No.75 白馬の王子さま(店主の一人言)後編
白馬の王子様と結婚したお嬢様のその後
その1
先日、私が親しくしていただいていたお医者様のお嬢さんが交通事故で急逝されました。私その日は 朝早くから携帯電話も圏外となって、連絡が取れないような場所へと出かけており、やっと帰廊しましたのが、午後の8時過ぎでした。普通なら従業員の姿は もうないはずの画廊に、灯りが点いています。「あれっ、どうしたのかな」と思いながら、ドアを開けました所、「社長、ああ良かった。お帰りなさい。お待ちしていました。今日は連絡が全く取れないものですから困ってしまって。もうお帰りになる時間だからと思って、首を長くしてお待ちしていました。」「ところで社長、社長が、いつもお世話になっているとおっしゃっていたN先生、あのN先生のお嬢様が、交通事故でお亡くなりになられたそうです。今日の7時からお通夜、明日午前10時から告別式だそうですが、どうなさいます?」「明日は朝からA様がお出でになることになっていますから、その時間にお抜けになるのはチョット無理かとおもうのですが。」と従業員のHが言います。彼女もうとっくに帰ってしまっている時間でしたが、その話を伝えたくてわざわざ残っていてくれたのでした。「こんな時間まで悪かったわねー」「それにしても困ったな。時間がないし、そうかといってあの先生のところは代理じゃまずいしね。」「そりゃーそうですよ。それに、お嬢様がなくなられたというのは、ご家族のお悲しみも一入でしょうから、こんな時こそ、社長が顔を出してお悔やみを言ってこられなければ。代理じゃ意味がないですよ。」「そうだねー。仕方がないか。くたびれたなー。それにしてもチョット遠すぎだよね。」お通夜の場所は、厚木の駅からタクシーで20分ほどの斎場です。今から出かけても10時近くになりそうで、時間的には遅いかなとは思いましたが、喪服に着替え、すぐに出かけました。
その2
斎場に着いた時には、もう式も終わってしまっており、皆さんお帰りになってしまった後で、人影もまばらです。型どおりお参りさせていただき、ご家族の方々にお悔やみを述べて帰ろうとした時のことです。1歳くらいの子供を抱きかかえながら、一人の女性が急いで入ってこられました。すらっと伸びた脚、均整の取れた美しいスタイル、色の白いその女性は、以前にお話したあのお嬢さん、白馬の王子様を見つけたと喜んでおられた、あのお嬢様に間違いありません。しかしどちらかというと控えめで、頼りなげだった、あの私の記憶にある女性とは、全く別人のようにどっしりと落ち着いた感じです。家の人にご挨拶していらっしゃるそのお姿には、昔のどこか頼りなげで、気弱そうだった面影は、何処にも見当たりません。しっとりとした色気を漂わせながらも、きりっとして、いかにもてきぱきとしていらっしゃいます。お焼香を済ませ戻ってこられるのを待って、「失礼ですがMさんではありませんか」と声をかけてみました。すると[Oさんでしたね。お久しぶりです。ご無沙汰しております。]「まあー、可愛いい、お坊ちゃん。もう一歳くらいかしら。」「そう。あと一ヶ月でお誕生日ですの。もう手が掛かって。」といいながらも、とても愛しそうに子供を眺めておられます。「そういえば、あれからどうしていらっしゃいました。確か、結婚されてもう5年位にはなりますわね。お幸せそうで。でもなんだか堂々としていらっしゃって、しっかり奥様家業が身についたといった感じですね。」と申しますと、「そうですか。何しろ主人が、お勤め先の仕事以外は、何もしない人ですから、なにもかにも家の事は任されてしまって。チョット世間ずれしたと思いません。」とMさん。「今日も主人の実家に頼まれて、代理でお参りさせていただいた所ですのよ。何しろ急な話で。主人の家から電話があったのも、つい先ほど。それでこんなに遅くなってしまいましたの。まあ、とるも取り合えずという事で、お参りに来させていただきました。それにしてもOさんも遅かったですね。今お見えになったのでしょ。」「そうなの。今日は一日中忙しくて、まだ、先ほど聞いたばかりだものですから。食事もしないで飛んできたというわけ。」「お互い大変ですわねー。それにしてもN先生、お気の毒でしたね。まだあのお嬢様、大学へ入られたばかりのところだったのでしょ。奥様は、もう挨拶もまともに出来ないといったご様子でしたものね。私だったら気が狂っているかもしれないわ。」「本当にお気の毒でしたね。人間、明日の事は解らないわね。」「ところでMさんのところは、その後お変わりありません?確か、お医者さんの所にお嫁入りされたと記憶しているのですが。」「えー、そうなんです。しかし世の中、そんなに甘くないですね。待っているだけで、ただただ甘い生活が、落ちてくると思っていたら、それが大違い。幸せは、自分で勝ち取る努力をしなければ、何も手に入らないということがつくづくわかりましたわ。」「へー、そうですの。白馬の王子様と結ばれたと、あんなに喜んでいらっしゃったのに」と私。「主人は相変わらず優しいわ。いろいろあったといっても、生活するという事は、こういったことの積み重ねなのでしょう。私だけが特別という事もないということも、解っているわ。普通といえば普通。他の人に比べたら、どちらかといえば、恵まれている方だとも解っています。しかし結婚前に想像していたのとは大違い。ともかく、何もかにもが、甘くないのよね。やっと現実の生活に、目覚めたという事かしら」という事で帰り道、いろいろお話を伺うことが出来ました。
その3
彼女以前に「新幹線で会いに来てくれた、白馬の王子様」という題でお話したお嬢様です。彼女の話によりますと、
主人は、とても優しい人ですが、大学病院の外科勤務の為、研究と臨床の両方をしていかねばならず、とても忙しい日々で,帰宅は12時過ぎか午前様、時によっては帰ってこない日もあります。新婚当初は、夜一人でアパートに待っていますと、気の小さい私など、心配やら、寂しいやら、怖いやらで、一睡も出来ない日があり、とても辛いことでした。いくら主人を信用しているといっても、電話もなしに朝まで帰ってこない日などは、まだ気心もはっきりとわからなかった時期だっただけに心配で、「浮気をしているのではないかしら」「交通事故にあったのではないかしら」「帰り道に強盗にでも会ったのでないかしら」などなど悪いことばかりが頭に浮かんできて、なかなか寝付けませんでした。また一人でいる時、アパートの階段を上がってくる足音が次第に近づいてきて、家の玄関の前で止まったまま、後何の物音もしない場合など、「強盗じゃないだろうか」とか、「痴漢がどこかから覗いているのでないかしら」と心配で、本当に怖かったものです。あくる朝、けろっとした顔で、「ただいま」と主人が帰ってきたときは、ほっとすると同時に腹が立って、恨み言の一言も、言ってやりたい気持ちでした。しかしまだ遠慮があって、そんなにストレートに怒るわけにもまいりません。腹に蓄えながら、なんとなく浮かぬ顔をしているのが、精一杯の抗議の表現でしたが、この黙っているというのも、結構それゆえにまたこれが、ストレスの原因になるのです。夕食も、新婚当初の内は、一緒に食べようと思って、支度をしたままにして、手もつけず、主人の帰りを待っていました。しかし帰ってくるのは不定期、手術に入ったりすると、何の連絡もないままに、夜中になってしまうのも、普通の事でした。そこでしばらく経ってからは、一人で先に軽く食べ、後は帰りを待って食べるようにしていました。しかし一人で食べる食事などというのは味気なく、あまり食が進みません。従って一口、二口箸をつけるだけで、後は主人を待っていたのが普通です。主人の話しによりますと、急患があって手術室に入ってしまうと、連絡のとりようがなく、それが長引いたときは、どうしようもないのだとのことです。しかしいつ帰ってくるか解らぬ主人のために、食事を暖めたり、冷蔵庫に又入れて冷やしたりして待っていますと、何か惨めな気持ちになって、涙が零れ落ちてしまいます。手術室に入る前に一言電話するか、看護婦さんからでも、言伝をしてくれればいいのにと恨みました。今、時間が経ってきて、解ってきたのですが、主人だって決して悪気があったわけではありません。ただ気がつかなかっただけのようです。私、あまり嫌な事をずけずけ言えないほうです。従って面白くないこと、悲しい事が起こった時など、口数が減って、つい涙が先に出てしまいます。それをいち早く察して主人は、「Mどうしたの。俺、何か怒らせるようなことした。」と聞いてくるような人です。そんな時、ボツボツ話をして、私がやって欲しくない事を、分かってもらうように努めています。お仕事の関係で、帰りの遅いのは変わりませんが、それ以外は、大体聞いて直してくれています。今では遅くなるときは、きちんと電話をしてくれますから助かります。
その4
私、結婚前の仕事が、主人の仕事と全く無縁というわけではなかった関係で、外科の医師が、大変な事は理解していたつもりでした。しかしさすがにこれほど忙しいとは想像もつきませんでした。特別の日とか、約束しておいた日とかに、突然、「何時に帰れるかわからない」というような電話があったりすると(再々あることですが)、気が滅入ります。結婚して最初のクリスマス・イヴの時もそうでした。「今日は早い?」と出掛けに訊ねましたら、「多分早く帰れると思うよ」との返事。王子様と二人だけで過ごすイヴというのは、私の子供のときからの憧れでしたから。もう楽しくて。いろいろ趣向を凝らしクリスマスの準備をしました。ところがその準備がちょうど終わった頃、電話。例の調子で「急に緊急手術に入ることになってしまったので、早く帰れない。多分夜遅くなると思うから、先に食べて、先に寝ていてくれていいよ。」との事。テーブルの飾り付けが、一瞬、涙で曇ってしまいました。その日はクリスマスにふさわしく、雪がちらほら舞って、私が子供のときに夢にまで見た、理想のホワイトクリスマスです。しかし悲しい事に、私の王子様は帰ってきてくれません。とても食事をする気になどなれないままに、外に出た私は、一人で近所を歩きました。新しく出来た住宅街のその町には、お洒落な家が立ち並び、どの家の窓からも幸せそうな、暖かい灯りが漏れております。湯気で濁った窓の明かりは、幸せな家族の一家団欒の息吹が感じられるようで、とても楽しそうです。空から舞い降りてくる白い物を見上げておりますと、孤独と寂寥で心の底まで凍てついてしまいそうでした。「私の王子様は、お仕事で忙しいのだから仕方がないのよね。命を預かっているのだもの。王子様だって、早く帰りたいと思っているでしょうに、可哀想。」と自分で自分に、言い聞かせながら帰ってきたアパートは、我が家の窓だけが、灯りも点かず真っ暗で、寒々としております。家に入った私は、何もする気になれません。食欲もありません。直ぐ床につく気にもなれません。エアコンもつけず、電気を消したままの寒い部屋の中に、じっと座っておりますと、アンデルセン童話に出てくる、マッチ売りの少女になったような気分です。[Mどうしたの。電気もつけないで]という主人の声に、ふと気付きますと、いつの間にかうとうとしていたようです。「だって。」といったまま後、言葉が続きません。「ごめん。ごめん。待っていてくれたの。顔拭いたら。」という主人の言葉に、あわてて洗面台の前に立ってみますと、目尻にくっきりと涙の跡。きっと眠りながら泣いていたのでしょうね。「遅くなったけど、これから二人のクリスマスしようよ。沢山ご馳走が並んでいて嬉しいな。もうめちゃくちゃ腹へって、死にそう。Mがご馳走作って待っていてくれると思ったから、これでも、何も食べずに、急いで帰ってきたのだよ。でも思ったよりは早く帰れてよかったな。まだ24日の内だものね。」言われて見上げた時計は、もう11時を少し廻っていました。しかし、王子様がお帰りになった我が家は、急に明るくなりました。部屋にも、私の心にも灯りが点りました。暖房の入った部屋の中は、急に暖かく、凍り付いていた私の心を、急速に融かし、テーブル一杯に飾られたローソクの灯りによって、部屋の中は魔法がかかったように、きらきら輝きだしました。「M。メリークリスマス。いつも寂しい思いをさせてごめんね。」といってプレゼントを差し出す主人。忙しい中を、いつの間にかクリスマスプレゼントの用意までしておいてくれた主人の心を思うと、本当に幸せでした。帰りが遅いくらいで、いろいろ思い悩んでいた自分が恥ずかしくなりました。むしろこんなに遅くまで働いている主人を、気遣うべきであったと思ったのです。現実は、童話の中の世界のように、甘いものではなく、厳しいもの、生きていくという事は、こういうことだから、これを耐えていくより仕方がないと、その時思いました。
その5
「しかしお医者様だから経済的には恵まれていらっしゃるのでしょ」と皆さんそうおっしゃってくださいますが、開業したらどうかわかりませんが、大学病院にお勤めしているうちは、それほどでもありません。大体年収500万円くらいかしら。医局費だとか、学会費、学会参加費、交通費、論文掲載費などなど払うと、殆ど残りません。主人が、夜当直のアルバイトに行って稼いできてくれるから一息ついているというのが実情です。「だってご主人御実家が、かなり金持ちだとかで、そちらからの援助があるのでは?」「そりゃいざというときは助けてくださるけれど、そんな再々頼むというのも気が引けて。お姉さん達の手前もありますし。」「しかしヒューストン大学に留学していた間は結構主人の実家から助けていただきましたけど。」「えっ、留学しておられたのですか。全部自費で?」「いーえ、向うの大学からも少しお給料が出ておりましたし、こちらの大学からもほんの少しですがお給料をいただいておりましたから、丸々実家にお世話になったわけではありませんのよ。」
しかしなるべく誰にも頼らなくてやっていこうというのが主人の考えでしたから、そりゃー、貧乏暮らしでした。自動車は日本製のもうポンコツ寸前のものを使っていました。家具は日本からもっていった物と、向うで主人の父親が買ってくれたもので用をたし、それ以外は、殆ど買いませんでした。外食は無論殆どしませんでした。しかしアメリカにいる間は、主人が、夜きちんと時間になると帰ってきてくれるし、周りの留学生も、皆似た境遇の貧乏暮らしで、貧乏も苦にならず、本当に楽しい期間でした。無料の英語会話の教室にも通い、いろいろな国のお友達も、沢山に出来ました。同じような留学研究生の人々と、貧しいながらも、時々パーティーを開いたり、パーティーに招待されたりと楽しんでいました。こんなとき、主人のお姉さんが時々送ってくれた日本食の食材が、とても役に立ちました。それにしても、アメリカでの生活は、こんなに少ない生活費でも、工夫次第で、何とかやっていけるということがわかっただけでも、大収穫でした。渡米して2ヶ月目にやってきた主人のお父さんと、お姉さんが、何にも家具の置いてない私達の部屋にびっくりして、「こりゃ駆落ち夫婦か」といいながら、3日間の滞在中、買い物に歩いてくれ、日常の家具とか、食器、寝具を取り揃えてくれたのは助かりました。学会の会費だとか、論文の掲載費用、学会に出席するための旅行費など、臨時の出費は、主人のお父さんが気を回しては、何もいわなくても送ってくれていましたから、考えようによっては、本当の貧乏のやり繰りだったとはいえないかもしれません。外の人から見れば、恵まれ過ぎと叱られるかもかもしれませんね。外国生活もさせてもらえたし、本当のお金の苦労もせずに済んでいますから、確かに恵まれているかもしれません。しかし娘時代に夢見ていた、王女様の生活とは全く違っています。なんといっても、市井の泥水の中を、掻き分け、掻き分け、進んでいかねばなりませんから、それなりに厳しいですよ。
その6
日本に帰ってからは、再び主人は病院と研究室の二股生活に戻り、毎日の帰りは夜遅く、まるで寡婦になったような暮らしです。しかし幸い、そんな生活にも慣れましたし、帰国して間もなく、子供が生まれましたから、それに時間をとられ、毎日が充実しています。その上、主人のお父さんに頼りにされてしまって、お父さんの家の仕事の手伝いも、せねばなりません。従って今は、結構忙しくしています。何しろ不動産賃貸物件の管理から、売買の立会い、義父の代理のお付き合いと、この年の人の経験しないような事ばかり、経験させられて大変です。今日だって、こんな遅い時間に駆り出されるのですものね。イエスとかノーも、はっきり言わなければならない立場になりましたから、結構世間擦れしてしまいました。ずいぶん嫌な事も、平気でずけずけ言えるようになって、もう「オバサン」ですよね。最近は主人が遅くなっても、あまり苦になりません。子供の世話をしていると、時間の経つのがあっという間で、待っていても苦になりません。主人も、子供は可愛いらしく、帰ってくると遅い時間でも、真っ先に、子供の寝顔を覗きにいきます。また風呂も入れてくれます。主人は子供と一緒に風呂に入いるのが好きらしく、寝ていても、起こして風呂に入れ、結構長い時間一緒に風呂場で遊んでいます。今では夫婦間の会話は、子供に関することが殆どです。家は子供を中心に回っています。おとぎの国の王子様とお姫様のお話は、もうとっくに過去の話となりました。“おぼちゃま”(むすこ)を中心にしての端女(はしため)生活に、甘んじている今日この頃です。しかしそれでもとても幸せです。自分の足で歩いている充実感があります。こう言い残して去っていかれる彼女の後姿はどっしりとして、なんと堂々としておられたことでしょう。