No.232 狂い花 (ある名もなきコレクションへのレクイエム(鎮魂のミサ曲))(2)

このお話はフィクションです

その3

「あれだけ私が誘ったのに、あんたが行ってくれなかったせいで、結局行けなかった、香港のあのオークションさー、私たちが関心を持ったあの謎のコレクションの作品は、どれもが異常とも言える高値がついてしまったんだって。
私の知っている画商達はみんな、『せっかく香港くんだりまで出かけてきたというのに、結局何にも買えなかった』とブツブツ言ってたわ。」
「それじゃー、行かなくて正解だったじゃない」
「そうかもしれない。でも熱狂的な雰囲気が味わえなくて、残念と思うところもあるけどね」
「またまた、へそ曲がりなことを。で、あのオークションの、出品作品のもともとの持ち主について、なんか解った?」
「それが残念なことに、私の知っている画商達は、みんな知らないというの」
「オークション会社に聞いても分からなかったの」
「そう某金融会社というだけで、名前を明らかにするのは、許して欲しいというのよ」
「でもあれだけの作品を集めていたわけでしょ。だったら、その人の所へ作品を売りにいった画商は、一人や二人じゃなかったはずだと思うんだけどねえ」
「それが不思議なんだよね。東京方面の画商は、誰も関係してなかったらしく私が知っている範囲内では、皆、噂も聞いてなかったというのよ」
「でも、あれだけ質の良い作品群でしょ。だったら、そのうちの一点や2点くらいは、交換会だとか、オークションに出たのを、見たことがある人がいても、不思議ないんじゃないの?」
「それが不思議な事に、日本のオークションには一度も出たことがないものばかりらしいのよ」
「へー、そうなんだ」
「もしかしたら、古く、戦前からヨーロッパ絵画を扱っていらっしゃったF画廊さんなら、扱ったという記録が残っているかもしれないけど、私、F画廊さんとは全く面識がない為に聞くことができなかったの。だからそのせいもあるかもしれないけどね。
もう一つ考えられる事は、あの作品の年代から考えると、あれを集められていた時期が、もうかなり以前の事で、その頃活躍していらっしゃった画商さん達は、今ではお年で、引退したり、亡くなったりされていて、その頃の事を、知っている人が殆ど、いなくなってしまっているせいかもしれないけどね。いずれにしても、今の所、手掛かりなしなの。ただ出品者は、関西方面の人らしいので、関西方面の古い画商さんの中には、知っていらっしゃる人がいるかもしれませんから、今度そちらの方に行く用事があった時に聞いてみるわね。

その4

新しく赴任されたお医者様
その日、今度独身のお医者様が、医務課に入られ、名古屋支社に新たに配属されてくるというので、共存生命の女子職員たちの間では、その噂でもちきりでした。昼食の為に、女子職員更衣室に集まってきた彼女たちの話題も、もっぱらそれでした。
「今日支社長の所に挨拶にお見えになった時、貴女、お茶を持って行ったんでしょ」
「うん」
「で、どうだった」
「どうだったと言われても、お茶を持って行った時、ちらっと見ただけだから」
「どんな感じの人?」
「さー、なんといったらいいかなー。ちらっと見たときの印象は、一言で言えば、青白くて、ひょろひょろっとしていて、大人しい感じというところかなー
その為か少し神経質そうで、陰気臭いというところかな」
「えっ、陰気?そうかしら、それちょっと違っているんじゃない?私達が、廊下ですれ違った時の印象では、陰気というようなもんじゃなかったわ」
「そうなの?それじゃー、どんな印象だった?」
「そうねー、廊下ですれ違った時、ちらっと目を合わせただけの私が言うのも変だけど、あの人と、目が合ったとたん、どういう訳か、背筋にゾ、ゾッとするような冷たい感じが走ったわ。こんな事軽々しく言うべきではないかも知れないけど、私、あの人、とんでもない過去を背負っていらっしゃる人のような気がするの。だから陰気というよりは、ニヒルな感じというのが“ピッタリ”じゃないかしら。何も信じられず、誰も信じる事の出来ない底知れぬ闇を心の中に抱え込んだまま、たった一人で流れに身をまかせて、生きていらっしゃるだけといった感じ。
あの人、今までの人生で、よほどの事があったんじゃないかしらね」
「貴女、あの時私といっしょにいたでしょ。そう思わなかった?」
「そう言われてみればそうかもしれない。神経質そうというより、なんだか掴みどころのない不思議な感じの恐ろしさを持った人というべき人かもしれないわね」
「という事は、やくざの様な、凄みがある怖さをもっていらっしゃるという事?」
「ノー、ノー、そうじゃないの。やくざのような、ドスのきいた怖さではないの。
あの人の瞳の奥に、ニヒルで、底知れない深い、闇の存在が感じられるのが、恐ろしいのよ。うっかり同情し、惹かれようものなら、一緒に、地獄の底まで、引き込まれていきそうな、そんな怖さかなー」
「そうよね。確かにそんな危険な香りが、プンプンしているわねー、あの人」
「少し痩せぎみで、背は高く、その上、とても端正な顔立ちをしていらっしゃるから、よけいにね」
「歳は?」
「見た感じでは、三十歳代半ば前というところかな。
ハンサムだから、若そうに見えるだけで。実際にはもう少し、上かもしれない」
「端正な顔立ちの上、身体全体から発散してくる、あのニヒルな冷たさと、孤独で寂し気な様子は、母性本能をくすぐり、あの人となら、一緒に地獄におちても構わないと思わせるような危険な何かを持っていらっしゃるわ。貴女、先ほど、目があっただけで、ゾ、ゾッとしたとおっしゃったけど、それって、もしかしたら、あの人が発散している危険で甘美な香りに、貴方が惹かれているのを、本能的に察知した、子宮の震えの表れじゃないの」
「そうよ、私もそう思うわ。愛と憎しみだとか、恐怖と歓喜は、裏表というから、貴女のそのゾ、ゾッとしたのって、もしかしたら単なる危険信号というより、狂わしいほどの危険な魅力を、本能的に嗅ぎとった一つの証(あかし)とも言えるんじゃないかしら」
「そうかしら?・・・・・・、あるいはそうかもしれないわね。でも例えそうであったとしても、私はあの人には、近づかないようにするわ。同情して、あの人に関わったりしたら最後、ズルズル地獄の底まで、一緒に落ちていきそうな危険を感じるから」
「そうよね、それがいいわ。今までのあの人の人生に、何があったか解らないけど、あの人には、確かに底知れ深さの心の闇を感じるものね。それにさー、こんなことを言っては、俗っぽい話で何だけど、一般的に言って、お医者さまって、助平で浮気者が多いというでしょ。あの人だって、もう30歳をかなり過ぎてるはずよ。幾ら戦争に行っていて、捕虜になっていた期間があったからといっても、あの年であの容姿でしょ、それなのに、未だに独身というのは、なんだか怪しいわよねえ」
「そうよ、そうよ、もしかしたら、とんでもない女性関係の縺れ(もつれ)を抱えこんでいらっしゃるとか」
「そう、そう、隠し子があちらこちらにいたりして。これ冗談だけど、フ、フ、フ」
「フ、フ、フ」
「クス、クス、クス」
「そうかしら、でも例えそうであったとしても、私には関係ないわ。一緒に泥沼の底に沈むのは、真っ平ご免だからさあ」
「そうなの、私はまだ、大いに興味あるけど。その点、庶務課の貴女たちは羨ましいなあ。毎朝、貴女たちのうちの誰かが、医務室へお茶を運んで行くんでしょ。そのほかにも、その日その日の、日程表を渡したり、給与計算したり、出張旅費を計算して渡したりと、何かと接触する機会が、一杯あるものね。だったら、お近づきになるチャンスなんかも、一杯あるんですからね」、
「まあね。でもさー、今までずっと私達、お年の先生方のお世話をさせられてきたんですからね。少しくらいは良い事があったって、良いんじゃない?大目に見てよ」

続く