、倹約、勤勉を叩き込まれてきましたから、入ってくるお金を考えずに金を使うといった、そういった事まではしませんでした。また沢山の名誉職を引き受けながらも、家業を疎かにするような事もしませんでした。したがって彼の代も、資産が減らすような事なく、子孫にと財産を伝えました。

 

その8

所がこの鉄三郎さんの後の淳一さんの代、札右衛門から数え手3代目に当たりますが、彼の代になりますと、ガラリと様子が違ってまいりました。
淳一さんは、4人兄弟の末っ子でしたが、上は皆、女性でしたから、たった一人の男の子として、長男として、とても大切に育てられました。
淳一さんが生まれた頃の鉄三郎さんは、公私ともに忙しい身で、家の中の事にまでは手が廻りません。
従って躾だとか、教育、家計のやりくりといった家の中の事はすべて母親であるふさのさんにまがせっきりになっておりました。
ところがこのふさのさん、お嬢さん育ちで、子供の時から甘やかされて育てられていて、贅沢に慣れておりました上、商家で日銭がはいてくる家で育てられましたから、金銭感覚が多少鈍い所がありました。
その上、自由で、のびのびした家風の中で育てられましたから、子供達にも、あまりガミガミと言うような事はなく自由に育てました。
従って、どの子ものびのびした子に育っていますが、どちらかというと、贅沢で、気侭でした。それでも姉達はまだ、子供時代、姑さんが健在でしたから、良家の子女としての、普通の躾は受けておりましたし、種川家の家風も多少は受け継いでおりました。しかし淳一さんが育つ頃になりますと、そのお姑さんはもう亡くなっていて、いませんでした。淳一さんはただ甘やかされ、自由気侭、我侭一杯に育てられました。結果、金銭感覚の殆どない贅沢三昧な道楽息子になってしまったのでした。
それでも、父、鉄三郎さんが、もう少し長生きしてくれ、二人が一緒に仕事をしている期間が、もうすこし長ければ、又違ったのでしょう。
しかし不幸な事に、鉄三郎さんは、諄一さんが、大学を出ると間もなく、亡くなってしまいました。彼は、世間の事も、仕事の事も、まだあまり知らないうちに、25歳ソコソコで、突然に家督を継ぐことになってしまったのでした。
(※)売家と唐様で書く三代目(うりいえとからようでかくさんだいめ)
初代が苦労して作った家屋敷も、3代目となると売りに出すことになる。商いをおろそかにし、中国風の書体などを凝って習ったおろかさが「売家」のはり紙にあらわれていることを皮肉った句。<<広辞苑より>>
初代はその財を築くために、それこそ夢中になって働いて、文字を習う暇もないほどであったが、その子や孫はその財産を使うばかり。そのうちには悪い遊びも覚え、3代目あたりになると財産といえば自分の家くらいしか残らなくなってしまう。ついには、その家までも手離さなければならず、ただ一つ身についた腕で、売家という文字を唐様のしゃれた書体で書く。祖父の忍苦を忘れて、孫の代で無残に財産を使い果たす意味の川柳。名家や富豪と評判の家で、3代目につぶれる家が多い。

語:唐様=明(みん)の書風をまねた漢字の書体。

No.123 浜の真砂は尽きるとも(こんな手もあったの?)

このお話はフィクションで、実在の人物、事件とは、全く関係ありません。

 

その1

先日、ある親しくしていただいている画廊に遊びに行った時の事です。
御主人と、50歳くらいでなんだか怖そうな雰囲気をもった男性と40歳代半ばの、あまり風采の上がらない男の二人連れとが、険しい顔をして、話しあっておられます。
「こりゃー、まずい所へ来たかな」と思った私は、
「すみません。お取り込み中みたいですから、また別の日にしますね。別に特別な用事があってきたわけではありませんから」と言って帰ろうとしました。
所が御主人は、「いや、もう終わる所ですから、ちょっと待ってよ」と言われてから、お客様らしい男性に向かって
「そういう訳ですから、私どもに落ち度があったとは思っていません。従って、本来ならもうこれで打ち切らせていただいても良いころでございますが、それほどおっしゃるのでしたら、一応、あの絵をお買い上げいただいたお客様もまだ、手付金を頂いているだけでございますから、訳を話してキャンセルしていただくようお願いしてみます。でもお願いしたからといって、必ずキャンセルしていただけるという訳ではございませんので、一応先に頂いてあります貴方がたの方の手付金の方はお返ししておきます。従って、そのお客様からキャンセルしていただいた時点で、新たにお買い上げいただいたという形をとらせていただきたいと思いますがそれでよろしいですか」とご主人。
所が男性の方は納得しません。「それは違うだろう。もし手付を返すというのなら、手つけの、倍返しというのが常識と違うか」、とその二人連れの内の一人、身体全体からなんとなくやばい臭いを放っていらっしゃるほうの男性の声。そのドスの利いた声には、辺りの雰囲気を、一瞬凍りつかせそうな響きをもっています。
「そうですか。しかし私どもとしましては、翌日に来ると言って手付を置いていかれたまま、何の連絡もなく、日数も経っている事ですし、本来なら、手つけ金なんかお返しする必要はないケースだと思っています」
「しかし、随分日にちを過ぎてからとはいえ、わざわざ引き取りにお出でいただいたお客様に、手ぶらでお返しするのでは、あまりにも申し訳ないという思いもあり、せめて手付金相当額のお金だけはお返ししておこうと思って、しているだけの事です。従って、そんな言い方をされるのでしたら、このお金も、本来お返しする必要はないお金だと思っていますから、引っ込めさせていただきます。それでよろしいのですね」緊張した雰囲気の中、精いっぱいの勇気を奮った御主人の甲高い声がきこえてきます。御主人の語尾は少しふるえているように感じられます。
「いやー、そんな勝手な言い分はのめんな。こっちは買うと言って、手つけまで打っておいたのに、それを断りもなしに、他所へ売ってしまっておいて、そんな言い方あるか?法律はどうなっとるか知らんが、お前さんの所も、ちゃんとした看板をあげておる以上、守らないといけない商業道徳というものがあるだろう。それに恥じる事はないのか。どう言い訳を言ってもらっても、悪いのはお前さんの所だろう。そんなら、それなりの挨拶の仕方があるのと違うか」
「今日の所は、お前さんの所が、責任をもって、その客の方をキャンセルさせて、とりもどしてくれるというから、これで引き取らせてもらうことにするが、もし、ようキャンセルしてもらわなんだ時は、それなりの挨拶をさせてもらわにゃーならんことになるから、そのつもりでな。この人も、あの絵を当てにして、計画しとりなさった事があるので、もし買えんという事になると、大損蒙る事になっているのだからな。それも分かっておいてくれよな。それじゃ明後日にまた来るで。良い話、待っとるでな」
低いドスのこもった声で言い払うと、もう御主人の言う事なんか聞こうともせず、ご主人の手に握られていた、そのお金をひったくるようにして手にすると、そのまま画廊から立ち去っていきました。

 

その2

「いやー、ブルった、ブルった。良い時にあんたが来てくれて助かったわ、」緊張して、青白い顔をして戻ってこられた御主人。相当応えておられるようです。
「こんなこと聞いていけないかしら。いったい何があったの」と私。
「しょうもない事ですわ。私の所も多少迂闊な所があったかもしれませんけどね」
「実はねー、今から10日前の事です。うちの画廊へ4,5歳くらいの女の子を連れた年は40歳半ばくらいの一人の男性が訪ねてみえましてね」といいながら、次のようなお話をしてくださいました。
実を言うと、今迄、画廊へ絵を買いにいらっしゃったお客さんで、子供連れと言う方はあまりいらっしゃらなかったので、それだけで直感的に「少しおかしいな」と思う所はありました。その上、その男性、服装で人を値踏みするようで悪いのですが、親子共に、どちらかと言うと野暮ったい服を着ていらっしゃる上に、胸元からはみ出している肌着は少し垢じみていて、とても絵を買うような人達とは思えないような親子でした。
ところがその方、「プレゼントに使いたいから、山下清の絵を見せてほしい」とおっしゃいます。
私どもが、なんとなく不審に思っているのをお察しになられたのでしょうね、店員が絵を探しに言っている間の時間に、問わず語りに、自分の事を、話し始められました。
それによりますと、この人、奥さんが今二番目の子を妊娠したのですが、流産しかかって、絶対安静が必要となり、その為、自分や子供は、奥さんの安静を妨げないようにと言うので、家から追い出されて、ホテル住まいをさせられているのだとか。「毎日毎日がホテル住まいで、外食と言うのは、なんとも味気なくて、もううんざりしています」などと嘆いておられるそのご様子は、真に迫っていて、すっかり信じこまされ、同情さえしてしまいました。
最初は、不審に思われたその風体も、子供連れである事も「さもありなん」とその時点で妙に納得させられてしまいました。その為、話の矛盾にも気付かず、肝心の事を聞くのもその話しぶりから、なんとなく憚られて、つい遠慮して聞きそびれてしまいました。

 

その3

倉庫から出してきた絵を見られるとすぐ、お客様はとても気に入って下さった様子でした。
しかし、そうだからと言って買い方に不審があったわけではありません。
結構、「もう少しまけてくれ、いやそれ以上はもう限界です。勘弁してくださいよ」などといった厳しいやり取りをされた上、お買い上げ下さる事に決まったのです。
「ただちょっとおかしいなと思ったのは、この作品の評価証明書が欲しい、それも実際の価格より1.5倍くらいに嵩(かさ)上げした価格での証明書にしてほしいとおっしゃった時と、手付金を払う段になって、1万5千円しか持ちあわせがないがそれでいいかと言われた時だけです。
しかし、評価証明書は、奥さんの了解をとる為に必要なだけだから」と言われれば、別に特別不思議でもなんでもなさそうに思われました。
また手付金を払うに当たって僅かしか持ちあわせがないと言われた事も、「銀座に来たついでに、たまたま立ち寄っただけだったから、何も準備してなくて」と言われれば、それもそうだなと思ってしまって、別に不審に思いませんでした。(商売していますと、買って下さるお客様ということになると、見る目が、曇るのでしょうね。)
でも、評価証明は書きませんでした。一応評価証明書という事になりまと、画廊として正規に認定した文書という事になります。それを水増しした価格で書くというのには抵抗がありました。何となく嫌な予感がします。
「申し訳ありませんが、それは出来ませんので、お許しください」
お断りする私に対して、彼は、「そんな物、妻に見せるだけですから、それほど固くお考えになる事もないのに」と、とても残念そうでした。
「もし奥様が価格に御不審をお持ちのようでしたら、私の所に電話していただければ、口頭で説明させて頂きます。正規の評価証明という事になりますと、私どもも、画廊としての看板をあげています以上、あまりおかしなことは書けませんので、どうか御察しの上ご容赦ください」と言ってお断りしました。
お客様は、あのようにいってらっしゃいましたが、そういう物は(評価証明書は)私の手を離れた瞬間から、本当のところは、どう使われるか分かりませんからね。だから迂闊にかけませんよ。何となく嫌な予感がしましたしね。
お客様は少し考えていらっしゃいました。しかし最後は1万5千円の手付金をおくと、「それでは明日にでも残金はもってくるからよろしく」といわれて、帰っていかれました。

 

その4

そのお客さん、それっきり、翌日も、翌々日も、画廊に、お出でになりませんでした。
間が悪い事に、客様の電話番号も、住所も聞いてありませんでしたので、家に電話するわけにも参りません。
ホテル住まいをしていらっしゃるとのことだった上に、妻の病気にさしつかえるといけないから、家にはあまり連絡してほしくなさそうな口ぶりにつられ、ついつい電話番号を聞くのが憚られ、聞きそびれてしまったのでした。
あまり少額の手付金しかおいていかれなかったので、本気でお買になる気持ちがあるかどうかわからないという思いがあったからかもしれません。また手付金の額が小さかったので、ついこちらの気も緩めてしまったという事もあったと思います。いずれにしても、手付金の領収書だけを、お渡して、帰してしまっていたのです。
でも私は「そのうち何らかの連絡があるだろうくらいに思って、のんびり構えていました。しかし何日待っても、何の連絡もありませんでした。
こうしてとうとう1週間経ってしまいました。しかしお客さんが画廊に姿を表される事はありませんでしたし、電話で断ってこられる事もありませんでした。
「やっぱり無理だったんだな。まあ、もともとあまりあてにしてなかったお客様だったからいいけど」ともうお買い上げにならないものと、私どもとしては、すっかり諦めてしまいました。

 

その5

確か手付をおいていかれてから10日目のことでした。もう取りに来られる事はないのだからというので、店員の一人が、画廊の片隅に立てかけてあったその絵を片づけようとしていた時の事でした。
画廊に入っていらっしゃった一見の(いちげん:はじめていらっしゃった)お客様が、その山下清の絵画に目を止められ、とても気にいってしまわれました。
「是非、是非その絵を譲ってほしい」と言われます。
その店員としましては、直ぐに取りに来られるはずだった絵画が、10日にもなるのに、何の連絡もないまま、取りにも来られていない絵です。もう取りにこられる事は絶対にないだろうと思い込んでいました。従って、多少は躊躇したかもしれませんが、そんなに深く考えることもなく、そのお客様に頼まれるまま、その絵を、売ってしまいました。
店員の報告によりますと、そのお客様はとても喜ばれたそうですが、やはり急な事で、今はて持ちお金がこれだけしかないからとおっしゃって、10万円の手付を置いて帰っていかれたそうです。
そのお客様はインテリっぽい30代半ばの男性だったそうです。名刺で見る限りきちんとした職業をもった自営業者で、身なりもきちんとしており、連絡先もきちんとしているので、今度の方は間違いなく残金をもって作品をとりに来て下さるだろうとの事でした。

 

その6

所が、そのお客様が出て行かれるのと入れ替わるようにして画廊に入ってこられたのが、最初にこの絵の購入を希望し、手付金を置いていかれた、例の子供連れだったお客様でした。
「ちょっと仕事の都合で、しばらくこられなかったが、やっと都合がついたので、あの絵をとりに来た」とおっしゃるのです。
しかし私どもとしましては、その絵は先ほどもう他のお客様に売ってしまっております。
そこで悪いとは思いましたが、「すぐに取りに来るとおっしゃったのに、10日も経ったのに取りにきてくださらなかったので、もうキャンセルされたものとして、他の人に売ってしまいました。悪いですね」といってお断りしました。
すると「そんな馬鹿な事があるか。せっかくお金を工面してきたのに。そんな事は絶対認めんから」といって、憤然として様子で帰って行かれました。
しかしそれではおわりませんでした。それから間もなく、先ほど凄んでおられたほうの男性を連れて、二人してもう一度いらっしゃったのです。
「話は簡単なんですが、まともな世界の人ではなさそうな奴がついているようだから、困まっているんです。これはすんなりいかんかもしれないですねー。
まあ、後から買っていかれた人に理由を話して、キャンセルしていただくより仕方がないですかねー。その人が、すんなり応じて下さるといいのだけど」
「それにしてもあいつら、変な事言っていたよな-。あの絵で計画している事があるって言っていたけど、何をしようとしてたんやろ」とご主人は不審そうに、首を傾げていらっしゃいました。

 

その7

それから一週間後に開催された、交換会の時、その画商さんにお会いしました。
彼が会場外に出られた時を見計らって、そっと近づいて聞いてみました。
「先日のあの件どうなりました。うまい具合に片付きました?」
「あっHちゃん、あの件ねー。それがまあ、あの後、あの二人組から、なにもいってこない所を見ると、うまくいったと言えば、そう言えるのでしょうけどね。だからと言って、なんとなくすっきりしないんですよねー。あいつらにうまうまと嵌められた(はめられた)んじゃないかと思うとね。
「どういうこと。だって単なるキャンセルしてもらうかどうかの話でしょ。別に問題になるような事ないような気がするけど」
「あの後、すぐに後から絵を買っていった人の携帯に電話して、理由を話してキャンセルしてもらうように頼みました。でもその人も、あの絵を気に入って買ったのだから、今更キャンセルしたくないとごねられてね。それで、翌日画廊にお出で下さるのを待って、もっと質の良い絵(価格的にも高い絵)をお勧めして、これと替わってもらえないかと頼んでみたのです。でもあの絵じゃなきゃ絶対に嫌だと言張られるのです。おかしいでしょ。あの山下のペン画って、確かに山下の直筆ではあるけれど、それほど執着するような絵だと思えないんだよね、質的にね。そりゃー、個人の好みの問題もあるから一概には言えないといわれれば、言えませんけどね」
「それで、結局どうなったの」
「だから拝み倒して、最後は手付金の倍返しに色をつけるという事で、赦してはもらったけどね」
「でも本来は手付金って、こういう場合の手付金は通常解約手付だから、お客様がお買いにならない場合は、手つけ金を放棄されれば契約は解除出来るし、売る側としても、都合が悪くなった場合は、その手付金を倍返しすれば、契約が解除出来るという性質のものじゃないの」
「だったら倍返しで手付金を返したら、その契約を解除する事に、別に問題はないんじゃないの?」
「理屈はそうです。でもこちらも客商売でしょ。信用という事も考えると、どうしてもあまりしゃくし定規には出られなくてね。そういう所が、ああいう怖い連中をして、付け込ませる事になるんでしょうけどね。どうしても、小さなお金で済むなら、厄介を避けて、それで済まそうという思いが、先立ってしまうのですよね。どう、あんただって、そういうところない?
なるべくなら事を荒立てたくない。悪い評判を立てられるのは避けたい。これを御縁に良いお客様になってもらえたらなどなどと思いがちでしょ」
「聞いてみると、すっきりしないといわれる気持ち、よく分かったわ。大体、その絵が売れたとたんに、前の買主が現れたというのも、怪しいと言えば怪しいもの。その三人の間で、なんらかの打ちあわせがあったとしか思えないもの」
「そうでしょ。それだけだったら、まだなんだか、あやしいなと思っただけだったんでしょうけど、あの二人の男ら、その後、何にも言ってこないんだぜ。全く梨の礫(なしのつぶて:梨を無しにかけた言葉で、音沙汰がない事)。あれほど強く「買う、買う」と言ったくせにね。それって、あの第三の男が買った絵を、私どもの方から、キャンセルするように、暗黙の圧力を掛けていったとしか思えないんです」
「後から、あの絵を買うと言って手付を置いて行った男、あの第三の男の方も、考えてみると怪しいんだよなー.貴女が指摘するとおり、その第3の男が、山下清のその絵を欲しいといって、手付金を置いて出て行ったのと、いれ替わるように、その絵を最初に買うと言って手付を置いて行った男が、絵をとりにきたのも、おかしいと思えばおかしいでしょ。それって偶然とは思えないような、タイミングの良さだものね。だってそいつ、その時まで、10日間もの間、何も言ってこず、その絵を放っておいたんだぜ。
絶対、こいつら倍返しの解約手付金をとるのが目的で、三人が共謀して、一芝居うったように思えるのだけど、これって勘ぐり過ぎかなー。
実は、その後すぐに、領収書の住所が少しおかしいというので、その第三の男の自宅へ、電話したのですよ。所が、この電話は現在使われておりませんとなって、通じないんだぜ。携帯の方も、あいつがお金をもって行った後は、この電話は現在電源が入っていませんとなってしまっているんだから。それから見ると、やっぱおかしいでしょ」
「ただ、ひっかるのは、大の男、三人がかり、それも、あの怖い男まで巻き込んで、こんなチマチマした小さな稼ぎを計画するだろうかという点です」
「でも、このやり方、犯罪としては立証しにくいケースですよね-。絶対と言って良いほど、警察に捕まる心配のない稼ぎかたでしょ。そう考えると、やっぱりあいつら三人がグルになって一稼ぎ企みおったんかなとも思えます。
だとするとやっぱり悔しいですよね。確かに巧妙な手口、絶妙な金額設定で、のせられるのは無理ないと言えば無理ないのですけどね。でもね、そんなのにのせられて、お金をもっていかれたと思うと、なんとも情けなくて、気が収まらないのです」
「そう言えば、あいつら変なこと、言ってましたよね。あの絵を使った、なんかをするつもりだったなんて言ってませんでしたか?評価証明まで書かせようとして、それ使って一体、何をする気だったんでしょうね」

 

その8

「私もはっきりとは知らないけど、何でも最近ローンの総量規制とかという法律が出来て、年収の三分の一以上の借り入れが出来なくなってしまったのだそうです。
そうなると、そう言った金が借りられなくて困っている人を狙って、いろいろな怪しげな金貸し(かねかし)が暗躍しているのだそうです。そういった金融の一つにローン規制にもかからない方法として、金貨(きんか)の現金化商法というのがあるそうです。
想像ですが、それに似たようなやり方で、絵を使った金貸し(かねかし)商売を考えたんではないでしょうか」
「それってどういうふうにしているの」
「私もよく知らないけど、お金に困った人が、金貨販売業者から、10日後にお金を払うという条件で、まず金貨を10万円分売ってもらいます。金貨を買った人は、その足で、その金貨を別の業者(実際は金貨を売ってくれたのと同じ系列の業者)の所へ持っていって現金化するのだそうです。無論買った値段で買いいれてくれるはずはなく、それより安い値段で買いいれます。例えば8万円で買い入れてくれたとすると、さしあたり、その人は、8万円のお金を自由に使える金として手にできます。実際には10日過ぎれば10万円を金貨の販売業者に払わなければなりませんから、その人は金貨販売業者から、10日で2万円の金利で、8万円を借りたのと同じことです。という事はこの場合でしたら、年率720%の暴利でお金を借りたたことになります。
断言できないけど、そこそこの価格の絵を使った、こういったあくどい金貸しを考えたんじゃないのかな」「もしかしたら、あの子供連れの男が、その被害者(於売りで借りる人)になる所だったかもしれないし」
「これも私の想像ですが、でも、貴方の所が絵の評価証明を書いてやらなかったから、それが、うまくいきそうもないと思って、今度は3人がグルになって、手付金をとる事を計画したんではないかしら」「とはいっても、お金を手にしたのは、あの怖い男だけで後は、その男に弱みを握られていて、1万かそこらのはした金で、使い走りをさせられただけのような気もするけどね」
「いずれにしても、貴方のとこ、あいつらに狙われて、これくらいで済んで、幸いだったかもよ。もし評価証明を書いていたら、もっと厄介なトラブルに巻き込まれていたかもしれないわよ」
「そうかー。いやー、くわばら、くわばら。物騒な世の中だねー。よほど気をつけないといけないんだねー」

終わり