No.20 パフォーマンスか悪戯か(偏見的現代美術鑑賞法)
いろいろ固い話ばかり続きましたから、ちょっといい加減ウンザリされてきているかもしれませんね。そこで少し本題から離れた別 のお話を挿入しながら現代美術についての私の考えかたの一端を披露させていただきたいと思います。
街を歩いていて面白い事や思わぬ出来事に遭遇した事はありませんか。これは最近のある朝の経験です。朝のラッシュ時、満員の地下鉄から開放されてエスカレーターに乗りました。私はどちらかというとせっかちなものですから、エスカレーターに乗ってもじっと立っておれず、すぐ右側をずんずん歩き昇っていく癖があります。その日もご多分に洩れずエスカレーターを歩き上がっていきました。するとエスカレーターの左側やや中央よりのところ女性が立っているのです。髪の長いすらっとした女性で、何かタブロイド版の新聞のようなものを一生懸命読んでいます。右肘の所に大きな籠を下げているものですから余計に通 りぬけがし難くなっています。「じゃまっけだわ。何しているのかしら」と思いながらもすぐ通 り抜けるのは遠慮して、 少し後ろに立ち止まりました。その時ふと読んでいるものを見ますと、号外のようで、大きな見出しで「東北新幹線首無し殺人......」となっているのが読めます。「へー。大変な事が又起きているんだわ」と思いながらも、気の急くまま、その狭くなっているところを通 り抜けていこうとしました。
そのすれ違いの際のことです。籠の中身を見るともなく見てみますと「何と何と何と」その中から女の首が覗いているではありませんか。少し額にかかった茶色の長い髪、ぱっちり開けた目、きゅっと締めた真っ赤な口が見えます。思わずギョッとして女の顔を振り返って見た瞬間、その女はにニヤッと笑いかえしました。「あれっ?」と思ってもう一度籠の中をよくよく見直してみますと、その女の首は......無くなっていたといったら怪談になるのでしょうが、残念ながらそうではなくてマネキンの首だったのです。そうですマネキンの首が籠の中にちょこんと据わっているのです。 でもわざわざ号外のようなものまで作って 人を引っ掛けるなんて、敵ながら「あっぱれ」と思いませんか。この場合この女性が何を目的でこのような事をされていたか解りません。ただ悪戯を楽しんでいるとしたのなら、十分初期の目的は達成された訳でしょうが、もしパフォーマンスとしてやっているとしたら、彼女が提示されようとしたものは何だったのでしょうか。今でも推測しかねています。しかしそれはそれで、驚かせ、楽しませ、そしていろいろ考えさせたという意味ではパフォーマンスとしても成功だったのではないでしょうか。
ところで、現代美術と聞いただけで、難解、理解不能とばかりに始めから拒絶反応を示される人はいませんか。私の祖母などはけっこうモダンばあさんでしたが、ピカソ以降の絵画には全く無理解で「あんな物、どこが良いの」というのが口癖でした。 しかし以前、横浜で開かれていた現代美術展に行った時の事ですが、子供たちは難しい事を考えなくて、唯々単純に展示を楽しんでいるのです。あちらを覗き、こちらに登りと まるで遊園地に来て遊んでいるようです。
それを見てつくづく思ったのですが、解らぬ物をいろいろ推し量 って悩む事はないのではないかということです。
子供がやっているように、ただ単純に 驚いたり、不思議がったり、感動したり、悲しんだり、憤慨したり、安らいだりと自分の感じるままに楽しむ、これが現代美術理解への最初の取っ掛かりになるのではないかと気付いたのです。
試験の時の模範解答等からもおわかりいただけるように、だいたいにして言葉で表してある文章ですら、作者の真意を計り兼ねますのに、まして何の説明も無い展示物のような抽象的なもので、作者の真意を正確に見抜くなどという事は無理な話しだと思えばいいのです。
特にパフォーマンス等の場合、遊び心とか、悪戯心もかなりな部分を占めているように思いますから、あまり難しい事を考える事なく、作家といっしょにその中に参加し、共感し、わっと盛り上がってくれば良いのではないでしょうか。そしてその様な行為を通 じて 作家が表現しようとしているもの、問題意識を おぼろげながらでも透かし見る事ができればもっと良い事なのでしょうけれど‥。