No.109 ある小さな、小さな宝探し 1

このお話はフィクションで,万一類似したところがありましても偶然の一致で、実際にあった事件、実在した人物とは、関係ありません。

 

始めに

古い日本の通貨が金銀銭であった関係から、群馬県の徳川の埋蔵金だとか、兵庫県の豊臣秀吉や武田信玄の埋蔵金の話ほど、大掛かりなものではありませんが、埋蔵金伝説というのは、その信憑性は別として、今なお、日本の各地で伝えられてきております。
それらとは問題にならないくらい小規模なものでしょうが、そう言った宝物伝説を真似してでしょうか、古くから栄えてきた旧家の中には、将来の万一の時、例えば戦乱、地震、火災、落雷、盗難などが起きた時に備えて、資産の一部を、土の中だとか土蔵の壁の中といった見つかり難い所に埋蔵しておいた家が少なからずあったようです。それら埋蔵された宝物の多くは、ちょっと不足が生じた時だとか、子孫に道楽ものが出て、その家が経済的にひっ迫した時などに、すでにこっそり使われてしまっていて、何代か後には、ほとんど残っていないで、言い伝えだけが残っているものの方が多いようです。しかし、その中には、安易に子孫がその宝ものに手をつけないように、非常に見つかり難い所に隠し、その上、子孫にその在り処をはっきり伝えることなく、言い伝えだとか、暗号文のような僅かな手がかりだけを残して、遺した本人が死んでしまった為に、見つからないまま、今にいたっているものもあります。
こういったものが、今なお、時々発見され、テレビ画面や、新聞の紙面を賑わせています。

 

その1

大正10(1921)年と言う年も押し迫った、12月も終わりの事です。
その日、岐阜市の南、一夜城で有名な墨俣町(すのまたちょう)の川向かいにある小部落、茶屋新田で、代々庄屋を務めてきた、榎木田家の当主純一郎さん宅で、その日、親族会議が開かれておりました。
集まってきたのは、分家してすぐ近くに住んでいる、二男の繁治さんをはじめとして、長岡の開業医の所に嫁入りしている長女妙子、今尾の酒屋に嫁入りしている次女由江、名古屋の開業医の所にお嫁入りしている三女の芙美、そして末の弟で学校の教師をしている珠三郎の他、純一郎の母方の叔父で、大垣の大きな薬問屋の主人次郎佐(じろうざ)さん、同じく母方の叔父で、近くの名森村に養子に入って今は名森村の大地主になっている徹三さんの面々です。
この家の当主で、長男の純一郎さんは、道楽者で、贅沢三昧の生活をしてきた上に、気が多く、次々に新しい商売に手を出しては失敗し、揚句の果ては、米相場に手を出し、折からの経済不況の嵐に巻き込まれ、この度、大損害を出してしまいました。その為に、持っていた田地田畑は無論のこと、榎木田家が何百年もの間守ってきた、榎木田本家の家屋敷まで手放さなければならない羽目に陥ってしまっていました。従って本日は、その対策を講ずるために、母親が皆に集まってもらったのです。

 

その2

親族会議は最初から大荒れに荒れました。と言いましても、当主の純一郎は、面目なげに下を向いて、ただ黙って座っているだけで、もっぱら大声をあげているのは、大叔父の次郎佐さんと徹三さん、泣きじゃくりながら詰って(なじる)いるのは女性連中です。彼女達は、こんなことで実家が家を失うのは、舅や姑、旦那達の手前もあって、立場上、耐えがたい事でした。
大叔父達は、これまでにも、こうなる事を恐れて、散々意見してきました。それにも係わらず、息子に勝手放題な事をさせておいて、こんな事態になってから、助けを求めてきた姉の態度にも「冗談じゃない」と、腹を立てておりました。
この為、叱責の矛先は、純一郎だけでなく、母親布佐乃にも向かってきました。
それまで長女として何かと弟たちの面倒を見てきた布佐乃としては、いろいろ言い分もありましたが、何しろこうなっては、今のところ頼りになるのは、弟たちだけでした。彼らの助けを借りなければ、どうにもなりません。
「確かに私が悪かったわ。大体こんな馬鹿息子に育ててしまって。でもね、今度だけは何とか助けたってもらえんやろか。この家が無くなると、嫁に行った娘たちが、嫁入り先で、微妙な立場に立たされることになるから」
今まで長女として弟達を威張って取り仕切っていた勝気な彼女でしたが、こうなりますと何も言い返せません。口惜しさを堪えながら、ただ頭を下げて頼むより仕方がありませんでした。
何しろ悲しい事に、彼女の子供達で、この事態を助けてくれそうなものはいませんでしたから。
子供たちの中、二男の繁治は、分家した時に持って出た田畑を、守っていくだけが精いっぱいの器量しかもっていません。彼は、自分の一家の生計を立てていくのがやっとで、それで満足してしまっていました。従って貯えもほとんど持っていず、何の助けにもなりそうもありません。
三男の珠三郎もまた、大学を卒業して、中学校の教諭になってから日も浅く、それほど収入も多くない上に、結婚、出産と続いての物要りが重なり、貯えがあるとは思えません。しかも借家住まいの上に、研究の為の本代もかかり、自分の日々の生活だけで一杯一杯で、とても自分の実家へお金を回す余裕があるとは思えません。
一方娘達は、皆良い所に嫁ぎ、とても豊かな生活をしているのですが、何しろお嬢さん育ちです。皆自分勝手で、自分の事を真っ先に考える娘たちです。今回の件だって、婚家先の舅や姑、夫達の手前、立場上困ると思っているだけのように思われました。しかも娘達は、何処も、舅、姑達がまだ健在ですから、家のお財布は舅達に握られていて、自分の自由になるお金はあまり持ってなさそうです。だからといって、どの家庭も、彼女たちの夫に、実家を助けて欲しいとは言い出せる雰囲気などない事も分かっています。
従って、こんな事になっても、狼狽した彼女達がしてくれる事といったら、兄、純一郎の不業績と、母親である自分の監督不行き届きをなじる事くらいで、なんの助けになりそうもない事も分かっています。
ここで娘さん達の名誉の為に一言付け加えておきますと、当時は、家を取り仕切るのはその家を継いでいる男(主として父親かその跡継ぎの長男)の役割でした。そしてその地方の風習として、実家というので、嫁入りした後も、なにかと娘たちのお世話をするのが当たり前であって反対に、嫁入りした娘が実家を助けるなどと言いうのは、よほど貧しい家は別として、普通の家にはほとんどない時代でした。
だから、彼女たちが特別自分勝手で、親不孝だったというわけではありません。
当時の風習から見れば、こんな時一番真っ先に飛んできて、頼りになるのは、純一郎の妻の実家のはずでした。純一郎の妻、彩乃は、とても裕福な商家からお嫁に来ていましたから、本当ならこんな時、真っ先に駆けつけて、いろいろ心配してくれるところでした。
所が、その彩乃は、すでに大分以前に、純一郎が、芸者をしていた敏子を、長良川河畔に囲って、ほとんど家に帰らなくなった頃から、夫に愛想を尽かして、実家に去ってしまっています。だから助けを求めようにも、求めようもありません。
もし二人の間に子供でもあれば、少しは事情も変わったでしょうが、もともと病気がちの彩乃には、子供もいませんでしたから、全く縁が切れてしまっています。

 

その3

大叔父達は、こんな榎木田家の存亡がかかった時になっても、自分達で何かしようとしない子供達の態度にも腹を立てておりました。
併し、怒りはエネルギーが要ります。彼らは、長く怒っておるうちに、だんだん興奮が収まって参りました。そしてそれにつれ、あの気の強かった姉が、自分達に何を言われても、ションボリして、おろおろしながら、ただ頭を下げて聞いている姿を見ているうちに、次第に姉が可哀そうになってしまいました。
近くにいて、我儘で利かん坊の純一郎が、父親という重しが無くなった後、母親の言う事は無論のこと、誰の言う事も利かなくなっていた事を知っているだけに、よけいにそう感じました。
それと同時に、母親を亡くした時、まだ幼かった自分達の事を、母親代わりとして、いろいろ面倒見てくれた、年の離れた姉、布佐乃の、その時の姿が思い出されてきて、二人はそれ以上責めることが出来ずに黙ってしまいました。
彼女の子供達も、叔父たちに一方的に責められて、小さくなっている母親の姿を見ていると、次第に気の毒になり、自分達の事ばかりを考え、母親を責めてばかりいる自分達の姿を、多少は反省してきました。
布佐乃は確かに子供に甘い所はありますが、子供達にとっては、とても良い母親でした。姉妹が婚家先の舅達に、今こうして良い顔をしている事が出来るのも、母親が気を利かして、いつもいろいろやってくれていた御かげです。
また何事にも消極的でやる気のなかった繁治が、今、なんとかやっていけるのも、父親を説得して、田畑を少し持たせて分家させてくれた母親のおかげです。
三男にもかかわらず、珠三郎が大学まで行く事が出来、こうして世間から尊敬される職業に就く事が出来たのも、これまた母親のおかげです。
もし母親がいなかったら、珠三郎は、一生、純一郎の所の居候をしながら作男をするか、独立できたとしても、小作をしていなければならなかったことでしょう。
註1):当時はまだ江戸時代の名残が残っていて、家の跡継ぎである長男以外は、財産を分けてもらう権利は持っていませんでした。従って親が好意的に分家させてくれるか、養子に行くか、家から独立して、自力で生きていくかしない限り、一生使用人として居候しながら、長男に使われているか、僅かな土地を分けてもらって独立するか、後は小作となって、長男から土地を借りて生計をたてていくかしかない時代でした。
註2):当時の土地持ちは、今も“たわけ”とい言う言葉が残っている事から分かりますように、田地田畑を分ける事をとても嫌いました。従って、田地田畑は家の跡継ぎとなった者(普通は長男)がまるまる全部受け継がせるようにしていました。
しかし今回の件は、まだその日、突然に聞いたばかりで、この事態に対して、自分がどのような形で係ったら良いのか、兄弟姉妹誰もが見当がつきません。従って気持ちの整理のついていなかった彼らは、大叔父達が、一方的に母親を責めるのを、ただ黙って聞いているしか仕方がありませんでした。

 

その4

しばらくの沈黙の後、大叔父次郎佐が、まず口をきりました。
「こんなことばかり言っていても、どうしようもないから、もうそろそろ皆で、具体策を考えることにしようや。徹三お前はどう思う」
「そうやなー。次郎佐兄さんの言うとおり、こんなこといつまで言っとったって、起きてしまったもんは、どうなるもんでもないし、本当に時間の無駄かもしれんなー。で、姉ちゃんは、私らにどうして欲しいというの」と徹三。
「手紙にも書いたとおり、申し訳ないけど、少し用立てて貰えんやろか。娘らの為、せめて、この家屋敷だけは残したいと思っとるんやけど(思っているのですが)」
「で、この家を取り戻すためには、後、いくらくらい足りんのや」と次郎佐。
「田地を売り払う事で、殆どの借金は返しましたから、後、千百円(今の貨幣価値から言うと千百か千二百万円位に相当)くらいあれば何とかなると思います」と純一朗。
「そんなこと言って、あなたのとこに貸して、そんな大金、返せるあてがあるんか。
純一朗。どうや、本当に返せるんか。田地をとられてしまった今、無職のお前が、どうやって返すつもりや。お前の考えていること言ってみ」と次郎佐。
「・・・・・」何も言えず純一郎はただ黙ってうつむいているだけです。
「他の子供らにも協力してもらって、皆でぼちぼち返させてもらうというのではどうやろか」
「私も死んだつもりになって、万一にと思って貯めてきた、臍繰り(へそくり)も全部出すし、その後も、日雇いしてでも、食べるもを食べんようにしてでも返そうと思っとるし、皆にもそう言って、なんとしても返させるようにするから」と母、布佐乃。
「本当にそんなこと出来るんか。繁治の所だって、珠三郎の所だって、自分の所をやっていくだけで精いっぱいと違うんか。
まして娘っ子達は、何処も、まだ舅、姑が健在で、とてもそんなお金、作れそうにないんやないのか」
「もしお前ら子供5人で、均等に払ってもらうとしたら、利息なしでも、一人当たり220円、5年かけて支払ってもらうとして、年44円、ひと月当たりにして4円近いお金を毎月、払ってもらわな、ならんのやけど(今の貨幣価値で言うと4万円くらいか)5年間もの間、お前ら本当に払え続けられるんか」と次郎佐が鋭く突っ込みます。

 

その5

{・・・・・」そう言われましても、子供達はまだ何も決めていませんでしたから、口の開きようがありませんでした。それに、男兄弟二人は、もともと、ぎりぎりの生活ですから、そんなお金を払うとなると、大変な負担です。もし安易に引き受けて帰りますと「そんなお金どうして払わなければならないの」と妻から嫌な顔をされるのは目に見えています。
3姉妹も、どなたも、大金持ちの所に嫁いではおりますが、舅や夫に内緒でそれだけのお金を毎月工面していかなければならないという事になると大変です。下手をすると、後からばれて、家庭騒動の原因にだってなりかねません。そうかと言って、夫に事情を話し協力を求めたとしても、「実家の事に、私たちが係わることはありませんよ。あちらの事はあちらに任せておきなさい」と言われるだけにきまっています。結果、婚家先での自分の立場が弱くなるだけです。
もう一つ、彼ら兄弟姉妹には、せっかく自分達が無理して買い戻してやったとしても、あの道楽者の兄が、また何時借金を作って借金のかたにとりあげられてしまうかも知らないという思いも、拭い切れません。
あんな兄の為に、そんなお金を払うくらいなら、むしろ実家の家なんか、ここできれいさっぱりと無くなった方が良いのかもしれないとさえ思ったりもしていました。
ただそうなった場合の母親の落胆を思うと、その言葉をここで口にするのが憚られ(はばかられ)、言い出せないだけでした。あの勝気で気位の高い母親が、この年になって、住む家も金も無くなって、兄の所で小さくなっている姿は、想像するだけで、哀れで、とても言い出せる言葉ではありません。
「この子達にそんな事を期待しても無理だよ、次郎佐兄ちゃん。
姉ちゃんの為にこの家を遺してやろうというんなら、私ら二人で、何とかするより仕方がないんじゃないかなー。いっそ次郎佐兄ちゃん、あんたが買い戻してやって、姉ちゃんを住まわせてやったらどうやろ」と徹三が口を挟みます。
「でもなー、俺も、こんな田舎の家買っても、後、どうにもならんしなー。それに家を一軒持つというのは、結構金も掛かる事だし」と尻込みしながら
「そう言う徹三、あんたが買ってやったらどうや。あんた、姉ちゃんには、ずいぶん世話にもなったことだし」と次郎佐
「それとこれとは別だよ」
「姉ちゃんには、何かしてやらないかんとは思っているけど、この家を俺だけで買うということになるとなー」
「所で、純一郎はこの後どうする心算なんや。姉ちゃん(純一郎の母親布佐乃)と一緒にここに住むんか」と徹三がいいますと、
「そうや、そうや。肝心の事聞くのを、忘れとったわ」「わしらがこの家、買い戻してやったとして、その後あんたはどうする心算なんや。敏子さん(純一郎の妾」と一緒になってここに住んで、姉ちゃんの面倒見たってくれるつもりかいな」と次郎佐。
「まだそこまでは考えていませんけど」と純一朗。「そんなら折角買い戻したっても、誰も住まへんと言う事もあるんか」と次郎佐。
「次郎佐兄ちゃん、そんな事敏子さんに期待するのは無駄だよ。あんな華やかな生活をしてきた人が、こんな田舎に帰ってきてくれるはずがないがね。それに仕事が仕事だっただけに、母親の面倒を見ようなんて気持ちも、全く持ってないに決まっているじゃないの」「そうやないか、純一郎」と徹三。
「・・・・」純一朗は反論もしなければ、肯定もしません。
「姉ちゃんは、この後どうするつもり。この家買い戻したら、ここに一人で住んでいるつもりなの。それとも純一郎と一緒にここで住みたいと思っているの」と次郎佐。
「どうせ、ここ2年くらいは、純一郎は、殆ど帰ってきとらへんのやから、この後、純一郎が敏子さんの所へ行ってしまって、私一人で住まならんようになったとしても、できたら住みなれた此処に、ずっと住んでいたいと思っているんやけど。娘達のためにも」と布佐乃。
「その気持ちは分からんではないけど、純一郎の今度の件の噂は、部落中に流れとるに決まっとるから、ここに住んでも、辛いだけかもしれんよ。
それに、もしここに住むという事になると、生活費の仕送りも、誰かにしてもらわな、いかん事になるけど、この5人のうちで、それをしたってくれる奴はおるんか」と次郎佐。
少しの間、純一郎を除いた兄弟姉妹は、小声で話し合っていましたが、やがて長女の妙子が皆を代表して
「急な事で、私達もこの話、まだ今日、聞いたばかりで、兄弟姉妹の間で、この件については、何の相談もしておりません。少しお時間をいただきまして、別室で相談させて貰おうと思うのですがよろしいでしょうか」と申します。