No.72 土手下のデンベイさん(土手伝さん)ふるさとの民話その1
その1
父の実家は岐阜市の南の端、かの一夜城で有名な墨俣という町の隣に在ります。今は家も多く立ち並んでおりますが、昔は一部落に十数軒程度といった、寂しい農村でしかありませんでした。子供の頃は、そこに祖父母(父方)が住んでいましたから 両親に連れられて、時々訪ねていっていたものです。この実家の隣、裏木戸を出たすぐの所に、小さな藁屋根の家が建っていて、そこに、頭の真っ白なおばあさんが一人で住んでおられました。その当時、いくつ位の歳の人だったか解りませんが、腰が曲がり 歯は抜け、顔がしわくちゃの小さなお婆ちゃんだったという記憶がありますから、随分の歳の人だったのではないかと思います。薄暗い家の中を 真っ白なザンバラ髪、曲がった腰で、土間の上を這ようにうごめいておられるそのお姿は、 子供の目には 昔話にでてくる山姥のように映っていました。 しかし、うす気味悪いのですが、怖いもの見たさで、気になって仕方がなく、祖父母の所に行く度に、 木戸のこちら側から、 お隣の様子をうかがっては引っ込み、うかがっては引っ込みしていた記憶がございます。
冬になるとおばあさんは、日当たりのいい縁側に座って、いつも糸を紡いでおられたものでした。そんなある日の事でした。当時8歳くらいだったと思いますが、父に連れられて、祖父母の所に来ていた私は、その日も、いつものように、時々覗いていましたら、それに気付かれたお婆さんが、 「おいで、 おいで」と手招きされます。
最初は気味悪がって、家の中に逃げ帰っていた私でしたが、手招きされては逃げるといった事を繰り返している内に いつのまにか警戒心も取れてしまったようで、やがて おばあさんの所まで遊びに行くようになっていました。おばあさんには子供はいませんでした。 ご主人最近は亡くなられたとかで(その当時のことですが)、一人暮らしをしていらっしゃって、とても寂しそうにみえました。私が訪ねて行くと、何時も、とても喜んで下さって、 芋の切り干し、焙豆、飴玉といったおやつを予め準備しておいては、手渡し、糸車の傍に座らせては、色々お話をしてくれたものでした。それは、自分の身の上話も在れば、お化けの話もあり、そして昔話も在りと、内容はさまざまでしたが、歯の抜けた口から洩れてくる木枯しのような枯れた声の話し振りは、妙に臨場感を伴っていて面白く、同じ話を繰り返される事があっても、とても楽しんで聞いておりました。
その2
こうしたお話の一つが伝兵衛(デンベイ)さんのお話です。尚その頃は普通の御百姓さんは苗字というものを許されていなかったので、伝兵衛(デンベイ)さんを区別するのに土手の近くにいる人は土手デン、溜池の近くにいる人はタメデンと言っていたそうです。此れは土手デンさんのお話です。
昔々、大川の土手の際(きわ)にデンベエさんという人が住んでおりんさったと(いました)。デンベエさんの所は貧乏で その上病気のオッカさんを、抱えとりんさったもんやから(抱えていましたから)、仕事もきちんとやれんかった(できませんでした)。そんだもんで(それだから) 小作させてもらっとった田んぼも、大部分を取り上げられてまって、ほんの僅かしか作らせてもらえなんだそうな。そんで、その日に食うもんも、のうて(無くて)困る時があるくらいやったけど、デンベエさんはどえらい(たいへんな)親孝行もんで、自分は食べるもんを食べんでも、オッカサンだけには、ちゃんと三度、三度、飯食べさせて、大事に、大事にしとりんさった(しておりました)。そうやって おっかさんの世話をしとりんさりながら、一寸でも間があると、田んぼにいっては よう働いとりんさった。ある時デンベエさんが、いつものように御百姓仕事を終って家へ帰ろうと思って、あたりを見んさると(みますと)、あんまり 仕事に一生懸命になっとったもんで、気付かなんだけど、あたりはもう真っ暗になってしまとったそうな。「コリャー、オッカが腹減らして 待っとりんさるで、 はよう帰ったらなあかんわ」といいながら鍬を担いで、田んぼ道を歩き出しんさった時じゃった。デンベエさんの前に突然、真っ黒な大きなもんが空から降ってきんさったと。ビックラこいて(驚いて)、腰抜かしてまったデンベエさんを、 鍵爪でぎゅっと掴むと、そいつは、パーッと空に飛びあがって そのまんま金華山に向って飛んでいったんやと。ついた所は金華山の天辺にある木の上で やっと気がついたデンベエさんがよく見ると、真っ赤な顔で 長い、長い鼻を持ち、口が顎まで裂けとる、恐い恐い顔をした天狗さんが、直ぐそばにおって、伝ベエさんの方をみとりんさったと。そんでもって「あんまりうまそうやないけど、まあ、今夜は、こいつでしょんがないか(しかたがないか)」といって、デンベエさんを八つ裂きにして食べようとしたんや。デンベエさんは、自分がここで食べられるのは、もうしょんがないけど 、腹減らして待ってござる オッカのことだけが心配やったもんやから 「オッカアが腹減らして待ってござるで、それだけ、何とかしたってもらえんやろか」と一生懸命頼んだんやと(たのみました)。そしたら、天狗さんは、なんか筒みたいなもんを懐から取りだして、デンベエさんの家の方を、暫く見てござった。そんでもって 「お前はほんとに親孝行な奴ちゃなー(奴やなー)。お前の孝行に免じて 今夜は、腹へっとっても我慢して、許したるわ」「 お前のオッカさんには悪かったもんで(ので)、 なんかお土産を持たしてやろうと思っとるが、何が良い。何でも好きなものを言ってみー」といってくれた。デンベエさんは夢かとばっか喜んで「ぶんたこ(お餅を餡やきな粉でつつんだもの)を腹一杯、食べさせてやりたいんやけど、それ、もらえるやろか」と聞いてみたんやと。そしたら天狗さんは[解った。そんなら、此れからぎゅっと目つぶっとれ(とじていなさい)。途中、何が在っても、目開けたらあかん]「もし目開けたら、そん時は、食ってまうでな」と言いんさった(いわれた)。そんでもって、デンベエさんは言われんさった通りに、ぎゅっと目つぶっておったんやと。しばらくたったら オッカさんの声が、耳元で聞こえてきたもんやから もういいんやろか(もういいのだろうか)と思って、目を開けてみたら、自分の家の中に座とって、 部屋の真ん中には ぶんたこ餅が 山ほど積んであったそうな。二人では食べきれん位多かったもんで、隣近所の人も呼んできて、皆して、旨い旨いといって、食べたそうな。
終わり
こんな民話を、繰り返し、繰り返し話してくれました。言葉づかいなど昔の事ですから、多少違っている所もあるかもしれませんが、多分こんな風な話し方だったと思います。色々な昔話の本を見ても このお話は、今迄読んだ事が在りません。このまま埋もれさせてしまうのは惜しいなと思ったものですから 思い出した今 、皆さんにお話しておきたいと思って載せました。みなさんの地方にもそのようなお話が、まだまだ埋もれているのではないかと思いますが、もしご存知でしたらお知らせ下さい。もし数がまとまりましたら、埋もれている昔話集として発表したらどうかと思っております。