横浜みなとみらいの横浜美術館で開催中の「東山魁夷展の入場者が20万人を超えたというニュースを新聞が報じていました。実際私が訪れた時も、日曜日であったせいもあってか美術館の前は入場券を買い求める人が長蛇の列、やっと館内にはいってからも人、人、人で立錐の余地もなく、とてもゆっくりと鑑賞できるという状態ではありません。説明文を読むのも 立ち止ると鑑賞する人の流れが妨げられ 迷惑をかけそうな気がして遠慮しなければならないといったありさまでした。
しかしその内容は大回顧展と称されているだけあり、東山の初期から晩年に至る代表作の殆どが網羅展観されており、圧巻です。彼の芸術の全容を理解するにはまたとない機会を提供してくれていると思いますので、もしお見逃しの方がいらっしゃいましたら、この後4月3日から神戸美術館でも開かれるそうですから、そちらの方に是非足をお運びください。今までたくさん展覧会を観てまいりましたが、一人の作家の展覧会でこれほどの人が集まったのをみたのは、私の記憶では始めてです。「本当に日本人は東山魁夷が好きなのだな~」ということを実感させていただきました。
東山魁夷の絵画に対する日本人のこのような突出した人気はいったいどこから来ているのでしょうか。その一番大きなものは、やはり東山絵画に含まれているその精神性にあると思います。
彼の作品を見ていますと自然に「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」といった芭蕉の「奥の細道」の一章や「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」といった俳句が口をついてきませんか。
私には何かを求めながら漂白する、孤独な旅僧の姿が浮かんでまいります。特に彼がその作品でもって技法を開眼し、名声を確立したといわれる、「残照」だとか、「道」といった絵画にはストイックなまでに一筋に、道を求め続ける孤独な人間の魂の叫びが塗りこめられているような気がしてなりません。
こんなことを申しますと東山のファンだとか、研究者から「ぜんぜん生き方が違う」「彼らのような破滅的な人格ではない」などと非難を浴びるかもしれませんが、精神面では、種田山頭火の漂白人生や尾崎放哉の孤独と求道心と相通じるところがあり、その一途な純粋性や、そして常に何かを求めてさすらい、行く姿はそれ故に私どもを魅了して止みません。
東山の「青響」や「青い峡」「青い山峡」「山霊」などには「分け入って、分け入っても、青い山」だとか「この旅、果てもない旅の、ツクツクボウシ」「この道しかない、春の雪降る」と詠んだ孤独の中に俳句の道を求めて終生漂白し続けた山頭火の心境がダブって映し出されてまいります。
東山の「白い馬の見える風景」のシリーズを見ていますと、「咳をしても一人」と詠った自由律句の俳人尾崎放哉に感じる様な、死線をこえてきた人の孤独な寂寥感や不安といったくらい情念が、そして救いや安らぎを求める心境や祈りが、画面を透かして見えてまいります。事実東山は彼の著書等の中で「芸術は所詮感覚をとおして精神にいたる道である。浮世の塵を洗い流すことなどこの実生活の中では出来るはずもなく、芸術にしがみついて生きていても苦悩と喜び、対世間への反抗と妥協、栄誉。金への執心など消しさることは出来ず、心はいつも純とは行かなかった(遍歴の山河・東山魁夷著・日本図書センター刊)とか「私も暗黒と悲しみを胸に深く蔵しているが、苦悩を明らかに人に示したことはない。しかし暗黒と苦悩を持つものは魂の浄福と平安を祈り希うものである。私の作品にあらわれる静謐、素純はむしろそれをもたぬ故に希望する切実な祈りとも言える」(20世紀日本の美術8巻東山魁夷/福田平八郎・集英社刊・岩崎吉一解説文中、東山の言葉より引用)などとまるで修行僧のようにひたすら純粋たることを求め、孤独のうちに漂白する心を告白しています。こうした彼の行き着いたところが、青で表す風景の世界であり、そこにある純にして清澄、それでいて厳しく静謐(せいひつ)な世界は、彼の求めて止まない心のユートピアを写し出した鏡のではないでしょうか。その中には、彼の穏やかな風貌や常識的且つ社交的な言動からは想像もつかない、心の葛藤の痕跡が、隠されているのを見る思いがいたします。
しかしまた、ここが東山絵画の山頭火や放哉の芸術と大きく違うところで、後者等はその葛藤のうちに身を持ち崩したまま、やり場のない心の動きそのものを芸術として表現してきています。これに対し、東山の場合はそのような思いや葛藤は、深い、深い湖の底に沈潜させ、人生に対する諦念の静かな水面で覆い、こうして得ることが出来た、調和と昇華しきった、静謐な心境を芸術として表現されてきているところです。
「二つの月」「みずうみ」「湖岸」「沼の静寂等々、彼の絵画に静謐にして清澄な湖の図柄がしばしば出てまいるのはこのような心の動きの一つの表現であったであろうと推察されます。そしてこのような静謐な世界、あたりの風景の中に溶け込んでしまいそうな透明にして清冽な生き方は、私どもの日常生活においては、憧れても実現できない世界であるだけに よりいっそう私たちの心を惹き付けて止まないのでしょうね。
彼の絵画の前に立ったとき、波立つ心は安らぎ、厳粛にして静謐な風景に溶け込み、同化し、心が洗われていくような気持ちにさせられると思いませんか。このような東山の世界はどこからきているのでしょう。
彼が著書などで述べていることから推察しますに、一つは古く平安の昔から文学などを通して日本人の心に育まれてきた仏教的な諦観に基づく宿命論的な人生観や、輪廻の思想、そして仏教伝来以前から日本人の心に根付いている汎神論的素朴な信仰心にあると思われます。そしてもう一つは彼の生い立ってきたその環境にあるのではないでしょうか。東山のそのような思想は、東山がその著書の中で「運命が来たら逆らわない、ある程度受身で流される」とか「私は生かされている。野の草と同じ、路傍の木石と同じ、生かされているという宿命の中で精一杯生きたい」、「異質な両親の間には相当深刻な問題があって、まだ小学校に入ったばかりの頃から、人間の間にある愛憎とその業とも言うべき姿を見てきたのである」「ようやく春が来る。芽の開く時の喜び。しかし、あの地上に散っていった葉は、今は朽ち果てて土に還っていく。・・・これが自然であり、お前だけでなく、地上に存在する全ての生あるものの宿命である。・・・一枚の葉の誕生と衰滅があってこそ、四季を通じての生々流転が行われる。・・・私が庭の一枚の葉を観察して得た諦観というよりは、一枚の葉が生と死の輪廻の要諦を、私に向かって語ってくれた言葉なのである」「仕事でも何でも、新しい展開が生まれるときは、絶えず自分を超えた運命的なものに動かされる」などとしばしば語っている言葉の端々からも推察されます。そのような思想に裏打ちされた東山絵画は、「月篁」「花明り」「青響」「二つの月」などなど、東山の画面に登場する自然は、科学的に分析した、無機物の集合体としての月や湖、山ではなく、また単なる有機体の集合物としての森や桜でもありません。日本人の心に古の祖先の代から受け継いできた、私たちの祖父や祖母たちが自然に手を合わせ、頭を下げていた、祈りの対象としての自然、人間を超えた大きな力の存在を感じてきた自然です。
彼の絵画の前に立つ時思わず敬虔な想いに囚われるのは、このためで、現代日本人の心の奥底に眠っていた、古の祖先の記憶が甦ってくるからだと思います。