No.44 馬子にも衣装、絵には額縁

皆さん絵の展覧会に行った時、何を見てきますか。

こんなことを聞けば「変な事を聞きますね。聞かれるまでもなく、絵にきまっているでしょう。」という返事が返ってくる事でしょう。それが普通 の事です。
こういう私だって、このような商いの道に(画商)入る前は、展覧会にいっても、絵を見てくるだけで、額縁などに注意を払った事は全くありませんでした。

ところで先日、ある有名な額屋さんにお勤めしていらっしゃったことのある職人さんとお話する機会を得ました。その額屋さんというのは、コレクターや画廊からは○○堂の額に入っている絵なら、絵そのものも信用できるといわれ、新進の画家達からは、○○堂の額に入るような絵を描けるようになりたいと言われているくらい超有名、業界の人なら誰でも知っているような額屋さんです。
そしてそこの職人さんだったこの人もまた、梅原先生を始め、杉山先生、高山先生など、日本の一流といわれてきた諸先生方と面 識のあった人です。
その職人さんが言うには、どの先生方も額の注文にさいしてはとても厳しく、額の色や作りは言うまでもなく、額のマットの数ミリの違いや、マットの布の模様、材質等など細かく指示され、自分の気に入る迄何度でもやり直しを命じられたというのです。
作家にとっては 額は絵画に着せる衣服のようなものだったようにみえたというのです。我が子のように大切な自分の絵画が 最も魅力的にみえるよう、最も強く自己主張出来るように、細心の注意をはらっておられたといいます。

それは日本料理における器と料理の関係のようなものです。にもかかわらず画商になる前の私は額縁等というものは絵の添え物ぐらいの認識しかなく、全く関心がなかったといっても言いすぎではないようなありさまでした。
しかしこういう職業(画商)についてみますと、額縁によって絵の印象が全く違ってくるのが解ってきたのです。どんな素晴らしい絵でも、額縁が合わないと、死んでしまいます。
先日もN画伯の静物画を扱ったことがあるのですが、買ってきた時は暗いマットで囲まれた額縁にはいっており、絵に広がりがなく小さな画面 の中で「ちんまり」納まっているといったような感じの絵でした。

ところが思い切って明るい金色の縦縞のマットに変えてもらったところ、描かれた対象物が画面 の外にまで広がって感じられるようになったのです。大きく、明るく、伸びやかに画面 の中で息衝いて(いきづいて)いるように見えだしたのです。
こんな訳ですから、私は額に随分気を使っております。そのため額屋さんに注文をつけすぎて、額屋さんの気分を害してしまった事もあります。私は絵画がその絵にふさわしい額にはいってないと、絵がかわいそうな気がして腹が立つのです。
しかし額屋さんの中にはそれをご理解願えない方もいらっしゃるので不思議です。情けなくなります。

ところが最近時々お願いするようになった額屋さんはちょっと違います。前に申しましたような超一流といわれるような額屋さんではありませんが、仕事は隅々までキチンとして下さいます。
しかも隙がなく、マットの大きさや色、模様、額縁の色や作りといったところまで、こちらの意図を理解され、絵がところを得たような顔をして納まって戻ってくることが多いのです。
ひょっとするとその額屋さんのところの職人さんの誰かと私との感性が合うだけかもしれませんが、ともかく今はとても幸せです。そうは申しましても、私凝り性ですから、額屋さんには悪いなと思いながらも、つい一生懸命になり過ぎて、何度も駄 目出しをしてしまうことがあります。

しかしそういった面倒な注文に対しても、決して嫌な顔をされることはありません。
何度でもやり直しを受けてくださいますからとても助かります。それどころか勉強させていただけるだけで幸せですといっていただけるのですから、その謙虚さに感心させられます。
そのせいか、その額縁屋さんに頼んで額を作ってもらった絵は、この不景気にもかかわらず、比較的足早にお嫁に行くようです。

皆さんも展覧会などで絵を観られる時は、ただ絵を観てくるだけでなく、額縁も含めての絵の雰囲気を味わっていただくといいと思います。そうしますと又別 の絵の楽しみかたが出てまいります。特に絵に画家自身が選んだ、オリジナルな額縁が付いているような場合は、その額縁にも画家の創作活動の意図が息衝いているのです。従ってその点も含めて味わってきていただけたらと思います。