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<title>画廊店主のひとり言</title>
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<modified>2012-01-27T12:52:32Z</modified>
<tagline>・・・・・ アートを知り尽くそう！ ・・・・</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2012, 画廊店主</copyright>
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<title>No.140　お坊さまと白尾の狐その１１</title>
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<issued>2012-01-27T12:51:30Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話はフィクションです その３７ それから３０年くらいも経った後の事でしょう...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです</p>

<p>その３７</p>

<p>それから３０年くらいも経った後の事でしょうか。<br />
巷のあちらこちらに、白尾の狐を連れて托鉢をしていらっしゃる、不思議な力を持った、一人の老僧の噂が流れるようになりました。<br />
この老僧は時間と空間を超え、地獄だとか極楽、精霊だとか妖精、幽霊だとか妖怪等々の異世界を覗いてこられた、とても偉いお方で、この老僧に御祈祷していただくと、病人の身体に取り付いて、災厄や、病を齎して（もたらす）いる妖怪変だとか、怨霊などの類を退散させてくださるだけでなく、そいつらがもたらす災厄も未然に防いで下さると言われておりました。<br />
また、臨終に臨んで、因果の理に則っての（のっとる）老僧のお話を聴いたものは、この世への未練、死への恐怖などの全ての悩みから解放され、心安らかにあの世へ旅立っていけるとも噂されておりました。<br />
しかしこの老僧は、自分の過去については、一切お語りになりませんでした。<br />
この為、この方が、何処で、どのような修行をされてきたかについては、そのありがたい言動から推察した噂が流れているだけで、誰も本当の事は知りませんでした。<br />
それでも、時間と空間を超えた異世界について御語りになる老僧のお話が、あまりにも真に迫っていて、まるで実際に見ているような臨場感があったので、皆はその噂は、絶対に本当の事に違いないと思っておりました。</p>

<p>その３８</p>

<p>また老僧がいつも連れて歩いておられる狐についても、色々な噂が立っておりました。<br />
その中で一番もっともらしい噂は（あくまで噂ですから、事実とは違っていましたが）、この狐は、もともとは、妖怪、九尾の狐の仲間で、この老僧に会う前は、何百年もの間、その強い妖力で、次々に人間にとりついて、人間界に仇（あだ）をなしてきた存在だったのです。<br />
この狐が、ある時、ある国のお殿様の奥様にとり付いた時の事でした。<br />
奥方にとりついた狐は、その殿様を誑かし（たぶらかし）その国を、国ごと乗っ取ろうとしました。<br />
この噂を聞きつけられたこの老僧は、早速この国へ出向かれました。<br />
そして、この妖怪狐を折伏（しゃくふく：悪をくじき、悪人を屈服させること）され、妖怪狐に苦しめられている人々をお救いになりました。<br />
その際、前非（ぜんぴ：過去に犯した過ち）を悔いて、正道に立ち返る事を誓ったその狐を、自分の弟子とされ、仏の道へと帰依させられました。<br />
その後、この狐は、この僧侶のお伴として、この僧侶が仏道を広められる手助けをすると共に、この僧侶が異空間への旅をされる時には、その先導役をしているというものでした。<br />
本当のところは、こんなお話は全く出鱈目でした。紅葉尼様（このお話に出ている狐）と九尾の狐とは全く関係のないお方です。<br />
しかし、困ったことに、巷には、「九尾の狐の血を引くものの血を飲んだり、その毛皮をみにつけた人間は、その妖力を身につけ、この世の栄光と、永遠の命を手にする事が出来る」という言い伝えがあり、当時は、多くの人達が、それを真実であると信じておりました<br />
この為、この狐の命を狙う、けしからん輩が後を絶たず、命を狙われる危険に、いつも付き纏われる事になってしまいました。</p>

<p>その３９　エピローグ　Ⅰ</p>

<p>おばあちゃんと私の会話<br />
「それで、その狐、どうなったの。何事もなくずっと天寿を全うするまで生きている事が出来たの？それとも人間に捕まって殺されてしまったの？」<br />
「あの狐ね。あの狐は、お坊様は無論のこと、お坊様の信者さん達も加わり、皆で、命を狙う奴等から守ってやったそうだよ。だから殺されずに済んだということです」<br />
「フーン、でもおかしいな。その狐、神通力を持っていたんでしょ。だったら、皆に守ってもらわなくても、自分で自分の命くらい守れるんじゃないの」<br />
「お坊さんだってそう。時間と空間を超えての旅ができるような偉いお坊さまなら、運命だって予測できたはずでしょ。<br />
だったら、狐の命を守ってやるくらい訳なかったんじゃないの。<br />
また、お坊様自身だって、永遠に近い命を手に入れる事だって出来るはずでしょ。<br />
だったら、今もなお生きていらっしゃってもおかしくないのに。<br />
でも今時、そんな偉いお坊さまがここら辺りに、いらっしゃるなんて聞いた事がないよ。おばあちゃんだって聞いてないでしょ」<br />
「そうだね。確かに、そのお坊さま、大分前にお亡くなりになって、今はいらっしゃらないよ」<br />
「でもね、私達がもっているこの身体というのは、魂の修行の為、現世で与えられている仮の入れ物にすぎないのだよ。<br />
だからお坊様が、いくら時間と空間とを超越し、異空間を自由に飛びまわる事のできる身となっておられていた方であっても、肉体を持って、この世に存在されていらっしゃった以上、身体はいつかは滅び去らねばならないことになっているんだよ」<br />
「確かにこのお坊さまは、普通の人に比べれば長生きをしてらっしゃったようです。<br />
でもね、それは、お坊様が、この現人の世（うつせみのよ）で、仏になる為の、仕上げの修行をされていたからにすぎないのだよ。<br />
お坊様のこの世での修行、即ち衆生済度の願力（がんりき：願かけをして目的を貫こうとする念力）の達成に、ある程度の目安がついた時点で、お坊様の魂としては、もっと自由に飛びまわって、もっと多くの人に、仏の慈悲を分け与える事が出来るようにと、肉体という、現世の仮の入れ物をお捨てにならねばならなかったんだよ」<br />
「確かに、そのお坊様が、肉体の衣をお脱ぎ捨てなった時は、予定より多少早くなったようです。<br />
しかしそれは、時期的に、文明開化の世の中がやってきて、日本中から、真の暗闇が亡くなっていくと同時に、日本人の心の中から、神秘的なものだとか、不思議なもの存在を信じる心が無くなってしまったからです。それはやがて、神仏を畏れ、敬い、崇める気持さえも無くしていくことになってしまいました。<br />
心の暗闇の消失と、人の心の変化は、時間や空間を超えた存在である異世界への出入り口を閉ざす事になってしまいます。<br />
お坊様にとっても、白尾のお狐様にとっても、それは一大事でした。その出入口が閉ざされてしまいますと、お坊さまにしても、狐の紅葉尼にしても、肉体と言う重い仮着を付けたまま、時間と空間を超えた世界へはいっていくのは、この現世からでは、不可能となります。<br />
そうしますと、そのようになる前に、異世界へ移動して、そこから仏の世界へと旅立つことにするのか、それともこの現世に留まり、そこで、肉体と言う魂の仮の衣を脱ぎ捨てた後、仏の国へ旅立っていくのか決めなければならなくなったのです。<br />
お坊様の方は、もはやこれまでの衆生済度の働きにより、この世での修行終了の目途（めど）がついておりました。<br />
従って、魂の自由な移動の妨げとなる、肉体の方をこの娑婆に棄て去ることを決めておりました。<br />
ただ気がかりは、紅葉尼さま（狐の名前）がこの行く末だけでした。<br />
できれば今は、紅葉尼様にも一緒にこの世に留まってもらい、彼女の魂の旅立ちを見送ってから、自分の魂も旅立って行きたいものだと願っておりました。<br />
一方、狐の紅葉尼にとっては、この僧侶の魂を、無事に修行を終えさせ、より高度な魂の世界、すなわち仏の世界へと旅立って行かれるのを見送る事が出来れば、この世での仕事が、一段階終わった事になります。<br />
従って彼女の魂もまた、肉体と言う仮着を、この世界で脱ぎ捨て、仏の御許へと旅立って行ってもよいわけです。<br />
しかしそう決心するには、少し躊躇いがありました。<br />
異世界への出入口が閉じられてしまいますと、神通力の方も使えなくなってしまいます。<br />
そうなりますと、彼女即ち白尾の狐の毛皮を手に入れようと狙っている輩の、鉄砲の餌食になってしまう可能性がとても高くなる事です。<br />
もう一つは、彼女と同じような霊力を持った彼女の眷族（せきぞく：親族）が、全て、こちらの世界を捨てて、精霊の国へと旅立って行く事に決めている事です。そうなりますと、彼女が残った場合、眷族が誰もいないこの世に、たった一匹だけで、取り残されることです。<br />
それはあまりにも寂し過ぎます。<br />
だからといて彼女にとっては、お坊様をこの世に残して、自分だけが眷族と一緒に、精霊の国へと、移って行く決心もつきかねるものがありました。<br />
さらに、娑婆において、自分がしなければならなかった一つの使命をやりとげてしまった今では、気が抜けてしまって、もうこれ以上、何もする気も起こらない事も迷っている原因の一つでした。<br />
こんな状態で、精霊の国へ移動したとしても、そこで、ただ漫然と自分の魂の旅立つ時を、待つだけです。<br />
無為に過ごさねばならないその時間、それはそれで、考えてみるととても辛そうでした。<br />
何しろ、精霊の国の時間は、この現人の世（うつせみのよ）の時間よりずっと、ずっと、ゆっくり流れているのですから。<br />
あまりにも長く、お坊さまと一緒に旅をしていて、お互い、情が絡んで離れにくくなってしまった事も、紅葉尼をして、精霊の国へ旅立つ決心をし難くさせるものの一つであり、最大の原因でした。<br />
この紅葉尼(狐)にとっては、このお坊様が、自分が若かった時、亡くしてしまった子供の姿と重なっている事でした。<br />
最初に、涙を出しながら眠っていた幼子の、その寝顔を見た瞬間から、彼女の母性本能が強く働き、その子に惹かれてしまいました。<br />
彼女（きつね）にとって、その幼子が、彼女が仏の道に入るよりずっと前の事ですが、彼女（きつね）の不注意から、自分の子供を、オオカミに食い殺されてしまった事がありましたが、その時の、子供の姿と重なってしまっているのでした。<br />
その為、彼女（紅葉尼）は、掬佐の陰となって、彼に尽し続けてきたのでした。<br />
「それで結局そのお狐紅葉尼様はどうなされたの」<br />
「こちらの世界に残られて、お坊さまが旅立たれるより少し前に、あの世へと旅立っていかれたそうだよ」<br />
「大婆ちゃん（大婆ちゃん＝お婆ちゃんの、お婆ちゃんの事）が１２，３歳の頃、紅葉尼様が急に年老けて、よぼよぼとなられたのは、その頃、異世界への出入り口が、殆ど塞がってしまったからなのかしら」<br />
「そう、そうだとおもうよ。しかしそうなると、紅葉尼さまの神通力も殆ど使えなくなってしまったでしょ。何しろ時空を超えての旅ができないのですから。だから、お坊様とその信徒たちが、懸命にその命（狐の命）を守っていたという訳」</p>

<p>その４０　エピローグ　Ⅱ</p>

<p>彩乃のその後<br />
病床にあって危篤状態だった継母の彩乃は、この僧侶からお話を聞かれた後、その病状は奇跡的に、一時持ち直したそうです。<br />
長年にわたって胸に痞え（つかえ）苦しんでいた、肩の荷を下ろし、気が楽になったせいか、食事も進むようになり、一時は、床を離れて普通の生活が出来るほどまでに、回復されたそうだよ。<br />
彼女はその後さらに４年ほど生きていましたが、その間、生きている間中、今の自分の命は、阿弥陀如来様が、未だ仕残してあった使命を果たす為に、与えてくださった時間であるといって、死ぬまで仏の道の広宣流布に勤められました。<br />
彼女は、自分が若い時に犯した罪を、包み隠さず皆に話すことによって、宇宙の真理である因果の理を説き、赦す心と、善行の大切さを教え、それの実践に励まれたそうです。<br />
また自分の犯した罪の贖罪の為にと、掬佐が、床下を一夜の宿としたお堂、それは掬佐のご先祖様が先祖の供養と、子孫の庇護と繁栄を願ってお建てになったものでしたが、そのお堂を改築して、寺院とし、宿坊を設け、全てのものに対して、常に、その寺の門戸を開いておくようにと言う言葉を遺しました。<br />
なお蛇足ですが、彩乃さんが、あの世に旅立たれる寸前まで、とても会いたがっておられた、あの狐を連れた僧侶が、あれ以来、この村を訪れられた事は、ありませんでした。　</p>

<p>終わり<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
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<title>No.139　お坊さまと白尾の狐その１０</title>
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<modified>2012-01-17T08:23:27Z</modified>
<issued>2012-01-16T09:48:08Z</issued>
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<created>2012-01-16T09:48:08Z</created>
<summary type="text/plain">このお話はフィクションです。 その３４ その為、中には、今のお前のように、こうい...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。</p>

<p>その３４</p>

<p>その為、中には、今のお前のように、こういった輪廻転生の輪の中での厳しい修行に耐え切れず、それまでの折角の修行を投げ出して、妖怪達の誘惑に惑わされて異世界、すなわち仏敵の方角へと、逸れて（それる）行こうとする者も出てまいります。<br />
しかし、それは仏の本意ではありません。<br />
だから、そう言った事態になるのを、できる限り防ぎたいという仏の御心によって、お前の場合は私がつかわされてきたのです。<br />
今、お前が誘われて行こうとしているその世界は、一旦足を踏み入れたら最後、そこから抜け出す事は殆ど不可能と言っていいほど抜け出し難い所です。<br />
一旦そちらの世界へ行った魂は、怒り、恨み、憎しみといった怨念の満ちみちた暗黒の世界で、善良な魂を堕落させて悪に染めたり、安らぎを奪いとって、不穏と喧騒の世界にぶち込んだり、幸せに過ごしているものの不幸のどん底に落としこんだりと、<br />
少しでも善良な部分が残っている魂にとっては、とても耐えられないような仕事をさせられ続ける所です。<br />
しかも、もしそれを怠り（なまける）、少しでも逡巡（しゅんじゅん：しりごみすること）したりした者には、地獄での責め苦なんか問題にならないくらいに辛い責め苦が待っています。<br />
たまりかねて逃げ出そうとしても、その世界は、そこに入った魂たちの流した悔恨（かいこん：後悔して残念に思う事）の涙で出来た大海原で囲まれていて、逃げ出す事はできません。<br />
逃げだそうとして、その海に飛び込んだものは、その暗黒の大海原を、当て所（あてど：行く先）もなく、永遠に漂い続けなければならないのです。<br />
何とも因果な話しです。<br />
「お前は、もっと古くさかのぼれば、もとは仏の座の最も近くにいた魂です。<br />
さらなる修行を積んで、仏となる為に、人間界に降りてきたのです。<br />
ここでの修行によって、衆生を済度する力（生きとし生けるものを迷いの苦界から救いだす力）を高める為に、やってきたのです。<br />
ところが、与えられた人間界での試練は、あまりにも厳しく、お前の人としての弱い部分が曝（さら）け出されてしまうのです。<br />
その為、それをなかなか克服できないで、何度も、何度も転生をくり返す事になってしまっているのです。<br />
そしてそれを繰り返すうちに、悪い因果の輪の中に囚われ、固く閉じ込められて、もがき苦しんでいるというのが、現在のお前の姿です。<br />
お前は不思議に思いませんでしたか。普通の人には見えていないらしい妖精だとか、精霊といったもの達を、お前だけが幼い時から見られた事を。<br />
また、幼い頃から、そう言ったものたちがお前の遊び相手になってくれていた事を。それはお前が特別な魂を持った存在だったからです。<br />
あの子達はお前を、陰で支え、修行が無事に終わるのを見守っていてくれている存在でした。<br />
それは、お前がそれほど特殊な存在であり、仏の世界から期待されている存在であるという事を意味しているものです」</p>

<p>その３５</p>

<p>「僕、これ以上恐ろしい事や、苦しい目に遭うの、もう嫌だよ｡仏になんかならなくてよいから次郎吉（腹違いの弟）みたいに、何の苦労もないそんな生活の方が良いよ」<br />
「確かにこんな幼いうちから、こんな試練に出遭うことになって、お前は大変だったろうね｡でもね、これは過去から続いてきた因縁によるものだから、避ける事は出来ないのだよ。お前は次郎吉の事を羨むけど、次郎吉だって，今生（こんじょう：今の人生の意）では、ぬくぬくした、とても良い生活をしているみたいに見えるけれど、前世では色々苦労をしてきているんだよ。<br />
その上、あの子は、お前より、まだまだ下の段階での修行の最中の魂です。だから、これから先、あの子の生き方次第では、今後どんな過酷な試練が待ち受けているかわからないのだよ。もし今世において、仏の教えに背くような事をすれば、死んだ後待っているのは地獄の釜の口。その魂が本格的な修行の場に戻れるまでには、そこでの過酷で長い、責め苦による贖罪の期間を経なくてはならない所まで逆戻りする事だってありうる魂なのだよ」<br />
「でもね、昨夜僕に付きまとったあの黒い奴ら、あれって悪魔というの？<br />
あいつらがいうには、あいつらの所では、『修行なんか必要ない』ということだったよ。<br />
『恨みだとか、憎しみ、怒り、妬み等といった感情を持ってさえすれば、自分の思うまま、面白おかしくやっていける』という話しだったけど」<br />
「そういう、うまい話をしては、修行中の魂を誘惑して、妖怪の世界へと引っ張り込んで行くというのが、あいつらの常套手段だよ」<br />
「でもね、あいつらの言葉を真に受けてはいけないよ。<br />
あいつらの世界に真実だとか、誠実等といった言葉はないのだから。<br />
嘘をつくのだって、騙すのだって、平気だよ。<br />
なにしろそういう言葉の観念すらない世界に生きている奴らなんだからね。<br />
妖怪だとか悪魔なんて、そういう奴らなんだよ」<br />
「もしお前が、あいつらの言う事を真に受けて、あちらの世界へ行くというのなら、その意思を止める力は私にはないよ。<br />
でも、その世界に入ろうものなら、お前に待ちうけているのは、先ほども言ったように、これまでしてきたお前の娑婆での修行以上に過酷な状況が待っている事を覚悟しなければなりませんよ。<br />
それでも行きたいというのでしたら、それはお前の意思にまかせるよりしかたがありません。<br />
でもね、憐れみだとか、同情、善意等という感情を一切捨て去る事が、お前の性格で本当にできると思いますか？<br />
憤怒、怨恨、憎悪、妬みなどといった感情しかない、安らぎの全くない苦の世界で、お前は、生きていけると思いますか。<br />
そんな事は無理と思ったら、絶対にあいつらに近寄っては駄目だよ。<br />
よく考えて決めなさいね」<br />
「お前のような、仏になる寸前の魂を、その修行中に、自分達の世界へ引っ張り込もうと悪魔たちが暗躍するのは、お前の場合だけではないんだよ。<br />
なにしろあいつらにとって、衆生済度を志す仏が、新たに誕生してくるくらい、嫌な事はないのだからね。<br />
あいつら、畏れ多い事に、お釈迦さまの修行中にでさえ、ちょっかいを出した奴らなんだからね。<br />
だから、仏の座まで、もう一歩というお前たちみたいな娑婆での修行者に、それを阻止しようと色々誘惑してくるのはあたりまえの事なんだよ。<br />
それも、修行中の試練の一つなんだから、うまい言葉に騙されて、誘惑に乗らないようにしなくちゃ。<br />
それを乗り切った先にこそ、仏への道がひらけてくるのですから。<br />
お前は修行の辛さを嘆き、何もしないでも、楽しい生涯を送れそうな弟の事を羨みます。しかしお前が修行の為、これまでに使ってきた時間なんか、悠久の時の流れ、即ち仏の時間の中では、そんなのは、ほんの一瞬でしかないのだよ。<br />
だから、今迄の苦労だって、お前の魂が、衆生済度の大願を果たし、阿弥陀如来と一体化した後に訪れる、満足と、安らぎの永遠なる時間に比べれば、星の瞬く間の出来事にも当たらないのだからね」<br />
「目先の修行の辛さを厭って（いとって）、ここに残り、悪魔や妖怪の苦の世界に飛びこむのか、永遠なる安らぎを求め、更なる修行の道へと歩み出そうとするのか、さあ、もういい加減決めておくれ。<br />
それはお前の問題なのだから。<br />
しかしそれを決めるのは，今しかないのだよ。<br />
何故なら、お前を新たな修行の場に移動させる為の道の、閉ざされる時間が迫っているのだからね」<br />
と狐が言います。<br />
やがて、狐の銀白色の尻尾が、燐光（りんこう：青白い光）を放ちながら点滅を始めました。<br />
それが出発の時間が近づいている合図である事はなんとなくわかりました。<br />
掬佐が「ここに残る」と言えば、狐は、彼をここに於いて、自分だけで旅立っていくつもりの様子です</p>

<p>その３６</p>

<p>「終わったよ。さあ目をお開け」と頭の中に直接話しかけてくる（テレパシー）、狐の声なき声。<br />
目を開けた掬佐が目にしたのは、全く見知らぬ光景でした。<br />
大きな木々のそびえる深い森、その森を背景に立っているお寺の建物の数々、掬佐はその大きな建物群に圧倒され、しばらくの間、声もなくみつめておりました。<br />
どうしてこんなところに連れてこられたのか、意味が分かりませんでした。<br />
「今日からここで修行するのだよ」と狐の声。<br />
そんな事を言われても、子供の自分を受け入れてくれるところがあるとはとても思えません。<br />
こんな大きなお寺で、何の伝手（つて）もない自分が<br />
「お坊さんになりたいから弟子にしてほしい」と頼んだとしても、<br />
相手にされるとは到底思えません。<br />
うろうろしていたら、乞食と間違えられて、追い出されるのが落ちだろうと思いました。<br />
「いや、お前が弟子入りするのは、この大きなお寺のじゃない。<br />
こういう大きなお寺というのはね、それを維持して行く為に、朝廷だとか、大名、土地の有力者の庇護をうけるでしょ。<br />
だからどうしても、形式主義、権威主義的になりがちです。<br />
よって、こういう所に入ったとしても、お前が必要としている修行はできないだろうね。お前のような何の伝手もないものは、お前の思っているとおり、無論、入れてもくれないけどね。<br />
このお寺の裏側に、小さな庵（いおり）を結んで、国中を行脚しながら衆生済度をしていらっしゃるお聖人（しょうにん）様がいらっしゃいます。<br />
その方こそ、輪廻転生する、宇宙の真理を説き明かし、お前を仏の座へと導いて下さるお方です」<br />
「でも、僕のようなこんな小さなもんが、一人で訪ねて行っても、その方、お弟子にして下さるだろうか。その方、今言われたように、全国を歩いて回られているというのでしたら、僕なんかがいれば、足手纏い（あしでまとい）になるでしょ。<br />
貴女は一緒に来てくれないの。一緒に行って、頼んで下さらないの」<br />
「一人で行ったとしても大丈夫よ。あの方はそんなお方ではないから。あの方のように本当の修行を積んでこられた方は、何事も、一目見ただけで、本質をお見抜きになる力を持っていらっしゃるからね。<br />
だから一人でお行きなさい、それも一つの修行です。<br />
元来修行というのは孤独なものです。<br />
例えお前が、あのお方のお弟子になったとしても、あの方は道をお示しくださるかもしれないけど、後はお前一人で歩んでいかなければなりません。<br />
私の役目は、今の所ここまでです。<br />
この後は、お前が悟りを開き聖人になられた時、またやってまいります。<br />
私の本来の役目は、悟りを開かれた貴方にお仕えする事です。貴方が衆生済度の旅に出られる際は、貴方のお伴をさせていただき、お手伝いさせていただくつもりです。<br />
では、お行きなさい。<br />
何時になるか分かりませんが、貴方が悟りを開いて帰ってこられる日をお待ちしています」<br />
というと狐の紅葉尼は、暗闇の中に溶け込むように消えていきました。<br />
彩乃の夢の映像も、そこではたと終りました。後は、何も見えない真っ暗な闇の世界が広がっているだけとなりました。<br />
彼女はそのまま、何もみられない、深い、深い眠りの世界へと落ちていきました。</p>

<p>次回へ続く</p>

<p>次回は１月末を予定しております。</p>]]>

</content>
</entry>
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<title>No.138　お坊さまと白尾の狐　その９</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/12/#001108" />
<modified>2012-01-12T12:00:18Z</modified>
<issued>2011-12-28T05:49:07Z</issued>
<id>tag:column.oida-art.com,2011://2.1108</id>
<created>2011-12-28T05:49:07Z</created>
<summary type="text/plain">このお話はフィクションです その２９ どちらとも決めかねたまま、よろめき、よろめ...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>このお話はフィクションです</p>

<p>その２９</p>

<p>どちらとも決めかねたまま、よろめき、よろめき歩いているうちに、掬佐は村の外れにある、別れ道の所までやってきてしまいました。<br />
そこまで来ますと、この先、二つの道の内、どちらの道を進むか、いよいよ、決めなければなりません。<br />
一つの道は、妖怪達が引っ張りこもうと画策している道で、<br />
それは、お嫁入りしてきて間もない女が、姑のいじめと、夫の不実に耐えかねて、身を投げて死んだといわれている、井戸に通じている道です。<br />
その井戸のあった家は、その事件以後、一家死に絶えてしまって、いまでは誰も住んでいません。<br />
従って、屋敷は荒れるにまかされ、家は壊れ、土台の石が残っているだけです。<br />
女が入水した井戸も、今では半分壊れ、生い茂った灌木と、草の中に埋もれてしまっていて、外からは分かり難くなっています。<br />
もう一方の道は、妖精たちが勧める道で、掬佐は知りませんでしたが、<br />
そこは、掬佐のご先祖さまが、自分のご先祖様の供養と、子孫の繁栄を願って建てられた、お堂のある場所の方向です。<br />
幼い子供の足取りで、しかも、足を引き摺り（ひきずり）、引き摺り歩いてきた道程です。<br />
掬佐がこの分かれ道の所まできた頃には、東の空が、もう微かな（かすかな）白みを帯び始めておりました。<br />
夜しか活躍出来ない黒い妖怪達にとっては、自分達の場所へ戻るべき時間が迫ってきていました。<br />
しかし掬佐の心はまだ定まりませんでした。<br />
何としても、自分達の仲間として引っ張り込みたい妖怪達は、力ずくで、掬佐を妖怪世界への入り口がある、その古井戸の方向へと引っ張っていこうとし始めました。<br />
妖怪達の説得の言葉は、益々熱を帯び、掬佐の周りを飛び回る妖怪達の翅（はね）の音はより高く、井戸に通じる道の方へ押し出そうとして、背中に突き当たって来る力も強くなってまいりました。<br />
妖精達も妖怪達のする事を、大人しく指をくわえて見ていたわけではありません。<br />
そうはさせまいと、妖精達もまた身を呈して、掬佐が妖怪達に連れ去られるのを防ごうとします。<br />
明け始めた冬空の下、妖精達と妖怪達との激しい争いが、しばらくの間、その場所で続きました。<br />
妖精達の青白い光は、彼等の興奮によって益々強くなり、応援に駆け付けた妖精達によって、その数も又どんどん増え、掬佐の身体が、青白い光の玉の中に包み込まれてしまったような形になりました。<br />
掬佐を妖怪達から守ろうとする、妖精達が発する声は、一段と強く、且つ高く、妖怪達のあの気味の悪い音をかき消してしまうほどでした。<br />
昼も夜も関係のなく活躍できる妖精達にとっては、この一時を凌げば、掬佐を妖怪達の誘惑の手から守り切る事が出来ます。<br />
妖精たちはここを先途（せんど：運命の大事な分かれ目のこと）と、掬佐の回りを二重三重にとり囲み、掬佐が間違った道を選択するのを防ごうとしました。<br />
そうこうしているうちに、東の空はどんどん明るみを増し、朝日が今にも顔を覗かせようとする時刻となってまいりました。<br />
もはや妖怪達の時間は終わりです。<br />
妖怪達は悔しそうな顔を残して、古井戸のある方向へと飛び去って行きました。</p>

<p>その３０</p>

<p>妖怪達が去っていくのと同時に、継母に対する恨みや憎しみの感情が次第にかき消されていきました。<br />
そしてそれと比例するかのように、安らぎの心が戻ってまいりました。<br />
怒り、憎しみ、恨みといった、一時の興奮が収まってゆくにつれ、<br />
猛烈な眠気が再び戻ってまいりました。<br />
立っている事が出来ないほどの眠気でした。<br />
もうどこでもよいから、横になって休みたいと思うようになりました。<br />
ちょうどその時、妖怪達が去っていったのと反対側の道の先に、小さなお堂が建っているのが掬佐の目に入ってまいりました。<br />
そのお堂の屋根の上には、この勝負の行方を心配そうに見守っていた精霊達も加わり、盛んに手招きしております。<br />
妖精達の翅からは、青白い色はすっかり消え失せ、元の半透明な存在へと変わっていきました。<br />
従って彩乃としての目を通しての光景の中には、彼らの姿は全くみえなくなってしまいました。<br />
しかし、掬佐の心を通して見た光景の中には、彼らの姿が、はっきり映っているのを感じました。<br />
掬佐はそのお堂の下に潜り込むと、すぐさま泥のように眠り込みました。<br />
※泥のように眠り込む：正体もなく眠り込む様のこと。</p>

<p>その３１</p>

<p>その日の夕刻近くになって、掬佐は目覚めました。<br />
いつの間にか、藁布団の上に寝ていました。<br />
眠りから覚めたばかりで、まだぼんやりしている頭には、昨晩以来何が起こったのか、きちんと理解できていません。彼は戸惑っていました。<br />
自分の家にいた時と同じように、藁の布団の上で寝ているのには変わりありませんが、その感触は違っていました。<br />
その寝床は明らかに使い古されていて柔らかく、何か他の動物が使っていたと想われる異臭がします。<br />
不思議な事に、お尻の腫れはすっかり消え失せ、痛みも殆ど感じられなくなっていました。<br />
不思議に思って触ったお尻から、誰かがそこに貼ってくれたと思われる、噛み砕かれた青い葉屑がぼろぼろと落ちてきました。<br />
何者かが手当てをしてくれたに違いありません。<br />
あらためて辺りを見回してみますと、天井は低く、掬佐のように小さな子でも、立って歩く事は出来ない高さです。<br />
辺り一円薄暗く、夕陽の薄明かりの下、目に入ってくるのは、土の床の上に、規則正しく配置されている石と、その上に建てられている柱群だけです。<br />
それ以外、何もありません。<br />
どうも何かの建物の床下のようです。<br />
「そう言えば、夕べ、お堂のような建物の床下に潜り込んだのだった」<br />
辺りを見回しているうちに、掬佐は思い出してきました。<br />
だだ広い（だだっぴろい）床下の、その真ん中あたりには、ちょうど人、一人が入るくらいの広さの、浅く窪んでいる所が作られています。<br />
そしてそこに、藁が敷かれておりました。<br />
掬佐には記憶が定かではありませんでしたが、いつの間にかそこで夜を過ごしたようでした。<br />
そばには、「どうかお食べください」と言わんばかりに、栗の実だとか、柿、椎の実等が並べられておりました。<br />
誰の為のものか分かりませんが、そういうものがある以上、この寝床は、何物かの寝所であったに違いありません。<br />
この寝床の本来の持ち主である、怖い獣が、今にも怒って襲いかかってくるのではないかと思うと、恐ろしさがこみあげてまいりました。<br />
でも、その時はまだ、頭がぼんやりしていて、昨夜来の出来事が、現実のものであるという事を十分理解出来てはいませんでした。<br />
なんだか悪い夢の続きの中にいるような感じでした。<br />
しかし、次第に目が覚めてくるにつれ、それが現実に起こっている事柄である事を認識せざるを得なくなってきました。<br />
昨夜、継母に怒られ、家を追い出されてしまった事も、思い出されてまいりました。<br />
急に心細くてたまらなくなりました。でもどうしたら良いか見当がつきません。ただ途方にくれているだけでした。<br />
「今夜から、何処に寝たらよいのだろう。これからどうやって食べていったらよいのだろう」<br />
「この場所だって、いつ本当の持ち主が現れるか分かったものじゃないから、早く出ていかなければならないだろうし」<br />
彼はぐずぐずと思い悩んでおりました<br />
今後の事を思うにつれ、昨夜来の継母の仕打ちに対する強い憤りが、再び、戻ってまいりました。このままでは済まされないという思いが頭を擡げて（もたげて）来て、頭の中から離れなくなってまいりました。<br />
昨晩来、何も入っていない胃袋は「グー、グー」と鳴って、食べ物を催促して止みません。それが一層母親に対する憎しみの心を煽り（あおり）ます。<br />
妖怪達の誘いにのって、あいつらの世界へ行った方が良いのだろうか。<br />
あいつらの言ったとおり、継母だとか、使用人達などなど、自分に冷たかった連中を、酷い目にあわせてやれたら、どんなに気持ちいいだろうという思いが、再び、頭を擡げてきました。<br />
しかし未だ寝足りなかった上に、弱っている身体が、彼がそう言った行動に直ぐに走る事を赦しませんでした。<br />
彼は再び眠りに落ちていきました。</p>

<p>その３２</p>

<p>掬佐は夢を見ておりました。<br />
誰かに、抱きかかえられている夢でした。<br />
抱きしめてくれている腕はとても温く、母親というものを知らない掬佐でしたが、なんだか母親の腕の中に抱かれ、厚い布団にくるまって寝ているように感じられました。<br />
とても心地の良い眠りでした。<br />
なんだか遠い、遠い昔、自分がまだ母親のお腹の中にいた時に戻ったように思われる、懐かしい安らかさでした。<br />
「お母さん」掬佐は夢の中で呼びかけました。すると、そのものが、一瞬、抱きしめてくれている腕に力を加えてくれたように感じました。<br />
急に、理由もなく、掬佐の目から涙がこぼれ始めました。<br />
それ迄、泣くという事を知らなかった掬佐でしたが、彼の目からは、それまで止めていた、涙腺の堤防が決壊してしまったかのように、次から次へと、涙がとめどもなく流れ落ちました。<br />
彼は、「お母さん、お母さん」と泣き声で呼びかけながら、自分を抱きしめてくれているものに、しがみ付いて行きました。<br />
そのものは、そんな掬佐の姿を、何とも言えない悲しげな表情を浮かべながらしばらく眺めていましたが、やがて、流れ出る涙を、熱心に舐めてくれ始めました。<br />
それはとても心地よく、その一舐め一舐めが、彼の荒んだ心の傷を癒していきました。<br />
とんがった心は安らかさを取り戻していきました。<br />
継母に対する憎しみや、恨みも、冷たかった世間の目に対する憤りも、全てが春の雪のように解け去っていくように感じられました。<br />
彼はもう一度、深い眠りの中に陥って（おちいって）いきました。<br />
空腹を忘れ、夢も見ないほどの深い、深い眠りの中に落ちていきました。</p>

<p>その３３</p>

<p>「さあ、もう出かける時間だよ。目をお覚まし」掬佐は、頭の中に直接働きかけてきたこの言葉に目を覚ましました。<br />
気付いてみると、何か犬のような動物に抱かれて寝ていました。頭の方からは、芳しい、御飯の薫り（かおり）が漂って（ただよって）まいります。<br />
眠気眼（ねむけまなこ）をこすり、こすり眺めた掬佐の目に、<br />
紙の上に並べられた、お握りと、油揚げが入ってきました。<br />
「さあ早くそれをお食べ。それを食べてお腹が満ちたら、すぐ出発するからね」とそのものが言います。<br />
起こされたばかりで、まだ目が覚めきっていなかった掬佐には、何が、どうなっているのか、すぐには理解できてはいませんでした。<br />
しかしお腹が空いていましたから、勧められるままに、ともかくお握りにかぶりつきました。<br />
しかし食べながら、「こいつ一体、何者なんだろう。<br />
昨夜、抱いて温めていてくれていたのは、こいつだったのだろうか。<br />
だったらこんな獣（けだもの）が、どうして自分にこんなに親切にしてくれるのだろう。さっき旅立つと言っていたけど、どこへ連れて行こうとしているんだろう。何処かへ連れて行って、そこで自分を食ってしまおうというのではないだろうか」などなど思い巡らせました。<br />
すると掬佐の、その心を見透かしているかのように、そのものが、彼の頭の中に、直接語りかけてきました。（註：テレパシーでの会話）<br />
「心配しなくてもいいのよ。お前をどうこうしようなんて考えてはいませんからね。<br />
私は狐。<br />
でも普通の狐じゃないのよ。私はね、ここからずっと、ずっと東、豊川という所にある妙厳寺というお寺の境内に祀られている、鎮守の神、荼枳尼真天（ダキニシンテン）様にお仕えしていた、白狐の子孫、紅葉尼（こうように）と申すものです。<br />
私もまた、仏の教えを広め、この世の苦の中で苦しんでいる人々を救いあげようとしている仏の弟子達にお仕えする者です。<br />
お前のように、この現世での修行を重ねているうちに、その修行の厳しさから、つい迷いの道へ、道を逸れよう（それる）としている者が出てきた時、その魂が、正しい道へと進んでいけるように、手助けする仕事をしています。<br />
お前にしても、お前の継母の彩乃にしても、輪廻転生を繰り返しての娑婆における、これまでの修行によって、魂の浄化は殆ど終わっているのです。<br />
所があまりに強い悪縁によって結ばれている為に、仏の世界に入る前の最後の修行の場として与えられた現世において、二人はまた出会ってしまったのです。<br />
そして前世で遺して（のこして）きた怨念に突き動かされて、ぶつかり、傷つけあい、苦しめ合うことになってしまったのです。」</p>

<p>何とも因果な話です。　　　</p>

<p>続く</p>

<p>次回１月中旬を予定しています<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.137　お坊さまと白尾の狐　その８</title>
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<modified>2012-01-12T13:56:08Z</modified>
<issued>2011-12-13T05:18:57Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話はフィクションです その２５ お坊さまが部屋にお入りになられてから、随分...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです</p>

<p>その２５</p>

<p>お坊さまが部屋にお入りになられてから、随分と時間が経ちました。<br />
部屋の外にあって、心配しながら中の様子を窺って（うかがって）いた者たちは、ぼそぼそとした話し声が途切れ，部屋の灯りが消えたのに気付くと、それを待ちかねていたかのように口々に、<br />
「もう御祈祷は終わりましたでしょうか」<br />
と言いながら、彩乃の部屋へと入っていきました。<br />
いくら彩乃の言い付けであったとはいえ、<br />
部屋の中を、狐を引き連れた怪しげな僧侶と二人きりにしてしまった事が心配でたまらなかったからです。<br />
しかし入ってみると、部屋の中には、あの僧侶の姿も、狐の姿も、もうありませんでした。<br />
そこにみたのは、安らかな顔をして、すやすやと眠っている彩乃の姿だけでした。<br />
僧侶と狐は、立ち去って行った形跡もないのに、まるで煙のように消え去っていました。<br />
安らかな彩乃の寝顔に<br />
「やはりあいつらは“あやかし”（妖怪変化の事）だったに違いない。大奥様のこのお顔は、あやかしに魂を抜きとられてしまったせいではないだろうか」<br />
と多くの人達は思いました。<br />
だけど一方には<br />
「何を心配しているの。<br />
大奥様のあの安らかな寝顔をごらんなさい。とても安らかな顔をしていらっしゃるじゃないの。<br />
あれは、あのお坊さまが、大奥様の長年の苦悩を取り除いてくださったおかげに違いないのに。<br />
あのお方たちこそ、大奥様の長年の信仰に報いて、<br />
その魂を救う為に、阿弥陀如来様がお遣わしくださった、偉いお坊さまだったに違いありませんよ。<br />
ほんにありがたい事で、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」<br />
という人達もいました。<br />
彼らは、しばらく小声で言い争っていました。しかし、この場でそれについてどれほど言い争ったとしても、直ぐに埒（らち）があく（かたがつく）話しでない事は、どちらの主張をしている方々もよく分かっております。<br />
ただ、顔色が少し良くなり、安らかな寝息を立てるようになった彩乃の様子をみて、見舞いに来た人達は皆、これなら今夜直ぐにどうこうなるという事はなさそうだと思うようになり、ひとまず、それぞれの家へと引き取って行きました。</p>

<p>その２６</p>

<p>お坊様が帰られた後、彩乃は夢を見ました。<br />
長い、長い夢でした。<br />
まず最初に出てきたのは、自分の家の門の前にたたずんでいる掬佐の姿でした。<br />
その姿を見たとたん、彩乃の意識の中に、その時の掬佐が入りこんできて彼女の意識の上に乗っかりました。<br />
掬佐の心の動きも、掬佐の感じる感覚も、そのまま彩乃の意識の中に投影されてくるようになりました。家から出て行った日の掬佐の行動は映画のスクリーンに映し出される場面のように、そのまま彩乃の意識に投影され、そこでの掬佐の思いは、彩乃の思いと重なり、掬佐の苦痛は彩乃の苦痛に、掬佐の悲しみは彩乃の悲しみとして感じるようになりました。<br />
「お継母さん、私が悪うございました。もうしませんから、どうかお赦し下さい」彩乃は何度も何度も門をたたきながら哀願している掬佐を感じました。<br />
しかし門は閉じられたままで、家の方からは何の音も聞こえてきませんでした。<br />
とても寒さの厳しい日でした。容赦なく吹き付ける北の風によって、体温は奪われ、手足は凍え、千切れそうに痛く、身体は冷え切って、今にも、凍ってしまいそうでした。<br />
意識は次第に薄れ、次々と襲ってくる強い眠気によって、立っているのも辛いほどです。<br />
時々身体が地面に崩れ落ちそうになります。<br />
しかし、先ほど継母にぶたれたお尻の痛みが、掬佐を眠らせてはくれませんでした。<br />
身体を動かす度に起こってくる飛び上がるほどの痛みが、掬佐が、眠りの国へと入って行くのを妨いでいました。<br />
身体が地面に崩れ落ち、眠り込んでしまうのを防いでくれました。<br />
しかしそれも長くは続きませんでした。時間と共に、意識はますます遠ざかり、最後は、寒さも、冷たさもあまり感じなくなってきてしまいました。<br />
動く度に痛さを増しては、眠り込むのを防いでいてくれていたお尻の痛みも、<br />
次第に薄れていく意識に連れて、眠り込むのを防ぐ事は出来なくなっていきました。<br />
瞼は意思とは無関係に垂れ下り、身体は、今にも地面に崩れ落ち、眠り込んでしまいそうになってきました。<br />
その時でした。<br />
掬佐は、頭の上や、顔の回りを、４、５匹の黒い奇妙な形をした生きものが、キーキー音を立てながら回っているのを感じました。<br />
目を凝らして見ると、その生き物は、暗い闇よりももっと黒く、ハエのように透き通った翅（はね）を持ち、三角形の顔には、青白い光を放つ、細く釣り上った目と、暗闇でもはっきり見える、顔の後ろまで引き裂かれたような、真っ赤で、大きな口、そして頭の上にまで飛び出している、とんがった大きな三角形の耳を持っておりました。<br />
一尺（約３０センチ）にも満たないような黒くて細い身体は、お腹だけが異常に膨れ、そのお尻からは、短い豚の尻尾のようなしっぽがぶら下がっております。<br />
空中を飛びながら細かく震わす手足は、まるで網にかかった獲物にとびかかっていく蜘蛛の足のようです。<br />
掬佐は、前からその生き物を感じ、知っていた様子で、<br />
そいつらが現れたからと言って特に驚きもしなければ、気味悪がるような様子もありませんでした。<br />
しかし初めて見た掬佐の意識と同調している彩乃にとっては、それは驚きであり、ぞっとするほど気味の悪い存在でした。<br />
そいつらは掬佐の回りを、くるくる回りながら、掬佐の耳元近くに来ると、<br />
例のガラス板を、釘の頭でこする時のような音で、<br />
口々に歌うように節をつけながら、囁いていきます。<br />
「眠っちゃ駄目。眠っちゃ駄目。こんなところで眠っちゃー、だーめ」<br />
「眠ったら最後、お前を待つのは地獄のお釜。眠っちゃ駄目、駄目、だーめ、駄目」<br />
「お前をこんな酷い目に、遭わせたやつは誰なんだ」<br />
「そいつは継母、継母だ」<br />
「お前が悪かったからだろか」<br />
「違う、違う悪くない、お前はちっとも悪くない」<br />
「お尻が、こんなになるほどに、ぶたれるほどの罪だったろか」<br />
「違う、違うそんな事ない。お腹がすいて、たまらなくなりゃー、飯を盗んで、何故悪い。お前が謝る事はない」<br />
「悪いのは、あいつ。あいつだ、あいつ、継母だ。<br />
飯をケチった、あいつが悪い」<br />
「そんなの赦して良いのだろか」<br />
「駄目、駄目、だーめ、許しちゃー。仕返し、しなくちゃー駄目でしょう」<br />
「怒れ、呪え、もっと怒れ。呪いの炎で、焼きつくせ」<br />
「お前を、こんな寒い目に、遭わせているやつだーれだ」<br />
「そいつは継母、継母だ。ろくな着る物くれなんだ」<br />
「それでもお前は赦せるか。そんなの赦して良いだろか」<br />
「駄目、駄目、だ―め。そんな奴、赦しちゃー駄目だ、憎まなきゃー」<br />
「憎め、憎め、もっと憎め。あいつの心が凍てついて（いてついて）、恐怖の氷のその中に、閉じ込められてしまうほど」<br />
「そもそもお前は、あの家の、一体全体なんだろう」<br />
「そうだよ。お前は嫡男（ちゃくなん）（あとつぎ）だ、あそこの家の嫡男だ。大事な、大事な跡取り息子」<br />
「それがどうしておまえだけ、藁の布団で、寝なきゃならん。他の皆は、絹布団。そこでぬくぬく寝てるのに」<br />
「そりゃあんまりだ、おかしいぞ」<br />
「誰だ、誰だ、そんな風に、お前に差別をしたやつは」<br />
「そいつもやっぱり、継母だ」<br />
「恨め、恨め、もっと恨め。お前の恨みであの女、<br />
奈落の底の地獄まで、落としてしまえ。永遠に。地獄の業火（ごうか：罪人を苦しめる猛火）で焼き尽くせ」<br />
「やれ行け、それ行け、歩きだせ。ここにおったら凍り死に」<br />
「さもなきゃ、おっか（継母）に殺される。<br />
最後に見せた、おっかの鬼の形相思い出せ」<br />
「それでも良けりゃ、此処で寝な。<br />
そんな意気地のないやつは、これから生きてく価値がない」<br />
「思いだしなよ、あの時の、おっかの顔と、その言葉。<br />
『出ていけ。戻るな。お前なんか。二度と見たくはないんだから』とほざいたあいつのその言葉」<br />
「それでもお前は、この場所で、<br />
おっか（継母）の赦しを、乞い続けるか」<br />
「逃げろ、逃げろ、歩きだせ。少しも早くこの場から、離れて、難をのがれなよ」<br />
「さあ、さあ行こうよ、歩こうぜ。<br />
我らの仲間になる為に。怒り、恨み、憎しみの、悪意渦巻くその世界、それは我らの天国だ。そこを根城（ねじろ：本拠とする城）に暴れよう。この世の奴らを懲らしめて、恐怖に凍り付くほどに」</p>

<p>その２７</p>

<p>奇妙な生き物たちの囁いていく声を聞いているうちに、掬佐の心に変化が生じてきました。それまで、それほどでなかった、継母に対する憎しみや、怒りが、もくもくと湧き起こってまいりました。<br />
教えられて見れば、あまりにも不条理な仕打ちの数々。<br />
幼心にも、それはあまりにも理不尽で、酷過ぎる（むごすぎる）仕打ちだったとしか思えませんでした。<br />
動けないほどに腫れあがったお尻の痛みが、彼の恨みを一層強めました。<br />
奇妙な生き物のささやきが惹（ひ）き起した、恨みや、怒り、憎しみ、そして恐怖といった、いろいろな感情の複合は、それまで防ぎようのないほどに強かった眠りへの誘惑を、どこかへふっ飛ばしてしまいました。<br />
眠気が吹っ飛ぶと同時に、自分を追い出した時の継母の、あの権幕（けんまく：怒って興奮している様子）とあの形相が、はっきり浮かんでまいりました。<br />
思いだすとそれはゾッとするほど惨忍な顔です。<br />
こんなところでぐずぐずしていたら、今度は殺されるに違いないと思えました。<br />
「なにはともあれ、ともかくここから逃げなければ」<br />
と思った掬佐は、お尻の痛みを堪えながら、足を引きずるようにして歩き始めました。<br />
奇妙な生きもの達も、彼の動きに合わせて、彼の回りを、前に後ろにと飛び交いながら進んでいきます。<br />
掬佐はそれらに導かれるかのように、よろよろと、よろめきながら、ゆっくり、ゆっくり門から離れていきました。</p>

<p>その２８</p>

<p>それからどれほど時間が立った事でしょう。掬佐はやっと自分の家が見えないところまでたどり着くことができました。<br />
所がその頃になると、彼の回りを飛んでいるのは、黒い奇妙な生き物だけではなくなりました。<br />
どこからか，青白く光る沢山の光の玉が、彼の回りを包み込むようにして飛んでいるようになりました。<br />
よくみるとそれは、背丈が、５寸（１５センチ）ほどの、人間の子供のような姿をした小人達です。<br />
その背中には蝶々のような翅を持ち、軽やかに、そしてすばやく飛び回っております。<br />
身体も翅も半透明の彼らは、普段は、回りの環境の中に溶け込んでしまっていて、特別な人以外には、殆ど気づかれないような存在です。<br />
しかしその夜の彼らは違っていました。<br />
全身から、彼らが興奮した時に発する青白色の光を放ち、銀の鈴が鳴るような声を張り上げ、掬佐に訴えるような口調で、盛んに話しかけながら飛び交っていました。<br />
彩乃にとってのそれは、始めて見る姿でしたから、最初は驚きました。しかしその可愛いらしい姿とその愛苦しい仕草に、心が休まり、次第に憎しみや怒りの心が薄らいでいきました。<br />
掬佐にとっての彼らは、生まれて間もないころから自分の所へ訪れてくれていた、妖精の仲間達である事が分かっていましたから、別に驚きもしませんでした。<br />
彩乃には銀の鈴の鳴るように聞こえるその音も、掬佐の意識を通して聴くと、盛んに話しかけているのがわかります。<br />
「あいつらに、ついていっては、だ―め、駄目」<br />
「ついていったら、貴方には、妖怪達の住むという、真っ暗な闇の世界しか、<br />
待っていません。待ってません。<br />
入ったら最後その世界、未来永劫抜け出せない。そこから抜け出す道はない。<br />
仲間は同時に敵である、怒り、憎しみ、悲しみと、悪意に満ちたその世界、<br />
たった一人で、永遠に、彷徨い（さまよい）続ける事になる」<br />
「それでもよいの、いやでしょう」<br />
「怒り、恨み、憎しみの悪意は貴方をあいつらより、もっと醜い姿にします。<br />
それでもやはりあいつらに、ついて、あちらへ行きますか」<br />
「駄目、駄目、駄目です、お止めなさい。あちらへ行ってはなりません。<br />
貴方を待つのは別の道。貴方が歩んでいく先は、もっと光に満ちた国」<br />
「今は修行のど真ん中、因果の世界で作られた、過去の因縁打ちこわし、仏になる道、選びましょう。<br />
この世の苦行乗り越えて、始めて入れる仏道（ほとけみち）」<br />
「あなたが行くのは仏道、仏の道への先達を、勤める事こそ貴方の使命」<br />
「怒りや、恨み、憎しみの、一時の感情に打ち負けて、道を誤る事なかれ」<br />
「後の後悔、先に立たず。決して誤ってはなりません」<br />
「貴方を待つのは仏道。仏の道のその先の、仏の座へと座る人。<br />
貴方は力を持った人。<br />
道を誤り妖怪の、世界へ入れば（はいれば）、人の世に、不幸もたらし、生き地獄、この世に再現出来る人。<br />
罪咎（ざいきゅう：罪科）もない人々を、不幸蠢く（うごめく）闇の世に、突き落としても良いだろか。<br />
それで貴方は満足か、後々（のちのち）苦しむ事ないか」<br />
「貴方は、もともと善の人。人を不幸のどん底に、落として嬉しいはずがない」<br />
「決して決して妖怪の、甘い言葉に乗るなかれ。乗れば苦しい悔恨の、渦潮の中、永遠に、もがき続ける事になる。<br />
一緒に歩もう私等と。<br />
光り輝くこの道を。<br />
途中の修行は厳しくも、先に待ってる仏の座。それを見据えて私等の、勧める善なるこの道を、どうか選んでくださいな」<br />
しばらくの間、よろめき、よろめき歩いていく掬佐を中心に、妖精達の張り上げる鈴の音を鳴らすような澄んだ声と、聞いているだけで気分が悪くなりそうな、妖怪達の出すキーキー声とが、<br />
そして妖精たちの発する青白い光と、妖怪達の作る闇より黒い影とが、入り乱れ、もつれ合いながら、道を進んでいきました。<br />
掬佐の心はまだ揺れ動いておりました。<br />
妖怪達の声が耳に入ってくる時は、きゃつら（あいつら）の唆し（そそのかす）にのって、酷い（ひどい）継母や、冷たかった世間の奴らになんとか仕返しをしてやりたいと思い、妖怪の世界へと心が傾きます。<br />
しかし妖精たちの諭す言葉や、呼びかける声が、耳を占めるようになった時は、恨みや、憎しみといった一時的な感情に駆られて、復讐に走る事の虚しさが理解でき、妖精たちの勧める明るい光の世界へと心が傾きます。<br />
妖怪達の世界に引きずり込まれたら最後、生まれて間もなくから親しくしてくれていた妖精さんたちと、永遠にお別れしなければならなくなる事も、妖怪の世界の方へ、足を向けることを躊躇わせる（ためらわせる）ものでありました。</p>

<p>次回年末号へ続く</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.136　お坊さまと白尾の狐　その７</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/11/#001084" />
<modified>2011-12-13T05:19:54Z</modified>
<issued>2011-11-28T06:12:25Z</issued>
<id>tag:column.oida-art.com,2011://2.1084</id>
<created>2011-11-28T06:12:25Z</created>
<summary type="text/plain">このお話はフィクションです。 その２３ 部屋の外に出された人々は、部屋の中で何が...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。</p>

<p>その２３</p>

<p>部屋の外に出された人々は、部屋の中で何が行われるか興味津々（きょうみしんしん）、知りたくて仕方がありませんでした。<br />
中には、襖に耳を当て、懸命に中の様子を探ろうとする者もいました。<br />
しかし中からは、ありがたい経を、あげておられるとか、特殊な祈祷を行っておられるといった特別な行がおこなわれているといった気配は伝わってまいりませんでした。<br />
ただ僧侶と彩乃が会話を交わしていらっしゃる声が、ぼそぼそと切れ切れに漏れくるだけでした。<br />
人々が部屋の外に出ていくと、それを待ちかねたように、<br />
「もしや、お坊様は、掬佐さんではございませんか」と彩乃。<br />
軽くうなずいた僧侶の姿に<br />
「よくぞご無事で。ああ、よかった、あの時は本当に申し訳ありませんでした。幼い貴方様にあんな酷い事をしてしまって」<br />
「それで、あれからどうしていらっしゃったのですか」<br />
と、掬佐の答えも待たず、たたみかけるように、彩乃は問いかけました。<br />
「さよう、おっしゃる通り、拙僧の幼児期の俗名は掬佐と申します。<br />
でも先ほども申しましたように、拙僧はもう、この世との縁を絶ち切った僧籍の身、<br />
俗世で起きた、私自身の事柄については、今では、何の感情も、興味も持っておりません。<br />
それゆえ、本来なら、貴女様の事をお義母さま（おかあさま）とお呼びすべきでございましょうが、<br />
そうすることなく、貴女様とお呼びする失礼、なにとぞお許しください」<br />
「いえ、いえ、私は、もう義母（はは）と呼ばれるような資格のない、犬畜生にも及ばない身でございます。<br />
なんなりと、自由にお呼びくださって結構でございます。<br />
それにしても生きていて下さって良かった。<br />
本当に嬉しゅうございます。<br />
ありがとうございます、ありがとうございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。<br />
しかし、そうだからと言って、若い時に、私のねじ曲がった根性が、しでかしてしまった罪、すなわち、幼かった御坊様をいびり殺しかねない事を、平気でしてしまった罪、そして、この家を長男である御坊様をさしおいて、次男である私の息子に継がせ、家を乗っ取ってしまった罪などが、消えたとは思っておりません。<br />
どう償わせていただいたらよいか、どうかお教えください」<br />
「これまでにも、どれほど懺悔したいと願いました事か。しかし、なかなかその勇気がなくて。<br />
『一人で生きていけそうもないほど幼かった掬佐さんを、折檻したあげく、追い出してしまった。<br />
もしかしたら野垂れ死にさせてしまったかもしれない』<br />
などという事は、未だに、誰にも言っておりません」<br />
「告白した場合の、回りの人達の反応が怖くて、どうしても口にできなかったのでございます。<br />
だからいくら善根を積んだからと言っても、貴方様がおっしゃるような『仏の赦し』を受けられるとは、到底思えないのでございます。<br />
ほんとうに罪深いこの私。<br />
もう今更どうにもならないのでございましょうか」<br />
「頭をおあげなされ。<br />
先ほど来、申しておりますように、拙僧はもう僧籍にある身、今の拙僧には、俗世の物欲はありません。誰が財産を相続されていようと、何の関心も、未練もありません。<br />
また俗世に起きた出来事についても、その全てが、私にとっては、唯、流れ去って行った川の流れのような存在でしかありません。<br />
それらについて、恨みだとか、悲しみなどといった何の感情も、持ち合わせておりません。<br />
ただ、因果の流れに身をゆだねていかなければならない人の運命というものの悪戯（いたずら）に対しての、感傷があるのみでございます。<br />
そうは申しましても、貴女様にとっては、それはとても大切なことのようでございましょう。<br />
お見受けしたところ、それが引っ掛って、とても成仏できそうもないと思っておられるようでございます。<br />
よってここで、あなた様と私との間に何世代にもわたって横たわっていた悪縁についてのお話をする事に致しましょう。<br />
その話をお聞きなれば、貴女様が、若い時、犯してしまわれた過ちの数々も、全てが、前世からの因縁によって、必然的に引き起こされたものであった事がお分かりになりましょうぞ。<br />
従って、貴女様が、昔掬佐にした悪事を悔いられ、その償いのために、千にも上がる善根を積み、その因縁の輪を断ち切きってしまわれました今となりますと、今更、誰かに告白して許しを乞う事が、必ずしも、必要でない事がお分かりになりましょう。<br />
全てが悪縁によって生じた事象にすぎないのですから」</p>

<p>その２４</p>

<p>旅の僧の話<br />
「さて何からお話し申しましょう。<br />
あまり長話になりますと、お身体に障りましょうから、要点だけかいつまんでお話しすることにしましょう。<br />
まず拙僧と貴女様との因縁でございますが、前世において貴女様は、私の家の飼われていた犬でございました。<br />
所が、前世においては、私の方が、とんでもない酷い飼い主でございまして、飼い犬であった貴女様を虐待し、気に入らないと叩いたり、けったりするのは日常の事でした。その為、貴女様は、生傷が絶えませんでした。<br />
その上ケチな飼い主で、餌も満足に食わせないで、荷車の引き犬として酷使しておったのでございます。<br />
その為、いつもひもじくて仕方がなかった貴女様は、仕事のない時は野原へ出かけ、野ウサギだとか、野ネズミ、蛙等といったものを捕まえては、飢えをしのいでいたのでございます。<br />
所が冬になりますと、そういうものは少なくなります。なかなか捕えられません。<br />
腹が減って堪らなかった貴女様は、<br />
やむなく、お隣の家の鶏を襲うようになったのでございます。<br />
しかし、そんな事が長続きするはずがございません。<br />
直ぐに見つかってしまいました。<br />
結局、そう言う事が重なって、最後貴女様は、（前世にあって、主人であった）私によって叩き殺されてしまわれたのでございます。<br />
無論、虐待された貴女様は、私の事を、恨み、憎んで死んでいかれました。<br />
その時の恨み、憎しみが、まだ残ったままに、この世に生まれてこられましたから、今生（こんじょう：今生きているこの世）において、私を見ると憎くてたまらず、ついつい虐待してしまわれたのでございますから、それは当然と言えば当然だったのでございます。<br />
私と貴女様との、この憎しみ合わなければならない因果関係というものは、前世において始まったものではございませんでした。<br />
前前世、さらに遡って前前前世にまで及ぶ根深いものでございました。<br />
このままいけば、また次の世でも貴女様と私とが、逆の立場になって、それは貴女様に返っていくべき因縁だったのでございます。<br />
貴女様は前前世に於いて、仏の教えを信じ、かなりの善根をお積みになられました。<br />
よって前世のあの苦難の修行に耐えることができていましたなら、今頃は仏の足元に呼ばれ、心安らかなあの世での生活を満喫しておられた事でございましょう。<br />
しかし悲しい事に、最後のテストとして遣わされた、私の下での苦行に耐える事が出来ませんでした。<br />
貴方は深い恨みを遺したまま、お亡くなりになられました。<br />
その為に、拙僧との悪縁は断ち切られることなく、今生にまで及んだのでございます。だからその因縁によって、今世において私をお苛め（いじめ）になったわけでございます。<br />
幸いにも、今生の貴女様は、早めに罪をお気付きになりました。それを悔いられ、仏にお縋り（すがり）になり、千にも及ぶ善根をお積みになられました。<br />
私は私でまた、ここにいらっしゃるお狐様、即ち、もみじ尼様の御導きによって、全ての恨み、憎しみを棄て去る道に入る事が出来ました。<br />
よってここに私ども二人の間にありました、長く、長く続いた、悪い因果関係の輪は完全に断ち切られたのでございます。<br />
貴女様の、この世での修行はもう終わりました。<br />
仏の試練に耐えられた貴女様は、もう大丈夫でございます。<br />
何も恐れる事はありません。<br />
お迎えが来た時は、安心してあの世に、旅立ちなされ。<br />
もうすでに、仏の台（うてな：仏様の座っていらっしゃる台座）のお傍に貴女様の座がしつらえられておりますぞ」<br />
それを聞いて彩乃は少し安心しました。安心すると同時に、深い眠気が襲ってまいりました。<br />
「眠くてたまらなくなられたようでございますね」<br />
「長い話で、お疲れになりましたでしょう。少しお休みなされ」<br />
と言いながら僧侶は立ちあがられました。<br />
立ち去られようとする僧侶に向かって彩乃は、<br />
「あっ、お坊様、貴方様の事について、まだお聞かせいただいておりません。私が掬佐さんだったお坊さまを追い出してしまった後の貴方様の事を」<br />
「あの後貴方様が、どのようにされたのかとか、どこでどのように修行なされたのかなどについてもお聞かせ頂かない事には、気が休まりません。それについても、どうか、どうか」と眠気を堪え（こらえ）ながら、彩乃は言いました。<br />
「貴女様の状態では、今夜、これ以上、お話を聞き続けられるのは御無理かとお見受けします。<br />
さればと言って、先ほど来、部屋の外では、拙僧の事を、怪しんでいる者も少なくないようでございます。<br />
その為私がこの家に顔を出すのは今回で最後にしたいと思います。<br />
そのかわり、貴女様が知りたがっておられることについては、言葉を通さないで、貴方様の頭の中へ、直接働きかけ、お伝え申す事に致します（註：今風に言うとテレパシーのことでしょうね）。<br />
故に今は、ゆっくりお休みなされ。<br />
明け方を迎える頃までには、家を出されてからその後の拙僧の事についても、すっかりお知りになり、すっきりされていることでございましょう」<br />
と言って、立ちあがられると、部屋の片隅の暗闇の中へ、溶け込むようにして、消え去ってしまわれました。<br />
その後に襲ってきた猛烈な眠気によって、彩乃はそのまま深い眠りにおちいりました。<br />
従ってその夜の事については、何処からが夢で、何処からが実際にあったことであるのか、彩乃にもはっきりしません。<br />
ただ、その夜見た、この家を追い出された後の掬佐さんの身の上に起こった出来事についての夢は、<br />
実際に在った事を、あの坊さまが、念を通して伝えてくれたもの〈いわゆる、テレパシーと言われているもの〉であると、信じて疑いませんでした。</p>

<p>次回へ続く<br />
</p>]]>

</content>
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<title>No.135　お坊さまと白尾の狐　その６</title>
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<modified>2011-11-28T06:17:17Z</modified>
<issued>2011-11-14T03:55:26Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話はフィクションです。実際の事件人物とは関係ありません その１７ 夫に先立...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。実際の事件人物とは関係ありません</p>

<p>その１７</p>

<p>夫に先立たれ、自分も老いを感じるようになるにつけ、その思いは益々、強くなっていきました。<br />
彼女は贖罪（しょくざい：犠牲や代償を捧げる事によって、罪を償う事）の意味も兼ねて、弱い立場の物には、できる限り親切にし、これを助けるよう心掛けました。<br />
身寄りのない子供は、自分の家に引き取り、自立できるようになるまで世話をし、物乞いには出来る限り施しをおこない、不作の年には、貧しい小作の所にお米を配り、医者にかかる事も出来ない小作の家には、自分のお金で、医者を頼んでやりしました。<br />
僧侶には特に親切にしました。檀那寺の和尚には言うまでもなく、門辺（かどべ）に立つ托鉢僧にも、惜しまず喜捨（きしゃ：進んで自社に寄進したり、貧しい人に施しをする事）をいたしました。また彼らに一夜の宿を供する事も厭いませんでした。<br />
しかしどれほど仏の教えを聞いても、どれほど善行を行っても、彼女の淀んだ心がすっきりと晴れる事はありませんでした。</p>

<p>その１８</p>

<p>その年、例年より早くやってきた冬は厳しく、１１月も半ば過ぎると、肌を刺すような寒い気候が続く日が多くなっておりました。<br />
７０歳過ぎた彩乃には、その寒さは堪えたようで、ちょっとした風邪がもとで、床に就いたまま、起き上がる事が出来なくなってしまいました。（この頃は平均寿命が５０歳くらいの時代です）<br />
何処かが、痛いとか、辛いという訳でもないのですが、ともかく食事が進みません。力が出なくて、起き上がる事ができません。<br />
当時はまだ、医学もそれほど進歩してなかった時代です。お医者様も、はっきりした原因を掴む事が出来ないようで、ただ首を傾げるばかりです。<br />
「もう、お歳ですから」とか、「せめてお食事を、きちんとお摂りになるようになりさえすれば、」などと、半分諦めているような口調で言います。<br />
日に日に弱って食も細くなっていく自分を見て、彩乃はいよいよ「お迎え」の時が近づいたと、自分なりにひそかに覚悟を決めておりました。<br />
跡を継いだ次郎佐衛門夫婦が、家は立派に取り仕切ってくれるようになった今では、この世の事についてはもう殆ど思い残す事もありません。<br />
彼女にとって、心配な事と言えばただ一つ、あの世（＝来世：死んだ後の世界）の事だけです。罪を償いきっていないのに、あの世に旅立って行かなければならない事です。<br />
「こんな罪深いままの私の事、今死んだとすると、待っているのは地獄の口しかないだろうなー。<br />
どんな責め苦の待つ地獄へ落ちるのかしら。<br />
そこで罪を償ったとして、その後、何に生まれ替わらせてもらえるのかしら。<br />
ウサギや小鳥達みたいに、いつも何かに狙われ、追いかけられ、びくびくして生きていかなければならない存在かしら。<br />
それとも馬や牛のように、生涯人間に鞭打たれ、こき使われ続けなければならない生き物かしら。<br />
或いはまた人間に戻してもらう事が出来るのかしら。<br />
でも仮にもう一度人間にしてもらう事が出来たとしても、幸せな人生であるはずがない。<br />
あんな事をしでかしてしまった上、まだきちんと告白しての懺悔も済んでない以上、閻魔（えんま）様の裁きで、その報いを受けるに違いない」<br />
「どんな裁きであれ、自分が犯した罪であるから、受けなければならないと分かってはいるが、それでも、考えれば考えるほどに恐ろしい。<br />
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。阿弥陀如来様どうか、この罪深い私をお救いください」と一心に念仏を唱え、心の中で、懺悔（ざんげ）しながら、お迎えのやってくるのを待つ日々を送っておりました。</p>

<p>その１９</p>

<p>そんなある日の夕方の事でした。<br />
もう今夜あたり、いよいよ危ないのではというので、身寄りの者は言うまでもなく、彼女のお世話になった近所の小作人達までもが見舞いにやってきて、部屋の中は、見舞の人でごったがえしておりました。<br />
沢山の人々によって発せられるざわめきと、北風を伴う霙（みぞれ）混じりの雨の、雨戸を叩く音、木々の梢の擦れ合う音、吹き過ぎていく北風の、窓辺を揺らす音などにかき消されて、家の中からは、外の様子は殆ど分りません。<br />
所が、ここ数日来、起きているのか、眠っているのか、分からないような状態で、一日中うつらうつらしているだけだった彩乃が、突然、目を開き、<br />
「誰か、誰かいないか」と人を呼びます。<br />
何事かと、慌てて顔を覗き込んだ人々に向かって、「門の所にたっていらっしゃるお坊様を、ここへお連れしてきておくれ」と彩乃。<br />
「こんな日に」と誰もが思いました。<br />
てっきり夢か何かを見て騒いでいらっしゃるのだと思いました。<br />
だから誰も彼女の声に応じて、立って行こうとしませんでした。<br />
「お母様。外は大荒れの天気です。とても人が訪ねてこられるような状況じゃございません。<br />
夢でもご覧になったんじゃありません？」と次郎佐衛門の妻、お清が申します。<br />
「いんにゃ、夢じゃない。本当にお坊様が来ていらっしゃるはず。現に今だって、私の耳には、托鉢のお坊様が鳴らしていらっしゃる鈴の音がちゃんと聞こえているもの」<br />
「グズグズ言ってないで、見るだけでいいから、見てきておくれ。<br />
そこにお坊様がいらっしゃっていたら、ここへお招きしてくるんだよ」<br />
と彼女は真剣な顔で確信ありげに言います。<br />
死期の近づいている義母のたっての願いです。放っておくわけにもまいりません。<br />
お清は立ちあがると、身支度を整え、外へと出ていきました。<br />
家の外は、風雨が強く、まるで嵐のようです。冷たいみぞれ混じりの雨が、顔に叩きつけるように吹きつけ、目も開けておられません。<br />
「おーさむ、寒。<br />
こんな日に、托鉢に歩いておられるお坊さまなんか、いるものですか。<br />
外へ出るのさえ、億劫（おっくう）なのに」と口の中で呟きながら、お清は門の所までやってまいりました。</p>

<p>その２０</p>

<p>所が、お清が門に近づくと、門の外から、ちりん、ちりんと托鉢僧の鳴らす鈴の音が、微か（かすか）ながら確実に聞こえてまいりました。<br />
強い風と激しい雨音によってかき消され、切れ切れに聞こえてくるだけですが、確かに聞こえてまいります。<br />
それに混じって読経のような声も聞こえてまいります。<br />
急いで門扉を開けたお清の目に、最初に飛び込んできたのは、犬のような動物の黒い影でした。<br />
そしてその後ろには、塀にへばりつくようにして風雨を避けながら、鈴を鳴らし、読経していらっしゃる、托鉢僧らしい編み傘姿の人の影がありました。<br />
「まあ、まあ、こんなお寒い日に、ありがとうございます。<br />
義母が是非お会いしたいと申しておりますので、ご迷惑かもしれませんが、お上がりいただけないでしょうか。<br />
義母は長患いで、今では、今日か明日かという命となっております。<br />
これも何かのご縁でございましょうから、今晩は、私どもの宅にお泊まり下さって、お坊様のありがたいお経と、お言葉でもって、義母を極楽浄土へと、送り出してやっていただけないでしょうか」とお清。<br />
すると旅の僧侶は、「いやー、ありがとうございます。お言葉に甘えて、お世話になることにしますので、よろしゅう頼みます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」<br />
とおっしゃりながら、家の中にと入ってこられました。</p>

<p>その２１</p>

<p>足洗いの水桶を持ってやってきたお清は、玄関の上り框（かまち）に腰を掛けて、草鞋の（わらじ）の紐を解いでいらっしゃる旅僧の姿を見てびっくりしました。彼の後ろには、何時の間に入ってきたのか、大きな狐が座っておるではありませんか。先ほど犬かと思ったあの影の動物に違いありません。<br />
「キャー」お清は思わず悲鳴をあげました。<br />
あまりの驚きに、お清は手に持っていた水桶を落とし、その場にしゃがみ込んでしまいました。<br />
その悲鳴をきいて、その日、彩乃のお見舞いにきていた人々は、一斉に玄関の所へやってきました。<br />
彼らもまたそこに、立派な銀白色の尻尾を持った大狐の姿を見て驚きました。<br />
彼らは僧侶の影のように後ろに従っている狐の姿を見て、僧侶そのものが、狐で、後ろにいた狐は，化け狐のその影だと誤解しました。<br />
彼らはてんでに、傍らにあった、得物になりそうなものを掴むと、<br />
「このど狐め、こんな人家の中にまで、平気で上がりこんでくるなんて。しかもこんな日にやってくるとは」<br />
「いくらお前が、うまく化けたつもりでいても、もうお前が狐だということは、影を見りゃー、バレバレだよ。<br />
はよ―、正体を現して、ここから出ていけ」<br />
「ぐずぐずしとったら、とっ捕まえて、毛皮にしてしまうぞ。<br />
そんなに毛皮にされたいのか」などなどと口々に叫びながら、<br />
一斉に僧侶に向かってとびかかってまいりました。<br />
「待ちなされ、皆の衆。誤解じゃ。誤解。拙僧は間違いなく人間で、ここにいるのは拙僧の連れのお狐様じゃ」<br />
「断りもなくお狐様を連れ込んで、皆の衆を驚かして済まなんだ。しかしこのお狐様はなー、わしのお師匠さんとも言える、大切な、大切なお方故、一緒にいる事を許したってもらえんじゃろか」<br />
と僧侶の野太い澄んだ声。<br />
今にも捉えんばかりの勢いで人々が迫ってきたというのに、僧侶は、悠揚迫らぬ態度（ゆうようせまらぬたいど：ゆったりとしてこせつかないさま））で申されます。<br />
その騒ぎを聞きつけた彩乃が<br />
「何を騒いでいるの。早く、お坊様を私の部屋へ。<br />
なに、お連れ様が狐。構わぬ。<br />
お坊様がお連れとおっしゃっているのなら、その狐も私の大切なお客様じゃ。構わぬから、一緒に案内しておくれ」と言います。</p>

<p>その２２</p>

<p>枕元に座った僧侶の姿を見て、彩乃の顔色が変わりました。<br />
「もしや貴方様は」といったまま絶句して言葉が続きません。<br />
彼女は気力を振り絞って、なんとか自力で床の上に起き上がろうとしました。<br />
しかし長患いで体力の弱っている身体は、一人で起き上がる事を許しませんでした。見かねた付添の女中と、お清の助けで、やっと身体を起こし、布団に凭れ（もたれ）かからせてもらった彼女は、<br />
頭を深々と下げたまま、僧侶の手を掴んでぽろぽろと涙をこぼし始めました。<br />
「お許しください。お許しください。貴方様はもしや」<br />
と苦しい息の下から、何か重大な事を話しだそうとする様子です。<br />
すると僧侶は<br />
「いやいや、拙僧はもうこの俗世とは縁を切った僧籍の身、この世で起こった事については、全て忘れ申した。<br />
今では何の未練も、恨みも持っておりません。<br />
だから安心して成仏なさい。貴女様が悔い改め、一念発起して善行を始められてからもう既に３０と余年。<br />
その間に、貴女様が善根をおつみになった数は、積り積って九百と九十九、拙僧達でちょうど、千にあたります。<br />
これで貴女様と私との間にありました古くからの因縁によって起こされた、貴女様の過去の過ちは全て綺麗に清算されたことになります。<br />
貴方様は、間違いなく仏様の身元に召されて行く事が出来ますから、安心して、あの世に旅立っていきなされ」<br />
と申されました。<br />
「それでは私の気持ちが」となおも続けようとする彩乃に<br />
「シーッ」言うように自分の唇にと人差し指を持って行った僧侶は、<br />
「それでは貴女様が心安らかにあの世に旅立っていけるよう、秘義を行いましょう」<br />
「ただこのままの姿勢では、秘義の途中で身体がまいってしまう恐れがありますので、<br />
どうか、かまいませんから横になってお受け下さい。<br />
なおこれはあくまで秘儀でございますから、人に見せたり、聞かせたりするわけにはまいりません。<br />
恐れ入りますが、お人払いをお願いします」と申されます。</p>

<p>次回へ続く<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title> No.134　お坊さまと白尾の狐　その５　おばあちゃんの昔話より</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/10/#001064" />
<modified>2011-11-28T06:17:49Z</modified>
<issued>2011-10-28T09:50:24Z</issued>
<id>tag:column.oida-art.com,2011://2.1064</id>
<created>2011-10-28T09:50:24Z</created>
<summary type="text/plain">このお話はフィクションです。 その１４ 寝床に入ったものの彩乃は目が冴えてなかな...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。</p>

<p>その１４</p>

<p>寝床に入ったものの彩乃は目が冴えてなかなか寝付けません。怒りが収まり、冷静さが戻ってくるのと歩調を合わせるように「やりすぎた」と思う、後悔の念が湧きあがってまいりました。<br />
掬佐を叩いた時の右手の腫れと痛みが、今度はちくちくと彼女の心に突き刺ささり、良心を責め立てます。</p>

<p>怒りが完全に収まらず、その時の興奮がまだ残っていた間は、（怒りの方が自分を責める心より勝っておりましたから）それほどでもありませんでしたが、怒っていた時の興奮が収まっていくに連れ、後悔の念と掬佐を外に放り出したまま、長時間、放っておいた事への不安が強くなってまいりました。</p>

<p>「あんな小さな子に、あれほど叩いて可哀そうな事をしてしまった。後、大丈夫だったろうか」<br />
「気を失って、ぶっ倒れているようなことはないだろうか」とか<br />
「こんな寒空の下、寒さで凍え死んでしまっているような事はないだろうか」という不安がよぎります。</p>

<p>まんじりともせず転々として夜を明かした彩乃は、空が白み始める前に、お加代を起こしました。<br />
そして、「もうそろそろあいつを、家の中に入れておやり」<br />
「きっと、寒さで震えているだろうから、温かいお粥でも持っていって飲ませてやりなさい。その時、着替えをさせて、傷の方の手当てもしてやっておくれ。<br />
後々、傷口が悪化すると面倒だからね。<br />
しっかり手当をしてやるんだよ」と言いつけました。</p>

<p>夜中に起こされた揚句、盗み食い騒動の、後片付けまでさせられて、やっと寝付いた所を起こされたお加代は、眠い目をこすり、こすり、<br />
「こんなに朝早くから、もう、堪らないな（たまらない）、<br />
奥さまは本当に人使いが荒いんだから。<br />
あんな子いてもいなくても誰も気にも留めないんだから、放っておけば良いのに」とぶつぶつ不平を言いながら、門の所へやって来ました。</p>

<p>しかし開けた門の外側には、誰もいませんでした。<br />
「アレッ」と思ったお加代は、家の回りを探し回ってみましたが、掬佐の姿は、何処にも見当たりませんでした。<br />
もしかしたらと思って覗いた、掬佐がいつも寝ている小屋の中にも、掬佐はいません。</p>

<p>急に目が覚めてしまったお加代は、慌てて彩乃の所に戻り、彩乃の部屋の襖（ふすま）を揺すって（ゆする）叫びました。お加代はもう半泣き状態です。<br />
「奥様、奥様、大変でございます。<br />
起きて下さい。<br />
掬佐坊ちゃまのお姿が、何処にも見当たりません」</p>

<p>「朝早くから、そんな大声をだして騒がないでちょうだい。<br />
あんな幼い子供が、何処にも行くはずないでしょう。<br />
ちゃんと見てきたの」<br />
昨晩、殆ど眠る事の出来なかった彩乃は布団の上に起き上がりながら、不機嫌そうに返しました。</p>

<p>しかし、すぐに立ち上がろうとはしませんでした。</p>

<p>両即頭部を親指で押さえながら、お布団の上に座ったままでじっとしています。</p>

<p>もともと頭痛持ちで寝起きが悪い彼女です。<br />
それが、作夜の騒動で、まったく眠る事が出来なかった為に、その朝は特にひどく痛み、すぐに立ちあがる気になりません。<br />
昨夜の不眠と、それによる頭痛で、ぼんやりしていた頭では、事の重大性をすぐに理解することができないようでした。</p>

<p>そんな彩乃の状態にお構いなく、加代の切羽詰まったキンキン声が、遠慮なく部屋にと、入ってまいります。<br />
「奥様、奥様、早く起きて下さい。本当なんでございます。<br />
無論、ご近所は言うまでもなく、坊ちゃまが何時もお休みになっていらっしゃる小屋を始め、おられそうだと思われる場所は全てあたってみました。<br />
しかし何処にも見当たらなかったのでございます。どうしたらよいでしょう」</p>

<p>彩乃は、はっきり目覚めました。</p>

<p>驚いた為でしょうか、先ほどまでの頭の痛みが、どこかにとんでいってしまいました。<br />
「本当なの。本当に何処にもいないの」<br />
と念を押すように言いながら、彩乃は身支度を整え，慌てて部屋から出てまいりました。<br />
そこに、お加代の緊張した半泣きの顔を認めると、事態が容易ならない事になっている事がわかりました。</p>

<p>『あんな小さな子が、あんな身体で何処へ行ったというの。<br />
何処かの家の軒先で寝ているんじゃないの。本当に人騒がせな。<br />
あんな幼い子の事だもの。そんなに遠くへ行っているはずがないわ。<br />
ともかくご近所から探してみましょう。<br />
どこかの家の物置か、軒先で寝ているにきまっているんだから。<br />
もしご近所の人に先に見つけられでもしたら、厄介だから（どんな噂をたてられるか分からないから）、なるべくそっと探しなさいね。<br />
くれぐれもご近所の人に分からないよう気をつけてね。もしご近所の人に会っても、<br />
「掬佐を探し歩いている」と言っては駄目よ」<br />
「タマ（その時飼っていた猫の名前）がいなくなって」くらいにしておきなさいね」』と言いつけると、二人は手分けして、ご近所中を探しあるきました。<br />
しかし掬佐の姿は何処にも見あたりませんでした。<br />
彩乃はあわてました。<br />
「もし昨晩の事がみんなに知れ渡ったら」と思うと、いてもたってもおられません。<br />
あんな状態の掬佐を、御近所の人に先にみつけられでもしたら、大事（おおごと）です。もともと「掬佐の扱いかたが酷い（むごい）」と陰口を叩かれている彩乃です。<br />
そこへ、今回の、「お尻が裂けるほど叩いたあげくに、家の外に放り出した」などという残酷な事をした事が、しれようものなら大変です。</p>

<p>そんな事が御主人は言うまでもなく、ご近所の人や、使用人達に知られたら、この家に住み難く（にくく）なる事は想像に難くありません。</p>

<p>「もしご近所の人に先に見つけられたら、どんな非難をうけるか分からないから、しっかり頼んだわよ」<br />
とお加代を督促しながら、探す範囲を更に広げました。</p>

<p>しかし、かなり遠く離れたところまで探しても、やはり掬佐の姿をみつけることはできませんでした。</p>

<p>その１５</p>

<p>夜はすっかり明けてしまいました。</p>

<p>そろそろ、野良仕事に出かける人々の姿が見かけられ始める時間です。<br />
二人は掬佐の捜索を諦め、家に帰る事にしました。</p>

<p>こうなりますと、先ほどまで感じていた良心の痛みは何処かにとんでいってしまいました。彩乃の頭の中を占めているのは、何をおいても、まず自分の身を守る事でした。<br />
彩乃は家に帰りがけ、お加代に向かって、「最初に掬佐を柱に括り付けたのはお前だし、屋敷の外へと閉めだしたのもお前だからね。<br />
もし今夜の事が皆に知れたら、困った立場にならなければならないのは、お前も同じだからね」と、まず脅し、続いて<br />
「だから昨晩あった事は、誰にも言ってはだめよ。<br />
絶対に二人だけの秘密だからね」<br />
「その代わり、お前には昨晩来、随分迷惑をかけたから、来月からお給金をすこし上げてやるからね。<br />
少しだけど、ここにもっているこの金もあげるから、何だったら、そのお金で、ご両親の好きな物でも買って送っておあげ」<br />
と言って固く口止めをしました。</p>

<p>お加代としては、お金を貰えたのはうれしいことでしたが、代わりに、大きな秘密を、背負わされてしまったので、不安でなりません。</p>

<p>お加代は、まだ若いというより子供と言っていいほどの年でしかありませんでしたから、こういった秘密を背負わされるのには慣れておりません。<br />
露見した時の事が心配で、怖くてたまりませんでした。<br />
そこで、「でも奥様、こんな事、秘密にしておいて、大丈夫でございましょうか。<br />
お坊ちゃまが、いなくなった事なんか、すぐに分かってしまうのではないでしょうか。<br />
そうなりますと、今、黙っていますと、その時、困るのではないでしょうか」といいます。</p>

<p>しかし彩乃は平気な顔をして</p>

<p>「大丈夫よ。昨夜の事なんか、誰も知らないんだから。<br />
私かお前が話さない限り、誰にも分かりっこないんだから。<br />
第一、掬佐なんか、まだ、言葉もはっきりしてないのよ。もし誰かが見つけてくれたとしても、昨晩起こった事を、人様に分かるように、きちんと話せると思う。<br />
話せっこないでしょ。<br />
だから、もし他の人にみつけられたとしても、誰がやったかわかりゃしないわよ。<br />
そんなこと心配しなくても良いから、ともかく黙っていらっしゃい。<br />
この家の人達だって、あの子の事、注意している人がいると思う？<br />
誰もいないでしょ。<br />
だから、例えいなくなっていたとしても、数日の事なら誰も気付きゃしないわよ」</p>

<p>「数日たっても戻ってこないし、何処からも、あの子の消息を伝えてこなかったら、その時始めていなくなった事を気付いた事にしたらよいのよ。<br />
きっとみんなは、神隠しでもあったと思うわよ」と言います。</p>

<p>「だからね、私がもう良いというまでは、掬佐への食事はお前が運んでおくれ。<br />
いうまでもないことだけど、その間は、食器はちゃんと空にして返しておくのよ」と命じました。</p>

<p>加代には平然とした顔を見せていましたが、彩乃は実際には、気が気でありませんでした。家にいても、全く落ち着きません。<br />
誰かが呼びに来るたびに「ドキッ」として胸が破裂しそうに弾みます。「奥様」と呼ぶ声が聞こえてきますと、「ビクッ」として、今にも心臓が咽から飛び出してきそうです。<br />
声を掛けられる度に、掬佐を助けてくれた人が、掬佐から事情を聞いて、自分を責めにきたのではないかとか、無残にお尻が腫れあがっている掬佐の遺体が見つかったという知らせがきたのではないかと思い、今か今かと、一日中ビクビクして、一時も気が休まりませんでした。</p>

<p>しかし幸いなことに（彩乃にとってはですが）、その日、一日が終わっても、掬佐についての情報は何も入ってきませんでした。<br />
家の中も、彩乃の予想通り、掬佐の事なんか、もともと誰も気にしなくなっていましたから、かれが実際に家からいなくなったにもかかわらず、誰も気づきませんでした。</p>

<p>共犯に仕立て上げられたお加代は、彩乃に言われた通り、掬佐の所に食事を運んだ後、食べられずにそのままになっている食物は、そっと処分して、空の食器だけを、何食わぬ顔をして返しておきました。</p>

<p>２日経っても、３日経っても、掬佐の消息がないままに、４日目の朝を迎えました。<br />
その間、掬佐の事が、使用人達の口に上がる事もありませんでした。</p>

<p>彩乃の心配は、一日経つごとに薄れていきました。</p>

<p>これだけ経っても何も消息がないという事は、迷い迷って、自分一人では帰る事の出来ないような遠い所まで行ってしまったか、人攫いに（ひとさらい）連れていかれていかれたか、あるいは、何処かで野たれ死んでしまっているとしか考えられません。<br />
（註１：当時は幼い子供の行方不明になる事件が時々ありました。そう言った場合、人々は、神隠しにあったとか、人攫いに攫われたといって噂したものです）<br />
（註２：本当かどうかわかりませんが、人攫いによって、生き肝（いきぎも）だけが抜き取られ、後はオオカミの餌にされてしまうといった噂もありました）</p>

<p>もうこれなら、これから後、掬佐が帰ってきたとしても、なんとでも言い逃れができると思えるようになりました。</p>

<p>彩乃は、ほっと溜息をつきました。</p>

<p>万一遺体で見つかったとしても、これだけ日が経ちますと、からすやオオカミ等に食い荒らされたり、腐乱したりしていますから、自分が折檻した事なんか、遺体から暴露することはないと思えました。</p>

<p>安心した彩乃は、お加代に「もう掬佐の食器は、そのままにしておおき」「食事を持っていくのも、後１日か２日したら、手のすいた者にさせなさい」と命じました。</p>

<p>それからさらに数日後、いつものように食事を運んで行った女中の一人が、口を付けた後もない掬佐の食器の山を見つけて、始めて大騒ぎになりました。<br />
厄介もので、家の中での捨て子でしかなかった掬佐でしたが、一応は嫡男（ちゃくなん：正妻から生まれた長男）です。<br />
体面的にも放っておくわけにはまいりません。</p>

<p>ご主人の指揮のもと、一家、ご近所総出での、大捜索が行われました。<br />
しかし掬佐はどこからも見つかりませんでした。<br />
もしかしたら、迷ったあげく、水に溺れて死んだのかもしれないということになり、部落じゅうの舟をかき集めて、池という池、川という川の、殆どを浚い（さらう）ましたが、遺体どころか、何の手がかりもみつける事が出来ませんでした。<br />
捜索は一週間にも及びましたが、結局、何の成果もないままに終りました。<br />
近所の人も、使用人達も、仕事が滞って（とどこおる）しまって、これ以上は、続けるわけにはまいりませんでした。</p>

<p>本当の事を知らない皆は、「これだけ探しても何の手がかりもないというのは、神隠しにあったか、天狗様にさらわれたに違いない。<br />
あな、恐ろしや、恐ろしや。ほんに可哀そうなことじゃったなー」といい合いましたが、それも数日の事でしかありませんでした。</p>

<p>後は人の口に上がる事もなく、いつの間にか忘れさられてしまいました。</p>

<p>その１６</p>

<p>掬佐の消息はその後何十年もの間、杳として（ようとして：はっきり分からない様）分かりませんでした。<br />
若い間は、自分の身を守ることに懸命で、掬佐の事なんか、何も考えもしなかった彩乃でしたが、年数が経つうちに、次第に自分のしてきた事の罪の深さを悔いるようになりました。<br />
自分のしたことの重大さが分かるようになるに連れ、自分のしでかした事を悔やみ、わびる気持ちも強くなってまいりました。<br />
年をとり、子育ての経験を積み、多方面からいろいろな物の見方が出来るようになるにつれ、その気持ちは、ますます深く且つ強くなっていくばかりでした。</p>

<p>「あの子の事を、どうしてああも忌み嫌い、憎んだのだろう。<br />
別に私に害を加えようとしたわけでもなかったのに。<br />
考えてみれば、あの子が家に戻ってきた最初から、私が、あの子の事を嫌っていたから、あの子の方も、それを敏感に感じ取って、私に懐かなかっただけかもしれない。<br />
或いはそんな私だから、怖がって避けていただけだったかもしれない」<br />
「あの追い出した日の事だって、私が十分に食事を与えてなかったから、あの子としては、腹が減ってしょうがなかったから、ああいう事をしただけだったのに。</p>

<p>幼くて知恵足らずの子供のしたことで、その上たった飯櫃一杯の御飯が無駄になっただけなのに、それを理由に、あの子に、あんな酷い仕打ちをしてしまって、本当に悪い事をしたわ」</p>

<p>「あの子今、どうしているのかしら。もし亡くなっているのなら、さぞかし私の事を恨んで死んでいった事だろうな－。また、もしまだ生きているとしたら、きっと私の事を憎んでいる事だろうなー」<br />
「あの時、怒りにまかせて、家の外に放り出してしまったけど、あんな知恵遅れの幼い子が、叱られている最中に色々考えるはずもなかったのに。<br />
それを誤解し、叱られた事に反抗して、睨みつけたと思って家から追い出してしまったけど、今から思うと、あれは怖くてたまらない時の顔だったんだわ。<br />
あの子が睨みつけたと思った事も、私の顔色を窺っていただけの顔だったような気がする」<br />
「そう言えば、あの目、あの子が睨んだと思った目だってそう。今思い出してみると、じっとこちらの心の動きを見ていた、常日頃見慣れたあの子の目と同じで、特別の意味はなかったような気がする」<br />
「あんな知恵遅れの幼子の事、一人で生きていく事が出来ない事なんか分かっているのに、<br />
家から放り出したあげく、その子がいなくなった事を知った時だって、私は自分を守る事に精いっぱいで、あの子の事なんか、露ほども考えてやらなかった。<br />
もしあの子がいなくなった朝、皆を総動員して探してやっていれば、きっと見つかっただろうに」<br />
「私というのは何という罪深い女だろう。当時の私は、自分の事ばかり考えている、人間の皮を被った獣（けだもの）のような存在だったんだわ。<br />
それどころか、犬畜生の方が私より、よほどましだったかもしれない」<br />
「こんな罪深い私にも、救われる道があるのかしら。もうなにをしても、死んだら地獄へ行くより仕方がないのかもしれない」<br />
などなどと思い悩むのでした。</p>

<p>次回へ続く</p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.133　お坊さまと白尾の狐　その４</title>
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<modified>2011-10-14T04:08:46Z</modified>
<issued>2011-10-13T04:54:13Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話はフィクションです。似たような所がありましても、実際に起こった事件、実在...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。似たような所がありましても、実際に起こった事件、実在の人物とは、全く関係ありません。</p>

<p><br />
その１０</p>

<p>その夜、台所近くの部屋で寝ていた若い女中は、夜中に扉が開く音に、目を覚ましました。<br />
様子が分からぬままに彼女は、布団の中で身を固くして、耳をたてました。<br />
するとその音に続いて、何者かが忍び込んできたように感じられます。<br />
「泥棒？」と思った瞬間、身が竦んで（すくんで）声も出ません。彼女は身を固くしたまま、お布団の中で震えておりました。<br />
しかし忍び込んできたものは、その後、一向にそれ以上進んでくる様子がありません。<br />
足音もしません。<br />
ただ一回、台所でバタンと何かが、何かが落ちた音がしただけです。<br />
「さては悪戯狸（いたずらたぬき）めが、またやって来たな」と思った彼女は、寝床から立ち上がると、傍にあった箒を掴み、忍び足で台所に向かおうとしました。<br />
その時です。何かに噎せた（むせた）ように激しく咳き込む子供の声が響いてまいりました。<br />
「あっ、あの厄介息子だ」と咄嗟に察した彼女は、あわてて台所へと駆けつけました。<br />
するとそこには思った通り、掬佐が真っ赤な顔をして、今にも息が止まりそうなほどに咳き込んでおりました。彼女は慌てて駆け寄ると、掬佐の背中をトントンと叩きながら、水を少しずつ与えました。やっと咳が収まってきたので、ホッとした彼女が辺りを見回しますと、台所は、大変な事になっているではありませんか。<br />
掬佐の回りには、噎せた時に噴き出した飯粒が、まわり一杯に散らばっております。<br />
手には手掴みした時の飯粒が、口の回りには慌てて押し込んだ時の飯粒がくっ付いております。<br />
噴き出した時に散らばったご飯粒は、蓋を開けたままになっている飯櫃の中にも入ったに違いありません。<br />
彼女は、それ以上掬佐が、何かをしでかさないように柱に括り（くくる）つけると、その足で、奥様を呼びにと奥へ入っていきました。</p>

<p>その１１</p>

<p>間もなく不機嫌そうな顔をした継母の彩乃がやって来ました。<br />
夜遅くまで、帳簿仕事をしていて、やっと寝入ったばかりの時に起こされたのですから、気分の良いはずがありません。<br />
もともと頭痛持ちの彼女は、しかめた顔を少し傾け、両手で、側頭部を挟むように抑えながらやってまいりました。<br />
すると目に入ってきたのは、このあり様です。彼女は激怒しました。<br />
もともと自分に全く懐かないばかりか、赤ん坊の時から、自分に敵意に近い感情をむき出しにする知恵足らずの（当時は皆から、そういう風にみられていました）掬佐に対し、憎悪に近い嫌悪感を持っていました。<br />
その掬佐が、大胆にも台所に忍び込んで飯泥棒を働いたばかりか、お櫃（おひつ）にあったご飯を全部駄目にしてしまったのです。<br />
台所の上り框（かまち）一杯に散乱している飯粒、その真ん中に置かれた、蓋の開いたお櫃（ひつ）、そして部屋一杯にたちこめる悪臭、その様子を見た瞬間、彩乃は「カーッ」と頭に血が頭に上って、我を忘れてしまいました。<br />
「もう、お前という子は。どうしてこういう事をするの。<br />
御飯を与えてなかったわけでもないに。<br />
今日と言う今日は、もう許さないんだから。お前なんかもうこうしてやる」<br />
というやいなや、彩乃は柱にくくりつけられ、不安げに、上目遣いで自分を眺めている掬佐の頬を、思い切りぶっ叩きました。<br />
それまでも随分嫌っておりました。<br />
しかし人目もありますから、さすが手をあげるような事はしませんせんでした。<br />
しかしこの時の彼女は、もはや理性を失ってしまっていました。<br />
叩かれて、反抗的な目をして、じっと自分を睨みつけてくる掬佐の目が、余計に彼女の感情を逆なでします。<br />
いつもでしたら、自分のそばに近寄ってくるのさえも疎ましく（うとましい）思っていた掬佐の身体を、横抱きに抱き抱えると、お尻をむき出しにして、思いっきり叩きはじめました。<br />
痛みと恐怖に顔を歪ませ、苦痛から逃れようと、身体をよじらせながら呻き（うめき）もがく掬佐も見ているうちに、彼女の心はより一層残忍になっていきました。<br />
掬佐のお尻はもう真っ赤に腫れあがって、所々血が滲み出始めてさえおりましたが、それでも構わず、彼女は思いっきり叩き続けました。<br />
それまで外聞を恐れて、掬佐に対する感情を抑えていただけに、それが一挙に爆発しました。<br />
彼女の心には、叩けば叩くほど、掬佐が苦痛の呻き声を上げればあげるほど、一種の残忍な、快感すら沸き起こって来るようになっておりました。<br />
叩いても、叩いても、泣きもしなければ、謝ろうともしない、そんな掬佐の態度は、彼女の逆上した心に油をそそぎ、一層残忍にします。<br />
お尻からは血が飛び散り、ぐったりとなってしまっていても尚、彼女は思い切り叩き続けました。<br />
彼女自身の手が腫れあがり，掬佐のお尻から流れ出る血と、失禁した糞尿で、汚れてしまったのも気にすることなく、気が狂ったように叩きつづけました。<br />
掬佐にあまり好意を持っていなかった女中のお加代でしたが、さすが、幼い子供が、そこまでされているのを見るのは、忍びなくなってまいりました。<br />
「奥様、もうその辺でどうぞ。<br />
これ以上されますと、坊ちゃまが、死んでしまわれます。それに奥様のお着物も、汚れてしまいますし」と言って袖を掴んで止めに入ります。<br />
女中の言葉に我に返った彩乃は、お尻が真っ赤に腫れあがって、そこから血が噴き出し、気を失ったようにぐったりとし、尿ばかりか、大便まで漏らしている掬佐の姿を見てあわてました。<br />
すぐに、お加代に言いつけて冷たい水を汲んでこさせると、それを口に含ませました。<br />
同時に、手ぬぐいを水に浸して、お尻の血を拭き取り、汚れを拭ってから（ぬぐう）濡れ手ぬぐいを当てて冷やしながら、横にしました。<br />
しばらく横になったまま唸っていた掬佐でしたが、やがて意識を取り戻してきた掬佐の態度は、彩乃には、前より一層憎々しげに映りました。<br />
もう自分に対して、何の恐れも抱いていない様にみえました。<br />
ゆっくり起き上がった掬佐は、何も言わず、悪びれた様子もなく、彩乃に向かって、睨みつけるような一瞥を加えると、そんまま、よろめくような足取りで外に出ていこうとします。<br />
彩乃には、その姿は７歳やそこらの子供とは思えないほどふてぶてしく映りました。<br />
再び逆上した彼女は、<br />
「泥棒猫め。お前なんか、もう家の子供じゃない。どこにでも好きな所にお行き」というと、<br />
お加代に言いつけて、門の外へと放り出し、閉め出してしまいました。</p>

<p>その１２</p>

<p>門の外に放りだされた掬佐は、しばらくの間、門扉（もんぴ）を叩きながら、「中に入れてください」と哀願（あいがん）し続けました。<br />
しかし、家の方からは、何の音も返って来ませんでした。<br />
彼はしばらくの間、門扉を叩きつづけました。しかし家の中から何の反応もありません。<br />
物置小屋以外の世界を殆ど知らないで育った幼い掬佐にとっては、突然夜中に、外に放り出されて、この後、どうしたら良いのか見当もつきません。<br />
掬佐は、本当の所は、継母の彩乃が思っているほど、ふてぶてしくしていたわけではありませんでした。まだ７歳の幼い男の子です。<br />
悪い事をした所を見つかって、ただ動転して、どうしたら良いかわからず、固まってしまっていただけでした。<br />
見つかった時は、「しまった」と思いましたし、いけない事をしたとも思いました。<br />
ただ、不幸な事に、人の心を感じる事のできる彼は、彩乃の姿を見た瞬間、彼女の憤怒が並々ならぬものである事を感じ取り、<br />
「もうどうにもならない」と観念してしまったのでした。<br />
それで彩乃の出方を、目を見開いたまま、窺がって（うかがう）いたにすぎません。<br />
「お前なんか、もう家の子じゃない。出ていけ」と怒鳴られた時だって、<br />
意識がぼんやりしている掬佐には、それ迄、何があったのか、何が起こったのか、まだはっきり理解できませんでした。<br />
ただ「出ていけ」と言われたから、その場から、出ていこうとしただけです。<br />
そしてその時、「もう終わったのかしら」と何気なく継母の顔色をチラッと窺っただけでした。<br />
それを、心に後ろめたい所のある彩乃が、誤解し、全て悪い方に悪い方にととり、ふてぶてしい顔で睨んだと取ったに過ぎません。<br />
それまで、彼は、それほど継母の事を恨んでいたわけでもなければ、憎んでいたわけでもありませんでした。<br />
自分を嫌い、憎んでいるらしい感情が伝わってまいりますから、怖い人と思って、なるべくそばに、近寄らないようにはしていましたが、ただそれだけです。<br />
だから、泣きも喚き（わめき）もしなかったのは、「泣いても喚いても（わめく）、許しを請うたとしても、もうどうにもならない」と観念してしまったからにすぎません。だから、されるままになっていたのでした。<br />
なにしろまだ７歳の子供の事です。大人に怒られている最中に、いろいろ考える等と言う、大それた事をしている余裕なんかあるはずがありません。怒られている時は、ただ痛かったし、怖かっただけでした。</p>

<p>その１３</p>

<p>冬の夜の外の世界は、風は冷たく、全てのものが、瞬く間に凍りつくほどでした。鼻をつままれても分からないほどに暗い、その暗闇には、得体の知れない何かが、潜んでいて、今にも襲いかかってくるかのような不気味さがありました。<br />
絶え間なく襲ってくる寒さと恐怖に震えながら、「お義母さん（おかあさん）、お義母さん、もうしません。もう二度としませんから、お許しください。どうか、どうかお願いします」と門扉を叩いて哀願しました。<br />
しかし彼を放り出した女中のお加代は、彼を追い出すと直ぐに、家の中へと戻ってしまったようです。<br />
どれほど頼んでも門の内側には、人の気配はなく、何の物音も返ってきませんでした。<br />
冷たい北の風は、容赦なく掬佐に吹き付け、薄着のままに放り出された彼の身体からは、容赦なく（ようしゃ；ゆるすこと）体温を奪っていきます。<br />
寒さが次第に彼の意識を奪いとっていきました。門扉を叩く音は次第に弱くなり、時々襲ってくる眠気の為に、中に呼びかける声も途切れがちになっていきました。<br />
頭が下がり、身体が今にも地面に崩れ落ちそうになります。<br />
しかし崩れ落ちることはありませんでした。そうなる寸前に、突然顔をゆがめ、飛び上がっては目を覚まします。<br />
身体を動かすと強くなるお尻の痛みが，眠り込んでしまうのを妨げているようでした。<br />
しかし、そのころになると、彼にはもう、門扉を叩いたり、声をあげたりする力は残っていませんでした。<br />
目を覚ましたといっても、壁に凭れた（もたれた）まま、目を見開き、首を横に振るだけです。<br />
そしてそれほど間をおく事もなく、やがて、瞼（まぶた）は再びトロンと下がって、今にも眠りこみそうになっていきます。<br />
誰も見ている人はいませんでしたが、もしその時、彼を見ている人がいたとしたら、そんな彼の回りを、いくつかの、何か黒い影のようなものが飛び回り始めたのが見えたはずです。<br />
その黒い影は、頭の上や、顔の回りをぐるぐる回りながら、耳元の所を通るたびごとに、キーキーという、金属棒で硝子をこする時のような不愉快な音を立てます。<br />
それに応じてうなずいたり、首を振ったりしている掬佐の様子から、やつらが掬佐に、何かを話しかけ、嗾けている（けしかけている）ように感じられます。<br />
やがて掬佐は、黒い影に誘われ、導かれているように、その黒い影に従って歩き始めました。<br />
彼の顔からは、先ほどまでの、おどおどした、頼りなげな感じはすっかり消え失せていました。代わりにその表情からは、憎しみと憤りの感情が噴き出しておるようになっていました。<br />
彼は足を引き摺り、引き摺り、一足ごとに襲ってくる、お尻の痛みに顔を歪めながら、ゆっくりゆっくり家から離れていきました。<br />
その歩みはとてもゆっくりで、姿が彼の家から見えなくなるまでには、かなりの時間がありました。</p>

<p>次回へ続く<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.132　お坊さまと白尾の狐　その３</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/09/#001046" />
<modified>2011-10-04T04:10:41Z</modified>
<issued>2011-09-29T06:49:28Z</issued>
<id>tag:column.oida-art.com,2011://2.1046</id>
<created>2011-09-29T06:49:28Z</created>
<summary type="text/plain">この話はフィクションです。実際の事件、実在の人物とは関係ありません その６ 掬佐...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>この話はフィクションです。実際の事件、実在の人物とは関係ありません</p>

<p>その６</p>

<p>掬佐（きくすけ）の回りの事情は、彼が自分の生家に戻ってきても変わりませんでした。<br />
彼が帰った家には既に後妻として入った継母がいました。<br />
まだ年も若く、子供を育てた経験もない彼女には、この感が鋭く、癇（かん）が強い子供をどう扱ったらよいのか、戸惑うばかりでした。<br />
せめて言葉が多少とも通じれば、まだ良かったのでしょうが、言葉は通じず、しかも彼女のしようとする事を、全て拒否して嫌がるこの子の扱いには、困ってしまいました。<br />
継母の方も、最初は良い母親になろうと思っていたのでしょうが、傍に近よろうとすると、あからさまに警戒感を示し、後ずさりし、心の奥まで覗きこまれそうな目で、見いってくる子供、<br />
こちらの気分を推し量っていたかのように、自分の気分がすぐれない時だとか、イライラしている時にかぎって、目が合っただけで、火のついたように泣き喚くそんな子供に、お手上げでした。<br />
運の悪い事に、彼が戻ってきた時は、継母は、悪阻（つわり）に苦しんでいる時期でもありました。肉体的にも精神的にも不安定な状態でした。<br />
そんな時に､まるで野良猫の子のように、自分を見るとあからさまな警戒心を示し、自分に全く懐こうとしない掬佐が、家に戻ってきたのです。<br />
子育てをした事のない若い継母に、可愛いと思う気持ちが湧いてくるはずがありません。<br />
彼が家に戻ってきて一カ月もたたないうちに、継母の方は、掬佐が傍にいるだけで、煩わしさを通り越し、憎しみを感じるようにさえなっていきました。<br />
しかしお嫁入りしてきて未だ間もない彼女、大家の奥様という立場上、世間体もあって、それを表面に出す事が出来ません。<br />
無論、掬佐を強く叱ったり、当たったりする事なんか、人目があって、出来っこありません。それだけに、掬佐に対する複雑な気持ちは陰にこもって、より強く，より陰険になっていきました。<br />
継母はそんな自分の気持ちを、表に現さないよう、他人に悟られないようにするのに苦労しました。<br />
それを避けるためには、掬佐の世話を、子守役として入ってきた女の子に任せっぱなしにして、自分はなるべくノータッチ、無視するようにして過ごすことにしました。</p>

<p>その７</p>

<p>掬佐は少し変わった所のある子でした。それは生まれてすぐに、母親に死に別れ、あまり愛情を注いでくれない乳母と、その家族に囲まれて育てられたことの影響もありましょう。しかし、それ以上に、彼のもともと持っている性格に、由来する所が大きかったようです。<br />
彼は、赤ん坊の時から、あまり可愛げのない子でした。赤ん坊の時等、お布団の上に寝かせておけば、お腹がすいたり、オムツが汚れたりした時以外は、独りで放っておかれても、別に嫌がりませんでした。<br />
乳母を特に慕う様子も見せません。乳さえ貰えば、その後すぐに寝かしつけられても、特に乳母を慕って、その姿を追うような事もしない子でした。<br />
乳母におしめを替えてもらったり、着替えやお風呂にいれてもらったりしている時も、特に甘える事もなく、喜んでいる様子もありません。着せ替え人形のように、されるがままになっているだけで、何の感情も表しませんでした。<br />
だから乳母の一家は、この子、少し頭の足りない子ではないかと思っておりました。<br />
しかし、もしその当時、彼をよく観察している人がいたら、この子がそんな子ではない事に気付いたはずです。<br />
一番特徴的なのは目でした。その目が決して死んでいませんでした。<br />
こちらの心を見透かそうとでもするように、じっと見据えてくる目も、天井にいる何かと遊んでいるかのように、喃語（なんご：赤ちゃん言葉）で話しかけながら、活発にそれらを追いかけている目も、澄んで、生き生きしていて、とても頭の足りない子の目とは思えません。<br />
また、人の心には、とても敏感な子であることにも、気付いたはずです。<br />
３カ月過ぎたくらいの頃から既に、自分に好意を持っている人と、あまり持っていない人とは敏感に区別していました。<br />
乳母に対しても、一見、何時も無感情で接しているようにみえますが、実際は、彼女の心の状態に敏感に反応していたのです。<br />
生後３カ月と言うような幼い事から、既に自分に愛情を持って接してくれる人には嬉しそうな表情を示し、そうでない人には、まるで無関心、無表情、あらぬ方を向いていました。<br />
悪意をもっている人にいたっては、近づくだけで、火のついたような声で泣きました。<br />
しかし実際には誰もそんな事は気づきませんでした。<br />
ただ、ちょっと変わった子で、癇の強い、頭のすこし変な子くらいにしか、見られていませんでした。<br />
実際、ちょっと見には、そう思われても仕方がない所がありました<br />
なにしろ、一歳半を過ぎても、まだ殆ど言葉が話せませんし、歩く事も出来ませんでした。這い這いと、何かにつかまって立ち上がるくらいが、やっと位で、一日の殆どを、布団の上に横たわったまま、何かに話しかけるかのように天井に向かって、「アーァ」とか［ウ―、ウ―、ウ―］といった喃語を発しながら過ごしておりましたから。</p>

<p>その８</p>

<p>掬佐は５歳になっておりました。<br />
言葉も、誰が教えたという事もないのに、なんとか人と話せる程度にはなっておりました。歩くのも、酷いガニ股歩きで、多少覚束ない（おぼつかない）足取りでしたが、なんとか歩けるようになっておりました。<br />
しかし相変わらず口数は少なく、自分から人と関わりを、持とうとしない子供でした。<br />
彼は、人とかかわりを持って生きていくより、一人でいる方が楽しそうでした。<br />
子守も、もういなくなっておりましたから、彼はいつも一人ぼっちでした。<br />
しかし特にそれを苦にしている様子もなく、部屋の隅だとか、蔵の中などに座りこんで、誰もいない天に向かって何かを話しかけながら、一人で遊んでおりした。<br />
使用人達も、親戚の人達も、この言葉もろくに話せない上、のろまで、人に対しては露わに警戒心をしめして懐こうとしない掬佐の事を、頭のたりない、おかしな子として、なるべく近寄らないようにしていました。<br />
彼が乳母の家から戻ってまもなく生まれた腹違いの弟・次郎吉（後の次郎佐衛門）が、愛嬌が良い上に、利発な子であっただけに、彼の立場は一層悪くなっておりました。<br />
もともと継母からは嫌われていましたが、次郎吉が利発に成長するに連れ、父親からさえも、彼は、疎んじられる（うとんじる）ようになってしまいました。<br />
可愛げがない上に、何をやらせても、まともにできない、言葉もまだ満足に話す事が出来ないのですから、継母の告げ口を待つまでもなく、この家の惣領（そうりょう：跡取り）としての器ではないことがわかります。そうなりますと、父親の目に映る彼は、一生この家で面倒を見てやらねばならない厄介者でしかありません。<br />
こうして彼はこの家では、もう誰からも注目される事のない、いてもいなくても分からないような存在となってしまいました。<br />
継母からは疎んじられ、誰からも構ってもらえない掬佐は、家の中の捨て子のようなものでした。<br />
父親が、仕事で不在がちである上、掬佐への関心がほとんど無くなっているのを良い事に、継母は人目もはばからず、掬佐に辛く当たるようになっていきました。<br />
小汚い彼の姿が目障りだというので、食事も寝るのも自分達とは別の場所に分けてしまいました。<br />
彼だけは物置でした。<br />
使用人達でさえも、母屋の上り框（かまち）で食事を与えられているというのに、彼だけは、食事をこぼして汚すからという理由で、物置の土間の上で食べさせられました。<br />
それも、与えられるのは、味噌汁かけご飯一杯だけでした。<br />
寝る場所も、使用人達は、板の間に布団を敷いて寝させて貰っているのに、彼は、寝小便で汚すからという理由で、土間の上に藁を敷いただけの場所に寝かされておりました。<br />
偶に（たまに）帰ってくるだけですが、父親は、さすが実の親です。食卓についていない掬佐の事を気にかけ、時に「掬佐の姿が見えんが、どうした」聞く事もありました。<br />
しかし継母は<br />
「あの子、みんなと一緒にいるのがいやみたいで、最近では物置から出てきませんの。<br />
一日中あそこにいて、あそこで寝起きし食事も、あそこですると言ってきかないんですよ。<br />
私が何と言っても聞きませんし、もう私、あの子の事をどう扱ったらよいか分かりませんわ。<br />
今日だって、お父様がお帰りになったから、こちらで食事をするようにと強く勧めましたのに、嫌がって絶対にあそこから出ようとしませんの。本当に困ってしまいますわ。」と言い訳をして、ごまかしてしまうのでした。<br />
父親の方も、もともとそんなに強い関心を持っていたわけではありません。だから、そう言われれば、「そうか」と言って、それ以上詮索する事もありませんでした。直接会って様子を見てみようとする事もせず、継母の言葉を信じて、そのまま終わってしまっていました。<br />
父親が帰って来る日以外は、着替えもさせてもらっていない掬佐の衣服は、垢と食べ物の溢し汁（こぼしじる）、泥、寝小便の後などによってドロドロに汚れ、嫌な臭いさえ立ちあがっておりました。<br />
その姿は乞食以下でした。<br />
汚い上に、言葉はあまり通じず、その上、誰に対しても警戒心を示し、全く懐こうとしない掬佐の事を、使用人達も又、殆どが嫌って、なるべく近寄らないようにしておりました。<br />
こうして彼は、偶に外に出かける以外は、一日の殆どを、物置の中で過ごしておりました。人と人間らしい交流をしてこなかった掬佐自身にとっても、小屋の外の世界は苦手でしかありませんでした。<br />
とくに、自分に対する人の感情を読み取る能力を持っている彼にとっては、自分に対して、好意をもたないこの家の人達の目に曝されなければならない小屋の外の世界は苦手でした。彼にとってはそれは苦痛でしかありませんでした。<br />
時には恐怖でさえありました。<br />
何しろ外の世界には、憎悪と嫌悪に満ちた継母の目が待っております。<br />
この家の使用人や、近所の人達の、好奇や、軽蔑、嫌悪、憐憫（れんびん：あわれみ）等に満ちた目もあります。<br />
従って、彼にとっては、小屋の中が一番安らかに過ごせる場所でした。<br />
近所の人や、使用人の中には、掬佐の事を哀れに思い、継母の事を悪く言う人もいないわけではありませんでした。しかしそれはあくまで陰でこそこそ言うだけでした。<br />
近在きっての大地主の若奥さんである彼女に、表だって盾突いてまで、掬佐のために何かをしてくれようとする人はいませんでした。</p>

<p>その９</p>

<p>ある夜の事です。掬佐はその夜、空腹の為、夜中に目が覚めて、眠れなくなってしまいました。<br />
もう７歳になっているにも関わらず、掬佐の背丈は５歳児くらいの大きさしかありません。彼は、小さくて痩せ細ったその身体を、藁（わら）蒲団の上に起き上がらせると、何か食べるものはないかと、辺りを見回しました。<br />
しかし壁の隙間から入ってくる微かな上弦の月明かりの中、鍬や鋤といった黒々とした農具の影が目に入ってくる以外には、何も見つかりませんでした。<br />
この年になっても、茶碗一杯の汁かけご飯しか、与えてやれない胃袋の方は、年齢相応の量の食べ物を欲しがり、容赦なくグーグーと鳴って騒ぎます。<br />
朝、昼、晩の三度与えられる、茶碗一杯ずつの汁かけご飯だけでは、育ち盛りの彼にとってはもう足りないのです。<br />
四六時中、お腹がすいた状態です。ひもじさのあまり、夜中に目が覚め、朝まで眠られない事だって少なくありません。<br />
その夜はひもじさが特に強く、もうどうにも我慢できないほどになっておりました。<br />
彼は藁床から起き上がると、「何か口に入れる事の出来るものはないか」と<br />
物置小屋の暗闇の中を、隅から隅まで手さぐりで、探し回りました。<br />
しかし、食べ物のかけらさえも見つける事はできませんでした。<br />
がっかりした掬佐はそのまま土間の上に座り込み、腹の減っているのを、少しでも和らげようと、上腹部を押さえておりました。<br />
その時でした。見るともなく見ていた物置の片隅から、黒い煙のような影が立ち昇ってまいりました。<br />
煙のようだったそれは、やがて空中で、一つ、二つ、三つ、四つと五つの塊に分かれ、やがてその一つ一つが、奇妙な生き物の形へと変わっていきました。<br />
それまでも、不気味な物の気配は、前から時々感じていましたが、こんなにはっきりとその姿を見たのは初めてでした。<br />
その生き物は、暗い闇よりももっと黒く、ハエのように透き通った翅（はね）を持ち、三角形の顔には、青白い光を放つ、細く釣り上った目と、暗闇でもはっきり見える、顔の後ろまで引き裂かれたような、真っ赤で大きな口をもっておりました。そして側頭部には、三角形をした一対の大きな耳が垂れ下がっておりました。<br />
一尺（約３０センチ）にも満たないような黒くて細い身体は、お腹だけが異常に膨れ、そのお尻には、豚の尻尾のような短い尻尾がクルッと丸まって付いております。<br />
空中を飛びながら細かく震わす手足は、まるで獲物にとびかかっていく蜘蛛の足のようでした。<br />
そいつらは、「腹が減ったら、自分で探せ。それが出来ぬなら、死んでまえ。それいけ、やれ行け台所、そこには御飯が、ワンサカあるぞ。腹が減ったら、探して食べろ。それ行け、やれ行け、台所。怒られたって、知ったこっちゃないが」<br />
と歌い踊りながら、掬佐の頭の上をグルグルと、３回くらい飛び回った後、壁と柱の隙間からするりと抜け出し、飛んでいってしまいました。<br />
「ポカン」とみていた掬佐は、そいつらが出て行くとすぐ、慌ててその後を追っかけました。<br />
黒い煙のような、物の怪（もののけ）の群れは、一直線に並んで、裏口の扉の方向に向かって飛んでいきます。<br />
掬佐の足では追っかけるのが難しいくらいの速さです。<br />
やがて裏口の扉の所に達したそいつらは、扉の隙間からすーっと中に吸い込まれるように消えてしまいました。<br />
後を追ってきた掬佐は、その扉を開ける事を、一瞬、躊躇い（ためらい）ました。<br />
黙って台所に入った事がわかった時の、継母の顔が浮かんできて、足が竦んで〈すくんで）しまったからです。<br />
でも空腹の誘惑には勝てませんでした。<br />
彼はおずおずと扉を開けると、そっと台所へと忍びこみました。<br />
台所の一角から匂って来る、恋しい御飯の薫りが、彼の鼻を擽り（くすぐる）ます。<br />
思わず唾を飲み込んだ彼は、上り框においてあったお櫃（おひつ）に向かって真直ぐにつき進むと、飯櫃の中に手を突っ込み、手掴みでご飯を食べ始めました。<br />
しかし悲しい事に、あまりに慌てて一気に御飯を口の中に押し込んだために、ほんの数口、口に入れただけで、噎せかえり（むせる）咳き込んでしまいました。</p>

<p>次回へ続く</p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.131　お坊さまと白尾の狐　その２（お婆ちゃんの昔話より）</title>
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<modified>2011-10-13T06:49:28Z</modified>
<issued>2011-09-15T12:13:58Z</issued>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話はフィクションです。似たような点がありましても、実際の事件、実在の人物とは、全く関係ありません。</p>

<p>その１</p>

<p>これは、もうずいぶん昔、お婆ちゃんのそのまたお婆ちゃん（＝大婆ちゃん）がまだ１２，３歳の子供だった頃のお話です｡その頃は、まだ徳川様から、天子様に変わったばかりの時代で、今、お婆ちゃんが（＝大婆ちゃん）、（註：お婆ちゃんのお婆ちゃん即ち、大婆ちゃんがしてくれたお話ですから、ここから後は、大婆ちゃんの事を、単にお婆ちゃんと呼ぶ事にします)住んでいる、この辺りも、昔はね、沼地ばかりの、一面芦原で、その中の、やや小高い所に、木々の茂る森があり、その森に守られているように、１０軒くらいの家が建っているといった程度の寂しい場所だったんだよ。<br />
その頃、お婆ちゃん（＝大婆ちゃん）の家には、毎月の祥月命日（一周忌が過ぎてから、故人が死んだ当月当日にお行われる、故人を祀る仏事）になると、故人の供養の為に来て下さっていたお坊さんがいらっしゃいました。このお坊さん、もう百歳以上には、なっていらっしゃるという噂でしたが、見た所はそんなお年とは見えないという、不思議な方でした。<br />
そのお坊様は、病人の身体にとりついて、色々な災厄や病を齎して（もたらして）いる、妖怪変化だとか、怨霊（おんりょう）などの類を取り除いてくださったり、そいつらがもたらす、いろいろな災厄から、身を守る法を授けて下さったりする、不思議な力を、備えていらっしゃいました。<br />
またそのお坊様から、因果の理（ことわり）に則って（のっとって）話される、お話を、聴かせていただくと、全ての人が、この世の悩みから解放され、心安らかに、成仏できるとも言われておりました。<br />
所でこのお坊さん、どういう訳か、何処へお出かけになる際も、一匹の老狐を、連れていらっしゃいました。<br />
その狐は、もうずいぶん年をとっていたようで、抜け毛、白髪が目立ち、歩くのも辛そうなほどに、よぼよぼでした。尻尾の毛も殆どが抜け落ちて薄くなり、とても貧弱な感じです。しかし、よく見ますと、残った尻尾の毛は、素晴らしい銀白色をしていて、この狐がまだ若くて、毛がフサフサしていた頃は、銀白色の尻尾をもった、素晴らしい雌狐であったに違いないと、想わせる所がありました。<br />
そのお坊さん、その狐を、とても大切にしていらっしゃいました。その様子は、可愛がっておられるというよりも、どちらかというと、何かから、守っておられるといったご様子でした。<br />
何処の家を訪れられる時でも、必ずといっていいほど、いつも一緒でした。お座敷にお通しする時も、必ず「その狐も一緒に」と申されました。<br />
そして片時も離れることなく、その狐の傍におられました。<br />
でも、この狐、別に何をするわけでもありませんでした。お坊さんが、お経を、あげていらっしゃる間中、お坊さんの後ろで、こっくり、こっくり居眠りしているだけでした。<br />
だから、私から見れば、しょぼくれた、ただの老いぼれ狐にしか、みえませんでした。しかしお婆ちゃんの家の者を始め、どの檀家の人々も、お坊さんと同じように、その老狐のことをとても大切にしているのでした。<br />
物心つくようになってからの私は（=大婆ちゃん）、それが不思議でたまりませんでした。<br />
そこであちらこちらで、理由を聞いてみるのですが、誰もきちんとした理由を、教えてくれませんでした。<br />
遊び仲間にも、聞いてみましたが、ガキ仲間どもにも、その理由を、知っている子はいないようで、誰に聞いても、｢さあ｣と言って、首を傾げるだけでした。<br />
それ以上聞こうとしても、どの子らも、「それ以上は聞かない方がいいよ」と言わんばかりに、閉じた唇の前に、人差し指を当て、首を振るばかりです。<br />
好奇心に耐えかねた私（＝大婆ちゃんの事）は、ある時、お婆ちゃん(註：=大大婆ちゃん＝大婆ちゃんのそのまたお婆ちゃん、)を捉まえて（つかまえる）、その訳をきいてみました。<br />
するとお婆ちゃん（＝大大婆ちゃんは）しばらく考えていましたが、｢あの狐の話かい、その話は、私ら限られた数人の人間以外には、本当の事は知らされていない秘密なんだよ。もしも悪い奴等に、あのお狐様の話が、変に間違って伝えられると、あのお狐様に迷惑をかける心配があるからね。<br />
だから、一般の人達には、『あの狐の話はしてはならない、その話には、触れただけで祟りがあるから』という言い伝えになっているんだよ。<br />
いくらお前の頼みでも、こればかりは、話す訳にはいかないね。<br />
でもお前は、不思議な力を持った子のようだと、かねがね和尚さんが、おっしゃっていらっしゃったから、ひょっとすると、お前も、あの狐を守っていく者達の、仲間の一人かもしれないね。<br />
もしそうだったら、訳を話しても良いというお許しが出るだろうから、一度聞いておいてあげようね｣といってくれました。</p>

<p>その２</p>

<p>遊び盛りの私は、遊びに感けて(かまける：一つの事に心を奪われ、他の事を疎か[おろそか]にする、の意)、その後、お婆ちゃん（＝大大婆ちゃん）に頼んでいた事を、いつの間にか、すっかり忘れてしまっていました。<br />
所がある日、「房乃や（註：大婆ちゃんの名前）、和尚さんからお許しが出たから、あの話、教えてやってもよいよ。だがこの話、許されているもの以外には、絶対に、誰にも話してはいけないと言う事になっているのだけれど、お前、誰にも話さないと、約束が出来るかい。秘密をもつというのはなー、とっても辛い事だよ。お前、其れでも知りたいか。もし、おまえがこの話を人に漏らしたことによって、万一あの「もみじ尼様」（註：白尾の狐の名前）に、害が及ぶような事にでもなろうものなら、お前だけではすまないのだよ。お婆ちゃんは言うまでもなく、お前のおじいちゃん、お父さん、お母さん、さらには、おじさん、おばさん、お前の、兄弟たちにまで、仏罰の累が及ぶかもしれないというんだけど。お前、本当に秘密を守れるかい」とお婆ちゃん（＝大大婆ちゃん）。<br />
「仏罰って、どんな事が起こるの」と私（＝大婆ちゃん）。<br />
「さあー、お婆ちゃんに（＝大大婆ちゃん）も分からない。ただ仏罰が下るときいているだけだから」<br />
「仏罰ときくとやはり、怖くなってしまってね、お婆ちゃん（＝大婆ちゃん）、聞くのを止そうかなと一瞬、迷ったもんだよ。<br />
でもね、どちらかというとお婆ちゃん（＝大婆ちゃん）好奇心が強い方でしょ。だから秘密と言われると余計に聞きたくなってしまってね」</p>

<p>その３</p>

<p>大婆ちゃん、仏罰と聞いて、一瞬、躊躇い（ためらう）ました。しかしやはり怖いもの見たさ、ここまで聞かされて途中で止められては、たまらないとおもいました。<br />
その時の私（＝大婆ちゃんのこと）としては、約束した以上、秘密は絶対に漏らさないつもりではありました。<br />
ただ人間のする事でしょ。自分に、その気がなくても、話の都合で、秘密の一端を、ついつい口を滑らしてしまう可能性だって、絶対ないとは、言い切れないでしょ。<br />
それだけに悩んだもんだよ。<br />
でも好奇心にはかてなかったね。<br />
結局、「やっぱお話しして。どうしても聞きたいから」と言ってしまったんだよ。</p>

<p>その４<br />
　<br />
　大婆ちゃんが、大大婆ちゃんから聞いたお話（＝お婆ちゃんの、お婆ちゃんのお婆ちゃん、すなわち大大婆ちゃんがしてくれた話）</p>

<p>もうだいぶ前の事だけど、あの和尚さんは、幼名は掬佐(きくすけ)といい、この村の隣の輪中の大庄屋様の家の長男として生まれました。<br />
（註：輪中・・水害から守る為に、一個もしくは数個の村落を堤防で囲み、形成していた水防共同体）<br />
所が運の悪い事に、お母さんは、掬佐を生む時、難産だったために、それがもとで、子供を産んだ後、直ぐに亡くなってしまいました。<br />
その為、掬佐は生まれるとすぐに、母無し子となり、乳母のもとで、育てられる事になってしまいました。<br />
掬佐くらいの家でしたら、乳母を雇って、生家で、そだてられるのが普通でした。<br />
なんらかの事情があって、乳母の所に、預けられるにしても、ある程度の家柄もあり、教養もある、女の家に預けられるのが普通でした。<br />
所が、掬佐の場合は、そういう事に、煩いであろう、祖父母共に、早世（そうせい：若死にの意）して、既にこの世におりませんでした。<br />
その上、父親は、地主と川船運送業をしておりましたから，その方が忙しくて、そんな事まで気を遣っている余裕がありませんでした。<br />
その為、家の事は、どうしても、ベテランの女中頭まかせと、なっておりました。<br />
この女中頭、仕事はよく出来、金銭的にもとても堅く、信用できる女でした。しかし、その生まれが、もともと貧しい家の出でしたから、何事にも、実利本位の考え方しかできない人でした。<br />
そこで、乳母選びも、子を生んで間もない女で、乳の出が良い女というのを、第一条件に、後は実直で、子育てが上手ければ良いという考えのもと、されました。<br />
それに一日も早く決めなければとならないという事情も重なりましたから、深く吟味する事もなく、結局、母親の死後､臨時に乳を与えてくれていた、小作の女房が、そのまま、乳母と決まり、その家に、預けられることになってしまいました。<br />
この女はその時、５人の子持ちでした。５人目の子供を生んで、まだ５カ月余り、乳の出はとてもよく、二人の赤ん坊に与えても、まだ余るほどでした。その点では、充分資格を備えておりました。<br />
しかし、彼女の家が作っている小作地はとても狭く、親子７人が食べていくのがやっとやっとの家で、普通に考えれば、お金持ちのお坊ちゃまを、安心して預けられるような、環境ではありませんでした。</p>

<p>その５</p>

<p>掬佐は、２歳半ば頃までその乳母の家で育てられました。<br />
着るものだとか、寝具類等は親の元から運んできた物を使っていましたから、他の子供たちと違った、極上のものが与えられておりました。<br />
しかし他は、特に気を遣ってくれるような事もありませんでした。<br />
離乳が終わってからの食事も、掬佐の家から、食い扶持として、十分すぎるくらいの、お米とか、お金が、送られていたはずですが、それらは全て、乳母の一家を、養う食費として消え、掬佐が特別扱いを、受ける事はありませんでした。<br />
食事として与えられていたものと言えば、ほかの子供達と同じ、全く粗末なものでしかありませんでした。<br />
育て方も、地主の家のお坊ちゃまだからといって、特に気を遣ってくれている様子はありませんでした。<br />
他人の前では、世間体を気にして、いかにも大切にしているように、みせてはおりました。しかし、人目のない所では、年上の子供達に、見張りを、させてはおきましたが、いつも一人で寝かせつけたままにして、放りっぱなしでした。<br />
自分の子供たちの世話と、日々の生活に、手一杯で、掬佐に細やかな愛情を注いでやる余裕がなかったというのも、あったかもしれません。（良い方に解釈すればの、話ですが）<br />
しかし、もともと彼女、それほど子供好きではなかったのです。自分の子供５人の子育てをしてきただけで、もう子供なんか、うんざりと思っていたところでした。<br />
そこにもう一人、他人の子供を引き受けてきたわけですから、そんな子供に、愛情を注ぐ気持ちなんか、湧いてきませんでした。<br />
彼女は、仕事として、乳を与え、離乳期以後は、食事の世話をし、身の回りの面倒をみていただけでした。<br />
そこには、愛情の欠片も、見当たりませんでした。<br />
掬佐を、可愛いと思った事など、一度もありませんでした。<br />
彼女の家の子供達も、掬佐の事を、大切な家の、預かり子という事は、母親に強く言われ、良く知っておりました。<br />
彼女の子供達、中でも年長の子供達は、もしもこの子に、怪我でもさせようものなら、地主さんを怒らせてしまって、自分の家が、明日の生活にも困るようになる事を、知っていました。<br />
だから、とても気をつけて見張っていてはくれました。しかしそれだけです。<br />
弟として、親しみをもって、接してくれたわけではありません。あやしたり、話しかけたりなんか、無論、してはくれませんでした。<br />
成長した後も、一緒に遊んでくれるようなことは、全くありませんでした。<br />
あくまで、大切な預かりものとして、怪我をしないように、病気になったりしないよう、見張ってくれていただけでした。<br />
この為、掬佐は本当の意味での母親の愛はいうまでもなく、人の情さえも知らずに育ちました。<br />
しかも、一人、放りっぱなしにされたまま、他の子供達との子供らしい交流もなしに育ちましたから、言葉の発達は遅く、人とは馴染めない、警戒心だけが強い、捨て猫のような子になってしまいました。</p>

<p>　　　　　　　　　　　<br />
次回へ続く<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.130  おばあちゃんの昔話より　お坊さまと白尾の狐　（その１）</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/08/#001022" />
<modified>2012-01-12T05:16:23Z</modified>
<issued>2011-08-31T04:36:39Z</issued>
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<created>2011-08-31T04:36:39Z</created>
<summary type="text/plain">今回は息抜きの為、おばあちゃんから聞いたお話をお送りします。 なお、このお話はフ...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>今回は息抜きの為、おばあちゃんから聞いたお話をお送りします。<br />
なお、このお話はフィクションで、実在の人物だとか、実際にあった事件とは全く関係ありません。</p>

<p>その１　始めに</p>

<p>「もう今では、誰も信じなくなってしまったんだけど、昔はね、この辺りにも、妖怪だとか、精霊、妖精等といった類のものがいてね、水辺だとか、花畑、田んぼの中等で遊んでいるのを見かけた人もいたもんだよ。<br />
暗いところに潜んでいる妖怪に、祟られたり、驚かされたり，悪さをされたりした人もいたもんだけどね」とおばあちゃん。<br />
「嘘でしょ。そんなの、信じられない。おばちゃんは、いまだにそんな事を信じているの。古すぎ。<br />
今時、そんなこという人、おばあちゃんくらいの年の人にだって、もう誰もいないよ。<br />
本当にいたというのなら、その証拠をみせてよ」と私。<br />
私が小学校５年生の頃のお話です。１０歳を過ぎて、理屈っぽく、小生意気になっていた私は、昔のようには、おばあちゃんのお話を、素直に聞けなくなっていました。<br />
「そうかもしれないね－。もうこういうお話をしようとしても、誰もまともに聞こうともしてくれなくなってしまったものね。<br />
証拠と言われてもねー。おばあちゃんだって、昔の人に聞いた話の受け売りだから。<br />
おばあちゃんはね、昔の人達から聞いてきた話しかあんた達にしてやれないから、もうあんた達のような今っ子には、合わなくなってしまっているのかもしれないね－」とおばあちゃん。<br />
でもとても寂しそうです。<br />
この頃ではもう、おばあちゃんの家の孫たちは、みんな大きくなってしまっていて、おばあちゃんのお話をきいてくれるどころか、話し相手にさえもなってくれなくなってしまっていました。<br />
それだけに、おばあちゃんのお話を、面白がってきいてくれていた、唯一の聞き手だった孫の私からまで言われてしまったこの一言は、おばあちゃんには、ずいぶん堪えた（こたえた）ようでした。<br />
当時の私は、おばちゃんの事を随分な年だと思っていました。しかし、今、私の年から逆算してみますと、５０歳代半ば、まだまだ気持ち的には、若いつもりでいらっしゃったに違いありません。それだけに孫から面と向かって古いと言われたのは、かなりショックだったに、違いありません。<br />
「おばあちゃんはもう古いのかねー。そうかもしれないなー。ここら辺りだって、おばあちゃんが子供だった頃とはもう、ずいぶん違ってしまったからなー」<br />
「電灯が日本中に灯る（ともる）ようになってからは、とても便利になったけど、その代わり、何もかにもがすっかり変わってしまって。<br />
おばあちゃん達の様な年寄りの出番はもうなくなってしまったのだろうね。<br />
中でも一番変わってしまったのは、人の心じゃないかなー。日本中何処へ行っても、本当の真っ暗な暗闇というのも見当たらなくなってしまったのと、歩みを合わせるように、日本人の心から、自然を畏敬する心も、すっかりなくなってしまったものねー。<br />
妖怪だとか、精霊などと言う神秘的なものが活躍する為には、暗闇が必要だし、その活躍を人間が、見たり感じたりする為には、自然を畏敬する人の心も必要なんだけどね」<br />
「その両方がなくなってしまったんだから、今では、もう妖怪や幽霊の類だとか、精霊や妖精の類は、この世では生きられなくなってしまったんだろうね」<br />
「じゃーおばちゃんは暗闇がなくなったから、妖怪だとか精霊達もいなくなってしまったというの」<br />
「いやそう言っているんじゃないよ。さっきも言ったでしょ。暗闇がなくなったのは大きいけど、暗闇がなくなっていくにつれて、人々の心の中から、そういった目に見えない不思議なもの、神秘的なものを敬ったり、畏れたりする気持ちがなくなっていってしまったでしょ。だから妖怪の類や精霊や妖精達も、この世界へこられなくなって、見えなくなってしまったんじゃないかと言っているんだよ」<br />
「あんた達のような今の子は、なんかと言うとすぐに証拠、証拠とかといって目に見えるものしか信じないけど、世の中には、理屈だけでは割り切れない、目に見えない存在もあると思うんだけどねー。<br />
でもそんなら証明して、なんていわれると、おばあちゃんだって、昔の人達からの受け売りだから、本当の事はというと、よく分からないとしか、いいようがないけどね」<br />
「おばあちゃんが、おばあちゃんのおばあちゃん（おお大婆ちゃんの事）から聞いた話によると、夜になって、空から真っ黒なベールが下りてきて、辺り一面がそれに包まれ、真っ暗になっていった時、その暗闇の中でも、一番暗いところに、この世界と、別の世界を隔てている壁に裂け目状の薄くなっている部分が出来てくるんだって。神秘的なものだとか、不思議なものを畏敬する人の心と、異次元の世界の波長とが同調する時、その部分に出入り口が開き、そこを通って、妖怪だとか幽霊、妖精だとか、精霊がこちらの世界へやってきていたんだそうだよ。<br />
昔は、人の心もまだ純朴で、今のように目に見えないものはみんな否定してしまうのでなく、目に見えない神秘的な世界だとか、不思議なものの存在を、信じ崇めていたからね。<br />
だから、妖精だとか妖怪変化、精霊、妖精などの世界と通じる出入り口もあちらこちらにあったという話だよ。その為に、彼らもこちらに来やすかったし、こちらの世界から、あちらの世界へ行き、その世界を覗いてきた人だとか、あちらの世界から来る妖怪達の手下になって、人間に悪さをした動物もいたそうだよ。<br />
高僧とか聖者と呼ばれる人たちの中にはそういう人達もいたというはなしだよ。多分、そういう人達は、もともと何らかの素質を持っていたのが、修行の途中で、異世界への入り口を見つけ、異世界での体験を通して、悟りを開かれたんだろうね。<br />
一方、不思議な力を持った動物達としては、霊力を持っている稲荷様のお使い狐や、白蛇等のよう者達と、化け猫だとか，化け狐、悪戯狸などのように、妖力を持った者達とがいたもんです。<br />
霊力を持った動物の代表格であるお稲荷狐は、もともとは、神仏の世界から、この世に降りてこられた神様や仏様が、この世でお仕事をなさる際、それをお助けする役目を仰せつかって、この世に、遣わされてきた動物だったんだって。よって彼等は、強い霊力を持っていて、この世と、精霊たちの世界や、神仏の世界を往来する能力を持っていたのだそうだよ。<br />
この世界に住みついた彼等は、やがて子孫を残し、その直系の子孫を中心とする眷属（けんぞく：親族のこと）もまた、ご先祖様ほど強くはありませんが霊力を備え、神様や仏様にお仕えするようになったんだって。この血をひくものは、殆ど、全身真っ白な毛でおおわれていたそうです。しかし長い間には、尻尾だけが銀白色のものだとか、耳だけ白い、背中だけが真っ白などといったものもいるという話だよ。<br />
なおこれは余談だけど、長い年月の間には、稲荷狐の子孫の中にも、道を誤り、妖怪の世界へと走るものも出てきたんだって。九尾の狐等はこの類だったと思うけど、こういった場合、それほど強くはないものの、妖力と、ある程度の霊力とを兼ね備えていましたから、この種のアヤカシ（妖怪変化）が、この世に現れた場合、この世は、正しい事は滞り、悪が蔓延る（はびこる）混乱の極みの時代に陥ってしまっていたのだって。<br />
妖力を備えた動物としては、ほかにも、化け猫だとか，化け狐、悪戯狸等もよくきいたもんだよ。でも、それらは、九尾の狐は別として、言われているほど強い妖力は持っていなかったみたい。長い年月生きている間に、何らかの拍子に、妖怪どもに魅入られ、その手下になって、妖力を、少しだけ分け与えてもらっただけみたい。<br />
だから人間を驚かしたり、誑かしたり（たぶらかす）するくらいの力しか持っていなかったんだって。<br />
しかしそう言ったもの達の存在は、私達人間に、人間の五感で感じるこの世界以外にも、人間の知性では及ばない、神秘的な世界がある事の証（あかし）として語り継がれてきたんだよ。<br />
ところが、文明開化によって、日本中どこへ行っても、電灯がついているようになってしまったでしょ。<br />
だから日本ではもう、人間の住んでいる所には、完全に真っ暗な所がほとんどなくなってしまったんだよね。<br />
その上、文明開化と一緒に入ってきた、西洋的なものの考え方と科学的知識が広まったでしょ。<br />
だから、日本人の心もすっかり変えられてしまって。もう不思議なものだとか、神秘的なものの存在を信じたり、畏れたりする人も殆どいなくなってしまったんだよね－。<br />
この為、別の世界へ通じる出入口も、今では、その殆どが途絶えてしまったんだって。<br />
だから、妖精も、精霊も、妖怪変化達も、こちらの世界へ来る事が出来なくなってしまったらしいんだね。<br />
あちらの世界を覗く事が出来なくなったせいか、神通力のような、特別な能力を備えていらっしゃる聖（ひじり）と呼ばれる偉いお方も、今では殆ど聞かなくなってしまったんだよね。化け猫だとか、騙し狐等といった、妖しい力をもった生き物たちの話が、ほとんど聞かれなくなってしまったのも、このせいではないかということだよ。<br />
何でも、あいつらは、妖怪や悪魔たちの手先になる事で、妖怪達から怪しげな力を分けてもらっていただけということだから、妖怪達がこちらの世界へこられなくなり、妖力を補充して貰えなくなった今では、妖力もなくなってしまったらしいという話しだよ」<br />
「ふーん。それじゃ精霊とか、妖怪というのは、この世界とは別の世界があって、そこに住んでいる生物で、時々こちらにやって来ていたというの？」<br />
「そういう話しだよ」<br />
「でもわからないなー。そんならその世界はどこにある（存在する）というの。そんな世界、四方八方何処を見たって、この空の下、何処にもそんな世界なんか存在する余地がないじゃないの」<br />
「それがねー。世界というのは、今お前が住んで、息をしている、この世界だけが唯一の存在ではないらしいのだよねー。世界を時間軸にそって並べてみると、昔々のその昔から、今現在、そして未来の世界と、色々な世界が連続して存在しているというのは、お前でも分かるでしょ。その中の現在というのが、私や、お前が今、生きているこの世界なんだけど、現在の世界というのは、それ以外にもこの世界と並行していろいろあるらしいんだよ。それを横軸に沿って、仮に左右に並べていってみると、一番右端が神様や仏様が住んでいらっしゃる天国、ここには、生きていた時、よい行いをした、心がけの良かった人たちも住まわせてもらっているんだけど、そういった天国、その次は、妖精だとか、精霊といった神秘的な力をもっていて、神様の手助けをしたり、心清くしたりするものたちの住む世界、そしてその次がおばあちゃんや、お前たちが生きている、この世界、そしてこの世界と接して左端に、妖怪や変化といった人間の心を惑わし、人間達に悪さをするもの達の住む世界と、死んだ後も、この世界に恨みだとか未練があって、地獄にも、極楽にも行けず迷っている亡者達（いわゆる幽霊）のいる世界、そして一番左の端には鬼達や、生きている時、悪い行いをした為に連れてこられて者達の住む地獄となっているんだって。<br />
そしてこれからの話は、ごちゃごちゃしていて、おばあちゃんにも、どうもよく分からないところがあるのだけど、何でもこの天国から地獄に至る世界は、横一線に並んでいるのでなく、高さがジグザグに並んでいて、しかも全体としてはサークル状の配置になっているのだって。だから、左端の地獄と右端の天国は、最端の部分では、くっついてしまっているのだそうだよ。また天国だとか地獄といった各世界、これがまたそれぞれに深さがあって例えば天国といっても、神様や仏様のお住まいになっている最上階から、生きている間に、良い行いをした人間達の住まわせてもらっている、極楽浄土まで、無限の深さがあり、地獄もまた、一番罪の深い者たちの落とされた、一番深い所にある無間地獄から、最も浅い所にある第一地獄に至るまで色々あるんだって。そしてその夫々が、過去、現在、未来といった無限の広がりをもっていて、その上、ジグザグになって連なり、過去、現在、未来のあちらこちらで繋がりあうところがあって，境界がなくなっているところもあるとい言う話」<br />
「だからねー、私達の目に見えないからといって、別の世界がないという訳ではないらしいんだよね。こういう風に、目に見えるこの世界以外の空間が、同時に存在している事さえ理解できれば、他の世界がそこに存在する余地がある事だって分かるでしょ」<br />
「へー、ごちゃごちゃしていて、なんだかよく分からない。だけどそれって誰が言ったの。まるで見てきたようなお話になっているけど。まさかおばちゃんが考えた作り話じゃないでしょうね」<br />
「違う。違う。こういう話は、お釈迦様もおっしゃっている事だそうだよ。だから仏様の知恵で、宇宙の高みが御覧になれたんじゃないのかねー」<br />
「おばあちゃんが聞いたのは、おばあちゃんからだけど、そのおばあちゃんのおばあちゃん（大ばあちゃん）は、その頃家へいらっしゃっていた、偉いお坊さんから聞いたという話だったよ」<br />
「分かった、それで今日はどういうお話をしてくれるつもりだったの」<br />
「今日はね、今言った、偉いお坊様と白尾の狐のお話をしようかなと思っていたのだけどね」「どうする？」<br />
「うん、やはり聞きたい。さっきはごめんね」　　　　　　</p>

<p>次回へつづく</p>]]>

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<title>No.129  うまい話には罠（わな）がある</title>
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<modified>2012-01-12T05:12:58Z</modified>
<issued>2011-07-27T13:38:50Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話は創作されたもので、実在の人物、事件とは関係ありません。 その１ 今から...</summary>
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<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
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<![CDATA[<p>このお話は創作されたもので、実在の人物、事件とは関係ありません。</p>

<p>その１</p>

<p>今からもう２０年近くも前の事でしょうか。私が画廊にお勤めを始めて数年目、お勤め先の社長さんのご指導のおかげで、やっと売買にも自信が付き、まかされて、どうにか一人で、いっぱしの商いをしてくる事が、出来るようになって来た頃のお話です。<br />
時は、バブルの絶頂期も終わり近くの頃の事です。企業であれ、個人であれ、誰もかれもが、長く続いた好景気に酔い痴れ、膨大な借金を抱えているにもかかわらず、それを気にすることもなく、土地に、株に、ゴルフ会員権に、絵画にと、買い漁っていた時代でした。<br />
その姿は今から思えば、撒き餌に狂奔する魚の群れのようなもので、誰もが好景気に浮かれ、警戒する心を忘れ、儲け話に群がり、投機話に現（うつつ）を抜かしていた時代でした。<br />
画廊世界の住人達も、その例に洩れませんでした。ある画廊は株や商品相場に、ある画廊は土地にと、大金を借りて投機に手を染めていただけでなく、その上、本業の方でも、膨大な借金を重ねて、在庫を膨らませ、しかもそれを、回収を後回しにしたまま、無警戒にあちこちに掛売りし、売掛金ばかりを膨らませていっておりました。<br />
その為、中には、売上げばかりあがっていても、肝心の回収が出来ていず、資金繰りがショートしてしまい、高利の金に手を染めている画廊も少なくないといった状態になっておりました。<br />
売り上げの大きい割に利益が伸びていず、売掛金の回収が少し滞っただけでも、危ないといった噂のある、いわゆる自転車操業のような状態の業者さんも少なからず在りました。<br />
それは今から思えば、日本の景気が、風船のように極限まで膨れあがっていた状態で、ちょっとしたきっかけで、弾け（はじけ）とび、連鎖倒産が次々に起こってくる時代の幕開けの近い事を予告するものでもあったのです。（残念なことに、皆がその熱に浮かされていて、その予兆に気付いた人は、殆どいませんでしたが）</p>

<p>その２</p>

<p>　当時私がお勤めしていた画廊の社長さんは、「画商の仕事は一種の情報産業のようなもので、何処の画廊が、どんな作品を扱っているか、どんな作品を欲しがっているか、何処の画廊にどんな絵があるか、いくらで売っているか、などを知っていれば、それだけで商売が出来ていく。」「暇があれば、他所の画廊を回って、画廊に掛かっている作品の値段を調べ、そのご主人の話を聞いてきなさい。」と絶えず言われる方でした。そこで私も、時間の余裕がある限り、顔見知りの画廊を、訪問するようにて心がけていました。<br />
　さる地方に、他の用事で行ったついでに、交換会で２～３度お目にかかった事のある、その地の画商、Aさんのところをお訪ねした時の事です。<br />
Aさんは、その地方では中心都市の盛り場にある、某ホテルの一画を借り、そこに画廊を開いておられる業者さんです。<br />
Aさんは画廊の他にも、郊外に、集合コッテージ式の大きな焼鳥屋を開き、その上、あちらこちらに賃貸用の不動産までもっておる、とても羽振りが良いという噂のある画商さんでした。</p>

<p>その３</p>

<p>　訪ねていったAさんの画廊には,当時の私などは、とても扱わせていただけないような、有名な作家の本画（版画とかデッサンでなく一枚物のタブロー）が、広いスペースの中にゆったりと掛かっています。<br />
勧められるままに座った応接セットも、とてもゴージャスで、見るからにお金が掛かっているといった雰囲気です。<br />
Aさんはとても上機嫌で、私を迎えてくれました。<br />
「あんた、お若いのに、良く遣っておられるそうですねー。私の回りの画商達なんか、皆さん、そういって感心していますよ。」<br />
「もういつだって独り立ちしてやっていける人だと、もっぱらの評判です。素晴らしいですねー」<br />
煽てられて嬉しくない人はいません。まして、当時の私はまだ若うございました。それだけに、天にも昇るくらい舞い上がってしまいました。<br />
しかし表向きは謙遜して、<br />
「とんでもありません。私なんか、まだまだです。毎日、毎日、社長にお尻を叩かれながら、ただただ歩きまわっているだけで、社長には、迷惑ばかりかけておるような身ですから。それにお金もありませんし。」と申しますと、<br />
「何をおっしゃいます。大金持ちのお嬢さんが。あんたの所、親御さんがお金持ちで、事業を始める気持ちになりさえすれば、いつだって、そこからお金が引き出してこられる人だと、もっぱらの噂ですよ。私らみたいに、一から始めたものには、羨ましい話ですわ。」<br />
「何をおっしゃいます。社長さんこそ、他にも一杯ご商売をなさっている上に、あちらこちらに、賃貸用の不動産も持っていらっしゃる大実業家だという、お話ですのに。」<br />
「いやそれほどでもないですよ。ただこの商売、信用さえあれば、何処からでも作品を借りてくることが出来ますから、おかげさまで、大きくやらせていただいてはおりますけどね。でもただそれだけです。」<br />
「あんたのお勤め先らも、良い作品さえありさえすれば、いくらでも買ってあげますから、いつでも持っていらっしゃい。<br />
でもそうはいっても、あんたのお勤めしている画廊は、どちらかというと版画に力をいれていらっしゃる所ですから、私どもが扱っている本画の方は無理かもしれませんね。<br />
しかし、もしあんたにやる気があれば、あんた個人の信用で、他所の画廊から絵を借りてきて、それを自分の裁量で私どもへ売るというのも一つの手かもしれませんよ。<br />
ここに掛かっているような絵を、一枚、何処かの画廊から借りてきて、右から左に流すだけで良いのです。たったそれだけで、あんたが今貰っているお給料くらい、訳なく手に取る事が出来るくらい儲かるのですから。<br />
どうせ、今あんたがやっている事だって、同じような事を遣ってらしゃるのでしょ。ただ、貴方の場合は、会社の名前でやっていらっしゃるるだけで」<br />
｢確かにそうですけど。でもちょっとそれはー｣<br />
「あんたが、いくら会社のためにと思って一生懸命にやっても、あんたのお給料で払って貰えるのなんか、ほんの雀の涙ポッチでしょ。そんなのつまらないと思わないですか。」「・・・・・・・・・」<br />
「あんたまだ、本画のことは、あまり知らないでしょうから、始めのうちは、私が教えてあげるとおり、ある画廊にいき、そこにかかっている絵を貴方の信用で、私の指示する価格以下で買ってくるだけです。上手く、その価格以下で、それを買ってきてくれたら、私がその価格でそれを買ってあげると言う話です。そうすればその差額があんたの儲けとなります。簡単でしょ」と盛んにアルバイト（自分のお金で売買して、その利益を会社に入れないで、自分の懐に入れてしまうこと）をすることを勧められます。<br />
私も当時は若かったし、知っている画廊勤めの人達が、そういったアルバイトに手をそめているのを、しばしば見てもいましたから、「この種の誘惑に、心動かなかった」と言えば嘘になります。<br />
それまでも、何度もそんな誘惑があり、誘惑に負け、心動かされそうになった事もありました。<br />
しかし家に帰って父に、そんな話を何気なく話した時、<br />
「お勤めしていて、そういった行為をすることは、その店から、品物を盗ってくる、泥棒と同じ事だよ。もしそんな事に手を染めたら、おまえが画廊を始めた時、心ある画廊からは、相手にされなくなりますよ。<br />
お父さんだって、万一、そう言う事に手を染めるようなら、いざというときになっても、一円も援助しないだけではなく、それ以降は、一切の縁を切るからその心算でいなさいよ。」<br />
「大体、そんな不正な事をして、その時、少しくらい儲けたとしても、本当は、信用という無形の財産をなくしてしまうのだからね。長い目で見た時、絶対に損です。将来、お前がこの道で生きていこうと思っているのだったら、絶対にそういった事をしては駄目。いつも王道を歩くように心がけなさい。それが信用を作る道であり、お前が将来、大きく伸びていくための糧となる物なのだから。」<br />
「世間は皆、黙っているだけで、よく見ているからね。<br />
お前だって、そんな悪いことをしていた人を、将来自分の商売の相手に選ぶと思う。思わないでしょ。それが一般的な世間の常識だからね。」<br />
「今は焦らないで、地道に努力して、信用と実力をつけなさい。商売の方法だって知識だって、おまえくらいの年数を経験してくると、いっぱしに覚え、何でも一人前に出来ると思ってしまいがちです。しかし商売の道は、奥深いからね。<br />
お父さんの目から見ると、お前なんか、まだまだ小学生にもなっていない、よちよち歩きの幼稚園児くらいとしか思えないよ。」<br />
「人間、めぐり合わせみたいな物があって、時期が来れば、いやでも独立して、自分の足で歩かなければならない時がやって来ます。だから、今は、それまで待ちなさい。」と固く釘を打たれていました。<br />
そこで「ありがたいお話ですが、家は父が固い人ですから、そういった話はするだけで、家への出入りを差止められかねなません。だからそれは無理です。できません。でも内の画廊の作品で、使えるものがあったら、これをご縁に、どうか使ってやってください。社長さんの所だって、版画の問い合わせもあるのでしょ。そのとき一声掛けてくださるとありがたいのですが。」と私。「そりゃないこともないですから、そんな時は、真っ先にあんたの所に頼んであげましょう。」「しかし残念ですなー。こういった本画の方がずっと儲かるのに。」といかにも残念そうなお顔で言われます。<br />
「あんたのお勤め先、最近少し危ないという噂が立っていますから、どうせ絵だって借り難いでしょ。借りる時、あなた自身の信用で、借りてきている場合も少なからずあるんじゃないの？」「だったら自分でリスクを背負って、商いをしているのだから、その利益を自分の懐に入れたって、別に誰もおかしいと思わないと思うんですがねー。」とAさん。</p>

<p>その４</p>

<p>　確かにその当時、私がお勤めしていた画廊も、社長さんが手を広げすぎ、その上不動産にまで手を広げ、多少金繰りが苦しくなっていました。私が他所の画廊から借りてきて売った、作品の代金も滞りがちで、そのたびに私が責められ、苦しい立場に立たされておりました。しかし社長さんも、絵を借りるに当たっては、私が個人的に保証させられていることを知っていましたから、遅れがちではありましたが、それでも他所よりは先に支払ってくれ、どうにか私も顔が立っているといった有様でした。<br />
従ってAさんの言うとおり、毎日がはらはらどきどき、自分でリスクを背負ってのお勤めですから、当時は買いだしに行くのが怖いと思うようになっていました。<br />
しかしそうは言いましても、売れそうな作品が、必ずしも私の勤め先の画廊にあるとは限りません。そういった場合は、どうしても他所の画廊に借りに行かねばなりません。ところが借りに行くとその度に、「これをお貸しするにあたっては、貴方も個人的に保証してくださいね。もし貴方が保証してくださらないのでしたら、貸すことはできません。」と言われてしまいます。私が当時、お勤め先から扱わせていただいていた作品は、殆ど版画でしたから、もし借りてきた代金を背負わされたとしても、せいぜい数百万円まで、いざとなれば、私が母より相続して持っているお金の中から返せないわけではありません。しかしこんな他人のことで、母の相続財産をつかわされるかもしれないと思うと、馬鹿馬鹿しく、作品を借りる度に、どうしたものかと悩んでいました。そうかといってお勤めをしている以上は、いつもある程度の成績を出さねば、お勤め先に顔向けできません。又これまで私を引き立ててくださった社長さんに、こんなときこそお力にならねばという思いもありました。従って当時は、このお勤めを、このまま続けていくべきかどうか、そのジレンマにいつも悩んでいた時代でした。</p>

<p>その５　</p>

<p>　こんな私の心の内を見透かしたように、「それならいっそ、私の所の画廊を共同経営しませんか。私、貴方もご存知のとおり、あちらこちらでいろいろ事業をしていますでしょ。だから、画廊の仕事だけに、なかなか専念できなくて困っていた所です。<br />
今の話から、貴方なら信用が置けそうですから、一緒にこの画廊やっていくには最適だと気付きました。<br />
最初のうちは、こういった本画についての知識は、お持ちでないので、不安でしょうから、私が指導させてもらいます。従って貴方は、私の言うとおりに、買ってきて、売り歩いてくださればいいのです。最初のうちは、利益を半々という事でどうでしょう。そのうち慣れてこられたら、貴方一人に任せることになるとは思いますが、そうなりましたら、私の取り分は、出してある資本の配当に、画廊の売り上げに応じた、いくばくかの歩合を加えた物をもらえれば良いです。」「別に共同経営者といっても、いまさら貴方にお金を出してもらう心算はありません。だから一円のお金を使うこともなく、この画廊の半分の権利が、貴方の物になるのですから、こんなうまい話ないでしょ。登記もちゃんとしてあげますからね。<br />
私、貴方の事、以前から見ていて、この人は、将来絶対に大物になる人だと見込んでいました。だから貴方に賭けてみようと思うのです。<br />
私もこの年になるまでに、することをしてきましたから、今は若い人を応援して、伸びていくのをみて楽しみたいという思いもありましてね。」と熱心に勧めて下さいます。</p>

<p>その６</p>

<p>私、その頃はまだ学校を卒業して数年目、２０台も後半といったところでしたから、全くの世間知らずで、人の話を疑うと言う事をあまり知りませんでした。<br />
立派な紳士が、人を騙すなどという言葉は、私の当時の辞書には殆ど見当たりません。<br />
　この誘いには大いに心が動きました。「ありがとうございます。早速父と相談してお返事させていただきます。そんなにまで言ってくださるなんて本当にどういって良いか、もう感謝の言葉もないくらいです。もし一緒にお仕事をさせていただくことになりましたら、このご恩に報いる為に、身体を粉にして働かせていただき、将来社長さんに、この人と組んでよかったなと、思われるようなかいしゃにしてみせます。本当に今日はありがとうございました。」と言ってスキップする思いで、足取りも軽くその画廊を辞去してきました。<br />
　家に帰って、早速父にこの話をしましたところ、「お前なー。この世知辛い（せちがらい）世の中に、そんなうまい話が本当に転がっていると思う。<br />
Aさんの所だって、奥さんも子供さんもいらっしゃるでしょうに、おまえのような赤の他人に、只で半分も譲ってくださるようなことがあると思う。<br />
そう言う場合は、何かいわくがあるに決まっていると思わないの。」と真っ向から反対です。「だって、忙しくて、自分ひとりでは手が回らない。だから私の将来性を見込んで、私に一緒に遣ろうといってくれているんですよ。私の実力を、それほど認めてくれる人がいると言うのに、どうしてそんなに悪い方、悪い方にとるの？<br />
人の善意を信じ、わかってあげてほしいわ－。」と私。<br />
「ところでその人幾つ。」と父。<br />
「うーん、はっきりとは、知らないけれど、多分５０歳の半ばくらいだと思う。」<br />
「それでお子さんは。」<br />
「あまり知らないけど、確か大学生と中学生の男の子がいると聞いたことがある。」<br />
「他にお勤めの人は？」<br />
「男のセールスが二人くらいと、女子事務員が一人」<br />
「それなら、その子がもう直ぐ後を継げる年でしょ。気心の知れている、セールスに譲ったって良いでしょ。ただなんだから。それを何の関係も無いあんたに譲ってくれるなんて、どう考えても怪しいなー。」「そこの経済状態はどうなの。最近は、銀行の総量規制が効いてきて、手広く遣っている所ほど、借金で苦しんでいるという話だが、どう。他の業者さんで、そういった情報に詳しい人知らない。もしいれば、その人から、そこの画廊の支払い状況の噂を聞いてみたら。それに何といっても、未だおまえさんが一人で遣っていくのは、少し早いと思うのだけどねー。」と賛成してくれません。「デモねー、お父さん。実は私のお勤め先の会社も、少し金繰りが苦しいらしいのです。でもって、今では作品を借りに行くと、私が個人的に保証させられる事が多いのよ。だから仕事をしてくる度に、社長がお金を支払ってくれるまで、ヒヤヒヤで、毎日、薄氷を踏む思いでいるの。<br />
確かに社長にはお世話になったから、少しは、お力にならなきゃーとは思うけど、やはりもう限界です。<br />
だから、こんなうまい話に、乗らない手はないと思うのだけど。」<br />
「今度の話は、お父さんだって、一円の援助もしなくてすむ、話なのですよ。こんな良い話ないとおもうけどなー。どうして解ってくれないの。」<br />
「そりゃー、確かに今は、一円のお金も要らないかもしれないけど、多分、お前が他所の画廊から、絵画を借りてくる度に、今後はその代金のリスクを背負う事になるのだよ。個人保証させられて」「それどころか、もしその画廊が借金まみれだったら、その借金の全てを共同経営者であるお前も、背負わねばならなくなる可能性もあるのだけれど、その覚悟ある。物や金の貸し手は、あんたが共同経営者になったとたん、これ幸いと、今迄借りてきている作品や、借金の個人保証を求めてくるに決まっているからね。本画の場合は額が大きいから、もしも、なんかあったときは、何十億円の単位で借金を背負わされる事になるのだから、よほど慎重にかからないと。」<br />
「こんなこといっては何だけど、そういった、旨い話に乗ったあげく、やくざが絡んでいる借金を背負い込まされて、泣かされている話なんて世間では、ザラメのザラらだぜ。」<br />
「今はまだ早いからと反対しているだけで、もしどうしても今すぐ画廊を遣りたいというのなら、好きな所で、真っ新（まっさら）な状態から始めた方が良いと思うよ。」と猛反対です。</p>

<p>その７</p>

<p>　そうまで反対されますと、私も、それを押し切ってまで、自分独りで遣っていく自信がありません。それにお勤め先に帰って、その画商さんと取引がある画商さんに、Aさんのところの支払いの状況を、それとなく聞いてみましたところ、「最近少し沢山に買って貰いすぎた為か、支払いが、滞りがちで、チョット困っています。」「でも絵のほうの相場も下がってき始めているので、いまさら絵で返してもらっても、どうにもならないしねー。良いお客さんだから、こちらも強くもいえないし。困ったものです。でもあそこは、他の方が、うまくいっているという噂だから、多分大丈夫だろうと思って、今のところは待ってはいますが。」との話です。やはり資金繰りが、かなり苦しく、ご無理をなさっているという様子が窺えます。</p>

<p>　いろいろ考えた末、やはりこのお話はお断りしました。</p>

<p>Aさんはずいぶん残念そうでしたが、「未だその時期でないと、父が反対しますものですから、折角のお話ですが、今回は断念させていただきます。これからもよろしくお願いします。」とお断りの電話をしますと、<br />
「そうですか。チャンスの前髪を捉まえる勇気のない人は仕方がないですねー。<br />
もっと期待していましたのに。マアー、せいぜい今後も頑張りなさいよ。」ということで、この話は終わりました。</p>

<p>その８　</p>

<p>　この後しばらくして、銀行の総量規制の影響が、じわじわと全ての業界に効いてきました。株も、土地も、絵画も、全てが大暴落。それまで借金で事業を膨らませきっていた所は、全て借金に苦しみ、貸し手である銀行もまた、貸し金の回収が旨く行かず、破綻する時代がやってきたのです。私たちの業界でも、例外ではありませんでした。にっちもさっちも行かなくなって、倒産された業者さんの噂が、絶えず聞こえてくるようになりました。<br />
　私にあの話を持ってきてくれた、Aさんのところも、例にもれず、バブルの弾けた影響を受け、倒産し、夜逃げしてしまわれました。<br />
画廊の未払い買掛金だけでも、２２億円に上り、このため、連鎖倒産に追い込まれた所や、倒産寸前に追い込まれた所も、数多く出ているとの噂でした。あちらこちらに持っていた土地も、盛大にやっていた焼き鳥屋も、全てが銀行だけでなく、高利貸の担保も付いていて、どこの画廊も、売掛金の方は一円も回収できないで皆困っているという噂でした。<br />
本当に危ない所でした。皆の話から想像するに、あれほど熱心に誘ってくれたのは、<br />
当座の金繰りのために、私を利用しただけのようです。<br />
私に、他所の画廊から絵を借りてこさせ、それを安く売るか、高利貸の所に担保として入れてしまって、当座の資金繰りを凌ぎ、責任だけは、私にとらせようという魂胆だったようです。<br />
もしも私が、この話に乗っていたとしますと、今の私は、ないところでした。それこそ父親の言ったとおり、膨大な借金を払いきれず、一家丸裸になって、夜逃げという悲惨な運命が待っているところでした。やはり「旨い話には罠がある。」ということです。</p>

<p>その９</p>

<p>　当時の私は、よほどの、アマチャンと見えたのか、或いは私が独立したいという意欲を持っているのが見え見えだったのか、バブル崩壊後、こんな話が、しばしば私のところに持ち込まれたものです。百貨店での出店の権利と在庫ごとに、画廊を格安で譲ってやるという話だとか、現在貸しビルで遣っている画廊を閉店したいから、ビルを借りている権利を、持っている商品ごと格安で買わないかと言った話がありました。<br />
しかし百貨店の権利ごと画廊を売ってくれるというお話には、在庫の何十倍にもあたる、その画廊の借金もついており、もし知らずに買っていれば、即借金地獄に陥る所でした。<br />
画廊をやっている貸しビルの権利を買うというお話は、画廊そのものを買うのではありませんから、リスクはそんなに高くはありませんでしたが、その借りていたビルが、競売後とり壊される予定になっているもので、数年内に立ち退かねばならないというビルでした。<br />
しかも格安で売ってくれると言ってくれた作品の方は、店じまい大売り出し後に売れ残った作品ばかりで、そんな作品は、例え買ったとしても、格安でも何でもなく、大損になるだけの所でした。<br />
そうそう、そういえば、バブルの最中、お勤め先には内緒でアルバイトに励んでおられた人たちも、バブルの崩壊とともに、売った先からお金の回収ができなくなり、いつの間にか皆さん、この業界から姿を消してしまいました。<br />
どなたも、回収不能のそのお金の支払いを巡って、お勤め先とは随分揉めたとか。<br />
父の言ったとおり、やはり王道を歩いていたのが一番でした。<br />
世の中には、自分が苦しくなると、それから逃れるために、ババ抜きのババを、隣の人に回そうとするように、苦しい付けを、他の人に回そうとする、けしからぬ奴が一杯います。鼬の最後っ屁と言う言葉もありますから、やはり「お金で追い込まれている人には近づかない。」「うまい話には罠があるから眉に唾をつける。」「どんなに良さそうに思える話でも、危ない話にはのらないように心がけるべし。」というのが、長年やって来て、私が掴（つか）んだ教訓です。</p>]]>

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<title>No.128　善意ではあっても（ある画家の後援会）</title>
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<modified>2011-07-26T11:49:03Z</modified>
<issued>2011-06-28T05:58:47Z</issued>
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<summary type="text/plain">このお話は、フィクションで、似たようなところがありましても、偶然の一致で、実在の...</summary>
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<name>画廊店主</name>

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<![CDATA[<p>このお話は、フィクションで、似たようなところがありましても、偶然の一致で、実在の人物、実際にあった事柄とは関係ありません。</p>

<p>その１</p>

<p>私達一般人は、芸術の世界と言うと、大変高尚なもので、芸術家等と聞くと、俗世の名利（めいり：名誉と利益）とは無関係に  ひたすら芸の深奥を求めて暮らしていらっしゃる、崇高な人の姿を想像しがちです。<br />
しかし現実の世界では必ずしもそうではないようでして、 芸術家の集団の中にも派閥もあれば上下関係もあります。<br />
 所属する団体内の地位を求めての争いは、下手な政治家顔負けの醜い争いが展開される事も珍しい事ではないとも聞いたことがあります。<br />
芸術院会員等といった社会的な地位に就くためには、関係する各界への、少なからぬ気配りと、運動が必要であるという噂もあります。<br />
又お金の面でも、結構計算高い先生がいらっしゃって、取り扱い画商が大変に苦労しているといったお話も、何処からとなく聞こえてまいります（真偽のほどは不明ですが）。<br />
しかし考えてみれば芸術家といっても、彼らも、この世俗的な現代社会を生きる、普通の人間です。<br />
この世を生きていくためには、食べものも要りますし、着る物も、寝るところも要ります。絵を制作するためには、絵の具だとかキャンバスといった道具もいります。<br />
所属する絵画団体内での権力を手にしたいと思う人がいたり、人に認められたい、お金が欲しい、もっとよい生活がしたいなどと言う、世俗的な思いにかられる人がいたとしても、別に不思議ではありません。<br />
中には、お金を得る為に、いわゆる売り絵と称される作品を濫作したり、画業を生業（なりわい）であると割り切って、自分の作品の価値を高める為、作品の売り込みまで自分のところでプロデューすしたりしている人さえもいらっしゃるという話も聞きます。しかしこれなどもまた、彼らが、この世俗世界の一住人にすぎないと、考えれば納得のいく話です。<br />
実際、人に認められたいだとか、お金をもっと手にいれたい、良い生活ができるようになりたいなどといった、ごく世俗的な動機が、彼らをして、芸術活動へと、駆り立てる、原動力となっている場合も、少なくないように思われます。<br />
そこに芸術家としての表の顔と、生活者としての裏の顔がある訳です。<br />
ただ不思議な事は、その様な人柄が必ずしも、かれらの作品に反映されていない事です。<br />
音楽などでもそうですが、こんな性格の悪い人から どうしてこんなすばらしい 天使のような歌声が出るのだろうとか、どうしてこんな素敵な演奏が出来るのだろうと 思う事がしばしばありますが、絵画の場合でも、そう言った例を、見かける事が少なくありません。<br />
この画家から、どうして、あんな素晴らしい、人の心を打つような絵が、生まれたのだろうと思う場合もあれば、 逆にまったく純粋で、お金には無頓着、名利を求めず、ひたすら自分の芸術の完成に没頭しておられる それこそ教科書に載ってもよいような生活をしておられる芸術家なのに、その作品は今一つといった場合も多々あります。<br />
要するに芸術の世界では、才能と人格は別というわけなのでしょうね。<br />
本当に人間というのは摩訶不思議（まかふしぎ：とてつもなく不思議の意）な生き物です。</p>

<p>その２</p>

<p>所で作家の世界は、先程も言いましたように 、必ずしも実力だけの世界ではありません。団体内での政治性、社交性、そして画商だとか、マスコミ、批評家等との付き合い方などといった、いわゆる世渡りの上手下手もまた 作家の評判だとか、作品の価格に反映してまいります。<br />
真偽のほどはわかりませんが、団体の展覧会での入賞などは、師事した先生の その団体の中での力関係とか、その先生の“引き”の強弱といった物も、大きな要素を占めるとも聞いています。<br />
従ってその様な事の苦手な作家は、例え絵がうまくても、人の心を打つ絵を画いても、社会的には なかなか報いられ難い場合が少なくないようです。<br />
私の知っているある先生も、どちらかというとこの後者の部類に属する作家でした。人柄はとても良いのですが、社交下手、人間関係の煩わしさが嫌で、どの団体にも所属せず、一匹狼、好きな物を好きなように画いている事が出来れば、其れで幸せといった人でした。<br />
従って地方におられて、よほどの事がないと、東京までは出ていきません。<br />
其のため 作風から言えば、今風、一般受けのする作品で、・・・わたしがその先生と出会った頃は、まだちょうど、バブル絶頂期の時で、将来有望な作家と言うだけで、さほどうまくもない画家の絵でも、飛ぶように売れていた時代でしたが、・・・もしこの先生が、有力画商に気に入ってもらえて、その流通網に入れてもらうことができたなら、きっと、ほどほどの流行作家となっただろうと思われるような方でした。<br />
にもかかわらず、先ほど申し述べたような事情で、 取り扱ってもらえる画商さんも、自ずと、地元の画商さんに限定されてしまい 、不遇を囲っていました。<br />
でも、その人柄と作風から 、地元にはフアンも少なくなく、個展の時などは、観覧にきてくれる人がとても多く、 絵もそれなりに売れていました。<br />
しかし、そうは申しましても 何分にも地元だけでは、マーケットも限られます。その為、生活はいつも苦しく、ピーピーしていました。<br />
そんな先生をみて、先生のフアンで、且つ地元の文化人と称する人たちが集まった折、「このような良い先生を、このまま埋もれさせてしまっては、勿体ない。皆で応援しようではないか」という話がもちあがりました。<br />
そして、まずその第一歩として、「この会で、カレンダーを作成して売ろうではないか」という話がまとまりました。</p>

<p>その３</p>

<p>その時集まったのは、地酒醸造元の若社長さんだとか、茶人、ピアノの先生、踊りの師匠、俳句の師匠、歌人、文化会館の館長さん、そして中小企業の社長婦人、学校の美術系の先生などなどといった、多士済々の顔ぶれで、総勢１０人ほどでした。<br />
ある日、その画家の所に、その会の代表と称する人が二人ほどで訪ねてこられました。<br />
「先生の絵をもっと沢山の人に知ってもらって、楽しんでもらいたいと思いますので、今回私達で、“○○先生の絵を愛する会“というのを作り、その会で先生のカレンダーを作って売る事にしました。<br />
先生に、お金の心配はさせませんし、絵も先生のお好きなように描いていただけば結構でございます。ですから、是非ぜひご協力下さい」と言います。<br />
こういった話には、縁遠かった先生にとっては、そんなことは初めての経験でした。<br />
しかし自分の絵画を、認め、そんなにも大切に思ってくださる人がいると言う事は、それだけでも、画家にとってはとても光栄で嬉しい事でした。それがカレンダーまで作って、愛好家を拡げてくれると言うのですから、こんなありがたい話はありません。<br />
特に、その計画が、地元名士の集まりから出たものと聞かされましたから、余計に感激しました。<br />
画家は乗り気になって<br />
「それは、それは、ありがとうございます。是非、是非お願いします」<br />
「つきましてはいつ頃までに、何枚くらいの絵を描いたら良いでしょうか」と聞きました<br />
すると、「本日はお願いに上がっただけでございまして、具体的な事は、まだ、何も決まっておりません。まずは、今日、先生がお引き受け下さった事を、皆さんに報告させていただきます。今後の詳しい事は、その席で、皆さんと相談の上、決める心算でございます。従って、お返事は、それからにさせてください。」と言って、帰っていきました。</p>

<p>その４</p>

<p>それからから数日後の事です。<br />
「○○先生カレンダー頒布会の打ち合わせをしますのでお集まりください」と言う通知が舞い込んできました。<br />
彼（画家）、元来、社交下手で、こうした、知らない人との集まりに出るのは苦手でした。<br />
従って、「出来るものなら ご無礼させてもらいたいのだが、どうだろう」と友人に相談しました。<br />
しかし、「いくらあんたが、社交嫌いといっても、貴方のために、わざわざ集まって下さる人々を、無下に放っておいては、失礼だろう、そりゃー、絶対、出なければ駄目だよ。」と言います。</p>

<p>その５</p>

<p>出席した会は、もともとは、例の地方文化人達１０人ほどが、時々集まって、フランス料理を食べ、上等のワインを楽しみながら、芸術を論じ、その地の文化の興隆を図っていこうと言う趣旨の会でした。<br />
従って、集まってきたみなさん方は、これが初対面という訳ではありません。お互い、知り合同士で、和気藹々と（和気あいあい；和やかなふんいき）話し合っておられます。<br />
しかし、知っている人もおらず、そうかといって、自分から話しかけていくだけの、社交性もない画家にとっては、それは何の意義も持たない、とても長い退屈な時間でした。<br />
元来社交下手で、人見知りの強い彼にとっては、挨拶に来てくれる人にたいしても、挨拶を返すのだけで、精いっぱいでした。気を使って、話しかけてくれる人もたまにはいましたが、緊張している彼は、上手い受け答えの言葉が浮かんできません。だから会話が成り立たちません。<br />
結局、彼は、会場の真ん中に、独りポツンと取り残され、手持無沙汰のまま、間の悪い時間を過ごさねばならない破目になってしまいました。<br />
会としては、こういった一つの文化的事業を手掛けるのは、始めてとみえ、皆興奮気味に「ああでもないこうでもない」といろいろ話あっておられます。みんな楽しそうでした。<br />
しかし、こうした事業をした経験を持った方が、中にいませんでしたから、なかなか話がまとまりません。<br />
結局その日は、「次の会までに、カレンダーの印刷まで持っていくにはどういうことをするか」という行程表を、そう言った事についての知識を多少はもっているとおもわれる二人が、詳しく調べてくる といった程度の話で、散会という事になりました。</p>

<p>その６</p>

<p>さてそれから１ヶ月くらい後のことでした。再び案内状がきて、第２回目の打ち合わせ会が開かれました。<br />
今回も、美味しい食事とお酒を楽しみながらの会を兼ねてのお話し合いでした。<br />
まず最初に、前回決まった、今回の会までに調べてくることになっていた、印刷までの行程表が示されました。<br />
その後、何部くらい印刷するか、誰が どういうふうに販売するかといった事が、議題に上がりました。<br />
誰もが全て始めての事ばかりです。<br />
 甲論乙駁（こうろんおつばく：あれこれと論じ合うばかりで、議論の決着がつかないこと。）、議論が紛糾して、やはり話はまとまりませんでした。<br />
そこで、こういう事は、あまり沢山の人では、話がまとまり難いので、今出席している人の中から３人ほどを選び、、その人達に代表になってもらい 、そういった事務的な事は、 その人たちにまず大体きめてもらっておいて、それから、それを皆さんに計って、決めるということにしたらどうか という話になりました。<br />
ただ、カレンダーの図案の選択だとか、デザインの選定には、ぜひ自分達も参加させて欲しいという、全員の強い希望で、編集は全員でするという事に決まりました。</p>

<p>その７</p>

<p>しばらく後、カレンダー用の絵が出来上がり 、いよいよ編集という事になったのですが、此れが又大変でした。<br />
画家は、最初の約束通り 自分の好きなように画いててきた絵を、 好きなようにデザインして、思い通りに編集する事が出来ると思っていました。<br />
しかし後援会の人たちは、夫々（それぞれ）が、 我こそは 地方文化の保護者であり、文化人であると 自負していますから、そうはまいりません。<br />
皆さん夫々が、夫々の主張をされて、なかなか決まりません。<br />
この絵はカレンダーには向かないとか、この月は、こういった図案の絵の方が良いとか、こういう図柄の絵が欲しいとか 次々に希望が出てまいります。<br />
画家としては自信をもって描いてきた自分の作品が 簡単に退けられるのは、とても耐え難いことでした。しかしそれでも、みなさんが私の為に、こんなに一生懸命になって下さっているのだからと思って我慢しました。<br />
そして、彼らの意向を取りいれた絵を、あと４，５枚、追加して、画いてくる事にしました。</p>

<p>その８</p>

<p>こうして わいわいがやがや、学芸会の背景作りのような雰囲気の集まりの中、絵の割付が決まり 表紙のレイアウトも決まりました、<br />
しかし、最後、数字の字体をどうするかという段になって、再び躓（つまづ）いてしまいました。<br />
画家には、カレンダーに使われている、今の数字の字体が、どうしても気に入りません。<br />
他の人から「これで良いんじゃない」と何度も言われますが、どうしても、我慢できません。<br />
この数字の字体では、自分の絵のイメージと合わないように、思えるといいます。<br />
後援会の人達は、カレンダー絵の部分と、数字の部分は別々の物だから、数字の字体まで拘(こだわ)る必要はないという感覚でした。予算の都合もあるのでしょうか、 数字は、普通の活字体で良いのではと何度も言います。<br />
しかし画家の考えでは、数字もカレンダーという作品の一部であるから、自分の絵のイメージに合った字体で無ければ駄目だと言い張ります。<br />
こうしてしばらくはもめておりましたが、結局最後は、画家の主張を通し，数字の字体は画家の言う通りにしようと言う事に決まりました。<br />
こうして、やっとカレンダーの原案が決まり、後援会カレンダー作成事業が、順調に回り始めました。<br />
画家は、此れでやっと、煩わしい雑事から開放される事が出来、自分の創作活動に専念出来る時間が戻ってくるとよろこんでおりました。。</p>

<p>その９</p>

<p>しかしそうはいきませんでした。<br />
それから少し経ったある午後のことです。突然印刷屋が画家の家を訪ねてきました。<br />
「今度カレンダーを印刷して下さるとの事で、ほんとうに、ありがとうございます。所でお先生とのお取引は、初めての事でもございますから、申し訳ありませんが、印刷を始めるに当たっては、先に、半金をいただきたいのですが」と言います。<br />
画家としては、お金の心配は、全くおかけしませんからといった約束を信じて始めた事業です。それをいまさらそんな事を言われても困ります。<br />
そこで早速、今度の会の代表者という事になっている人に電話をしました。<br />
「印刷屋が、“これこれ”といってきたのですが」といいますと<br />
「分かりました、そういうのは、私どもの所に来るように言って下さい」との返事でした。<br />
「ああ、やはり、あちらに全てをまかせておけばよいのだな。」<br />
「これでもう、煩わしい事に悩まされる事はないだろう」「後はあちらに任せておけば良い。」と思って、安心しました。<br />
それから間もなく、「カレンダー販売についてのご相談がありますので 、お集まり下さい」という 案内状が舞い込んできました。<br />
しかし、お金の事は、「自分には関係ない」とばかり思っている画家は、「もう面倒な事に、巻き込まれるのは御免」と、その会を欠席してしまいました。<br />
ところが、試し刷りを持ってきた、印刷屋さんが変な事を言います。<br />
「先生、一応××さんのお頼みでしたから、印刷代金は後払いという事になっているのですが、もしも販売した代金で、不足分が出た時は どなたから、払っていただいたらよいのでしょうね」と。この言葉を聞いて、画家は再び、不安になりました。<br />
考えてみれば、カレンダー頒布会といっても、何の実体もない会にすぎません。集まっていらっしゃる人々の顔触れを見ても、結局は烏合の衆で、そういった時、きちんと責任をとってくれそうな人は、いらっしゃいません。<br />
なにかがあった時、 最終的には、自分が、責任を取らされるのでは、と言う疑念が生じました。<br />
更に不安に追い討ちをかけるように「会としては、先生にも300部ほど売っていただく事になりましたから」という電話があり、一方的に、300部のカレンダーが送られてきたのです。<br />
画家としては、此れが売れず、今回の件で、もし赤字が出てしまったら、いよいよ自分が責任を取らされると思いましたので、「こういう事は、苦手だから」なんて言っておれません。悲壮な気持ちで、あらゆる伝（つて）を頼って、あちらこちらにお願いし、なんとか300部のカレンダーを売る事には成功しました。<br />
しかし、こういった金銭の絡んだ事で、人に頭を下げるなんて事をした事がなかった画家にとっては、それはとても堪え（こたえ）ることでした。暫くの間、仕事が手に付かないほどに 精神的に草臥れ（くたびれ）てしまいました。</p>

<p>その１０</p>

<p>さて頒布会の結果は、諸経費をあらかた差し引いて、150万くらいの剰余金が出、 お金の面ではまあまあ上手くいきました。<br />
そこで彼らは自分達だけでなく、その他、町の有力者達も呼んで、○○先生カレンダー出版記念会を、盛大に行いました。会は大成功で、皆が一緒になって 一つの事をやり遂げた満足感と昂揚感で とても盛り上がりました。<br />
そしてその場で、このカレンダーの原画展をやろうという事も決まりました。<br />
更にありがたいことに 原画は、「私はこの絵。 貴方はこの絵をどう」と言った具合に、後援会の皆が、予め（あらかじめ）割り振って予約してくれましたから、展覧会が始まる前に、追加して画いた絵も含めて、あらかた売約済みとなってしまいました。<br />
しかし「好事、魔多し(物事が上手くいっているときほど、意外な所に落とし穴がある、という意味)」とはよくいったものです。その諺の通り、全てがそうはすんなりとはまいりませんでした。<br />
展覧会が終わってしまってから、例の後援会の中の数人の人から、絵を買う事はできないから予約を取り消して欲しいと言ってきました。<br />
その人達は、「私たちは手弁当で参加し、応援したのに、一般の人と同じ価格で買わされるのは納得出来ない」とか、「本来なら、カレンダーを作って、絵の宣伝までしてあげたのだから、原画なんか、只でくれてもいいくらいなのに」と言って、かなりの値引きしてくれなければ，キャンセルとさせて欲しいとを要求してきました。<br />
しかし画家としては、その原画の売上代金が予定通りに入らないと言う事になりますと、今回の事が、何のためにしたのか、分からなくなってしまいます。大変な思いをさせられただけだったという事にもなりかねません。<br />
確かに多少の剰余金は出ております。しかし、その後におこなった出版記念会で、その中の、かなりの金額が使われてしまいました。その上、今回のカレンダー頒布会を企画してくれた、例の文化人たちの集いの方からも、自分達の会の今後の運営資金として、残りの剰余金の一部を、プールさせて欲しいと言って来ています。<br />
その上、原画まで彼らがいうとおり値引きするという事になりますと、今度の事で、画家の懐に、実際にはいってくるお金の総額は、彼がそれまで、自分の作品を画廊で売ってもらった時、画商から渡されていた金額にも満たない額でしかなかった、ということになってしまいます。<br />
その画家、世事に疎く、金銭や名利に恬淡（てんたん；こだわらない、執着しないの意）としている人でしたが、さすがその話を聞かされた時は、納得できかねるものがありました。何か訳の分からない、もやもやしたものが、彼の心の奥底に渦巻いて、そこから吹き上げてくるのが感じられました。<br />
しかし、結局は、お金の問題のような、そんな世俗的な事に、何時までも関わっていたくないと思いましたから、それ以上、なにを言う事もなく、後援会の人が持ってきた金を受け取って、それで全てを収めてしまいました。</p>

<p>その１１</p>

<p>全てが終わった時、画家は、<br />
「なんだか草臥れたなー。できれば こういう事は、もう二度としたくない。あの種の人達（例の文化人の会の人達）とも、もう近付きたくないなー」と思ったそうです。<br />
この世俗的な世の中を生きていくには、全てを任す事のできるような、信頼できるマネージャーか、絶対的な庇護者でも持たない限り、芸術一筋、ただ絵を描いていれば良いというわけにもまいらないようです。画家も大変ですねー。<br />
私達は、画家の先生が、お金の事をがめつく言われたと聞くと、なんだか、あさましいようで、イメージが壊れるような気がします。しかしこの世知辛い世を、生きていくためには、画家としては、やはりそうせざるを得ないのでしょうねー。<br />
それにしても、この事件、この画家に気の毒な事になりました。<br />
本来、こういった事業は、「遊びやボランティアとしてするのではなく、主体になる一人の人間が（組織という場合もありますが）商業ベースにのっとって企画し、画家ときちんとした契約を結んで ビジネスライクにやる。」といったやり方ですべきではなかったかと思います。<br />
その方が 作家にとっても 煩わしい事もなく、最も良い援助法ではなかったかと思います。<br />
 もしも、その後援事業の採算性に不安があり、ビジネスとしては、誰も手を上げてくれそうもないから、ボランティアでやろうとしたのだというのであれば、 お金の面でも、実務的な面でも 最終的に、だれが責任を取るかという事をきちんと決めておき、且つ、一人の人がリーダーシップを取ってその事業の面倒をみるとい言う風にしておくのが ベストではなかったとおもいます。<br />
こういった沢山の人の絡んだ、思いつきによって発案されたような事業は、損を出した時、その責任を誰が取るか、利益が出た時は、その配分をどうするかなどという事を、予め決めておかないと、後々、もめるもとです。そんなやり方では、誰かの為にしてあげるつもりでした事が、却って、その人に迷惑を背負わせてしまったということにもなりかねません。今回のやり方のような、どんぶり勘定で、皆で神輿を担ぐと言うようなやり方は最悪で、助けて貰うことになっていた人にとっては、却って有難迷惑になったということにもなりかねないやり方だったと思います。<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.127　不釣り合いは不縁の元か　後編</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/05/#000913" />
<modified>2011-06-02T06:49:13Z</modified>
<issued>2011-05-20T06:38:28Z</issued>
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<summary type="text/plain">→『No.126　不釣り合いは不縁の元か　前編』を読む このお話はフィクションで...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>→<a href="http://column.oida-art.com/archives/2011/05/index.html#a000893">『No.126　不釣り合いは不縁の元か　前編』を読む<br />
</a></p>

<p>このお話はフィクションで、似たような点がありましても、実際にあった事件、実際のいた人物とは全く関係ありません。</p>

<p>後編</p>

<p>その５</p>

<p>その後間もなく日本は、中国との戦争が始り、第二次世界大戦へと、世界を相手に争う、戦乱の時代へと入っていきました。<br />
そして、年ごとに不利になる戦況に連れ、物資は不足し、生活必需品でさえ、手に入れるのが難くなっていきました。<br />
どこの家も、その日その日を過ごすための品物を得る事でさえ、難しい時代がきたのです。その為、人々の生活から、骨董だとか、絵画のような美術品を愛するような余裕が、なくなっていってしまいました。<br />
そんなさ中、あの骨董好きだったおじいちゃんは亡くなりました。<br />
そしてそのおじいちゃんを焼いた火葬場の煙が、まだ消えないほどの間に、その辺り一帯を襲った大空襲によって、おじいちゃんの住んでいた辺り一面は火の海と化し、おじいちゃんの愛してやまなかった骨董の数々も、家、蔵、家財道具ともども、殆どが焼け失せてしまいました。僅かに遺されたのは、庭の片隅に作られた、防空壕の中に疎開させておいたものだけでした。<br />
その僅か焼け残った骨董品の中に、あの耀州窯の青磁がはいっておりました。おじいちゃんが、死ぬ間際まで愛してやまなかった形見の品だからというので、他の重要な品々、例えば家系図だとか、代々伝わってきた貴重な骨董品などの中に、おばあちゃんがその青磁も忍びこませておいたのでした。</p>

<p>その６</p>

<p>敗戦による混乱と物資の不足は、戦時を凌ぐものでした。<br />
配給されてくる食品だけでは、命を繋ぐ事が困難な時代で、配給品以外には口にしなかった裁判官が餓死した事がニュースになったような時代でした。<br />
農家の人間以外は、誰もが、生きていく為の、闇の食品を手に入れるために、必死に奔走しなければなりませんでした。しかし当時はお金の価値は低く、欲しい物を手に入れるためには、相手の気に入りそうなものを提供するのが一番の近道といった、物々交換が主体の時代でした。<br />
この為、生きていくためには、防空壕の中に疎開させておいた品々を役立てるより仕方がありませんでした。衣服だとか宝石と言った世の中が平穏になりさえすれば、お金さえ出せばいくらでも手に入るものが出ていく時は、諦めもつきました。しかしやっと空襲を免れた、先祖伝来の貴重な品々を出さなければならない時は情けない思いをしました。僅かな食べ物と引き替えに、価値もあまり分かってくれない農家だとか、成り上がりの闇商人の家へと、それらが引き取られて行くのを見送る時は、後ろ髪をひかれる思いがし、そう言ったものを見送る度に、密かに涙をぬぐっていました。<br />
しかしそうは言いましても、防空壕の中に疎開させておいたこういった品々があったからこそ、戦後のあの食糧難の時、なんとか一家の命が繋ったのであり、また敗戦とそれに続いての混乱期を逸早く（いちはやく）乗り越え、また経済的な基盤を確立することができたのでした。</p>

<p>その７</p>

<p>戦後、１０年という年月が経ちました。<br />
あの青磁の欠けた鉢（正式には、碗というようですが）を、買おうと言ってくれる人は結局ずっと現れませんでした。<br />
その間の、日本の国の復興は著しく、一面の焼け野原だった街の中も、殆どがバラックではありましたが、ぎっしりと家が立ち並ぶようになってきました。日常使う物資も次第に潤沢になり、町の中は、戦前にも負けないほどの賑わいを取り戻してきていました。<br />
人々には、貧しいながらも、平穏な日常生活が戻ってきたのです。<br />
おじいちゃんの一家もまた、戦前に住んでいた家ほどではありませんが、焼け跡に、曲がりなりにも新しい家を建てることができるまでになりました。<br />
暮らしに余裕を取り戻してきたのと歩調をあわせるように、世間では、古い骨董だとか絵画と言った美術品に目を向ける人々の数も、次第次第に増えてまいりました。<br />
闇成金だとか、農家と言った、その価値をあまり認めてくれない人々の家へ入っていた骨董、絵画、美術工芸品といった美術品の類も、彼らの手元を離れ、再び自分の価値を分かってくれる所、自分を愛してくれるコレクター達の下へと（彼らが作った美術館を含めて）戻っていき始めました。<br />
もうその頃は、おじいちゃんの所のおばあちゃんは、８０歳を越し、日常の行動にも、不便を感じるようになっておりました。<br />
彼女、家の事は一切、息子のお嫁さんに任せ、自分は新しく建てた家の一室を貰い、そこにこもって、一日の殆どを、寝たり起きたりしているだけの生活となっていました。<br />
彼女は、あの青磁の欠け碗を、とても大切にしていました。彼女には、その青磁の価値は、相変わらず分かりませんでしたが、おじいちゃんの遺して行った唯一の形見として、自分の部屋に持ち込み、まるで誰かと話しているように、その青磁に向かって話しかけるのを、日課としておりました。<br />
「おじいちゃんは、あんなにもお前の事を自慢していたけど、結局、お前は、うちのピンチの時、何の役にも立たなかったね。お前って、本当におじいちゃんが言っていた通りの、大した（たいした）ものだったのかい。それとも本当は価値がないものだったの？あるいは欠けているから、本当の価値を分かってくれる人が出てこなかっただけなのかい？<br />
お前が手元に残っていてくれて、私はとっても嬉しいよ。だけど残されているお前を見ていると、なんだかお前が可哀そうな気もするんだよ。<br />
こうして、ずっとお前を見ていると、おじいちゃんが言っていた通り、お前って、結構、素晴らしいものだと思えるのにね。結局、本当の価値を分かってくれる人が出てくることも無しに、お前はこのままここで終わってしまう運命なんだろうかね」などなど、まるで生きている人に話すように、話しかけておりました。</p>

<p>その８</p>

<p>そのおばあちゃんも、それから間もなく亡くなりました。<br />
後に残された子供や孫たちの中には、骨董に興味を持つ物などおりませんでした。従って、あのおじいちゃんの大切にしていた青磁の欠け碗は、再び桐の箱に納められたまま、おばあちゃんが寝起きしていた部屋の片隅に他の物に混じって放置されておりました。<br />
この青磁が、誰からも見向きもされなかったものである事は、子供や孫たちは、皆知っています。その為彼らの頭の中からは、そんな物が自分の家にあった事自体、いつの間にか消え去ってしまいました。</p>

<p>その９</p>

<p>おばあちゃんが亡くなって一周忌が過ぎた頃の事でした。<br />
５０台半ばとおもわれる男が、おばあちゃんの息子である伯父さんの家を訪ねてまいりました。<br />
彼が差し出した、甲斐不動産株式会社、代表取締役甲斐達也と記された名刺を見ても、伯父さんには、彼が何物で、何のためにいらっしゃったか見当もつきませんでした。<br />
「もうむかしのことで、世代もすっかり変わってしまっておりますから、どなた様も御記憶がないかもしれませんが、私、江戸時代、この市の本町で、商いをさせていただいておりました、甲斐屋吉兵衛の子孫でございます。<br />
この地で商いをしておりました吉兵衛は、僅かな非をあげつらわれ、それを理由に、財産没収の上、欠所、所払いを命じられたのだそうでございます。そのような目に遭わされなければならない理由が分からなかった、三代目吉兵衛は、死ぬまで、それを苦にし、「はめられた。悔しい。いつの日か、あの事件の真相を突き止めてもらいたい」と言っていたそうでございます。<br />
私どもは、その事件後、江戸にと居を移し、そこで細々ながら商いを続けておりました。しかし慣れない土地という事もあり、また資本もあまり持っていない身での商いでございましたから、その日その日を凌いで（しのいで）いくのがやっとやっとで、三代目吉兵衛の無念にまで手を廻しているような余裕はありませんでした。<br />
時代は、江戸から明治へ、世の中は、藩から県へと変わりました。私どもも、もう誰憚る（はばかる）事無く、こちらにも顔を出せるようになりましたが、私どもの家の事情は変わりませんでした。こうして気になりながらも、三代目吉兵衛の為、何もしてやる事が出来ないままに、今日に至ってしまったのでございます<br />
しかし敗戦の混乱に乗じて東京で始めました不動産業がなんとかあたりまして、やっと大きな顔をしてこの地にやってくることができるようになりました。<br />
ところがこの地も、ご多分にもれず大空襲に遭っておりまして、甲斐屋に纏わる（まつわる）資料など、どこを探しても見つける事が出来なくなっていました。<br />
住む人の方も、すっかり変わってしまって、古くから住んでいらっしゃる人は数少なく、新しく他所から入ってきた人が殆どというような状態となっておりました。<br />
更に、古くからこの土地に住んでいらっしゃる家の方も、世代が変わってしまっており、甲斐屋そのものが、この地にあった事さえ知らない人ばかりとなってしまっております。<br />
従って、せめて甲斐屋にゆかりのものでも見つけ、持って帰ってやれたらと思って、探し歩いていたのでございますが、しかしそれも、空襲で、殆どの物が焼け失せてしまった今日では、それも見つける事はできませんでした。<br />
もう諦めて帰るより仕方がないと思いながら、最後に訪ねて行った家で、<br />
『そう言えばうちのおじいちゃんから、戦前、甲斐屋さんから出たという青磁の鉢を、ここ、すなわち貴方の所のおじいさんが自慢しておられたと聞いた事があります。<br />
戦災で、焼けてしまっているかもしれませんが、もしかしたら、今も残っているかもしれませんから、一度聞いて見られては』と教えられたのでございます。」<br />
「どうでしょう。古い中国青磁の碗だったそうですが、そう言ったものに心当たりありませんか。子供の時に見たとか，おじいさんから話を聞いた事があると言った程度でもよろしいのですが。」と言われました。</p>

<p>その１０</p>

<p>こうしてその欠けた青磁の碗は、再び元の持ち主の下へと戻っていきました。<br />
彼の伯父さんが、何度も辞退されたにもかかわらず、とても喜んだ、甲斐達也氏は、「お爺様の唯一の形見であり、お婆様がとても大切にされていたものを譲っていただくのだから」というので、完品（何処にも傷のない物）と変わらないような大金を置いて、帰っていかれたそうです。<br />
甲斐氏は、よほど嬉しかったとみえて、帰られた後すぐに、伯父さんの所に礼状が届きました。<br />
その封書の中には、あの青磁の飾られている写真が同封されておりました。<br />
立派なガラスケースの中に収まって、飾り棚の上に置かれているそれは、やっと自分の居場所を見つけたと言うように、とても誇らしげに見えたそうです。<br />
この青磁の行く末を心配しながら天国へと旅立って行ったお婆さんの魂も、これでやっと安心している事でしょう。<br />
これなど穿ち（うがち）過ぎかもしれませんが、美術品が人を選び、場所を選んで渡りあるいた一つの例ではないかと思うのです。　				終わり</p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>No.126　不釣合いは不縁の元か　前編　</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.oida-art.com/archives/2011/05/#000893" />
<modified>2011-05-20T07:21:59Z</modified>
<issued>2011-05-02T13:19:12Z</issued>
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<created>2011-05-02T13:19:12Z</created>
<summary type="text/plain">前篇 その１　 以前、知り合いの建築屋さん〔大工〕と新築の住宅をお訪ねしたときの...</summary>
<author>
<name>画廊店主</name>

<email>webmaster@oida-art.com</email>
</author>

<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://column.oida-art.com/">
<![CDATA[<p>前篇</p>

<p>その１　</p>

<p>以前、知り合いの建築屋さん〔大工〕と新築の住宅をお訪ねしたときのお話です。<br />
新建材で出来た当世風の住宅は、ピカピカしていて、見た目にはとても素敵でした。<br />
私など、ただただ感心して、お世辞抜きで褒めちぎりました。<br />
中でも目を見張ったのは、床の間で、杉の天然搾り丸太の床柱と、欅(けやき)の一枚板を使った床板（とこいた）は、その一角だけを際立たせており、チョット不思議な雰囲気をかもし出しておりました。<br />
ご主人の話によりますと、昔裕福だった実家の栄華を偲ぶ便に（よすが）と、そこだけは特別追加料金を払って、造ってもらったとの事でした。<br />
御主人は、「大工さんと一緒に、わざわざ銘木店まで出かけて探し来た、一品中の逸品」だと、とても自慢しておられました。<br />
私など建築に関しては全くの素人です。従ってそういうお話をききますと、ますますありがたみが出て、<br />
「そうですか。本当に素晴らしいです。ここの家、この床の間があるだけで、家全体の風格が上がっているような気がします。」などと褒めちぎって、辞去（じきょ：挨拶をして立ち去ること）してきました。<br />
ところが一緒にいった専門家のご意見は違っていました。<br />
彼は、家から外にでるや否や、「あんな家に、あんな銘木を使うなんて、あそこを造った大工は、一体何を考えていたんでしょう。あれでは、いくらなんでも銘木が、可愛そう過ぎです。<br />
常識のある大工だったら、止めているはずですがね」とご立腹のようです。<br />
「どうして、あんな立派な床の間なら、それだけで価値があるのと違う。」と申しますと、「社長、世の中、なんでもバランスも大切だと思いませんか。女子中学生が、スーパーで売っているような吊り下げの既製服を着ているのに、バッグだけはとても高価なブランド物を持っていた時、どううつります？素晴らしいと思います？変だとか怪しいと思うでしょ。<br />
あの家、他のところは安物の新建材で造ってあるのに、あの部分だけが、飛びぬけ高価な銘木を使っているなんて、丸でちぐはぐで、おかしいですよ。<br />
そう思いませんでした？チンドンヤの貸衣装みたいで、雰囲気ぶち壊しでしたけどね。<br />
あの家としては、比較的お金をかけてあった、あの座敷一つをとってみても、床柱や床板以外の木材は、柱だって、長押だって、天井だって、皆張り合わせの構造材、畳だって下級品、どれ一つとっても、安価な物しか使ってないのに、床の間の床柱と床板だけは無垢材、それも最上級の物を使ってありましたね。しかしあれでは、全く釣り合いが取れなくて、却ってチンプンカンプンでおかしいですよ。家というのは、全体のバランスも考えて造ってもらわなければ。」といわれます。<br />
そういわれて見ますと、その座敷に座ったとき、確かに少し居心地の悪さを感じましたが、それは一所のみ、豪華にしたことによる、バランスの欠如が生み出している違和感だったのですね。</p>

<p>その２　</p>

<p>取り合わせのアンバランスによって感ずる違和感は、宝石と人、美術品と家、美術品と人との間にも、感じられる事があります。例えば、小さな家の狭い玄関に、子供の背丈より大きい清代の飾り壷が、ゴルフバッグなどと一緒に、雑然と並べてあるのを見たことがありますが、これなど、その家の主（あるじ）の知性を、却って、疑わせるようなものだと思いました。逆に、風格のある立派な家の玄関や、応接室に、印刷の絵や仿製（ほうせい）の品物ばかりが、飾ってあるのを見た時は、とても悲しく思いました。<br />
なんだか、そこの主（あるじ）の品性まで卑しく感じられ、寂しく思った記憶があります。<br />
忌憚なく（きたんなく）言わせていただきますと、そんなものを飾って置かれる位なら、いっそ何も飾られないで、下駄箱の上に、花でも生けておかれただけのほうが、良かったのではないかとさえ思いました。<br />
もしそういったものに趣味がないから、あまりお金をかけたくない、しかし何か飾っておかなければ、寂しいとおっしゃるのであれば、現存作家の作品で、まだ無名ゆえに、価格が張らない作家の作品でもかまいませんから、自分の目で選んだものを、飾って置かれたほうが奥ゆかしくて良かったのに、と思った事があります。<br />
家の中に飾られた美術品とか、調度品は、その家の住人の品格を現すものです。<br />
感性の合わないものを置かれたとしても、居心地の悪さに、いつの日か、どちらかが退場ということになっていくともいわれております。<br />
人が美術品を選ぶように、これは宝石にもいえることですが、名品と言われるような良い美術品も又、人を選ぶとのことです。自分と合わないような持ち主と、出会った名品は、いつか、自分に合った持ち主を求めて、再び旅立っていく運命にあるのだそうです。<br />
もし由緒ある名品を手に入れたような場合は、それに恥じないような品格を養い、経済力を身につけ、その美術品に相応しい環境を整えてやると同時に、限りない愛情を注いでやる事が必要だと、昔、あるコレクターから聞いた事があります。</p>

<p>その３</p>

<p>似たようなお話は、車と持ち主にも通じるようです。<br />
以前、知人の息子さんが、友人からジャガーを譲ってもらった事がありました。新車なら２０００万円近くもする高級車です。それを中古車とはいえ、２０歳そこそこの若さで手に入れ、乗り回す事が出来るようになったわけですから、買った当座は、大喜び。自慢たらたらで、どこに行くのもそれに乗って出かけていました。<br />
所が彼、その車、半年も持ち切れませんでした。なにしろこの車、とんでもなく維持費がかかったのだそうです。ガソリン代もばかになりませんが、それ以上に修理費、これがバカ高いのです。修理を頼む場合、そこらあたりにある普通の修理工場では間に会わない事が多く、その度に専門の代理店にもっていかなければなりませんでした。ちょっとした部品一つをとりかえるのにも、本国から取り寄せなければならない事が多く、時間も、コストもばかになりませんでした。（註；昔の話で今はどうなっているか分かりませんが）<br />
確かに風格のある良い車でした。その車に乗っていくと何処へ行ってもお手に受けてもらえました。ホテルだとか、レストランに行った場合、最上級のもてなしを受ける事が出来ますし、女性をナンパするのも、比較的容易でした。しかしその車に乗って分かった事は、そう言った所で、そう言う対応をしてもらう為には、それ相応の身なりも必要だと言う事でした。そうしないと、せっかく名車に乗っていても、修理工場のお兄さんと間違えられてしまうのだそうです。そうなりますと、こちらにもお金がかかります。身にまとう物だって今迄のように、安物の既製品という訳にはまいりません。洋服は言うまでもなく、時計だって、バンドだって、靴だって、一流の者が要ります。食事をするのも、町の食堂での定食という訳にはまいりません。レストランに入って高い料理を取らざるをえなくなりました。２０万円ソコソコの手取りの彼の月収では、もらって来た月収を、全部そう言う物に使ったとしても、とても間に合いませんでした。そうかと言って、親の援助は、買う時の費用までと約束させられております。また、国産の大衆車に乗っているような親に、それ以上、おねだりをする事も出来ませんでした。結局、僅か数カ月乗っただけで、手放さざるをえなくなってしまったのだそうです。<br />
この子にとっては、その車は、不釣り合いという事だったのでしょうね。</p>

<p>その４</p>

<p>人と美術品との関係ではどうでしょう。<br />
これは私の年上の友人から聞いたお話です。<br />
彼の母親の実家は、敗戦前は、街の中心街にあって、屋敷の中には、大きな蔵が三つも立っていたほどの大金持ちでした。<br />
その家には、骨董好きだったおじいちゃんが、あまたの骨董の中でも、特に大切にしていた、直径３０センチほどの浅鉢がありました。<br />
口縁の一部が欠け、くすんだ黄緑色をした、それは、子供だった私の友人にとっては、何処から見ても薄汚い、口の欠けた只のお鉢としかみえないような代物でした。<br />
しかし、その鉢は、欠けた部分に金継がされていて、その上、立派な桐の箱の中に収められておりました。<br />
おじいちゃんにとっては、その鉢には、特別の思い入れがあるようでした。<br />
何しろ、俳句の友達だとか、絵画や骨董に興味や知識がある好事家達がやって来た時だけに、それを特別出してきて、自慢していたほどでしたから。<br />
子供だった私の友人にはそれが、不思議でたまらなかったそうです。<br />
そこである時、おばあちゃんを捕まえてえて、その訳をそっと聞いてみたことがありました。<br />
所がおばあちゃんも「変だと思うでしょう。おばあちゃんにも、あんな小汚い欠碗（かけわん）のどこが良いのかさっぱり分からないのだよ。そもそもあの碗、もともとは大館医院のものだったんだけどね。ほらお前だって知っているでしょ。あの八幡様の横にある古くからのお医者さん。先祖代々お医者さんで、今でも何とか膏薬という貼り薬と、癇虫(かんむし)退治丸という丸薬で有名なお医者さんの事。」<br />
「うん知っているよ。とても大きなお屋敷に住んでいらっしゃる先生のことでしょ。」<br />
「あそこの先生の所にあったもので、もともとはそこの犬の餌入れになっていたものなんだけどね。」<br />
「偶々（たまたま）大館先生の所でそれを見かけたおじいちゃんが、『犬の餌入れとして使うくらいなら』というので、古伊万里の鉢をもっていって、それと交換してもらってきたのがあの鉢なの。」<br />
「その時、先生は『自分はこういう物に興味はないから、どういう物かよく分かりませんが、確かにこの鉢、私が子供の頃から、上客だけに、使うほどに、大切にされていたものでした。何でもご先祖様が、三代目甲斐屋吉兵衛とかいう商人（あきんど）の病気を治してやった時、命を助けてもらったお礼として、甲斐屋さんが下さったものだときいています。』当時の甲斐屋さんというのは、江戸時時代、本町通りに、大きな店をだしていた、大垣藩でも一、二を争うほどの大商人でした。桑名港には数席の千石船を持ち、この地方の産物を一手に扱っていた甲斐屋さんは、商人ながら、名字帯刀を許され、お殿様にもお目通りを許されているほどの方だったそうです。そんな家からいただいてきたものですから、とても値打ちのあるものとして、大切に扱っていた物だったらしいのです。<br />
所が、その甲斐屋さんが、どういう理由からか、財産没収の上，欠所、所払になってしまわれたでしょ。その為、累が及ぶ事を恐れた私どもの先祖が、甲斐屋さんの名前の入った物は、皆捨ててしまったのです。このお鉢の由来の書かれていた箱も、その時処分されてしまいましたので、どんな価値があるのか、私どもにはわからなくなってしまいました。その上、この鉢自身も、使っているうちに、こんな風に欠からかしてしまったでしょ。だからもうどうしようもないので犬の餌入れとして利用していたのです。<br />
でも高台（普通糸底と言ってる部分）が小さくて、犬の餌入れとしては少し安定が悪いのですよ。だからそのうち棄てなければ仕方がないかなと思っていたところです。（交換にと、おじいちゃんがもっていった古伊万里の鉢をみて）こんなもの頂かなくても、そう言って頂ければ、差し上げましたものを。どうぞ遠慮なく、持って行って下さい。」とおっしゃって、快く譲ってくださったものなんだよ」<br />
「ところがそれがね。後々、耀州窯の青磁碗と言う事がわかってね。それからが大変。おじいさんったら大喜び、ああして欠けた所を金継に出して修理し、あの鉢の為、桐の箱まで作って、大切にしているのよ。<br />
（註；耀州窯の青磁・・・陜西省銅川市を中心に分布する窯で焼かれた青磁、北方青磁とも言われる。宋代に入って焼かれるようになった、オリーブ・グリーンの釉薬で覆われ、片刃彫、型押しによる紋様をもった青磁は色、形、紋様とも優雅で美しく、骨董愛好家から特に珍重されている。）<br />
いくら古い支那の物だと言われてもねー、所詮、欠けたお鉢は、欠け碗でしょ。そんな物に、本当にそんな値打ちがあるのかしらねー。」と言って、おばあちゃんは、その価値を半分疑っていたそうです。　　　　　　</p>

<p><br />
後篇に続く</p>

<p>→<a href="http://column.oida-art.com/archives/2011/05/index.html#a000913">『No.127　不釣り合いは不縁の元か　後編』を読む<br />
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