No.119 骨までしゃぶられる その2

この話はフィクションです。もし似たような部分がありましても、それは偶然の一致で、実際の事件、名称、氏名とは全く関係ありません。

 

その9

さらにかなり待たされた後、Tさんは一人で戻ってきました。『いやー、まいりました。折角、遠い所持ってきてもらいましたが、先生の所に、急な取り込みが出て来てしまって、会っている時間がないそうです。「申し訳ないが、後日にしてくれないか。」といわれていますがどうしましょう。』
『ただ、先生のいわれるには、「見るだけなら、ほんの2,3分ですむから、折角持ってきてもらったのだから、絵は是非見てみたい。一度頼んでくれないか。」とのことです。どうします?私としましては、此処で帰ってしまっては、ご機嫌を損ねてしまい、この話自体が、駄目になってしまうのではないかと思いますので、見せてあげてほしいのですが。』とTさん。「いいですよ。それでは見せに行きましょうか。」と佐治さん。
すっかり信用してしまっている佐治さんは早速絵を持って立ち上がります。
当然Tさんと一緒に持っていくつもりでした。
所が、「イヤー、取り込みというのは、実を言いますと税務署の人ですから、今、私達二人して入っていくのはまずいらしいのです。だから私一人でそっと持ってきて欲しいと言われています。どうします?」
しばらく考えた後佐治さんは、「いいですよ。それではお願いします。」と言いました。
しかし一抹の不安は消せませんでした。でも折角難儀して金策をしてまでして借りてきた作品です。此処で断って話が駄目になってしまっては、今までの苦労が泡と消えてしまいます。だから、「こんな立派な診療所の先生だもの。」と心の奥深くで湧き上がってくる心配を、懸命に打ち消しながら申しました。

 

その10

Tさんは、佐治さんから絵を受け取ると、そのまま先生の自宅の方に入っていきました。又しばらく時間が経ちました。
本当はそれほどの時間でもなかったのですが、じりじりしながら待っている佐治さんにとっては、それはとても長い時間のように感じられました。
立ったり座ったりしながら待っていた佐治さんのところへ、やがてTさんは手ぶらで戻ってきました。
『先生のおっしゃるには、「とても気に入った。しかし何しろ今日は、こんな状態だから、返事は2,3日待って貰いたい。絵は、傍においてよく見ながら、検討したいから、置いていってくれ。」と言って、持っていってしまわれました。困りましたねー。でもこんな状態の時にゴチャゴチャ言っていると、先生もお困りでしょうから、預り証だけ貰って戻ってきましたが、それでいけなかったでしょうか。」といかにも困った様子で言われます。
本当は、絵と交換にお支払いをしてもらうという約束でしたのに、話が違います。
しかし、Tさんの立場だとか、先生の所の状態、その取り込みの理由を知った以上、先生の自宅に乗り込んでまで、絵を返してくださいとは、言えません。
佐治さんは、不承不承(ふしょうぶしょう)承諾するより仕方がありませんでした。
しかしその時点では、「こんな立派な先生の所に預かっていただいているのだから」と自分の心に言い聞かせながら、その日は名古屋へと戻っていきました。

 

その11

3日後、佐治さんは早速Tさんのところへ電話しました。所がどれほどかけても電話は呼び出し音がなるだけで繋がりません。
不安になった佐治さんは、直ぐに九州へと飛びました。
佐治さんは悪い予感に震えていました。福岡空港からTさんの画廊に向う間も、身震いが止まりませんでした。
しかし祈るような思いで到着したTさんの画廊は、もう既にもぬけの空、ガラス窓越しに覗ける画廊の内部には、めぼしい物は何も見当たりません。紙くずやごみ、額縁の破損した物、古い事務用品が、乱雑に転がっているだけです。
近所の人の話では、既に2日前,即ちあの絵をお医者さんのところへ運んだ翌日に当たる日から、店を閉じているとの事です。
知っている福岡市内の業者に電話してTさんの消息を尋ねましたが、分かりませんでした。
二日前から、突然連絡が取れなくて、皆困っているとの事です。
どうもあちらこちらで絵を借りたまま、その代金を支払わないで、行方を晦ましてしまったようです。

 

その12

真っ青になった佐治さんは、直ぐにタクシーを拾い、あの絵を置いてきたS先生の診療所へと駆けつけました。
気が急いている彼は、タクシーが走っている間中、「早く、早く」と口の中で呟き(つぶやき)続けました。タクシーの中で走りたい気分でした。
診療所に着くや否や、佐治さんは診療所の裏手にあたる、S先生の自宅の方を訪ねました。
インターホンに応じて玄関を開けてくださったのは、50歳代半ばと思われる、体格の良い、いかにもお医者様らしい風格のある男性でした。
「どなたさまでしたでしょうか。」と怪訝そうな顔をしていらっしゃいます。
「S先生でいらっしゃいますか」私、「三日前、Tさんと一緒にお伺いして、マネをお預けしていきました博央美術の佐治と申します。先日はありがとうございました。所で早速でございますが、あの絵画、お気にいっていただけましたでしょうか。もし気に入っていただけましたなら、今日代金を決済していただくお約束になっていたはずですが」ときりだしました。
所が先生は、『エッ、あの絵ですか。あの絵、もともと要らないと、こちらが言っているのに、Tさんから、「見るだけでも良いから見て下さい」と強引に頼まれたので、「見るだけなら」と見せてもらっただけです。
Tさんに聞いていただけば分かりますが、その時、直ぐにお断りしたはずです。そう言えばTさんのお顔が見えないのですが、彼、どうされたのですか。』とS先生。
『そうでしたか。実はTが昨日から急に行方をくらましてしまったものですから、私一人でまいったのでございます。その時のTのお話では「今日は税務署が来ているので、それどころでない。少し考えさせて欲しい。考えている2,3日の間、その絵は、預からせてもらいたい。」と先生がおっしゃっている』との事でした。
「したがって確か、その絵は、こちら様にお預かりいただいているはずでございますが」と先生の名刺に裏書された預り証を出しながら尋ねますと、
『私、こんなもの書いた覚えはありませんよ。第一、私の所は内科ですから、税務署なんかめったに来ません。仮に来たとしても、来たからと言って別に隠しだてしているようなものはありませんから、買い物するのに、税務署に気兼ねするような事はありませんよ。
この署名の字だって、調べていただければ、直ぐに分かりいただけますが、私の書いた字ではありません。捺印してある印鑑も、こんな印鑑は私が使っているものと全く違います。
確かにその絵、その時は置いてはいかれましたよ。
しかし「これから他所に廻らねばなりませんから、夕方まで預かって欲しい。」といわれたので、一時的にお預かりしただけです。その日のうちに、もう持って帰られましたよ』といわれてしまいました。
それを聞いた途端、佐治さんは思わずその場に座り込んでしまいました。
全身の力が抜けてしまって、立っていることができなかったのです。

 

その13

気の毒そうに見ておられるS先生を後ろにして、先生の家を辞した佐治さんは、その足で警察署に出向き、被害届けを出しました。
一応受理をしてはくれましたが、その反応は、期待していたのとは違っていました。
他に被害者が沢山出てくれば別ですが、佐治さんの訴えだけでは、動いてくれそうもありませんでした。
佐治さんとしては直ぐに探し出して逮捕してくれれば、あの作品は戻ってくる可能性があると思ったのですが、警察としては、佐治さんのそれまでの話だけで、直ぐに詐欺事件ないしは窃盗、横領事件として、捜査に着手するわけには、いかないと考えているようでした。
相手の所在さえ分かれば、まだ日にちもそれほど経っていないことですし、何とか品物を取り戻す手段もあったかもしれませんが、何しろ相手の居場所が分からないのですから、どうしようもありません。
佐治さんは、すごすご名古屋に戻っていくより仕方がありませんでした。

 

その14

名古屋に戻って2日後、あの金融業者から早速電話が掛かってきました。
「7日間だけというお話でしたから明日が期限となっておりますが、もうお返し願うお金の準備は出来ているでしょうか。」と言って来たのでした。
無論佐治さんにはそんな大金返すあてなどありません。
事情を話して、もう少し待ってもらうようにお願いした佐治さんに対して、金融業者は、「それはお困りでしょう。しかし私どもも商いですから、どんな事情があれ、貸したお金は即刻お返し願わねば困ります。なお、ご返済が遅れる場合は、延滞損害金として、日歩30銭の利息を付けて、連帯保証人であるお父様から返済していただく事になっておりますが、ご存知でしょうね。」と言います。
(註:その頃は、利息制限法による最高限度は100万円以上借りた場合は年率15パーセント、法律で処罰の対象になる利息は、日歩30銭を超えた場合となっていた時代でした。)
佐治さんは、お金を借りるとき、直ぐに返せると思っていましたから、迂闊にもその金融業者とTさんの説明をきくだけで、借用書の内容をあまり吟味もせずに借りてしまったのでした。連帯保証人についても、形式だけだからという金融業者の言葉を鵜呑みにして、父親の実印を無断で持ち出して、勝手に父親の名前を使ったのでした。
こんな電話が掛かってきた場合、これは大変な事になったと、驚き慌てて、何とかしようと、ばたばたするのが普通です。
しかしもともとおぼっちゃま育ちで、世間知らずの彼です。「困った、困った」と悩んでいるだけで、何の対策を考えるでもなく、ただ漫然と日を過ごすだけでした。
もう既に、それまであちらこちらに借金がある佐治さんにとっては、これ以上彼の力では、どうしようもない状態になっていたという事もありましたが、これまでも困った時は、最後は両親がいつも何とかしてくれていましたから、今度も、何とかなるだろうというような甘い考えがあったことも事実でした。
それに、その金融業者の出方がとても紳士的で、こちらの窮状を知っているだけに、無茶はしないだろうという淡い期待もありました。

 

その15

しかしその期待は裏切られました。
返済の請求は過酷をきわめました。返済期限が過ぎると、あんなにも愛想よくにこやかだった顔は、冷酷無比な恐ろしい顔に一変しました。
若い男を二人ほどと一緒に毎日のようにやってきては、何時間も何時間も、直ぐに返すようにと迫ります。
一つの部屋で、怖い顔をした男三人に取り囲まれ、刃物をちらちらさせられながら、突然ドスンと机を叩いたり、ボカンと物を蹴とばしたり、バーンと物を投げつけたりするのを見させられますと、もうそれだけで、気が萎えて(なえて)しまいます。恐怖で生きている気がしません。
その上、彼らはある時は、胸倉を掴んで声を荒げ、ある時は顔を寄せてきて猫なで声を出しながら、返済を迫り続けるのですから、やられる方は、それはもう拷問です。
恐怖で人間としての感覚が麻痺してしまいます。冷静さを失い、周りの事、後の事など考えている余裕もなくなります。
この瞬間の苦しみから、逃れたいとだけ思うようになるまで追い込んできます。(その頃は未だ、借金の取り立て方法について、今のように、厳しい規制がない時代でした。暴力団に対しても、甘い時代でした。従って、暴力的といってもいいような取立てにも、警察は民事だからといって介入しませんから、このような違法とすれすれな取立てが、日常的に行われておりました。)
もともと、お坊ちゃん育ちで、あまり酷い目に遭ったことの無かった佐治さんの事です。そんな取立てが耐えられるはずもありません。彼は直ぐに音をあげ、その金融業者の言うままに、父親に泣きついていきました。