No.120 骨までしゃぶられる その3
この話はフィクションです。もし似たような部分がありましても、それは偶然の一致で、実際の事件、名称、氏名とは全く関係ありません。
骨までしゃぶられる その3
その16
突然怪しげな男達に挟まれ、夜分遅くにやってきた、息子の姿を見て、彼の両親はびっくりしました。
やってきた男たちの剣幕と、憔悴(しょうすい)しきった息子の様子から、ただならぬ雰囲気を感じた両親は、それだけで、動転してしまいました。
それでも父親の方は、動揺を隠しながら「こんなに遅く何の御用ですか。もう夜遅い事ですし、用事があるなら明日にしてくれませんか」とかろうじて申しました。しかしその声はもう上ずり、震えておりました。
すると親分格と思われる年配の男は、『夜分遅くに、ごめんなさいよ。でも、おたくの息子が、三億円もの金を、借りておきながら、「金がないの、何の」と言って、一円も払ってくれんので、こちらも困っとります。「せめて利息だけでも」と、言うとるんですが、それも「ないで払えん」とおっしゃるもんで、もう親御さんにでも払ってもらわん事には、どうにもなりませんで。
私らも子供の使いじゃございませんから、此処は、ほんの少しだけでも払ったってもらえんやろか。そしたら、今日はもう引き取らせてもらいますで』と不気味な笑みを浮かべながら、ドスの利いた声で申します。
その金額の大きさに、父親はまたまたびっくりです。「本当にお前が借りたんか。一体、何に使ったんや」と息子に問い詰めました。
すると「あんた、私ん所から、お金を借りたのは、間違いないやろ。ほら、お前んとこのお父(おとう)が聞いとるやないか。はっきり返事したらんかい」とその男。
低く抑えた抑揚のない声ですが、腹の底から押し出してくるようなその声は、一言、一言が、縮み上がるほど恐ろしい響きをもっています。
「お父さんごめん。お金を借りたのは間違いない。お願いだからこの人の言うとおりにしたって」と息子の消え入りそうな声。
息子はもう半分泣き声で、言っている事が、はっきり分からないほどです。
「ほら間違いないやろ。細かい話は、後で内輪で話し合って貰うとして、今日はチョコッとでも払ったって。そうしてもらわんことには、収まりがつきませんで、よろしゅうお頼みしますわ」
「もしお宅で払ってもらえんという事になりますと、もうチョットの間、息子さんをお預かりして、あっちこっち、頼み廻ってもらわならんことになっとりますんで、そのつもりで」と男は言います。おろおろした母親はもう我慢が出来ません。子供可愛さに後先のことを考える事もなく、「お父さん。早くこれで払ったって」とその日に家の中にあった、有り金全部を持ちだしてまいりました。
有り金全部といっても、急な事とて、家中かき集めても、それは40数万円が精一杯でした。
父親も、母親につられて、「今日のところは家には、これだけしかありません。これでひとまず、お引き取りください。」といいながら、母親がかき集めてきたお金を差し出します。
出されたお金を一枚一枚丁寧に数えた後、男は、
「これじゃー、一日分の利息にもあたりませんがなん。しかしもう夜も遅い事だから、今日はこれで引き取らせてもらいますわ。それでは確かにご主人から支払ってもらったという証拠に、ご主人宛の領収書をいれさせてもらいましたよ。又明日にでも来させてもらいますんで、お前んところの息子が入れた、借用書、後でよう読んどいてや」というとご主人宛の金銭受領書を差し出して、さっさと帰っていきました。
その17
父親は、借用書を見て驚きました。自分の知らないうちに、息子が、自分のうちの実印を持ち出して、保証人にされてしまっていたのですから驚くのも当然です。
しかし実印の在り処など、息子が知るはずもないので、おかしいと思って、母親を問い詰めました所、息子に泣きつかれて、母親が捺印したのでした。
翌朝、父親は、知り合いの弁護士に相談しました。
父親のつもりでは、自分の全く知らない間にされた連帯保証人だから、自分には責任がないと思ったのでした。
しかし、弁護士さんの返事は、あまり芳しい物ではありませんでした。まず確かに、父親に無断でされた連帯保証人ではあっても、それまでの佐治家の習慣として、母親に実印の保管をまかせ、その使用に関しても、父親の代理として日常的にこの実印の使用を母親に任せていたことなどから、知らないうちにされた連帯保証人契約だから、責任がないとは、単純には言い切れないであろうというのです。しかしこの点だけなら、まだ、金額の大きさが、日常妻に任せてある、金額とは、桁違いに大きく、通常的に代理権行使を認めている範囲を大きく逸脱していることなどから、充分に争う余地があったといいます。
もっとまずいことは、昨夜、例え少しではあっても、お金を払ってしまった事でした。昨夜、父親が、お金を支払ったということは、それが僅かな金額であったとしても、父親が、連帯保証人となっていることを追認したことになるというのです。したがって、それを支払ってしまったのでは、父親が、この債権から逃れるのは、難しいだろうと言うのです。無論、話を聞く限り、昨夜の取立ての方法については、違法な点が多々あり、相手にも弱みがあることから、交渉の余地は充分にのこっているがとの事でした。なお利息については、法定利息を著しく越えている事から、それについては、もっと少なく出来るだろうといいます。
その18
金融業者の巧妙な手口に、自分たちだけでは、とても相手に太刀打ちできないと思った佐治さんの父親は、借金の件については、弁護士にその処理を任せることにしました。従って、その後金融業者が直接佐治さんの実家に請求してくることはなくなりました。所が、その翌日から、佐治さんの父親が経営する保育園の門前を、明らかにその筋の人と思われる、柄の悪そうな男達が、うろつくようになったのです。
彼らは直接嫌がらせをしたり、人に迷惑をかけたりするような事をするわけではありません。
ただ保育園の門前で立ち止まって黙って保育園の方を眺めていたり、保育園の門前を行ったり来たりするだけです。
立ち止まって眺めている男たちも、「何か御用でしょうか」と職員が問い詰めると、「いいえ別に」と答えて、その時は素直に立ち去っていきます。
しかしすぐにまたやってきて門前で同じ行為を繰り返します。
そんな行為を一日中、特に園児の通園時間に集中して頻繁に行いますから、保育園はたまりません
保育園に抗議してくる親もあれば、気味悪がって、子供を通園させなくなってしまう親たちもでてきました。
誰が流すのか、佐治さんの家のスキャンダラスな悪い噂が、保育園の保護者達の間だけでなく、先生たちの間にも、世間一般にも広がっていきました。
しかし、だからといって、柄の悪い男たちのしている、こういった行為は、ごく日常的に誰もが行っている行為でしかありませんから、止めさせる手段がありませんでした。(当時は警察も裁判所も、暴力団に甘い時代でした)
その19
結局、佐治さんの父親は保育園を閉園し、その土地も含めて全ての土地建物を処分して、息子の借りた借金を清算するより仕方がなかったようです。佐治さんのやっていた博央堂も、無論清算し、彼自身も自己破産されたとの噂だけは、聞きました。
しかしそれ以降、彼から連絡はなく、全く消息が掴めないままに時は経っていきました。
私の父親にとっては、佐治さんはとても懐かしい存在だったらしく、その間、時々思い出したように、佐治さんの事を案じて、噂をしておりました。
その佐治さんからの30年越しの連絡でしたから、父親は驚きました。父親が、中国陶器のコレクションに夢中になっていた頃、台湾、香港にまで、一緒に買出しに行っていたほどの仲でしたから、とても懐かしがり、ともかく一度顔を出すように言いました。
その20
佐治さんももう60歳半ば、髪は半白、それまでの苦労を物語るかのように、皺も、染みも、顔一杯に拡がり、年齢より老けてみえます。
博央堂を清算した後の彼は、奥さんとは別れ、この美術の世界と全く関係のない、友人のやっている、賃貸不動産斡旋業を手伝って、細々と生活していたといいます。
彼の父親はあの事件の心労が祟ったのか、あれから一年くらいで亡くなられ、母親だけが今も残っておられるとの事でした。
あんな事があったにもかかわらず、幸いにも、母親の財産だけは無傷で残されました。母親は、保育園を清算した後は、そちらの方から入ってくる、賃貸収入で何とか、日々の生活を凌いでおられるとのことでした。
「それにしても酷い目に会いましたね。しかし私が他所からチラッと聞いた話によりますと、貴方のお父さんの保育園を狙って、貴方を填めた(はめた)という噂です。
保育園があったために、建てることが出来なかった、高層マンションが、保育園がなくなったおかげで建てることが出来るようになったとかで、一番喜んでいるのは、あのマンションを建てた業者だというはなしですよ。
そもそもの絵の取引の話からして、あの土地を狙っていた金融業者が、自分の所からお金を借りて返す事が出来ずに困っていたTを利用して、企んだのと違います?
あの後、貴方のお父様の土地も含めたあの一画、あのマンション業者によって買占められてしまい、あの一画を含めたあの辺り一帯が、再開発され、高層マンション街に変わってしまったのですからね」と父。
「そうです。多分おっしゃる通りだと思います。しかし何しろ証拠がありませんから、どうにもなりません。」と佐治さん。「それで、あの、絵をぱくって行った業者Tの消息は何か掴めました?」と父が聞きますと、「それが今でも、さっぱり分かりません。あれから、私もあの業界を離れてしまいましたから、そのこともあるかもしれませんが」と佐治さん。この話に触れるのはいかにも辛そうです。それを見た父は当たり障りのない世間話に切り替えて、もうその話をするのは止めにしました。
その21
それにしても、恐ろしい話です。この話、どこからが、企まれた話だったのかは、本当の所は分かりません。しかし少なくともこの業界で生きていくには、佐治さんはあまりにも人がよすぎました。
まず、あまり知らない業者と取引をする場合は、その業者の信用調査をきちんとして、経済的におかしくなっているような業者との取引は、どんなうまい話でも止めるべきだったのです。
次、約束と違った場合は、その時点で、その取引は止める決断をすべきでした。
しかし佐治さんは現金と引き替えという約束であったにもかかわらず、お金をもらう事もなく、作品を預けてきてしまいました。
こんな場合、当座の欲にとらわれることなく、一緒に行った業者の立場なども考慮することなく、一旦、作品を引き揚げて来る、勇気を持つべきだったのです。
更に、あまり知らない業者と一緒に絵画を持って行った場合、絶対にその絵から離れてはいけなかったのです。
ホテルとか、大邸宅を利用した、こういった篭脱け詐欺を警戒しなければならないのは、この世界では常識です。
にもかかわらず佐治さんは、その絵を見せるとき、Tの言う言葉をうのみにして、絵画を見せにいくのを、T一人に任せてしまいました。人の良い佐治さんは、S先生に見せにいく時、Tを疑っているようで悪いと思って、「一緒について行く」という一言が、言えなかったのでした。
更に悪い事は、自分の目の前で書いてもらったのではない、作品の預り証を貰っただけで、のこのこと、その日は引き揚げてきてしまったことです。
もし、いろいろな事情から預り証を貰って帰ってこなければならなくなった場合でも、少なくとも自分の目の前で、作品を預かる人自身に書いてもらった預り証以外、信用してはならなかったのです。何故なら、そんな物の偽物を作るくらいは、最初から詐欺を企んでいる人間にとっては、造作もない事だからです。
無論作品を預ける人が信用できる事が絶対条件ですが。
こういったことから考えると、この場合は、そんな預かり証を差し出された時点で、例え相手の気分を害するような事になったとしても、或いはそのために、この取引が中止しなければならなくなったとしても、
「作品は、後日又、見せに上がらせていただきますから、今日のところは、一旦持って帰らせていただきます。」と言って、作品を持って帰るべきだったのです。
この取引、騙されないで済ますことが出来る、チャンスが何度もあったにもかかわらず、佐治さんは、全てのチャンスを逃し、みすみす損をしてしまったというわけです。
それは欲に釣られてという面もなかったではありませんが、断りの一言を言う勇気がなかったことに大きな原因があるように思います。
こういった事は画商の世界に限ったことではありません。この世の中、人がよいだけでは、生き残り難い時代です。
どんな人でも、話でも、極端にうまい話はまず疑う事です
そして少しでも怪しいと思った話は、はっきり断り取引を中止する勇気を持つべきです。
万一、乗ってしまった場合でも、怪しいと疑ったら、その時点で、自分が納得できるまで、相手に確かめてみることです。
それによって、その疑念がはれなかった場合は、例え相手に、気を悪くされる恐れがあっても、或いは相手の立場を悪くするかもしれないと思っても、それから、取引が中止になった、少し損がでる事になっても、その時点で断る勇気が必要です。
それが出来ない人間は、下で大きな口を開けて待っている、悪い奴等の餌食になって、骨までしゃぶられてしまうだけです。
本当に悲しい時代ですがこれが現実です。
なお、利益に釣られ、助平心で、そういった話に乗ろうとされる場合、自分が背負えるリスクの範囲内でしたら、「虎穴に入らずんば」とばかりに、冒険されるのは個人の自由です。
しかしその場合、知っておいて欲しい事は、一旦そう言った輩に甘い汁を吸わせますと、騙されやすい人の載った名簿として、他の怪しげな業者に流されることです。
よほどしっかりしていないと、その後、手を替え、品を替えもってくる、そう言った怪しげな業者達のうまい儲け話にのせられて、結局、骨の髄までしゃぶられてしまうことになりがちです。助平心は大怪我の元。くれぐれもご用心。ご用心。