No.81 乞食王子と着飾った美術品

 子供だった時代、王子と乞食の話に夢中になった経験がおありではありませんか。しかし考えてみれば 現実のこの世界では 単に服を取り替えたくらいで乞食が王子様なれるほど甘いものではありませんよね。立ち居振る舞いから、言葉遣い、教養などがまるで違っているのに ただ顔が少し似ているというだけで服装を取り替えれば 乞食が王子としてやっていけるとしたら、その頃の王子様はよほど内容の無い間抜けということになってしまいますものね。確かに外観によってかなりごまかされはしますが、それでもそれだけでは無理があり、王子様のように振舞えるようになるためには せめてオードリー・ヘップバーン主演のマイ・フェアレディの女の子の場合のように ある程度の期間教育されることが必要ですよね。
 ところで美術品での偽者の場合ですと もともと似せて描いてあるわけですから良く似ている上に、そこへきちんとした箱書きだとか立派な表装、由来書といったもの(人間で言うと服装にあたりますかね)がついてまいりますと、惑わされて偽者を本物として取り扱ってしまう危険性が非常に高くなってまいります。ベテランの業者さん達の中には、本物はじっと見ているだけで本物の風格を持っていて、自分で語りかけてくるものがあるからだまされることはないなどとおっしゃる人もいらっしゃいます。しかしそういった業者さん達といえども あまりにも周りのお膳立てが整っている時にはそちらのけばけばしたものに目を奪われ 本物が語りかけてくる真実の声が耳に届かないようなことが出てまいりますから この世界は恐ろしいのです。このようなことは日常的ではないにしてもベテランの業者さんでも例外ではない様でして あるベテランの業者(Aさんとします)さんから次のようなお話を聞いたことがあります。
 Aさんが 別の業者さん(Bさん)から「今度 藤沢桂月の軸を下取ってきたのですが、私桂月を今まで扱ったことがないものですからちょっと見ていただけませんか」と相談をされ それをみた時の事です。もっていらっしゃった軸は間違いない共箱に入っております。軸装もそれ相応の立派さで 軸心には象牙が使ってあります。開いてみた絵も桂月風でまず間違いなさそうです。しかし私の心の中に「間違いないですよ」といいきるには そのとき自分では意識しない 何か引っかかることがあったのでしょうね。「間違いないとは思いますが 念のためにこの先生の絵を鑑定していらっしゃる所がありますから そこに頼んでみましょうか」と申しました。するとBさんは「是非お願いしてください」といわれます。 そこで鑑定にもっていったのですが、さて見てもらうという段のこと、その鑑定人が軸を開いていかれるのを 逆の側から見たときに はっとしました。桂月の絵とは雰囲気がまるで違うのです。最初に見たときには 箱書きとか 表装といった外観に惑わされ 最初からその目で見てしまっていたものですから 絵のほうはきちんとみないで桂月と決め付けてしまっていたといいうことなのです。それを逆さまからみるという見方を変えたことによって違うと気づいたのだと思います。
 案の定 鑑定の人も一目見て「ああ、これは桂月ではありませんね」とおっしゃいます。参考までに「どう違うのですか」とお聞きしますと、「桂月にしては下手すぎます」とのお返事でした。そこで持って帰って Bさんに「いや駄目でした」「下取りしてきたお客様(Xとします)のところに持って行って理由は言わずに返してきた方がいいのではないでしょうか。」と申しました。するとBさんは「わかりました。しかしどうして黙って返した方がいいのですか」と聞かれます。「この作品、箱は本物ですから どこかで誰かが本物を抜き取り 代わりに贋作を入れておいたのだと思われます。しかしはっきり贋作とこちらが指摘しますと そのお客さんが素人である場合は なんだかんだといって引き取ってくれない可能性が強いと思われます。だから理由を言わないでグレイのまま お返しした方がいいのです。 本当の理由は言わないで お客様(Xさん)のところに返しにいって そのお客さん(Xさん)には 『買ったところ(Cさん)に持っていって買い戻してもらうように交渉した方がいいですよ』と勧めてあげて下さい」 と忠告しました。
 
 さてそれから数日後のことです。Aさんは ある交換会にその作品が出てきたのを見つけたのです。Aさんは「どうなるかなと興味津々眺めていたそうです。すると、「50万」という声がかかりましたが それ以降は誰からも声がかかりません。結局50万円での落札ということになりました。ところで一般に大きな交換会では 品物を見る目は厳しい人が多く 少しでも怪しい品物が出品されると、疑義が出され 売買が成立しないのが普通なのです。交換会によっては多少そのところがルーズなところがあり、グレイな物でもすんなりと通してしまうというところもあります。この話の交換会も多少グレイな物が混じっていても通る傾向にあるという噂の会ではありました。その故かどうかわかりませんがこの場合もすんなりとそれで通ってしまったのです(箱書きだとか、表装といったぎょうぎょうしいもので表が飾られていますから、 当日参加した業者さん達の中には 怪しいとは思われた人が居られたかもしれませんが、 絵もまあまあの出来ですし、偽者ともはっきり断定しにくいから どうしようかなと迷っておられるうちに、相場より随分廉い値段でCさんが投げ売ってしまわれたから、疑義を出す時間がなかったからかもしれませんが)結局結果としては見る目の確かな業者さんたちさえをも、箱書きだとか 表装といったうわべの飾りたてで惑わし 偽者をグレイなままにまかり通してしまったというわけです。(こういった交換会では もし後で贋物と解かると 返品されるのは言うまでも無く、その上10パーセントの罰金を取られるのです。ただしそれも期限は一年でして 一年以上たてばその賠償責任もなくなります。本件の場合は 交換会に出された業者さんは この作品がグレイな物だということを 充分に知っていて出された可能性が強いように思われます。そのためか とても売り急いでおられ、実際の相場よりずいぶん廉い値段で投げてしまわれました。先ほども言いましたように交換会での売買は 本物として売ったのが、偽者とわかればあとで罰金を取られ返品をくらいます。しかし今回の場合は金額が50万円というのが味噌でして、それくらいの金額の品物ですと、もし後で問題になり、返品されたとしましても罰金は5万円ですみます。その上それくらいの金額までの物ですと、買われた側は 箱書きとか、表装、そして自分の目を信用し、わざわざ鑑定まで持っていくという手間をかけられる事は少ないようです。そこにももう一つの盲点があったのかもしれません)
 後からきいた話によりますと、下取りをもちかけられたお客さん(Xさん)はその品物を買った業者さん(Cさん)のところに行って「買い戻してほしい」と交渉されたのだそうです。ところが 買ってからの日数も経っていましたから 「返品は勘弁してください」といわれ、結局委託で売ってもらうことにしたのです。そこでさっそく交換会にでてきたというわけですね。さて交換会の翌日に当たる日 Cさんがお客さん(Xさん)のところへ訪ねててこられ、「できるだけのことはさせてもらいましたが こういう時期ですから これだけにしかなりませんでした。申し訳ないものですから 今回の交換会の手数料は自分のところで持たせてもらいます。ですからこれで勘弁してください」と言って、50万円とちょっとした軸物を置いていかれたそうです。それやこれやで結局 Bさんもお客さん(Xさん)から下取りした品物のかわりとして50万円しか払ってもらえなかったそうで Bさんにとっては大損害だったとのことでした。(予定下取り価格の3分の1くらいにしかならなかったそうです)。しかしそれだからといって もしお客さん(Xさん)が詐欺として警察に告訴したとしましても、警察はなかなか動いてくれません。多分被害調書をとられるだけで終わりです。こういった場合これくらいの事件では 警察が捜査に乗り出してくれる可能性はほとんどゼロです。その上その品物は証拠品として警察に提出しなければなりませんし さらにもしすぐ戻ってきたとしてもそれを偽者と判っていては売りにくいものです。そうかといってもっていても偽者では楽しくありません。まして業者さんの場合でしたら 詐欺罪になりますから、はっきりと解かっていては 売る事はできません。従ってこの作品は動かすことが出来なくなってしまいます。ですから業者さん達は こういった場合はこの例のようにグレイのままで処分してしまわれることが多いようです(ここに業者さんの良心の問題があります。名前を大切にされている所良心的なところでは もしそういったものをつかまされたときは 破棄処分されます)。結論として言えば今回の件は ベテランの業者さんたちでも 箱書きだとか表装といったような 絵とは無関係の いわゆる上辺の飾りものに騙される事もありうるということを物語っているのです。
 鑑定の偉い先生やベテランの業者さんたちは、「美術品をじっと見ていると本物は本物らしく、話しかけてくるから」などとおっしゃいます。しかし上辺を飾り、お化粧を上手にほどこし、にっこり笑いかけてくる美術品は(儲かるわよと笑いささやきかけてくるのでしょうね)結構ベテランの業者さんをも騙してしまうようです。そういうAさんも昔、川合玉堂の絵でひどい目にあったことがあったそうです。それは川合玉堂の絵を取り扱った時のことです。絵は典型的な玉堂の絵で 空の青がとても美しかったそうです。箱も共箱で表装も絵相応の立派な表装がしてあります。お客様のところに納める前に鑑定書をつけようと思って 鑑定人のところに持っていきました。すると「駄目ですね」といわれてしまったのです。当時若かったAさんですが、すでにその時 玉堂は相当扱っていましたから その絵の出来から 鑑定結果にどうしても納得がいかず、「どうしてこれが贋物というわけなのですか」と聞いてみました。すると「まず絵の具が違います。岩絵の具でなく水彩です。また紙も和紙でなく洋紙です」といわれてしまったのです。この絵 実は業界でも最も信用のある大きな交換会からでてきたものでして それを画商Dさんが買われ それを更にAさんがまた譲ってもらってきたという絵なのです。したがって少なくとも6個以上の業者さんの眼を通り抜けてきた絵なのです。またこの交換会の会主にしても、その絵を譲ってくださったDさんにしても 鑑定眼では 業界内で一目おかれている存在の人達なのです。その上 その時 その交換会に参加しておられた業者さんたちもたくさんいらっしゃったわけですが、その人達も皆ベテランばかりでして 真贋に関しては かなり厳しい眼をもった人達ばかりなのです。それにもかかわらず それが贋物と気づかれず通ってしまったという事は、やはり会主の鑑識眼だとか、共箱、表装、そして買う意思をしめしている人達の品物を見る眼といった、本質とは関係ない うわべに 騙されてしまったという事なのでしょうね。人を観るのも難しいですが、美術品を観る事もなかなか一筋縄ではいかないもののようです。