No.103 貰い物コレクション、その価値は?

忙しさにまぎれ、永らくご無沙汰しておりました事、心よりお詫び申し上げます。
今日から、新たに再掲載させていただくことにしましたので、今後とも御愛読賜りますようお願いします。
なお、このお話はフィクションで、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。

 

その1

先日、以前、横山大観先生の絵を売っていただいた事のあるお方から お電話があり、「実を申しますと、あの大観の絵以外にも、もっと良い物を、いろいろ持っています。私も年ですし、子供たちも、こういった物に、それほど興味を示しませんから、この際それらも、いっそ処分してしまおうかと思っているのですが 一度相談にのって頂けませんでしょうか」と言われます。
「そうですか、それでどんな物をお持ちですか。もし差し支えなければ、教えていただけます?」
「実は私の父は、弁護士をしていまして、元総理大臣、S氏の管財人をしておりました。S氏というのは、いつも英国風なダンディな格好をしていらっしゃるので有名な方でしたが、絵画については全く関心がなく、職業柄、いろいろな所から贈ってくれた絵についても、『あんたが欲しければ、持っていきなさい』と言って、全部父にくれていました。従って、普通の家では見られないような素晴らしいものばかりが一杯あるのです」「そうですか。それは失礼しました。前回お出でくださった節は、何もおっしゃらなかったので、知らなかったものですから。それで、どなたの絵をお持ちでしょうか」

 

その2

「今、名前を覚えていているだけでも、丸山応挙、狩野探幽、与謝野蕪村、橋本関雪、松村桂月、竹内栖鳳などの絵があります。他にも私があまり名前を知らない画家の絵が4,5点あります」
「そうですか、凄いですねー。それでは一度見せていただいて、それからご相談にのるという事でどうでしょう?一度お伺いしましょうか」「いいえ、今、私のところ、病人の看護で、少し取り込んでおりますから、出来ましたら、そちらへ持って行っていただき、そちらで見ていただきたいのですが」
「かしこまりました。それでは私のほうへ、一旦持ってきて、作品を見てから、どうさせていただくのが一番良いのか、相談させていただくという事でどうでしょう」
「はい、それで結構です」
「ところで作品は、軸物でしょうか、それとも額物でしょうか」「殆どが軸物です」「分かりました。それでは、取りに上がらせていただきますので、お宅の都合の良い日時を後でお知らせください。よろしくお願いします」という事になりました。

 

その3

到着した作品を早速見せていただきました。
松竹梅3幅対の丸山応挙の作品は、大正天皇が(皇太子の時)、御成婚の報告に伊勢神宮を
参拝された際、お休み処に飾られたという、いわくつきの作品で、その旨証明する五二会館の書付がついております。
しかし私こういった古画については専門でないので断定は出来ませんでしたが、どうも違います。二重箱に入ったその作品の表装がやや安っぽい感じがするのが気になります。又作品もあまりにも整いすぎていて、勢いを感じられません。
(註:こういった場合間違って断定すると、贋物だった場合には、私どもが大変な損害を受けなければなりません。逆に本物を贋物としてしまった場合は、作品が可哀そうですし、持ち主に対しても失礼になります。従って鑑定は、慎重が上にも慎重に行う必要がありますので、怪しいと思っても、よほど、とんでもない贋物でない限り即断しないようにしています)
又探幽の作品、これ、寒山拾得の三幅対の作品でしたが、こちらの表具は、作品に相応した古びた立派な表装がしてありましたが、二重箱になってはいますが、箱の作りがやや雑で、粗末な感じです。作品自体も、品格がなく、男性の足など、やや下手で、その描き方も手抜きがしてあるように感じられます。
蕪村も、全体として絵に力と流麗さがありません。
そのほかの画家の作品は、贋物ではないようですが、絵画の好みだとか、日本人の生活様式の変化で、昔、それを購入された当時は、流行作家として、価値が高かったかもしれませんが、コレクターの好みが変わってきている今日では、それほど高値が付くとは思えません。

 

その4

私の事を信頼して処分を任された以上、それに応えるべく、お客様のご満足のいくように出来る限りの事をする事をモットーとしております。
こういった作品の場合、まずその真贋を確かめる事が先決だと思い、こういった古画を扱うのに慣れていらっしゃる業者2,3人に相談してみました。
所が、どの業者さんも、首を傾げ、一様に、「贋物の可能性が高いので、所定の鑑定機関に鑑定を依頼して、余分のお金をかけさせるより、むしろこういったものを専門に扱っていらっしゃる業者が沢山集まる交換会に出して売ってあげたほうがいいのでは」という意見です。
「そういった会には、古画に目の肥えた業者が沢山参加してくるので、もしこれが本物なら、そういった業者が見逃すはずがなく、取り合いになって、鑑定書なんかなくても、絶対高値が付くはずだから」と。
そして更に「もしこれが本物でなくても、そういった交換会には、怪しげな物でも、それなりに取り扱っていらっしゃる業者も沢山きていて、それなりの価格が付く可能性が強いから、交換会で処分してあげるのが一番お客様にとってもいいのでは」と言う意見です。

 

その5

持ち主にその旨話して、結局、鑑定には出さずに、全て交換会で売ることにいたしました。
そこで交換会側に依頼しましたところ、「これらの古画に、発句をつけるのは難しいから、成り行き売りにさせていただきたい」といわれます。
註1;交換会での発句というのは、せりのスタートとなる価格で、その会を主催する会主が発句係として値付けしているのが普通です。
註2;成り行き売りというのは、発句係の値決めがなく、成り行きのままに出来た値段で売る事を意味します。
これは持ち主にとっては、相当ショックのようでした。特に応挙の作品に関しては、先ほど申しましたような、五二会館の書付の付いた、謂れある作品です。従って国宝級の価値があり、少なくても何千万、高ければ億以上の価値があると期待していらっしゃいました。
それを幾らで売れるか分からない、もしかしたらとんでもない安値しかつかない可能性もあるというのですから、ショックを受けられたのも最もな話です。
そこで更に持ち主と相談した結果、応挙に関しては、家の“家宝”としてそのまま遺しておいて頂き、他の作品だけ、交換会で処分していただくという事で意見が一致いたしました。

 

その6

交換会の結果は私の悪い予想通り、あまり良くありませんでした。
古画のほうは、やはりどなたの目にも本物とは見えなかったようで、贋物の価格までしかきませんでした(贋物としてはまあまあのお値段でしたが)。
他の画家の作品も、先ほども申しましたように、今日では、絵画に対するコレクターの好みも変わってしまっていて、本物ではありましたが、持ち主が期待していたような高値はきませんでした。

 

その7

こういったことは、もらい物の場合よくあることです。
以前、某繊維会社の重役をしていた、私の伯父の所のコレクションを見せていただいた事があります。
この時見せていただいたものも、伯父本人の趣味で集めた物ではなく、人をお世話した時などに、お礼にとしてもらった、もらい物が殆どということでしたが、それらはやはり、地方ではそれなりに知られていても、中央では無名の画家の作品だとか、名のある画家の作品でもその画家の作品としてはあまり出来のよくない作品といったものばかりでした。
こう言った事は、プレゼントする人が、絵についての知識を余り持っておらず、懐具合と相談して、画家の名前だけをたよりに、作品を買って来られた物が多いからだと思われます。
また自分のコレクションしたものの中から、プレゼント用の絵を持っていかれる人もいますが、そういった場合、コレクターというのは結構、意地汚い所がありますから、一番良いもの、一番自分の好きなものは、ほとんど持っていきません。彼らがプレゼントに使う物は、名前は通っていても、すこし程度が落ちた作品とか、自分が飽きた作品などが殆どです。

 

その8

戦前の日本では、どれだけお金もちになっても、どれだけお金を回りの者にばら撒いてもお金をもっているだけでは、成り上がり者として軽蔑され尊敬されませんでした。
それを避けるためには、どうしても教養を身につけているように見えるよう、振舞わなければなりませんでした。その為の最も手っ取り早い方法の一つが、趣味人として、美術品を集めることでした。
また美術品は、その家の家柄だとか、家格を誇示する手段としても必要でした。従ってある程度以上お金に余裕が出来た家では、何処でも競って美術品を揃えたものでした。
しかし当時は、情報の伝達が今のようにスムーズでありませんでしたし、またこういった新たなコレクターになった人も、本当の趣味人として、物をきちんと見る目があったわけでもありません。彼らは、骨董商から言われるままに、絵そのものを見るのでなく、画家の名前や、自分の懐具合と相談した価格だけをみて、美術品を集めたものでした。従って田舎の地主だとか、成り上リ者の集めた美術品などには、怪しげなものがかなり混じっていると考えるのが妥当です。
また、昔は骨董屋の方も、一般には素人上がりで、美術品の鑑識にそれほど長けていたわけではない人が多く、千三つ屋(註:せんみつやとは、言うことのほとんどが嘘で、本当の事は千に3個もないくらいのいい加減な人の事)と悪口を言われるほど、舌先三寸の商いをしている人が少なくなかったそうです。従って、そういった業者の納めた美術品の中には、本物か偽者か分からないようなグレーゾーンの品物、そのうちでも黒に近いような品物が、業者の口車にのせられて買わされているものが随分混じっている可能性があります。(これは祖父のいつも口にしていた事の受け売りです。無論中には美術品を心から愛する、きちんとした骨董商もいらっしゃいました。)
そして、そうして納められたグレーな美術品の中には、箔をつける為に、いろいろなテクニックを使って(このテクニックについては、又別のところで機会がありましたら、お話させていただきます)、もっともらしいお膳立てがしてある場合も少なくありません。

 

その9

一方、それを受け継いだ子孫はと申しますと、これまたそういった美術品に興味を持つ人は、非常に少ししかいません。
従ってそれら美術品を受け継いだ人の殆どが、その真贋など分かるはずもありませんから、箱書きだとか、美術品に付いている古文書、先祖からの言い伝え、画家の名前などを頼りに、そういったものでも、先祖の遺してくれた立派なものだと思っています。
しかし一方では、それを自分で集めたわけではありませんから、それに執着する心も、あまり強くはありません。
そのため、言葉に出せないほどのお世話になった人への感謝の表わし方として、そういった物がお礼として使われる場合がしばしばあります。
最高の感謝の印として、自分の家の、一番大切な物、先祖から伝わってきた宝物を、お世話して下さった人の所へ持っていくわけです。

 

その10

自分で蒐集した物ではない、有力政治家、有名財界人などのコレクションの中には、こういった、以上述べてきたような物、例えば、作家の名前だけは立派でも、金銭価値に換算すると、さほどでもない場合だとか、お膳立ては立派でも、本物でない古い美術品、コレクターの好みが、時代とともに変遷して、当時はそれなりの値段が付いていたものが、今日では値の通らなくなっている作品などなどが混じっている可能性があります。
S氏のコレクションが、持ち主の思っておられたほどの価値がなかったのも、このような理由によるものではないかと思います。
やはりコレクションというのは、コレクター自身が好きで、こだわって集めたものでないと、玉石混こう、それも石が多い混合という事になっている可能性が強いように思います。