No.118 骨までしゃぶられる その1
この話はフィクションです。もし似たような部分がありましても、それは偶然の一致で、実際の事件、名称、氏名とは全く関係ありません。
その1
久しぶりの休日を、実家でのんびりと楽しんでいたとき、電話がかかってまいりました。
「もしもし、太田垣さんのお宅ですか。私、佐治と申しますが、お父さんいらっしゃいますか。」
「・・・・もしもし、どこの佐治さんでしたでしょうか。」
「以前、いろいろご贔屓にしていただいておりました、博央美術の佐治でございますが。」
「ああ,あの佐治さんですか。お噂はかねがね、伺っております。悪い奴に引っ掛けられたとか、大丈夫でしたか。父が心配していましたが。」
「おかげさまで、なんとかやらせていただいております。それでお父様は。」「今呼んでまいりますから、暫くお待ちください。」
その2
佐治さんというのは、今から30年ほど前、名古屋市内一等地のビルのワンフロアを借り切って店を構え、主に中国陶器を扱っていらっしゃった、美術商です。
私どもの所によくいらっしゃった頃の彼は、歳は当時34~5歳、色の白い、声の澄んだ、物腰のとても柔らかい、上品な人だった記憶があります。
彼のご両親は、市内で保育園を経営しておられたほどの名門で、名古屋市内の政財界に知己も多く、且、本人自身の人柄の良さも手伝って、加藤唐九郎、塚本快示、鈴木蔵などの東海地方のそうそうたる陶芸家達や、財界の名士達に可愛がられ、手広く商いをしておられました。
彼の中国陶器に対する造詣は深く、その鑑定眼は、父の言うところによりますと、この地方では並ぶ人がいないほどに優れていました。
ところがそれは、今から30年くらいも前のことでしょうか、第一次の絵画ブームがやってきた時の事でした。彼もまたその絵画ブームに踊らされた一人で、中国陶器だけに留まっておればよかったものを、洋画の方にまで手を広げていかれました。
しかし、中国陶器のコレクターと洋画のコレクターとは、少し層が違います。
従って、絵画のほうは、お客様に売るというより、業者間の取引がどうしても多くなります。
その3
業者間の取引はうまくいけば、早くて、手間が掛からず、利益がとれますから、商売としては、とても楽です。
情報さえ手に入れれば、自分のお金を使わなくても、人の品物を、右から左へ動かすだけで利益が出るのですから、こんな面白い仕事はありません。
しかしこれには大きなリスクを伴います。
買ってくれた業者が、お金を支払ってくれない場合がありますから。
何億円にも上がる、作品を買ったまま、或いは売ってくるからといって借りていったまま、それの支払いをしないうちに、倒産したり、夜逃げをしたりしてしまう業者が偶に出てきます。
ネットでの売買でも、お金は送ったけれど、品物は到着せず、売主への連絡はそれっきり途絶えてしまって、困る例があると聞いておりますが、業者間の取引でも同じような事が起こっております。
こんなのは詐欺に等しいのですが、詐欺の立件は難しいようで、警察に告発しても、民事だからといって、しり込みされてしまいます。よほど大掛かりな取り込み詐欺にでも発展しない限り、取り上げてもらえないのが現状です。
結局こういった場合は、売った方が丸損ということになります。売った品物が自分の所持金で買った自分の持ち物であった場合は、回転させるお金が少なくなるだけで済みますから、まだ何とか商売を続けていく事が出来ます。
しかしこれが、他の業者から借りてきた品物だったり、借金で買ったりした場合は、一定の期限内に、その代金を工面して支払わねばならないわけですから、大変な事になります。
美術品は単価が高い物が多いので、たちまち、資金がショートしてしまう事になります。そうなりますと、その影響は、そのお店だけで留まりません。その作品をその業者に売った業者にも及びます。貸していた業者さんにも及びます(現金で売ったのであれば良いのですが、美術品の取引は多くは後払いですから、売った相手先が倒産すると、損害の影響がもろに売った画廊に及んでまいります)。財政基盤の弱い業者さんなら、たちまち資金繰りが窮してしまいます。したがって、業者間の取引は、よほど慎重でなければならないのです。
しかしこういった業界で生きぬいていくには、佐治さんはあまりにお坊ちゃんで、人が良すぎました。
その4
画商という商いは、外見(そとみ)には文化的で、とても優雅な商いに見えますが、内実はそんな生易しいものではありません。魑魅魍魎(ちみもうりょう:様々な化け物の意)も跋扈(ばっこ)する、油断の出来ない世界でもあります(殆どの業者さんは立派なお方ですが、中に怪しげな人が混じっていますから)。
バブル期には、佐治さんのような、お金持ちの息子さんとか、何処かの奥さんなどが、そのような世界に憧れて、道楽と趣味を兼ねて始められる場合もしばしば見受けられましたが、その殆どが、悪い業者に食い物にされて、数年以内に消えていってしまっています。
佐治さんの博央美術も、業者間取引をはじめたばかりのうちは、うまくいっていたようです。それまでの中国陶器とか、美濃瀬戸地方の陶芸家の作品を扱っていた時代に比較して、売り上げも利益も一挙に伸びました。
しかしそのうちに、なかなか支払ってもらえない、売掛金もどんどん溜まってまいりました。こういった場合、支払いが滞った業者さんには厳しい取立てをしなければ、自分の所に支払われるべきお金が、よその業者に回ってしまうだけです。その上、そのように支払いが滞りだした業者は、倒産の危険も大きくなっています。従って、そういう支払いが滞るような業者には、厳しい態度で臨むべきだったのです。又信用できる業者とそうでない業者の選別もきちんとすべきでした。それをしなかったために、財務内容が悪くて、他から借りられないようになったような、業界内で信用のない、業者さんばかりが彼の所へ集まってきてしまいました。確かに、こういった業者は、条件良く買っていって(または売るために借りていって)くれます。しかしそれだけに、いつ倒産するかわからないような、危険を含んでいます。
業者と取引を開始するにあたっては、信用調査したり、厳しい条件をつけたりと、きちんと選別をするべきでした。しかし佐治さんはそれが出来ませんでした。今まで相手にしていたのは、その地方の名士ばかりで、支払いを気にかける必要もなかったせいもありますが、もともと人が良く、気の弱い佐治さんには、うまい事を言って擦り寄ってくる業者に厳しい条件をつけるとか、支払いが遅れたからといって、厳しく取り立てるなどということをするのは、無理でした。
その5
こうして売掛金がかなり膨らんだところへ、第一次絵画ブームの終焉がやってまいりました。
それも突然にやってきました。
こうなりますと、佐治さんが取引していたような弱小業者達は、真っ先に資金がショートしてしまいます。
彼の所の借金を残したまま、倒産したり、行方をくらましたりする人が、次々出てまいりました。
この為、佐治さんの博央美術もまた、資金繰りに窮する事になりました。売掛金の回収は予定通り出来ないにもかかわらず、支払いは待ってもらえません。作品を貸している業者にとっても、債権の回収は死活問題ですから甘い事は言っておれません。厳しく催促してきます。
窮した佐治さんは、とうとう、金貸しから資金を融通してもらうようになりました。最初は在庫も沢山ありましたから、それを担保にして金を借り、支払いを済ませることが出来ていましたが、それも直ぐに底をついてしまいました。こういった場合の作品担保価値は、その時の相場の、半値八掛け程度にしかみてくれません。しかも、売掛金の回収はもうこの頃には殆ど絶望的でしたから、お金を借りても返すことはできません。結局、父親が長い期間かけてコレクションしてきた中国陶器の名品の殆どが、ほんの僅かな金と引き替えに、金貸しのところへ全て持っていかれてしまいました。
その6
日々の金繰りに四苦八苦し、少しでも損害を取り戻したいと、焦っていた頃の事でした。以前一度だけ取引のあった九州の業者から、素晴らしい儲け話が舞い込んでまいりました。
彼の知りあいの画廊にかかっている絵を、借りてきてもらえないかというお話です。
その画商の言うには、「自分は、あそこの画廊さんの所とは全く取引がありません。従って直接借りにいっても、貸してもらえないにきまっています」「あの画廊とお取引のあるおたくでしたら貸していただけるでしょうから、なんとか借りてきていただけないでしょうか」
「今現在、私の客さんの中に、画集に載っている、あの作品を、ぜひ欲しいと言ってらっしゃる方がいらっしゃいます。そのお客様がおっしゃるには、現物を見て、思っている通りの作品でしたら、即金で支払ってもよいと言われております。従って、作品がうまく納品できまししたら、その後、すぐに代金はお支払いさせていただくことができます。
なお仲介手数料としては、売った価格の20パーセントを、貴方にお支払いさせていただくつもりです。どうでしょう、お助け下さいませんか」と言います。僅か数日の間に、現金で一億円近いお金が手に入るというわけですから、こんなうまい話はありません。しかし此処で一つ問題が生じました。
その頃既に、業者の間には、佐治さんの画廊も危ないという噂が広まっていましたから、その画廊は、「お貸ししないではありませんが、借りていかれるに当たっては、担保として、その絵画代金の八割のお金を予め、入れていただきたいのですが」と言います。
今の佐治さんには、そんなお金を準備することは出来ません。
既に高利貸にまで手を伸ばしてしまっている彼にとって、3億円余のお金を工面するなどというのは到底無理な話です。諦めるより仕方がないと思いました。
所が、その時、九州のその業者が、親切にも、『私の知っている金融業者が、「そんな良いお話でしたら、確実なお話の事ですし、数日間でしたら、とても低い金利で、ご用立てできます」といってくれていますから、そのお金を使わしてもらってはどうでしょう』と言います。
この話、作品が売れるにしても、売れないにしても、数日間で片が付く話です。従って、お金を借りるといっても数日にしか過ぎません。その上、とても低い金利で貸してくれるというのです。したがって利息だってたいした金額ではありません。もし売れなかった場合は、直ぐに作品を返せば、担保として入っていたお金は返してもらう約束ですから、それを返せばほんの僅かの損害(損害として出るのは、借りたお金、数日分の利息だけです。)で済みます。だからとても固い取引のように思えました。
その7
佐治さんは早速そのお金を借り、それを担保に絵を借りることにしました。
向うの言い値どおりに、保証金を入れますと、こんな時期です。作品を返却にいっても、すんなりお金を返していただけない危険性があります。
又金利が低いとは言っても、金融業者からの借入金ですから、数日間の金利だって、バカにはできません。借りるお金は、少しでも低い方がいいに決まっています。そこで作品の持ち主の画廊といろいろ交渉し、保証金は、3億円弱のお金を入れることで了解してもらいました。
絵を借りてきた佐治さんは、それを担いで、勇躍、九州へと向かいました。
その8
新幹線を降りた博多駅には、九州の業者、Tさんが出迎えてくれていました。言われるままに、Tさんの車に乗せてもらって、連れて行かれた先は、博多駅から車の乗る事約40分、福岡市郊外の住宅地にある医院でした。
診療所の方は、ごく平凡な鉄筋平屋造りの小さな医院でしたが、診療所の裏側にある入母屋造り二階建ての自宅の方は、うっそうと茂る木々の間から堂々とした屋根を覗かせ、いかにも旧家らしい風格を備えております。その家を見て佐治さんは安心しました。それまでは、人の良い佐治さんといえども、あまりにうまい話に、半信半疑、騙されるのではないかと、警戒していました。しかしその家を見た瞬間、すっかり警戒心を解いてしまいました。
午後の診療所はお休みでした。中には誰もいない様子で、扉は閉まったままです。
インターホンを鳴らしたTさんの声に応じて、インターホンから女中さんと思われる女性の声が聞こえ、待つ間もなくガチャガチャとならせながら診療所のドアが開きました。
顔をのぞかせたお手伝いさんらしき女性が「どうぞお入りください。先生はチョット来客中ですが、すぐに終わると思いますから、此処で少しの間お待ち願えますか」というとすぐに、自宅の方へと引っ込んでいきました。
二人は診療所で待たせてもらうことになりました。しかし、それっきりで、待っても、待っても、誰も現れませんし何の応答もありませんでした。
二人は無言で待っておりました。
診療所の中は、全く静かで、緊張して待っている佐治さんにとっては、息が詰まりそうな時間がどんどんと過ぎていきます。
窓から差し込んでくる光の傾きから、かなりの時間が経ってきたことが分かります。それまで黙って待っていたTは、痺れを切らしたのか、表に出て、インターホンをも乱暴に鳴らしました。しかし今度は自宅の方から、何の応答もありません。
「おかしいな。何をしていらっしゃるのかなー。いつもはこんな風ではないのだけど。一度自宅へ入っていって、先生とお話してきますわ」というと、Tさんは、いかにも勝手を知っていらっしゃるご様子で、本宅に通じる通路の扉を開けると、先生の自宅の方へと入っていきました。