No.100 食品のブランド化と流行作家 前篇
この話はフィクションで登場する事件人物は、実際にあった出来事、実在の人物とは関係ありません
前篇 食品はどのようにしてブランド化されるか
その1
今からもう大分以前、名古屋コーチンだとか、比内鳥などといった名前が、今ほど、全国的に知られていなかった頃の事です。秋田に出張した折、たまたま入った、駅近くの小さなお店で食べた、比内鶏のキリタンポ鍋の美味しさが忘れられず、秋田に行くと、必ずといっていいほど、比内鶏のキリタンポ鍋を頂くようになりました。それだけにしておけばよかったものを、あまり美味しかったものですから、友人などにも、その美味しさを吹聴して歩き、あげくの果ては秋田からのお土産には、必ずといっていいほど、比内鶏の燻製を買ってきては、秋田土産として、自慢げに、友人知人に配っていました。
一方父のほうはといいますと、名古屋コーチンのヒキズリ(すき焼きの名古屋地方方言)に惚れ込んでしまって、お客様がいらっしゃると、いつもそれを売りにする、料理屋さんに案内しては自慢し、お土産には名古屋コーチンの手羽先煮付け(煮付け手羽先の真空パック入り)を渡しておりました。
ところが各地で判明した食品の偽装事件は、比内鶏にも、名古屋コーチンにも、それ以外の鶏の肉が混じっているとか、それ以外の鶏肉であった可能性が出てまいりました。
その2
こうなりますと、私が得意げに配って歩いた、比内鶏の燻製だって、本物だったかどうか疑わしくなってまいります。今回偽装事件で摘発された、業者の製品などは、卵を産まなくなった廃鶏だったといいますから、驚きです。
「叔母ちゃん、久しぶりです。お変わりないですか」「うん、変わりないけど、何、あんたから急に電話があると、なんかあることが多いので、ドキッとするけど。何」と叔母ちゃん。「悪い、悪い。所で変な話だけど、ニュース見た。ほらあの比内鶏の」「うん、見たけど、それが何?」「実はさー、この間、渡したお土産、例の比内鶏の燻製、あれ本当に比内鶏だったかどうか怪しくなっているんだけど、味、どうだった」と私。心配になった私は、配った先の反応を確かめたくて、近くにいて、親しくしている、叔母に電話してみたのでした。「そう、見た。見た。嫌な世の中になったわねー。何にも信用できないなんて、悲しすぎるわねー」「でもあんたがくれたの、あれは本物の比内鶏だったんじゃないの。だって結構いい味がして、美味しかったわよ。で、あれって、何処で買ったの」「飛行場の売店だけど」「そう、それじゃー、多分、大丈夫じゃない。だって今問題になっている業者の比内鶏の燻製は、スーパーに卸していた会社の製品だそうだもの」「そうかしら、そうだと嬉しいのだけど。何しろ美味しいよ、美味しいよと言って、皆に配って歩いた手前、いまさら、他の鶏だったなんて事になったら、立つ瀬がないものね。本当に気分が悪いわね。」「でも、皆美味しかったと言ってくれたんでしょ」「そう、お世辞だったか、本音だったか、知らないけど、皆、美味しかったといってくださったけど」「それなら、それで良いんじゃないの、皆そうと信じて食べて、美味しかったと言うんだったら。ニュースで見たけど、燻製みたいに調味加工されたものは、専門家でも区別が難しいというくらいだそうよ。美味しいって思ってもらえたらそれでよかったのよ。所詮人間の味覚なんてそんな程度のものなんだから」
その3
心配が取れなかった私は、父にも電話してみました。「お父さん、大変、大変。私がいつも美味しいって言っていたあの比内鶏ってさー、あれ全部が本物の比内鶏だったかどうか分からないみたい。そういわれると、あんなに美味しいと思って食べてきた、比内鶏のキリタンポ鍋だって、本当かどうか分からないということよね。もうこうなると自分の舌に自信がなくなってしまって。所で、お父さんがいつも美味しいって言っては、お客さんを連れて行っていた、名古屋コーチンのヒキズリ、あの店のは、大丈夫だったの」「さあ、分からないなー。でもあそこは、名古屋コーチン専門の養鶏場から直接買っているといっていたから、多分大丈夫じゃない」「フーン、それなら良いけど、もうこうなると、何を信じて良いやら分からなくなってしまって。だってお店の人がそういうだけで、実際には、お店で、他の鶏の肉を混ぜていたという事だってあるでしょ」「そういわれると、そうなんだよなー。人間の舌なんて、当てにならないものだからなー。特にヒキズリみたいに、お野菜などと一緒に、甘辛く煮込んでしまうものでは、普通の人間じゃ、並べて食べ比べないかぎり、区別をつけるのは難しいからな。しかし、今のところは、自分の舌と、お店の人のいうこと信用するより仕方がないと思っている。もし騙されていたとしたら、自分には、人をみる目がなかった、自分は味音痴だったんだと、諦めるより仕方がないんじゃないかな。コーチンについては、そのうち全部の店のDNA鑑定をするそうだから、もし違う鶏肉を混ぜていたりしていたら、そのうちはっきりすると思う」「そうかもしれないわね。でもこういったことって、自分だけの問題じゃない場合があるから困ると思わない。例えばお土産なんかに持って行っていたものが、偽ブランドの鶏だったなんていうことになったら、これ美味しいよって、持っていっていただけに、チョット困るのよね。だっていい加減な物よこしてと、馬鹿にしたと思われかねないでしょ。所でお父さんが渡していたコーチンの手羽先はどう。大丈夫」「それがそうでもないんだよ。実はあの騒ぎ以後、いつも買っていた名古屋コーチン手羽先は、百貨店などの売り場から姿を消してしまっているんだから。そんな所をみると、怪しかったかもしれないね。今の所、はっきりとは偽装があったと、何処にも書かれていないけどね」「そう、それならまだ良いけどさー、私なんか、比内鶏の燻製お土産に買ってきては『これ美味しいよ』といっては配っていたでしょ。だから、次会った時、なんて言ったら良いか困ってしまうわ」「そんな物、黙っていれば良いのよ。だってあんたがわざと偽装した奴を買ってきては、渡していた訳じゃないんだから。それにお土産として配った、比内鶏の燻製の製造元だって、あの偽装業者だったと決まったわけじゃないでしょ」
その4
「お父さん時々思うんだけどさー、こういった偽装は、私ら消費者を騙す事だから、絶対に許されないことだけど、味に関していえば、最近、食べ物のブランド化が進んでいるけれど、あれって、新興宗教みたいなところがあって、信ずる物は救われるじゃないけれど、ブランドの食品だからと思って食べるから、美味しいと感じるのであって、実際には、そのブランド化された食べ物が、ノーブランドのものとはっきり差別がつくほど、必ずしも美味しいとは限らないと思う。こういったブランドによる差別化には、生産農家や、販売商社の販売戦略による部分も大きいのだから」「そうかー、それなら、そんなに気にする事ないか」「そうだよ、種だとか、餌、飼い方に、工夫を凝らしたりする事によって、多少味に差が出るかもしれないけど、誰もがはっきり分かるほど差が出ているとは限らないと思う。例えば、毎日食べているお米だって、魚沼産コシヒカリと新潟産コシヒカリとだって、一般の人に、ブラインドで食べ比べてもらった成績では、魚沼産を美味しいといった人と新潟産を美味しいといった人とで、あまり差がなかったと言うよ。秋田の秋田小町と新潟のコシヒカリとの食べ比べでも、同じようなことだったとも聞いたことがある。結局、私らのような普通の人間には、味の少しくらいの違いでは、違いが分かり難いのかもしれないね。味の感じ方には個性があって、同じ食べ物でも、味の好みだとか、味の違いに対する敏感度もふくめて、人、夫々、味の感じ方には、違いがあるともいうしね」「それに、もっと大きな事は、食べ物の、美味しいとか、美味しくないとか感じる感じ方の差などというのは、調味料の使い方とか、火加減、水加減などといった料理法や、他の材料との取り合わせによっている所が、むしろ大きいから、あんたが買ってきたように、既に味が付けられているような加工食品では、ブランド物と、そうでないのとの間で、余計に区別が付け難いと思うよ」「だったら、そういった、既に味が付いているような加工食品では、有名ブランドのものを買っても、あまり意味ないということかしら。それじゃ、ブランドの食品をありがたがって食べている人間は馬鹿みたいじゃない」
その5
「そこまで言い切ってしまうと、極端かもしれないけど、お父さんが考えるに、ブランド化って、商品を差別化し、より価値を高めて売るための、販売業者や、生産者による一種の販売戦略によっている所が大きいと思うんだよな。だから普通の人には(味に鋭敏な人は別として)、皆が思っているほどには、差がない物が、多いんじゃないかな。それをブランド化し、価値を付けて売り出す戦略には、消費者をうまく乗せてその商品を買わせる為の、基本戦略みたいな物が垣間見えるから、商売をやっていく上で、知っておいて、損にはならないと思うよ」「フーン。それでは、もう少し具体的に教えて」「それじゃ聞くけど、新しくブランド食品を売り出すには、何が一番大切だと思う」「そりゃー、なんと言っても、沢山の人が、美味しいと思ってくれる食品である事が一番大切じゃない。皆が美味しいと認める物でなければ、どんなに宣伝をしたって、誰も見向きもしてくれないもの」「そうだね。此処で問題なのは、美味しいと感じる味覚というのは、先ほども言ったように絶対的なものでないということなんだよ。味の感じ方というのは、個人差があり、その上、外からのいろいろな影響も受けているということだね」「だから、沢山の人がと言っているでしょ。最大公約数という意味で」「そうだね、でも、それについて、もう少し深く掘り下げてみようか」
その6
「まず味の感じ方には、先ほど言ったように個人差があり、同じ食べ物でも、皆が同じような味として認識しているわけでもなく、又類似の種類の場合、その種類差による僅かな違いを、誰もが常に区別できるわけでもないよね。それに、時代、地方などによって味の好みに変化があります。例えば、昔に比べて最近の日本人は、どちらかというと、フワ、トロ、サクの時代といわれるように、噛み締めて味わう食べ物より、口の中に入れると、噛み締めなくても、直ぐに美味しさが感じられるような食品、しかも口の中でとろけるような或いは、さくさくと軽く噛み切れるような柔らかめの食感の食べ物が好まれるようになっています。また果物などは、酸味などはより少なく、甘みはより強い物が好まれる傾向にあります。一方、地方性ということで言えば、江戸前のすしとか、京野菜などの代表されるように、一般に子供の時から食べ慣れた、自分の住んでいた地方の食べ物が美味しいと感じやすいものです。ブランド化を試みる人は、そういったものの中から、ブランド化した時、将来、多くの消費者に支持されそうな食品を探し出し、それに特別な物と言うイメージを植え付け、もっと広い範囲の、そしてより多くの人々から、類似の他の食品より美味しいと思ってもらえるようにもっていこうとするわけですから、そのためには、どうしても差別化するための仕掛けが必要になります。どう、此処までは分かったでしょ」「うんわかる。で、ブランド化して、売り出すために、実際にはどういうことが行われているの?」
「貴女も言っているように、
Ⅰ}そのブランド化の対象となる食品は、個人の好みや地方性を越えて、普遍的に多くの一般の人々から、美味しいと共感し、認めてもらえ得るような食品であることが、最も大切な事はいうまでもありません(質の重要性)。
①それには、時代性、即ちその時代の好みに合った味であることが必要です。と同時に
②地方的なものから、より普遍性を持てる、すなわち、他の地方の人々にも、認められ、愛される可能性のある味である事
③美味しいと感じさせる味に、恒常性があること、即ち、そのブランド化されている食品においては、味の極端なばらつきがなく、恒常的に多くの人から、評価され得るような一定以上の(味の)質を維持している事が必要です。例えば、名古屋コーチンだとか、松坂牛などのようにね。なおブランド化製品というのは、信用の上に成り立っているものです。だから(ブランド製品以外の)まがい物が混入していては、食べた時によって、或いは食べた人によって評価が大きく変動することになります。そうなりますと、そのブランドイメージは低下し、ブランド化した意味がなくなってしまいます。従ってブランド化する以上、品質をきちんと管理することが重要です。
Ⅱ}ブランド化しようとしている食品が、先に言ったような、質の条件をクリアしている場合、それでは、それをどのようにして、ブランド化して売り出しているかについて考えて見ましょう。
①それにはまずそれを買った人に高級感、セレブ感を味わってもらえる仕掛けを作る事が大切で、そこで、
ⅰ)数をある程度限定し、希少価値を与える(あまりにも商品の数が少なすぎては、ブランド化に要する費用を回収することが出来なくなりますから、ある数量の商品の確保は必要です)
ⅱ)価格設定も、一般の非ブランド食品より、やや高めに設定する手法がとられております(これは利益にもつながり、ブランド化した目的の達成につながります)。
②次に、この食品が、良いもの、食品の場合だったら、他の類似非ブランド食品より美味しいということを、多くの人に認めてもらうための手立てが必要です。しかし生産量や販売量との関係で、マス生産の製品のように、多額の費用をかけての宣伝をするわけにはまいりません(生産量が限られていますから、あまり費用をかけては、費用倒れになります)そこで
ⅰ)宮崎マンゴ、宮崎地鶏とかの場合のように、報道番組への登場
ⅱ)関鯖、関鯵、京野菜、北陸の松葉蟹などの場合のように新聞、雑誌、テレビなどのメディアでの紹介
ⅲ)料理評論家、料理人、俳優、その他の有名人などといった権威者たちの経験談などをとおしての、美味しさのアピール(一般人は権威に弱いから、こういった宣伝は効果的です)。などの方法が行われております
③上記のような方法を折に触れ、繰り返し行うことにより、その食品が美味しい食品であるというイメージを、消費者の頭のなかに、刷り込みます(繰り返される事により、そのイメージの記憶はどんどん強くなっていくからです)
④こうしてある程度知名度があがってきますと、一般消費者の中から、自分の知人の友人などに、頼まれたわけでもないのに、勝手に宣伝してくれる人がでてくるようになります。これはそのブランドイメージを広めるのに、非常に有効です。何故なら、私たちは、知人とか、友人の言葉は、抵抗なく、比較的すんなり頭の中へ受け入れる傾向がありますから。最近の携帯電話、インターネットの普及と進歩は、これをうまく操ることにより、爆発的な人気を作る可能性をもっております(但し、これによって、ブランドイメージが傷つくこともあり、その時は、傷つき方は深く、早いですから、要注意ではあります)
⑤こうして美味しいというイメージが定着し、多くの人が美味しいというようになりますと、美味しいという人の数は放っておいても、自然に増えていくようになります(人は多数の人の意見に引っ張られる傾向にあるからで、こういった現象を同調性バイアスと言っています)。こうなってまいりますと、その食品のブランド化は完成の段階に達したと言っても過言ではありません。」
その7
ブランド化の戦略には貴女達、画商の世界で、流行作家が生み出されてくる過程と、とてもよく似ております。人の心を操るという点からいえば、新興宗教の信者獲得のためのテクニックや、詐欺的商法での、騙しの手口にも同じような所があります(誤解のないように申しておきますが、流行作家が詐欺的商法によって作り出されるといっているわけではありません。ただその方法に似た所があるといっているだけです)。
長くなりますから、ここでお休みします。後編でいよいよ本題の流行作家が生み出される手法をご紹介するつもりです。後編をお楽しみに