No.91 泡食った人の話

父は普段はとても生真面目に見える人ですが、実は好奇心旺盛な、おっちょこちょいなところもある人です。
年末も押し迫ったある日、フロインドリーブのシトーレンという御菓子を買って帰った時の話です。とても美味しいと評判の御菓子ですので、父にも一度、味あわせてやりたいと思ったからです。買い物袋にその御菓子を入れ、意気揚々と帰った私は 帰る早々父を摑まえて、「お父さん、ほら、御菓子買って来たよ。何せ、今流行のお菓子だから、そのつもりで食べてね。今日と明日は、私、家にいないから 先に食べてくれてもいいよ。だけど、全部食べちゃー駄目だよ。私もまだ、食べた事のない御菓子だから。ワンちゃんなんかには、絶対にやらないでね」と恩着せがましく言いました。「大丈夫だよ。ちゃんと貴女の分は残しておくから」と父。こうして念を押して、仕事に出かけた私が、仕事から帰ってみますと、父が妙な顔をしながら私に言います。「貴女、あの袋の中に何を入れておいたの?」「何って御菓子でしょう」と私。「御菓子の他にも、何か入れておかなかった?」と父。「別に、何か入っていた?」と私。「あのきれいな紙に包んであった、四角い真っ白なものは何?」「あっ、そういえば、お父さん時々痒いといっていたから、無香料、無刺激、肌に優しいと言われている石鹸を入れておいたわ」「そうでしょう。おかげで 昨日、ひどい目に遭わされてしまったがね」「どうしたの」「袋を開けてみたら 御菓子の他にきれいな紙に包んである小さい包みがあるじゃない」「何かなと思ったけれど、貴女、何も言わなかったし、御菓子と一緒の袋に入っていたから、てっきり、何か変わった御菓子の見本でも、貰ってきてくれたのだろうなと思って、包み紙を解いてみたんだよ。すると中から、真っ白な四角い塊が出てきたじゃない。一瞬石鹸かなとは思わないこともなかったけれど、匂いを嗅いで見ても、何の匂いもしないし、とてもきれいな白い塊だったでしょ。だからモッツァレラチーズか何か系の御菓子かなと思って、つい少しかじってしまったんだよ。そしたらなんと、石鹸の味じゃないの。 あわてて、口をゆすいでみたものの、ゆすいだ水と一緒に、泡は吹き出すわ、石鹸の味が口いっぱいに広がるわで ひどい目に遭ってしまったがね。」「石鹸が入れてあるならあると、最初から、そのように言っておいてくれなくては」と父のなんともいえない切なそうな顔。思わぬ出来事に 笑いをこらえるのに精一杯の私でした。「ごめん、ごめん。落語の八つあんじゃあるまいし まさか そんなものかじる人がいるとは思いもよらなかったから」「それにしても、好奇心が強すぎ」「これに懲りて、何でも試してみるのは、止めにしたら」と言いますと「この年になって、まさか泡を食わされようとは思わなかった」「それにしても、石鹸というのは 一度口にすると、どれだけ口をすすいでも、いつまでも、味が口に残っていて嫌なものだねー。あの後、半日くらい何を食べても石鹸の味がして、本当にひどい目にあったよ。今でも未だ、口の中に石鹸の味が残っているような気がするくらいだもの」と愚痴っているのを聞いていますと、真面目な顔をした父が、石鹸をかじった時の姿や、泡を食って口を注いでいる様子、そしてその後、食べ物を食べながら顔をしかめている態(さま)などが想像されてきて、父には悪いと思いながらも、どうしても笑いが止まりませんでした。これこそ正真正銘の「泡を食った男の話」というわけです。