No.50 ねぎ背負って鴨鍋に飛び込んでいっちゃいました。
ある朝のことでした。
従業員のFが電話をとりますと「もしもし、私、Sと申しますが、いつもおいだ美術のホームページ見させていただき、とても楽しませていただいておるものです。所でそれによりますと、絵画鑑定、高価買入とありますが、私、山下清のパステル画を持っているのですが、みて(鑑定して)いただけますでしょうか。良かったら売りたいとも思っているのですが、その時は、買っていただけるのでしょうか」と電話。
「無論よければ購入させていただきますので、一度画廊にご持参いただけますか」とうちの従業員のF。
「私、ちょうど今日会社の都合でそちらの方に行く用事がありますから、夕方ごろ寄らせていただきますので、よろしくお願いします」
「それではお待ちしております。所で後々、ご連絡したいときのこともありますので、一応電話番号をお教えくださいませんか」と聞きましたところ「仕事の関係で家にいないことがありますから、携帯の番号でいいですか」と相手。
「かまいませんからおねがいします《090-・・・-・・・・》にお願いします」という事で電話が終わりました。
電話を受けたFはとても喜びました。偶然彼女、山下清の絵を探していた所でした。と申しますのは、この電話があった日より4日前の事でした。中年くらいの落ち着いた男性の声で「山下清の絵、ありませんか。父親が山下清のフアンでして、今度喜寿の祝いに贈ってやりたいと思って探しているのですが」という電話での依頼を貰っていたばかりだったからです。Fが「申し訳ありません。今の所手持ちの山下の絵はありません。しかしよろしければ当店で探させていただきますが」と返事しますと「是非お願いします。苦労かけた父に、この際だから、親孝行をしたいと思っておりますので」と相手。
「それでどのような図柄の絵をご希望でしょうか」とF。「私山下の絵は全くわかりませんから、お任せします。お宅様の良いと思われる絵でしたら、それで結構です」
「それではご予算はどの程度お考えでしょうか」
「それも解らないのですが、今相場では、いくらくらいしているものですか」と相手。
「図柄と大きさ、出来にもよりますが、水彩で大体○○万円くらい、色紙で△△万円くらいからでしょうか、なるべくお値打ちにさせていただく心算ではおりますが。なお貼り絵のような大作につきましては、殆どが山下清の遺族か山下清の関係者が保有しておりますから、チョット今、手に入れることは難しいと思いますが。又万一市場に出てきたとしても、どれくらいの値段になるか見当も付きませんし」とF。
「イヤー。手に入るのであればなんでもいいです。値段もその程度の予算は考えております。大体家の親父、山下清の大フアンですから、彼の絵というだけで喜んでくれると思いますので」
「ところで、出来れば3月一杯の間に探してほしいのですが」という依頼があったばかりでした。さて売りたいという、お電話のあった日の夕方の事です。「私、今朝ほどお電話差し上げました、Sと申しますが,Fさんいらっしゃいますか。」と一人の男性が画廊に尋ねてみえました。応対のために出て行ったFの前に立っていらっしゃるのは、35歳前後の、身なりもきちんとした、サラリーマン風の男性です。
挨拶をするかしないかのうちに、包みの中から冒頭の絵を取り出し差し出されます。
『見ていただきたいのはこの絵なのです。実は私、今はお勤めの関係で京都に住んでおりますが、実家は千葉で、両親は現在もそこに住んでおります。私、ちょっとした仕事上のトラブルに巻き込まれており、至急お金が要ることになり、困って両親に相談しましたら、「そんな事情なら、仕方がないからこれでお金を作ったらどうか」と言って渡してくれたのがこの絵です。この作品は昔、山下清にご縁があった人から両親が手にいれたものです』といわれます。
渡された作品を見ますと、鉛筆とパステルで描かれた、山下の絵の中でも最も人気のある図柄、長岡の花火の絵です。
Fの頭のなかには、頼まれた人の喜ばれる顔が過ぎります。そこで嬉しさをかみ締めながら、「で、おいくらをご希望でしょうか」と切り出してみますと、「両親が言うには、これを手に入れるのに、謝礼やらなにやらで、かなり掛かっている。従って、少なくとも△△万円くらいは貰ってこいと言っておりましたが」とのお話です。
彼の提示されたお値段は、思っていたよりずいぶん安く、その値段で購入できるのなら、万一あのお客さんが買ってくれなくても、交換会で売って、充分採算が取れると思わせる値段です。
そこでFは、「そうですか。それでは社長と相談しておきますから、一日二日預からせていただけませんか」と切り出してみます。Fとしては真贋のことも心配でしたから、預かっておいて、その間に鑑定してもらおうと考えたわけです。ところがお客さんは「イヤー、申し訳ありませんが、先ほども申しましたような事情で、私チョットお金を急いでおりまして、ここ一日二日の間に入用です。従って今日、京都に帰る前に、何処かで売って帰りたいと思っていました。ですからそれでしたら、至急他を当たってみます」といわれます。
Fとしましては始めて扱う作家ですし、ずいぶん心配で迷いました。ちょうどその時いらっしゃっていた、親しくしていただいているベテランの同業者さんに相談してみましたが、「私もこの作家はあまり詳しくはないのでなんともいえませんね。ただ、確か山下清は千葉の八幡町にある八幡学園(後に市川市に移転)に入っていたと聞いた事がありますよ。従ってそちらの方から絵が出てきても不思議はありませんけどね。この絵の雰囲気も、この字(絵の裏に、署名と文章がついていました)のそれにも、いかにもああ言った施設にいた人のものらしい特徴をもってはいますけれどね」との返事です。Fもずいぶん悩みました。しかし彼女の頭の中に映画やテレビドラマの中の山下清のイメージが強く焼きついています。そのイメージからすれば、その絵も、字もいかにも彼のものらしく見えます。
しかし今になって、冷静に考えてみれば、買いへと気持を誘惑させた最大の原因は、4日前のあの電話であり、売却を希望されている価格の手頃さにあったのでしょうね。そのほかにも、絵を売りにきている人の人柄とか、そしていかにもありそうな絵について回っている、来歴などにも購入を決断させた誘引にはなっていたとおもわれます。
さて購入した絵、早速鑑定に出しました。ところが結果は、もう皆さんがご想像していらっしゃる通り「ノー」でした。絵は無論違っていますが、第一、サインからして違っていますといわれました。
早速売主の携帯電話に電話して連絡を取ろうとしましたが、そのときはもう携帯は不通になってしまっていて連絡不能でした。身分を証明した、社員証に記載されていた会社の電話番号を104に聞いてみましたが、そんな会社は見当たりませんという返事。結局騙されたというわけです。
その話を聞いた知人が「ひょっとすると、その買いたいといってきた人も、売りに来た人と、グルではなかったかな」と言い出します。それではという事で、ご注文作品のお探し状況を報告するということにして、電話をしてみました。
ところがこちらも何度電話を掛けても、不通です。(携帯電話でしたが)。客観的に考えれば、やはりこのご注文のお客様もグルだった可能性が強いという事でしょうね。
作品の買入に関しては、贋物にずいぶん注意はしているのですが、沢山の作家の中にはあまり取り扱った事のない作家の作品も出てまいります。こういったときは、普通鑑定に出してから購入を決めているのですが、毎日毎日の事、ついつい魔がさしてしまう事がでてまいります。
特にあまり高額でないとき、つい相手の口車に乗ってしまいます。この場合なども、買い付けに当たったFは、最初から警戒はしていたのでしょうが、目の前にぶら下がった利益、売りにきた人の巧みな話術、誠実で正直そうにみえる演技、新しい作家を扱ってみたいという画商としての開拓冒険心、そして支払うに手ごろな値段(たとえば100万円も出さねばならないとなると警戒しますが、それが10万か20万くらいまでですと、つい無警戒に財布の紐を緩めてしまうのが人情です)、そして頭の中で作られている作家のイメージによる、勝手な思い込みなどなどの要素がかみ合って、つい信用して、こういう結果になったのだと思われます。詐欺師の罠にはまって、葱を背負って鍋に飛び込んでいってしまったようなものです。葱鴨になって悔しいとFさんはなげいております。
資料によりますと、映画や、テレビドラマで作られた、放浪の画家山下清のイメージから(このことについては後で詳述する予定)、彼の贋作は非常に多く、中には作品展まで開いてお金を儲けている所もあるという話です。インターネットによる贋作の売り込みも少なくなく、このすぐ後にも、ヤフーオークションで購入したという話の贋物の売りこみがありました。他の業者さんの話でも、山下清の贋物が最近横行しているから要注意との話でした。
所で今回のお話ですが、今度の件で資料を調べながら考えて見ますに、これをたくらんだ人はそれなりに山下清について知っており、大変に巧妙なお膳立てをしてきているようです。
確かに八幡学園は千葉県にあります(山下清が入所した頃は葛飾郡八幡町、後市川市に移転)。また昭和15年11月学園を脱走、千葉県松戸、我孫子のあたりを放浪していた時期がございます。又22年から29年までの関東一円から次第に足をのばし、東北さらには九州四国と日本全国にまで放浪するようになっていった時期でも、放浪生活に疲れたり、行き詰まったりしたときには時々八幡学園(もうその頃は市川市に移転)にふらりと戻ってき体たことはよく知られています。
従って山下清について少しくらいでも知識を持っている人でしたら、その放浪の途中の出会いとか、学園関係であったとかいうことで、山下清から絵をもらっていた人がいたかもしれないからと納得させるトークの組み立てです。しかし実際にはこの時期には山下は殆ど放浪の途中に絵を描いておりません。
又一般の人にも殆ど知られておりませんから、彼の絵などは価値を認めてくれる人もいるはずもなく、もし何かの対価にと絵を差し出したとしても(彼自身もその時期は自分の絵の価値など知りませんからそんな事をするはずもありませんが)、貰ってくれる人いなかったでしょう。ここにまずこの話のきな臭さが臭います。所で山下清といいますと、映画、演劇、テレビドラマの影響で(中でもテレビドラマ、裸の大将放浪記での芦屋雁乃助の好演によって創られた山下清像のイメージが強いように思われます)人が良くて、無欲、天真爛漫、無邪気で神様のように純粋な心の持ち主である山下清が、日本全国を放浪し、その時のお礼に、あちらこちらに自作の絵を置いてきたと思われがちです。しかしそれは人柄についても、放浪中にかかれた絵についても、全くの誤解です。
ここでは、絵について考えて見ますに、実際の所は、昭和29年、朝日新聞によってジャーナリズムの世界に華々しく登場するようになるまでは{実際には昭和12年、早稲田大学で開かれた八幡学園児童達の小展覧会を契機に、17年にかけ、特異児童作品として一大センセーションを呼び、(仲でも山下の貼り絵は注目度が高かった)作品集まで出版されていますから、再登場という事になりますが、その当時は、一般大衆にまで名前を知られるまでにはいたらなかった)、殆ど世間には知られていません。したがって彼の絵が宿泊などの代わりになるなどという事はありえませんでした。
又その頃までは彼自身も自分の絵がそれほどの価値を認められていることを知らず、宿泊とか、食事の対価として通用するなどといった発想はありませんでした。実際それまでの彼は、放浪中に絵を描いたという形跡は殆どなく、学園に帰ってきたとき、放浪中何をしていたかの報告という事で、(放浪中の日記と一緒に)先生に義務として描かされたものがあるだけと思われます。そしてそれらは学園でしっかり管理されておりますから、その時代のものが世間に出てくることは考えられません。それでは昭和29年5月から30年7月までの有名になってから後のある程度学園から公認された形での、放浪時代ではどうでしょう。確かにその時の旅行では山下自身も言っているように、放浪の絵師として(このときから全国的に有名になりましたから、もはや放浪者ではなく絵師としての扱いを受けるようになっております)、絵を買ってもらって、それで汽車に乗ったり、弁当を買ったりしております。その間に50枚くらいのクレオン画を描いたといっています。したがってその時代のクレオン画や、鉛筆画やペン画、そして素描に色をかけた水彩といった作品が、流通市場に出てくる可能性はあります(文献によりますと、簡単なペン画程度のものが多いようですが)。しかし彼がそれらについて殆ど語っていない所などから考えますに(山下清は記憶力が非常に良く、彼の放浪日記なども、学園に戻ってから、記憶に従って書かれたものというほどの記憶力です)、絵画として市場の評価に耐えるほどのものは、それほど多くの数があるとは思えません。油絵は富山で2枚、熊本で一枚描いているのみ。貼り絵のほうは、天竜峡で2枚、信州の下平で1枚、小野で1枚、小倉で観音様1枚とほかにゴッホのアルル風景を描いたのみといっておるように、貼り絵や、油絵に関しては、大体、作成された作品と場所がはっきりしております。
したがって、出自のはっきりしていない油絵や、貼り絵は殆ど怪しいと言っていいと思われます。理論的に考察しても、貼り絵1枚に25日から3ヶ月も掛かるといった貼り絵の製作日程から考えても、僅か1年3ヶ月の期間の間に、旅の間を縫って、彼が述べている以上の数の作品が製作されているとは、とても考えにくい話です。彼がこの期間に、ほかにいろがみを貼って造ったものとしては(絵画としての山下の貼り絵と区別するため、敢えて、この表現としました)、数種類のいろがみを使って作った、肩章とか飛行機のマークといった小品があるだけのようです。これらは、描いて欲しいと、うるさくせがまれたときに、それに応え、その場のエンターテイメントとして、貼り絵の実演を見せると言ったことで、作ったものと思えます。それでは、その放浪を終わってからの30年7月以降ではどうでしょう。それ以降は、式場隆三郎、俊三、弟の辰造たちの目の届く所での製作となっておりますから、ただ一度の例外を除いては、殆どの作品は彼等の管理下にあったもので、もし売り物がでてきた場合でも、その出自ははっきりしているものと、考えていいと思います。
この例外というのは、昭和32年3月11日の未明に、プチ家出を試みた事があるのですが、その時、手持ちのお金を100円しか持っていなかったので、大阪行きの車内で、絵を描いて売り、お金を作ったときのものです。色紙にマジックインクでカーネーション、ダリヤ、露草、金盞花などを描いたもので合計30点くらい売ったと言っております。他に、展覧会への出展予定だった、30号の大作、鳥取の砂丘(貼り絵)も、このとき1000円という安値で販売してしまったという事です。なおそれ以降の作品で、市中に出ている作品群としては、展覧会の際、(清美社を通して、)絵葉書などと一緒に売られていた色紙(しきし)が存在します。この色紙は主に花火の図柄が多かったとのことですが、山下は展覧会での販売用のこの色紙を、一日に4~5枚は書いていたとの話もありますから、かなりの数が、街にでているものと考えられます。しかしこれらの作品は、その当時は、物珍しさから買われたものがほとんどで、彼の作品の価値を認めて買った人は少なかったと思われます。従ってそれらの作品の多くは、喪失したり、汚染したりしてしまっており、今日、市場に出てきうる状態の作品としては、それほど数があるとは思えません。
こういった状況ですから、私どもが購入しましたような、鉛筆にパステルといった6号くらいの山下の絵も、非常に少ないでしょうが、存在する可能性が、絶対にないとは言い切れません。ここにも詐欺しようとする人たちの、巧妙な罠を感じます。
それでは絵に関してはどうでしょう。他のフエルトペンで描かれた作品と比較していただくと一目瞭然、風格が違います。このパステル画は、第一印象として、雑然として、小汚い感じです。更に細部を見てみますと、花火などを描いている、鉛筆の線があまりにも自信なげで弱々しく、しかも太さも均等ではありません。ところどころ花火の線などに、撫でたような跡も感じられます。彼の絵日記などの素描などと比較しましても、チョット考え難い描き方です。又彼の絵画では、直すとか消すということは殆どしておりません。描き出すときにはもう頭の中に構図が決まっているかのように、最初から力強い線で、そして最後まで同じような筆圧で描いております。従って此の点でも違和感があります。見物する人々の描き方にしてもあまりにも乱暴で不ぞろいです。彼の几帳面な性格から考えても、こんな手抜きのような、群集を描くとは考えられません。他の彼の絵では、隅々まで点のような細部にいたるまで、非常にきちんと、しかも同じような筆圧で描かれています。
それでは書かれている字はどうでしょう。
裏に書かれている文言はいかにも山下清の書きそうな言葉がならんでおります。しかし彼本人の書いた文章には句読点がないといわれております。最初から最後まで一つの文章としてだらだらとつながっています。
著作になっている山下の放浪日記などの文章の句読点は、編者が読者の便を考えて、後から打ったものです。従って、この文章に句読点が打ってあるということは、この一事をみても、これが駄目だという事がわかります。多分これは放浪日記か何かから抜粋してきて書いたものだと思われます。一般的に、知能障害のある人は、絵の場合でも、文章の場合でも、余白を残さないといわれています。山下清の場合でも、余白は残さなかったとのことです。従ってこのようにきちんと余白を残して書いてあるのも、おかしなことです。
又書かれている文章の一字一字にしても、その字配りにしても、あまりにも乱雑で、乱れております。
彼に関して書かれた文献で調べてみましても、明らかに違います。こういった施設にはいっていた人だから、この程度の字で、こういった字配りになっていて当たり前、むしろこういった字だからこそ彼の字としての、信憑性が高まるのだといった贋作者の思惑が透けて見えるような厭らしい書き方です(トークとしては自分から山下清といっていません。まず見て欲しいという形をとって、刑法的には詐欺とならないように仕組んでいます)。
最後に署名も全く違います。詳しく言えば次の贋作作成時の参考にされてしまいそうですから、省略させていただきますが、それにしても山下清画伯に対して失礼な文字です。彼の字はもっと上手できれいです。
こういった放浪の画家の作品には、山下に限らず昔から贋作事件が付き纏います。何しろ放浪中の行動がはっきりしないために、それに乗じて偽者が跋扈しがちだからです。しかしここに述べておりますように、山下清の作品に関しては、殆ど出自がはっきりしたものばかりで、出自のはっきりしない作品は、水彩とかペン画のような程度のものを含めて、それほど多く流通していないと考えた方が賢明のようです。お買いになるときは、私どもの失敗を他山の石として、くれぐれもご用心ください。
参考文献 山下清のすべて:サンマーク出版編集部・サンマーク出版
裸の大将一代記:小沢信男著・筑摩書房
裸の放浪画家・山下清の世界:池田万寿夫・式場俊三著・講談社
山下清・山下清放浪日記:山下清著・日本図書センター
山下清画集:式場俊三編・ノーベル書房
山下清放浪日記:式場隆三郎著・現代社
※山下清の作品をホームページ上でご案内しております。 >山下清ページ