No. 8 美術品と贋物
テレビの『何でも鑑定団』でもおわかりのように、美術品に贋物がついてまわるのは昔から避けて通 れないものの様です。私の父などもそれで痛い目に会っている内の一人です。 父は骨董品中でも古い陶器を見るのが好きで、若い時は暇さえあれば骨董屋に顔を出していたものです。
先日帰った折、おいだ美術のホームページを見た父が、「これを見てごらん」といって、私に押し入れの中を見せてくれました。押し入れの中の半分にはぎっしりと古そうな箱がつまっています。箱の表面 には大明万歴年製とか古織部、初期伊万里等などといった文字が並んでいるではありませんか。
私も父が美術館ピースに相当するすごい中国陶器を集めていた事を知っていましたので(今はこれらの品は銀行の貸し金庫に保存してあるので見せてもらえませんが)思わず「これどうしたの?」と聞いた所、「実はあれだけの陶器を集められるようになるためには、これだけいろいろ勉強させられたんだよ」「ここにあるのは、皆時代が違うまがい物だよ」 と言うのです。
「骨董の世界は難しくて、よほど店を選ばないとひどい目にあうんだよ」「特にいろいろな道具立てそろっている時ほど怪しまないといけないのに、どうしてもその舞台回しと道具立てに騙されてしまうんだよ」といいます。 そして父の騙された手口をぼちぼちと語ってくれたのですが、それがとても面 白いものでしたので、前回の予告を変更してこの話を先にのせることにしました。
(父の話 その1)
ある骨董屋さんから福井の方のお寺で、何でも当時の皇后陛下ゆかりのお寺から、素晴らしい中国陶器が売りに出されるようですから見に行きませんかと誘われた時の事です。そこの僧侶が道楽をして借金をこしらえて困っているので、お寺の家宝を売りに出すと言うのです。
骨董の収集家のいけない所は、物には値段があり、きちんとした品はよほどの事がない限りきちんとした値段を出さないと買えないものなのに、いつも掘り出し物を夢見る事です。
売りに出されるという品物の一覧表を見ただけで、わくわくどきどき期待に胸が膨らみます。 宋代の油滴天目茶碗だの、南宋の青磁の香炉、古荻、古備前、大井戸、とまさに収集家にとっては垂涎の品々ばかりです。値段も一括して買った場合の相場の三分の一位 、それこそ本物ならすごい掘り出し物です。
訪ねていったお寺は大変立派な由緒ありげな寺で、それだけでもここなら間違いないと確信させられるような立派なお寺です。通 された座敷に掛かっている掛け軸も由緒ありげです。いよいよ期待に胸が弾みます。宝物館に案内してもらいましたところ、古い箱がずらりと並び、それに雅やかな字体で宋代花入れ銘何々、大井戸茶碗銘何々等と記してあるではありませんか。もう嬉しくて嬉しくて手が震えてくるような興奮です。
ところが、数点見せてもらった所で骨董屋さんが目配せしながら、「いや立派なお品ばかりで」といいながら帰り仕度をし始めたのです。どうしたのかなと思いながらも、お礼を言って一緒に帰ったのですが、帰りの車の中で、「先生、あれを見ておかしいと思いませんでしたか」というのです。「うーん、陶器の表面 が何だかがさついて荒れている感じがしたけど、それ以外は時代もあってるし別 に」といいますと、その骨董屋さんの言うには「その表面の荒れているのが問題なんですよ。伝セ品ならあんなに荒れる事はありませんよ」「あれは皆埋蔵品で、多分詐欺にならないように、品物の時代だけは合わせてあるけれど、値段にしたら五分の一の価値もないですよ」と言うではありませんか。
「何処かの骨董屋さんとぐるになっている話で、そういう紛らわしい物を売りつけようとしてるのだと思いますよ。そうでなければ元からあったものはとっくの昔売り払われてしまっていて、代わりに時代だけ合わせての贋物が入れてあったのかどちらかですよ」と言うのです。
「古い蔵の蔵出し品と称する物を買ってきたら、贋物ばかりだったというような話はよく聞いていたが、自分がそんな目に会わされるとは思ってもいなかったので正直びっくりしたよ。この場合、幸い骨董屋さんがこちら側の人だったから良かったものの、そうではなく相手の売り主とぐるの人だったらひどい目に会う所だったと思うよ」と、父は話してくれたのでした。
次回、父の話のその2をお送りします。