No.47 この罰当たり奴が(仏様のちょっとした懲らしめでよかったけれど)

私の親しくしていただいている社長さんの一人に、大変なしまり屋さんの人がいらっしゃいます。その人会社も隆盛でじゃんじゃん稼いでおられ、家柄も良いところの出の人なのですが、どういうわけかとてもしまり屋さんです。巷でいわれるケチとはちょっと違っていて、出す時は気前よく出されるのですが、不必要と思われるものにはそれこそ咳、くしゃみでも出したくないといった徹底ぶりの人です。毎日の食事も非常に質素で、接待などで他の人と一緒に食べられるときは別として独身なものですから、平静はスーパーでお惣菜を買ってきてそれで済ましてしまっておられます。身内の人などが上京してきて、贅沢をという場合でも、せいぜいファミリーレストラン系統に連れて行かれるといったしまり屋さん振りです。
私の父は観音様をとても信仰しているものですから、時々代わりに浅草の観音様に御参りさせていただいています。

ある時、このお方を誘って一緒にお参りに行きました。彼、もともと東京の生まれの方ですから、浅草などは自分の庭くらいによくご存知かと思っていましたら、子供のとき以来だとのことで、何もかにもが珍しいらしく、仲見世通りをきょろきょろ見ながら歩いて行かれます。しかしながら財布の紐はしっかり閉じていらっしゃいまして、なにも買おうとされません。
「折角いらっしゃったのですから、お土産でもどうですか」と水をむけても、全く乗ってこられません。「私、昔から『見ているだけ』の主義でして、例えば百貨店の地下食品売り場に行った時でも、試食品は頂きますが絶対に買わないことに決めているのですよ。」とおっしゃいます。

さて観音様に御参りという時の話です。彼はちゃんと口をすすぎ、手を洗って本堂にと神社仏閣の参詣の礼に則って(のっとって)きちんとお参りされます。お参りの仕方も真摯で両手を合わせて熱心に祈られ、まんざら(必ずしも)無信仰とも思えません。
ところが社長さん、お賽銭はなんと一円しかお上げにならなかったのです。「社長さん、それはないですよ。社長さんのようなお金持ちが一円とはいくらなんでも少なすぎませんか?折角お参りなさっても効き目がありませんよ」と申しましたが、
「いいの、いいの。大体仏様のところと現世では、お金の価値が違っているのですから、観音様はこの世のお金の額など問題にされませんよ」とおっしゃって涼しい顔をしていらっしゃいます。お参りも済ませられましたから、もうそのままお帰りになるかなと思っていましたら「ちょっとお御籤(みくじ)を引いて来るわ」といってお御籤を引きにいかれます。「だけど社長、お御籤はお金がかかりますよ」と少し厭味を言いますと「そりゃ仕方がないですよ。坊さんのお祈り料だとか、売上げ手数料、紙代、印刷代などといったこの世の人間の手が入っていますから」とおっしゃって、普通にお金を払ってお御籤を引かれます。こういうふうに自分の理屈にあったお金はけちられないのです。私も一緒に引いたところ、私のお御籤の結果は「吉」と出てきました。ところが社長さんのはなんと「大凶」と出てきたのです。
「やっぱり社長さんのようなお金持ちがたった一円しか お賽銭を上げなかったから、観音様が怒っていらっしゃるのですよ。お願いする以上、分相応に差し上げなくては失礼になりますよ」
「大体お御籤の中に大凶などというのは殆ど入っていないというのに、大凶が出てきたというのはそりゃよくよくのことで、これはきっと罰をお当てになったのですよ」と面白半分に少しからかって脅してやりました。
さすがのしまり屋社長さんもこれは少しこたえたと見えて「フーン、そうかな」といわれるだけで、何時もの反撃がありません。さてこの後、とくに社長さんに悪いことが起こったとも聞きませんから、別に何のこともなかったわけですが(お願いされていたことが叶ったかどうかはプライバシーに関わることですからお聞きしていませんからわかりませんが)、もし本当に仏様がいらっしゃったら「このドけち野郎め、ちょっと悪戯してやろう。」といったお心だったのでしょうね。
それにしてもこの社長さんはやっぱりけちですね。