No.105 藤田嗣治の戦争画によせて そう思えばそうであり、そう思わなければそうでない 

その1

言語が、私たち人間同士のコミュニケーションの最大の手段であるにもかかわらず、俳句だとか小説などといった言葉で伝える文学のような、作者の真意、感情、主張などが比較的伝え易いと思われる文学作品においてさえも、受け取る側の、生い立ち、環境、教育、感性、知識、宗教、倫理観、現在置かれている立場などによって、受け取り方が全く違ってしまう事が間々あることは、皆さんもご承知のとおりです。
まして深く考えないで、出してくる言葉によって取り交わされる、日常会話などにいたっては、自分の思っている真意の半分も伝わっていないと感じる事が少なくありません。
プロデューサ、監督などといった、製作者の意図を最も伝えやすい、映画や、演劇などといった言語、視覚、聴覚の結合による総合的な芸術表現においてさえも、観ている側の受け取り方、感じ方は、人によってさまざまです。
製作者側の意図は、ある程度伝える事が出来たとしても、受け止る方は、それに共感してくれるとはかぎりません。その人の、現在置かれている立場だとか、それまで生きてきた歴史(環境もふくめて)、倫理観、宗教、知識などなどによって、受け取り方はさまざまだからです。
特に、絵画のように、視覚に訴える事によってだけ成り立つ表現芸術では、作家の意図とは別の、いろいろな解釈や受け取り方が生じ得ます。
事実、作家の評伝や展覧会や画集などに載っている解説等をみていましても、同じ作家の、同じ絵でありながら、一つの絵についての受け止め方が、人によってかなり違っていることがすくなくありません。
しかしこれは、考えようによっては、このような視覚芸術に於いては、観る側に、かなりの裁量が許されている事を意味しているように思います。
言い換えますと、私たちが、絵画を観る際、その作品に自分自身を投影し、感じたままに見、解釈し、想像して観てくる自由が、他の芸術表現以上に大きいということです。

 

その2

 

ところで藤田嗣治については、戦争中、軍部に協力して、戦争画を描いていた咎(とが)によって、戦後、戦争責任を取らされそうになったことは良く知られている所です。
しかしその描かれていた絵画の内容については、戦後、戦争画の多くがGHQに接収、焼却されてしまい、残されたものもすべてが、戦争の資料として本国に送られ、アメリカ陸海軍の博物館に所蔵されており、1970年に返還された後も、一般公開されることなく、東京国立美術館に保管されたままになっていた関係上、戦後世代の私たちは、殆ど何も知りませんでした。
藤田の戦争画についても、勇壮な日本兵の姿や、敗走する連合軍の惨めな姿が描かれ、戦争を賛美し、戦意の高揚を図る、軍部のプロパガンダに協力したグロテスクな絵画であろう程度の認識しかありませんでした。
所が、2006年開催の、藤田嗣治生誕120周年記念展に展観されていた戦争画を見て私のそれまでの認識は、根本から覆されました。
あの展覧会を観られた方は、お感じになられたと思うのですが,「サイパン島同胞臣節を全うす」にしても「アッツ島玉砕」、「決戦ガダルカナル」にしても、それらを見て、血沸き肉躍るような、わくわく感とか、敵を倒し、征服したときの至高の高揚感は伝わってまいりません。
あの暗い画面から発散してくるものは、戦争というものの悲惨さ、残酷さであり、伝わってくるのは、むしろ戦争に対する嫌悪感とさえ言えるものでした。
これらの絵画は、それを描いた人の立場が替っていて、平和主義者とか、第二次世界大戦の敵性国家、欧米の作家による作品であったとしたら、或いは日本が戦勝国側に位置し、自由と民主主義を守る立場に立つ国に属していたと仮定するなら、ドラクロワの戦争画に匹敵する大傑作として世界の絵画史に残されたであろうとさえ言えるものだと思います。
ところで、藤田の評伝などでみる限り、戦時中の藤田の言動に、藤田があの第二次世界大戦に反対していたという記録はありません。
諸参考資料から考えても、藤田がこの戦争を批判しながらも、やむなく軍に協力し、代わりに、密かに厭戦の思いを、これらの画中に託したのだとも思えません。
そうだからといって、これらの絵画を見る限りでは、藤田が戦争を賛美し、武力による、領土の膨張、即ち植民地主義的な思想を絵の中に忍ばせているとも思えません。藤田はこの絵画で一体何を私たちに伝えようとしたのでしょう。

 

その3

これをとく鍵は藤田の性格と当時の日本がおかれていた状況にあるのではないでしょうか。
民主政治の下、自由を謳歌している今日の日本では想像も出来ませんが、戦中の日本の思想統制は非常に厳しいものがあり、戦争に反対する事は、虐待と死を意味しました。
人道主義、平和主義を唱えるためには相当な覚悟が必要な時代でした。特に藤田のように欧米帰りで、コスモポリタン的な生き方をしてきた人間に対しての官憲の目は厳しく、常にスパイの嫌疑が付きまとっていた時代でした。社会の風潮もまた好戦的で、戦争賛美一色に染まっていて、その中にあって、それに反対する事は国賊とまで言われ社会的に圧殺されかねない時代でした。
そのような社会で、藤田が生き延びていくには、積極的に軍部に協力する姿勢をとるより他に方法がなかったのだろうと思います。幸いな事に彼は、異国フランスでの生活にもすんなり溶け込んでいけた事でもお分かりのように、非常に環境順応性が強い性格のようでした。
軍医の父を持った彼の育ってきた環境も、受けてきた当時の日本の愛国教育も、そして異郷での生活経験も、藤田の愛国心の醸成に一役かったにちがいありません。
藤田はたいした抵抗もなく、戦争画を描く世界にのめりこんでいけたのです。自由と平等、個人の尊重を基調とするフランスにおいて、その自由を満喫する生活をしていたにもかかわらずです。彼がフランスでの生活において恩恵に浴してきた自由や個人の権利の尊重は、レジスタントだとか、内部葛藤、体系的な学問によって獲得したものではなくて、生活の中で自然に経験してきた物にすぎなかっただけに、フランスでの生活が長かったにもかかわらず、自由と平等を重んじ、個人の権利を尊重するといった、欧米的な反ファシズム思想、人道主義などのバックボーンを獲得するにはいたっていなかったように思われます。
藤田は、自らの意思で戦争画制作に関与し、その中枢にあって活躍をした事は間違いありません。
しかしながら、それでは戦争が終った後、画壇から非難され、彼一人だけが、戦争責任を取らされそうになったほどに、好戦的な軍国主義者であったかというと、必ずしもそうではなかったようです。
対戦中、戦争画に夢中になっているように見えた藤田を心配した平野政吉が(秋田の大地主にして美術コレクター。秋田美術館コレクション収蔵の藤田の作品の大半を購入した人)「戦争画などは純粋芸術ではない」と苦言を呈したのに対して、「あれは記録画のようなものだから」と言ったきり何も言わなかったそうです。
またある時は、秋田までやってきて、平野に「パリに帰りたい」とも言ったとも言われています。({聞き書き:わがレオナルド藤田}朝日新聞1983年1月11日)(「藤田嗣治」:湯原かの子著・新潮社刊より)
戦争画ばかりを描かされている事に対して、やはり忸怩(じくじ)たる思いがあったようです。
これらの発言からは、「画によって国のために働く」と言う公式の場での、藤田の建前的な発言とは別の、パリの自由な空気をすってきて、自由を愛した、芸術家としての藤田の本音が垣間見えます。
又藤田が戦争画の制作に本腰を入れるきっかけになった「ハルハ河畔の戦闘」の図(ノモンハン事件を下にしてして描いた作品)の場合も、注文主の要請に基づいて描いた、日本兵の勇猛果敢さを称えた図柄とは別の、それと対をなす作品があり(現在は紛失して所在不明)、それをみせてもらった内輪の画家仲間や美術ジャーナリストの話によりますと、(これは無論軍部には内緒でしたが)、その作品には赤黒く燃え上がる戦場に、破けた軍服から足や腹をむき出しにて、累々と横たわる日本兵の無惨な屍(しかばね)と、その上を踏み潰していくソ連戦車の姿が描かれていたという事です。(「藤田嗣治」田中穣著:新潮社刊)こういった藤田の言動から考えますに、藤田の絵には、はっきりした思想的なメッセージはなかったのだと思います。ただ戦争画というジャンルに興味を持ち、それを記録画のように、リアルに描く事に熱中しただけのようです。藤田は、彼の戦争画において、職人のように、いかにリアルに臨場感をもって描けるかという技法の進展、新機軸の創出に拘った(こだわる)のですが、軍国主義的な考えに同調し、それの広宣流布の思いを絵の中に内含させておくというまでにはいたらなかったようです。
このような彼の戦争画における思想性の欠如は、既に戦時下においても指摘されていたところで、今泉篤男は「陸軍作戦記録画優秀作品評」と題する論評において(「美術]昭和19年5月号」)「現代画家のなかで、この画家(藤田の事)位に物の姿を描き出す事に気軽な愛執をもっている人は稀有である。芸術とか何とかいう以前にも、描くという事に子供のように熱中できる画家なのである。」・・・・「藤田の芸術の場合は、しかしその変化、進展は主として視覚的な取材の拡大、技法の進展に置かれており、戦争画というものの構想の内面的な変化、深まりではないように見られる」と言っております。
要するに藤田は、戦争の持つ、その怪奇性や、異常性を描きだす事に興味を持ち、それをリアルな臨場感を持った作品として、画面に表現することに心血を注いではいますが、そこには職人的な絵師の技への拘りは存在していても、思想性は欠如していたということです。
彼は戦争の無惨さ、惨酷さを描きだしておりますが、それは彼がそれらを表現する事自体に陶酔して行っているに過ぎず、そこには、戦争に反対してそれを批判するとか、賛美して推進しようとしたとかという、彼自身の意図は入っていないと思われます。

 

その4

しかしながら今になってみますと、藤田の戦争画は、思想的なメッセージを包含させることなく、戦争が引き起こした奇怪かつ異常な場面を、リアル感を持たせて表現しているだけの故に、かえって戦争という人間の愚行の惨酷さ、悲惨さを浮き彫りにしているように思います。
敵も味方もなく、死というものに直面した時の人間の恐怖、緊張、非嘆、絶望そして何の個人的な関係もない人同士が、憎しみあい、殺しあう異常さ、愚かさなどが、偏った思想や感傷によって一方向に誘導していくのではなく、記録画のように第三者的な目を持って描き出しておりますだけに、却って観る人に強いインパクトを与えるように思われます。観る人に、その人自身の頭で考えた、その人自身のいろいろな感慨を想起させてくるのではないかと思います。
ともあれ、藤田の戦争画は、なんと言っても傑作です。藤田作品の中でも、最も優れた作品が揃っているジャンルの一つだと思います。
世界の戦争画史の中でも、傑作に属する作品群だとさえ言えるのではないでしょうか。
しかしそこには藤田の思想的なメッセージは含まれておりませんから、それをどのように観、そしてどのように感じるかは、観る人の裁量に大きく委ねられている作品であるといえます。
観る人自身が、その作品にどのような心を投影して観るかによって、受け取り方はさまざまになりうる作品だというわけです。
皆さんは藤田の戦争画にどのような感じをもたれましたか。江戸時代の怪奇画に対した時のように、その異常さ、怪奇さだけに目を奪われ、恐ろしいとか気味が悪いと感じられただけでしょうか。
それとも戦争という人が行う蛮行の愚かさ、陰惨さに恐怖や嫌悪を感じましたか?
その業のような人間の愚行に深い悲しみを感じませんでしたか?
或いは愛国心が湧きたち、殺戮し合うその場面に、手に汗を握るような興奮や舌なめずりをしたくなるような嗜虐性を覚えられましたでしょうか?