このお話は創作作品で、多少ヒントをいただいている部分はあるかもしれませんが、実在の事件,人物とは関係ありません。
その1
ある日のことです。妹のところへ友人から、「棟方志功の絵があるのですが、それを値打ちに買ってくださる所に心当たりはないでしょうか。」と相談があったそうです。妹はすぐ私のところに電話してきて、「お姉ちゃん、棟方志功の作品を売りたいという人がいるけど、欲しい?」と聞きます。棟方志功は私どもの画廊として、最も力を入れている作家の一人ですから、「無論欲しいわよ。」といいますと「それでは貴方の所を紹介しておくわね。佐治さんという方で、電話があると思うけど、その時は頼むね。出来るだけ値打ちに買ってあげてね。」という事で電話が切れました。その翌日、早速佐治様からお電話。『織部様からご紹介いただいたと思うのですが、私、佐治と申します。このたびは突然のお電話で失礼いたします。所で早速ですが、実は私の帰依しているお竜神様の所へ、最近信者さんから棟方志功の絵を寄進されたのですが、お祖師様(宗教の開祖、第三者的には教祖といいます)がおっしゃるには、『お手水場(ちょうずば)の所、少し新しくしたいので、あの棟方先生の絵、できたらお金にしようかと思うのですが、どなたかお知り合いがいないでしょうか。一度探してみてくださらない?』といって頼まれました。そこで織部さんにご相談しましたの。何しろあの方、とても顔が広いでしょ。それに物知りだし。だから何かあるとつい頼ってしまって。そうしましたら、織部さんが、『ちょうど、姉が画商やっているから、一度聞いてあげるわ。』といって下さったものですから。本当に突然なお願いで申し訳ありませんがよろしくお願いします。」とおっしゃいます。
その2
「いいえこちらこそわざわざお電話いただきまして、本当にありがとうございます。ところで、その絵はどんな絵でしょうか。」とお尋ねしました所、「寄進された人がご商売をなさっていらっしゃった頃、棟方先生がとてもごひいきにしていて下さって、良く御出になり、其の時、描いていただいた絵とのお話です。」「それって版画(板画)でなく直接描いていただかれた作品という事でしょうか。」「そう伺っているとおっしゃっておられましたが。」「それで、どれくらいの大きさの作品でしょうか。」「大体80センチ×20センチくらいの縦長の絵が一枚、45センチ×20センチくらいの大きさのものが一枚で、真ん中には大きな字、多分お店か何かの名前と思いますがそれが書かれていて、回りは青緑と橙と黄色の太線で縁取りがしてあります。そしてその縁取りの中には赤いバラのような花と、細い黒色の茎と思われる細い線がちりばめて描いてあります。」「他に何かありますでしょうか。」「40センチ四方くらいの白黒の版画が一枚と、宿帳を記帳された際に、自分の名前の横に、ページ一杯に、字と水鳥と樹木の図柄の絵を書き足された、落書きのような絵が一枚あります。」との返事で全部で4枚とのことです。
その3
一般に棟方志功の作品は,贋物が横行しておりますので,所定鑑定人の鑑定書が付いていない作品は市場性が非常に悪くなります。ところが以前に、今度の場合と似たケースの作品を取り扱われたことのある画商さんが、「棟方作品の鑑定書は、来歴などから、本物と間違いないと考えられる作品であっても、付かない場合がありますから、気をつけないといけないですよ。」「うちは、その為に酷い目にあったことがありましてね。」と言っておられた事を思い出しました。それから推定するに、今度の場合も、わざわざ出かけて行っても、無駄骨に終わる可能性が大きいように思われました。そこで「申し訳ありませんが、もう少しその絵の事を知りたいと思いますから、できれば写真を撮って、それをネット経由で送っていただけませんか。」とお願いしてみました。ところが「ネット経由というのはどういう意味でしょうか。私どもそういうの、やったことがないものですから、チョット解らないのですが。」と言うお返事です。どうもインターネットなど、ご縁がない方のようです。「それでは写真を撮って送って下さいませんか。」といってみましたところ、「お祖師様が、『できれば、あまり人に知られないようにして売りたい』とおっしゃっていますから、出してきて写真を撮ったりするわけにまいりませんの。ご面倒なお願いで、本当に申し訳ありませんが、一度おいでいただくという訳にはいかないでしょうか。こういってお願いする事になったのも、お竜神様のお引き合わせによる何かのご縁と思って、どうかお願いします。」とひたすらお願いされます。そこまでお願いされますと、妹の頼みでもあり、あまり無碍にも断りにくい雰囲気です。宗教など殆ど信じてはいないのですが、そうかといって凡人の悲しさ、あまり無碍に断って、恨みを買って、「万一罰があったりしたら。」とも心配になり、又竜神教の教祖に興味もありましたから、無駄でもともとと、訪ねていくことにしました。
その4
お竜神様のお祭りしてある場所は、長野県の山奥にありました。JRの小さな都市の駅から車で山道を更に2時間半くらい登った所で、車でなければ、来る事は出来ない所との話です。その為、駅まで、佐治様に迎えにきていただく事になりました。降りる乗客もまばらなその駅の改札口のところで、人のよさそうな笑顔を、顔一杯に広げながら、手を振って出迎えてくださったご婦人が、佐治様でした。年齢は50歳前後、大柄なとても品の良い方です。「この度は、ご遠方ご足労かけまして本当に申し訳ありません。」と恐縮しきった顔で挨拶されます。「いいえ、いいえ、こちらは商いでございますから。こちらこそわざわざ、お出迎えしていただきまして、申し訳ありません。」という事で、彼女の車に揺られながら、その竜神様を祀っていらっしゃる場所へと、案内していただきました。
その5
国道と思われる舗装された道路から逸れ、全く舗装されていない山道をガタガタと揺られながら登ること約1時間、それまで周りを覆いかぶさっていた山の木々がパット開け、蒼空の下、広く切り開かれた大地が顔を出している場所に到着しました。そこには既に大きな鳥居を備えた真新しい白木の神社と、社務所、そして教祖様の住処と思われる建物が建っております。その上、近くにはバス用の大きな駐車場と信者の待合所兼売店になっている建物まで作られておりました。車に乗っている間に、佐治様から、いろいろと竜神さまと、その教祖の霊験について、伺ってはおりましたが、未だ宗教を始められてから数年目とのことでしたから、せいぜい田舎の農家に本拠をかまえた、小さな新興宗教くらいだろうとしか、想像していなかった私は、あまりの規模の大きさと立派さに、ただ唖然とするばかりでした。
その6
教祖は60歳前後,中肉中背の、ごく普通の農家の主婦といった印象の女性でした。話し方も特にもったいぶった所もなく、おごそかといった感じもありません。ごく普通の話し方です。しかしありがたみというほどではないまでも、農家の主婦にはない、気品がただよっているように感じられるのは、先入観のせいでしょうか。ご挨拶もソコソコ、見せていただいた棟方の肉筆は、私の案じていたとおりの、お店の看板でした。棟方特有の縁取りの絵に囲まれたお店の看板は、確かに面白く、棟方の署名、押印もあり、この種の物のコレクターだったら、食指が動く作品であろうとは思われます。しかしこれに鑑定書が付くかということになりますと、難しいのではないかと思いました。なぜなら棟方志功鑑定委員会の鑑定書は,芸術的作品でなければ付けてくれないという事や、お店の看板はあくまで看板であって、芸術作品としては認められないと聞いた事があったからです。同じ意味で宿帳に1ページを使って書かれている、棟方の作品も、署名、押し印などから、棟方の描いた物であるのは、間違いないとは思えるのですが、鑑定書はつかないであろうと推定されました。これら3作品については、最初から期待していませんでしたから、仕方がないと諦めもしましたが、もしかしたら商いの種になるのではと当てにしていた版画にも、問題があったのには、がっかりしました。私どもも商売です。いくら知り合いからの紹介とは申しましても、また野次馬根性からと言いましても、利益が全く見込めないような場合、こんなに遠方まで、足を運んでくるわけにはまいりません。今度の場合も、この版画を買い取る事ができれば、その日の日当と、交通費くらいは出るだろうと思ったから出かけてきたわけです。ところがその版画が、マージンの所に、他の歌人かと思われる方の和歌がペンで書き込まれているのです。多分その宿屋に泊まられた歌人が興に任せて、棟方の版画に賛の心算で書き込んでくださったものでしょうが、このため却って棟方の版画としてのオリジナル性が損なわれてしまっているように思えました。
その7
棟方の絵画の価値については一般に良く知られているところで、今回の場合も教祖も佐治様も、かなりの値段を期待されているようでした。その為本当の事を言い出し難い雰囲気です。例え、誠心誠意のお値段を提示してもたいした額を提示する事はできず、私どもが騙そうとしているか、駆け引きで言っていると誤解されるだけで、多分納得されないだろうと思われました。だからといって、本当の事を何も教えず「申し訳ありませんが、私どもの扱っている作品と少しテーストが違っていますから、お役に立つことができません。」と謝って帰ってくるのも、折角頼りにしてくださった佐治様や、教祖達に対して、あまりにも不親切に過ぎるように思われ、気が咎めました。どうしたものかと散々迷いましたが、やはり本当のことを言って、できる限り協力するという事で、お許しをいただくことにしました。「棟方志功の作品は巧妙な贋物が大変に多く出回っているものですから、鑑定書がないと、一般には売りにくいのです。」「ところが、これらの作品、本物で立派な作品である事は間違いないのですが、鑑定書ということになりますと、付かない可能性が強いだろうと思います。私が、こういった種類の作品を実際に鑑定に出したことはありませんから断言するわけではありませんが、他の業者さんから聞いている話によりますと、この種の作品は看板や宿帳であって、芸術作品とは認められないので、鑑定書はつかない可能性が強いそうです。」「もしこういったものを集めていらっしゃる人がみつかれば、例え鑑定書がなくても、それなりにお値段を出して求めてくださるでしょうが、そういった人は非常に少なく、もしおられたとしても稀です。そうしますと、私どものような画商が買ったとしましても、なかなか買い手が現れず、結局、何年もの間画商の蔵の中で寝させておかざるを得ないと言う事になります。従って流通性がありませんから、市場での値段も通らないのが普通です。」「妹の紹介でもありますし、神様とのご縁でもありますから、できる限りの事はさせていただきたいのですが、さりとて、私どもも商売です。みすみす損をするようなお値段で買わせていただくわけにはまいりません。もし即刻、買ってくれとおっしゃるのでしたら、びっくりするような(廉い)お値段しか提示出来ません。」「従いまして、私どもとしましては、まず鑑定書が取れるかどうか鑑定してくれる所に出してみられることをお勧めします。」「その結果をみて、お値段を付けさせていただくという事にしたほうが、ご納得いただけるのではないかと思いますが如何でしょう。」「その結果、鑑定書が取れればきちんとしたお値段で買わせていただきますし、もし鑑定書が取れなかった場合は、棟方の作品である事は間違いない事ですし、お売りにならずに、この神社の宝物として保存しておかれる、ということにされたら如何でしょう。二束三文で叩き売られたり、粗末に扱われたりするより、そのほうが棟方志功の魂も、これを寄進された人も喜ぶと思うのですが。鑑定代とか作品の送料とか、余分の出費をお掛けする事になるかもしれませんが、それでよろしければ、そのようにされたらどうでしょう。」と提案いたしました。すると教祖は、「そうですね。貴方のおっしゃるとおりですわ。それではそうさせていただきますから、鑑定の方のお世話、お願いできるかしら。」とおっしゃり、ひとまず鑑定に出す事に決まりました。
その8
話していると本当に無垢、全く世間ずれしていらっしゃらないといった感じの人達です。きっと良い信者さんや取り巻きに囲まれ、竜神様を信じお仕えされているうちに、心が浄化されたのでしょうね。いつの間にか私をも、何とかこの人たちのお役に立ちたいと思わせるようにしてしまったのですから、不思議な方々です。こうして鑑定までは一肌脱ぐ事にして、全ての段取りをつけて帰ってまいりました。
鑑定は、東急の棟方志功鑑定委員会に出しました。結果は予想していた通り4点ともに鑑定書は付きませんでした。「やはり鑑定書は駄目だということです。却って、お金を使わせただけの結果になってしまって本当に申し訳ありません。私としましては、先日もお話しましたように、こうなりましたらお売りにならずお持ちになっていたほうがいいと思います。もしこういった絵でも価値を認めて、それなりのお金を出して下さるというお客様が出てきましたら、そちらにご紹介させていただきますから。」と申しますと、佐治様は、「いいえ、こちらこそご面倒お掛けし、本当にありがとうございました。お祖師様もそのようにおっしゃっていましたから、ご忠告どおりにさせていただきます。本当にお世話になりました。」という事でこの話は終わりました。
その9
棟方志功の作品については、“贋物”、それも画商も騙されるほど巧妙な贋物が数多く出回っております。その為、所定鑑定人の鑑定書が付いていないような棟方の作品は、市場性が非常に悪くなります。棟方作品の鑑定は、棟方のご子息、巴里璽さんが生存されていた時は巴里璽の鑑定書が通っておりました。そしてその没後は東急の鑑定委員会が所定鑑定人とされており、その鑑定書がもっとも信用のあるものとされております。ところがその東急の棟方志功鑑定委員会の鑑定書は、本文の中でも申しておりますように、芸術作品と認められないもの、オリジナリティが失われた作品には原則付かないときいております。
又本例に出てくる版画のように、そのマージンの余白に、他の人の言葉が書き込まれてしまった場合とか、誰それさんへといった、為書きが入った場合も、鑑定書が付くか付かないかは、微妙な場合が多々あるようです。従って、私どもでは、そういった作品の取り扱いは慎重に行っております。
なお棟方志功の作品の贋物は何処かに組織的な贋物作成所がある様子で、巧妙に作られた贋物が種類も数も非常に多く出回っております。その上、付いている鑑定書そのものの偽造もしばしばみられますから、ご購入に当たってはよほどの注意が必要です。私どもとしましては、なるべく棟方志功の作品を数多く扱っている、信用のある画商からのご購入をお勧めします。