No.234 狂い花 (ある名もなきコレクションへのレクイエム(鎮魂のミサ曲))(4)

名もなきままに葬られたあるコレクションへのレクイエム

このお話はフィクションです。実在の人物、実際にあった事柄とは全く関係ありません。

その8

社医さんは本当に金持ちの息子なの
「渋仙って、本当にお金持ちの息子さんなの?」
「そのようよ。でまたどうして?」
「だってさ、着ている物ときたら、化繊入りの安物スーツだし、日常している事と言ったら、やる事なす事ミミッチ過ぎだもの」
「確かにそういうところあるよね。あいつ見てたら、誰でもそう思うのあたりまえだよね。でも神戸の駅の西北、大倉山公園と、西元町の中間地点に、数棟のビルをお持ちで、その土地の一画で、医院を開業なさっている、とはいっても、今はお年で、週に2,3回昔からの患者さんを診ていらっしゃる程度のようですが、そういったお医者様の息子さんであることは間違いなさそうよ」
「本当にそうなの。誰がそれを確認したの?」
「神戸支社の紹介で入っているんだから、間違いないと思うなあ。それに雇い入れる前に、会社の方で、身元調べも済ませているようだし」

註:当時は、入社する人間に対して、身元調査をすることが、許されておりました。

「フーン、それにしては、ミミッチイわねー。それじゃー、あいつ、一体全体、お金、何に使っているのかしら?お給料だって、随分もらっているんでしょ」
「もしかしたら、本当に、あちらこちらに隠し子がいたりして!」
「あのドケチな変人に、そんなことあるはずがないでしょ」
「冗談、冗談。でも変だと思わない。私らと、比べようがないくらい、沢山もらっているお給料、どこへもっていってるのかしら」
「確かにそういわれると変よねー
でも、どうしてまた急に、そんなこと言い出したの?あいつのドケチは今に始まったことじゃないのに」
「それがさー、最近聞いた話によると、あいつ自分の家で、電気も、ガスも、水道も。殆ど使ってないんだって」
「どうしてそんな事が解ったの?」
「それがさー、あまりに使用料が少ないので、『メーターが故障しているんじゃないかと思われるから、一度調べさせてほしい』と電力会社とガス会社の両方から庶務課の方に言ってきたそうよ」
「それじゃー、身体を洗うのや、洗濯、炊事はどうしてるのかしらね」
「身体洗うのや、洗濯は、自分一人だけの為に、ガスや水をつかうのは、勿体ないというので、公園のトイレの水道で、殆ど済ませているらしいのよ」
「じゃー、お炊事は」
「スーパーの、半額セールになっているお弁当や、お握り、お惣菜などを買ってきて、殆どすましているらしいわ。あいつの言い分では『半額セールになっているような、売れ残り物は、そこでだれも買ってやらなかったら、そのまま塵として捨てられてしまうんでしょ。それじゃー、あいつらがあまりにも可哀想すぎる』と思うから、有効利用の為にも、そういうのを、買うようにしてるんだって」
「へー、あいつそんな事言っていた?でも本当かなー、実際の所は、ドケチなだけじゃないの。それにしても、どうしてそんな事が解ったの」
「医務室で、先生がたが話していらっしゃるのを、偶然耳にしてしまったの」
「へー、そうなの、でもさー、家にいる時は、テレビを見ていらっしゃるでしょうし、エアコンだって使っていらっしゃるんでしょ。それなのに、電力会社の人が,盗電を疑って、調べさせてほしいと言ってきたほど電気の使用量が少ないってどういう事?」
「それについてあいつ、何と言っていた」
「夜は、早く寝てしまうし、エアコンもテレビも冷蔵庫も持ってないから、殆ど家では電気を使ってないんだって」

その9

「それにしても徹底しているのね、ドケチが。そうなると、あいつ、その上、あの性格だから、誰も傍に寄っていかないのも、あたりまえよね。可愛そうに、あいつ、沢山のお金を抱いたまま、一人寂しい人生を送る事になるのかしら」
「それがさー、必ずしも、一人寂しい人生を送っているとは限らないらしいのよ。あいつったら、不思議な事に、浮浪者達のような、普通の暮らしに馴染むことができないで、世間からの食みだし(はみだす)者達の中では、それなりに人気があるらしいのよ」
「本当に、そうなの?でもどうして、そんな事が言えるの?」
「それがさー、うちの会社に、偶然、あいつが、いつも身体を拭いたり、衣類を洗ったりしている手洗いのある、万種公園の近くに住んでいらっしゃる人がいてさー。
その人の話では 、『浮浪者達と、あいつとが、車座になって、宴会をしているのを、時々見かける』と言うのよ」
「へー、あいつが?浮浪者達と宴会をしているというの?無口で、人間嫌い、周りの全てに、心を閉ざし、自分から話し掛けることなど、絶対にしないあいつが?いつ見ても、暗いニヒルな表情をしていて、感情の籠った顔なんか、見せたことのないあいつが?」
「そうよねー、私も信じられないわ、あいつと宴会をやろうとするやつがこの世に存在しているなんて。だってさー、あいつったら、単に、心を開こうとしないだけじゃーないのよ。人と、心が触れ合うのを極端に恐れているようで、周りの全てに対して、心を閉ざし、彼の心に触れようとするもの全てを、無言で撥ね除けているようなところがあるのよ。それが、いくら浮浪者という世間からの食み出し者達とはいえ、あいつのようなやつと、宴会してくれるような人間が本当にいるというの?それって、もしかしたら、同じ世間からの食みだし者同士故に、心の通じあえるところがあるという事かしら?
それとも、お互い、人に探られたくない、過去に傷を負った者同士として、過去を探ったり心の中に入り込んできたりしない、その場限りの浅い付き合いで済ませる事が出来るからかしら?」
「さあ、どうなんでしょうね。わからないなー、なにしろあいつは、私にとっては永遠の謎だから。でもさー、どちらにしても、浮浪者達と車座になって、一緒にお酒を飲んでいたのは、事実だって」
「フーン、そうなんだ。
でもその時あいつは、どんな顔をしているのかしら。まさか会社にいる時みたいに、何を考えているか解らない、ロボットのような無表情な顔をしているわけじゃないでしょうね」
「その人が言うには、『浮浪者と酒を飲んでいらっしゃる時の先生と、会社にいらっしゃる時の先生とは、まるで人が違っているかのように、和らいでいる顔つきだった』そうよ。但し、他の人達と打ち解け、歌ったり、踊ったり、話合ったりしている様子はなく、ただ黙って、お酒を飲んでいるだけだったそうだけどね」
「という事は、人に束縛されたり、自分の事を探られたりするのは嫌だけど、他の人と吊るんでいたいという思いも多少は持っているという事なのね」
「そういうことよ。それどころか、最近私、更に面白い話、聞いちゃった」
「エッ、何を」
「つい最近の事だけど、もうかなりのお歳と思われる女性なんだったそうだけど、でも、おばさんとはいえ、西洋人の血が混じっているのか、鼻が高く、色白で、物腰には、しっとりとした色気がまだ残っている、そんな女浮浪者のテントから出てきた、あいつの姿を見かけたんだって、その人」
「それでたまたま会社で、あいつに出会った時、『先生、先日うちの近くの公園にある、女の浮浪者のテントから出てこられたのを、お見掛けしましたよ。先生も隅におけませんね』と冷やかし半分に(その人が先生に)話しかけてみたんですって。するとあいつめ、「ああ、行ったよ。お茶をご馳走してくれるというのでね,それが何か」といつも通りの無表情な顔での、感情の全く籠っていない、冷めた声を返してきたんだって」
「それで更に、『あの人、ばあさんとはいえ、まだしっとりした色気が、充分に残っていらっしゃる女人ですよ。そんな女性の一人住まいの家に、お招かれになったんですよ、それもたった一人で』と更に一押し、冷やかし調子で,追及してみたんだって。
でも『知っているよ。それが何か?』と相変わらずの、抑揚のない冷めた声が返ってきたんだって。そこで『別に問題があるといっている訳ではありませんよ。』でもさー、ああいった境遇にいる女の人って、世間にいた時、いろいろな事があって、心に深い傷を負っている人が多いでしょ。だから精神的に病んでいる人は別ですけど、一般には、男性に対しては、とても警戒心が強く、その上、今の境遇に対する羞恥心もあって、自分の現在の生活状況を、他の人、特にあまり親しくしていない男の人には見せたがらないものですよね。それにもかかわらず、先生を、自分のテントの中にまで招き入れたんですよ。こりゃーただ事じゃないって、先生気付きませんでした?」
「・・・・・・・」
「先生は、その女性にとっては、特別の人だったんですよ、きっと。単なる好意とか、信頼を超えた、それ以上のね」
「その人が言うには、『でも、あいつったら、私の言っている言葉に含まれている裏の意味が、解っているのか、いないのか、いつも通りの冷めた、抑揚のない声での、『そう』という不愛想な返事が、返ってきただけ』だったんですって」
「その返事にカチンと来たその人は、『先生には浮浪者なんかでは、一夜妻にするには役不足だったんでしょうに。それにしても浮浪者のテントのようなあんな汚い所へ、よく訪ねていく気になられましたね。狭くて汚くて腰を下ろす場所もなくて、お茶を飲んだり、愛を交わしたりするどころじゃー、なかったんではないですか。先生も、物好きですね』と皮肉ってやったんですって」
「すると、『そう、何とでもどうぞ。あんた方の “下種(げす)の勘繰り”に、付きあう気はありませんから。ただ一言忠告させていただきますけど、ああいった生活をしている人だから、無知、無能、自堕落、不潔、自分達より劣った、別の人種といった風に決めつけ、蔑む(さげすむ)のは、おやめになったほうがいいですよ。過去のいろいろな事情を背負って、ああいう生活をしていらっしゃるだけで、皆、普通の感情を持たれた、普通の人間ですからね。あなたが今いわれているあの人(女)だって、テントの中は、きちんと整理されており、お掃除もしてあって、とてもきれいでしたよ。お点前だって、裏千家の師匠の鑑札をもっていらっしゃるとかで、きちんとした作法の乗っ取ったものでしたからね』といわれちゃったんですって」
「それで、女浮浪者のテントからでてきた時のあいつの様子はどうだったって?」
「それがさー、不思議な事に、愛おしそうな(いとおしい)な表情で、話しかける女に対しても、『うんうん』と、やさしく頷いていたんだって」
「フーン、あいつにもやはり、赤い血が通っているんだね」
「でも、それはそこまで、この後、その女が、恋人か、弟でも見送るかのように、テントの前で、名残惜しそうに手を振っている、その女性に対しても、それっきり、何の関わりもなかったかのように、振り返ることなく、そのままさっさと、そこから離れてしまったんだって」
「フーン、やはりあいつらしい。どんな人とも、一定以上の関わり合いは、持ちたくないんだろうね、きっと」
「その女性とは、ほんとの所、どういう関係なんだろうね。まさか、お金で欲望を満たす事が出来る。安価な一夜妻ということじゃーないよね」
「ない、ない、それはない。そう言った事をやりそうな、性的な厭らしさだとか、危なっかしさは、あいつの身体からは臭ってこないもの。もしかしたら、昔好きだった人だとか、母親の面影を、その人の中に、見たんじゃないかなー。そうは思わない?」
「さー?貴女、一遍あいつに、聞いてみたら」
「いやよ。そんなこと聞いたら、無視されるだけならまだしも、一つ間違えると“じろっと”いかにも軽蔑したという目で見られかねないもの」
「・・・・・・・・・・・・」

続く