No.222 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その24

このお話はフィクションです

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その24の1

それから三日後、お師匠様はお亡くなりになりました。
あの日、私とお話しているだけで精一杯なほど、お苦しそうでしたのに、よほど弟子である私の事が心配だったのでしょうか、翌日には重兵衛さんを枕元にお呼びになり、
「私に、万一の事があった場合は、照道尼の事くれぐれも頼みましたぞ。
あの子と因縁浅からぬ貴方だからこそ、打ち明けお頼みするのですが、記憶が戻ったことによって解った、あの子の過去は、私と貴方が、あの時、あれこれ想像して話していた以上に厳しく、悲惨なものであったようです
あの子、ああゆう生一本(きいっぽん:純真なこと)の性格の所へ、酷い過去の記憶が甦ってきたでしょ。それによって、あの子の信仰に、今は、多少の揺らぎが生じているように思えてならなりませんの。
でもそれは一時の迷いに過ぎず、必ず立ち直って、素晴らしい真宗の伝道者になってくれるに違いないと、私は信じていますわ
だから、それに(信仰の揺らぎ)によって、万一迷惑をかけるような事があったとしても、それは一時の迷いによる、回り道に、過ぎないのですから、あの子を信じ、あの子を支えてやっておくれ」
と頼んでくださったそうです。
最後を看取って下さった薬師(くすし)の話では、死因は老衰と言う事でしたが、もともと、お年で、心臓が弱っていた所へ、あの大地震による大衝撃が加わった事による所が大きかっただろうと思います。
あの日以来、お食事が殆ど喉を通らなくなり、結局あの世へと旅立ってしまわれたのですから。
臨終が近づいてきた時、苦しい息の下から、「照道尼よ、わしも、いよいよ駄目らしい。
間もなく、お迎えがやって来るであろう」
「まだまだ大丈夫でございますよ。お気を確かに、お師匠様」
「お前と私の間柄じゃないか、今更気休めはよしておくれ。
私はなー、死ぬのは、阿弥陀如来の足下へと、行かせて頂けるのだから、ちっとも怖くない。
それどころか嬉しいくらいだ。
もう今では、この世での気掛かりと言えばただ一つ、お前の事だけだよ」
「大丈夫でございますよ。私、なんとか一人でやっていけますから」
「その事じゃないよ。
記憶が戻って以来、お前、迷いの道へと入り込んでしまって、戸惑っているみたいだったから、それが気になってならんのだよ、
その後どうだ、もう立ち直ることができたか?」
「その事なら、ご心配には及びません。
なんとか、目処(めど)がついておりますから」
「お前は理屈っぽい所があって、どちらかと言うと、自分の力に頼ろうとしがちなところがあるが、
一人の人間の能力なんて高が知れているんだからね。
まして、お前や私のような平凡な人間は、悟りの境地の様な高みに、自分一人の力で登ろうとするのは、どだい無理な話だと思うんだよ。
だから、諸々の雑念は捨てて、ただ一心に阿弥陀如来に御縋りなさい。
辛い時も、悲しい時も、苦しい時も、恨みが募る時も、憎しみが湧いて困る時だって、そんな時には、頭の中が無になるまで、ひたすら称名念仏をお唱えして、阿弥陀如来の袖にお縋りなさい。
そうなされば、自ずと解決の道が開けてきますからね」
「お師匠様。それに関しても、もう、大丈夫のようでございます。
この間お話をお聞かせ頂いてから、私も、お師匠様のお言葉通り、何かがあった時は、心を無にして、ただ只管(ひたすら)称名念仏をお唱えして、阿弥陀如来にお縋りすることにしておりますから」
「そうか、そうか、それを聞いて安心した。
それでどうじゃ、煩悩という、お前を悩ます悪魔を、上手く調教出来るようになったか?」
「おかげさまで、調教できるまでにはなっていませんが、なんとかうまく、折り合えるようにはなっております」
「そうか、そりゃーよかった。
ところで、私はもう、人に何かをしてやる事は出来そうもない。
だから私に代わってお前が、私の役をやって欲しいのだが、どうかな」
「大恩のあるお師匠様のお頼みですもの、何だってやらせて頂きます。
でもお師匠様、病は気からと申します。
門徒たちも、お師匠様のお話を聞きたがっております事ですし、そんな弱気におなりにならないで、もうひと踏ん張り頑張るぞと言うお気持ちを持って頂けませんか」
「無理じゃよ、無理。
だから私を信じて付いてきてくれていた門徒の皆さん方をくれぐれも頼みましたぞ」
「分かりました。至りませんが、懸命にやらせてもらいます」
「できたら私の檀徒や、門徒衆だけではなく、この娑婆にあって、嘆き、悲しみ、苦しんでいる多くの者達を、一人でも多く、阿弥陀如来の下へと導いて、救って欲しいのだが、駄目かのー」
「分かりました。自信がありませんが、私なりに頑張らせて頂きます。
ところで、お話はもうこれくらいにして、後は別の日にということにしましょうよ。
とてもお辛そうなご様子でございますから」。
「いや、今日は気持ちが良いから、もう少しだけ話をさせておくれ。
お前はこの間、『自分は煩悩に翻弄されている、未熟者で、悟りとは遠い所にいる存在であるから、僧侶として皆を、仏の下へと導いていく資格がありません』と言っていたなー」
「はいその時は、そう思いましたから、そのように申しましたが?」
「にもかかわらず、私の代わりを、やってくれるというのか?
すまんのう」
「でもなー、腹蔵なく(ふくぞうなく:包み隠さずの意)言わせてもらうと、前にも言った通り、お前は、あまりに、僧侶というものに、厳格さを求め過ぎじゃよ。
確かに自堕落な生活をしながら、覚者面(かくしゃづら:悟りを開いている人の様な顔)して、説教をしている僧侶を、赦せないと思う、お前の気持ちは分からんでもない。
しかし日々身を律し、悟りへの努力をしているにもかかわらず、未だ悟りきるまでには至っていない僧侶が、信者を前にして、より高みへと、導こうと、それまでの、自分の知識と経験を動員して、教えを説いている者迄も、許せないと考えるのは、あまりにも原理主義的で、窮屈過ぎだと思わんか。
真宗の教えはなー、もっと融通無限なものなんだよ。
だからお前が、まだ煩悩と格闘中で、迷いの中にいるからと言って、門徒たちに説教できないなどと考える必要はないんだからね。
そんなことを言ったら、いつも言っているように、この世の中に、道を説ける人間なんか、何人いると思う?
殆どいやしないんだよ。」
「私も、先日お師匠様に諭されましてから、つくづく考えまして、悟りに至ってない未熟者の私だって、それゆえの苦悩だとか、私が模索している悟りに到達する為の方策などなどを、正直に皆さん方にお話して、経験を分かち合いながら、皆して、より高見への道を探せばいいのではないかと、思えるようになりました」
「そうか、そうか、それで良いのだよ。
しっかり頼みましたぞ」と言ってお師匠様は、満足そうに、にっこりお笑いになられると、そのまま眠りこんでしまわれました。
そしてこれが、私が、お師匠様と交わした、最後の言葉となってしまったのでございます。

その24の2

お師匠様がお亡くなりになられてから、はや一年有余、私は今、生まれ故郷、川辺の郷のあったと思われる場所に立っております。
北陸方面への出張から帰って来られた檀家のお一人から、昨年起こった、あの大地震とそれに伴って起こった山津波によって、川辺の郷の村々も、朱鷺城のあった仙雲山も、今は、跡形もなく、なくなってしまっていると言う話はお聞きました。しかしこんなに酷い状態になっているとは思いもよりませんでした。
そういう私は、と申しますと、お師匠様の野辺送りをすませた後も、被災した家の人達の世話だとか、震災でお亡くなりになった方の野辺送り、ご供養、ご法要、念仏講の営みなどなどといった用事や依頼が、私の寺の、檀家の所からだけではなく、最近では、それ以外のところからの依頼も多く舞い込み、なかなか、ここを訪れる時間をとることが出来ず、ついつい今日に至ってしまっていたのでございます。
本当のことを申しますと、私、記憶が戻った時に、真っ先に思ったことは、息子、康継がどうしているだろうかということでございました。
すぐにでも出かけて、息子に、会いたいと思いました。
しかしお師匠様が亡くなられたばかりのこの寺を、そして檀家の人達を、大地震後の精神的にも物質的にも、この一番に大変な時に、それを放り出して、子供に会いに行くなどという私事に、時間を割いているわけにはまいらなかったのでございます。
そうこうしているうちに、今日に至っている訳でございます。所が私、少し前より、朱鷺城の夢を頻りにみるようになったのでございます。
それは、懐かしいというより、むしろ悲しい夢のようでした。
その夢の覚めた後はいつも、漆黒の闇の中に、たった一人取り残されているかのような、悲しみの感情に包まれている私が居るのでございます。
それは私には、故郷の何かが、私を、呼んでいるように思えてなりませんでした。
丁度そんな時、うまい具合に二日ほどの時間の余裕が出来ましたので、息子康継に会いに行くのは後回しにして、真っ先に川辺の郷の方面へと、足を向けたのでございます。

その24の3

帰ってきた川辺の郷は、あの大地震と、その後、しばらくの間続いた大余震群、そしてそれらによって引き起こされた、山崩れや山津波、土石流などによって、全く姿を変えてしまっておりました。
美しかった朱鷺城は、城の建っていた仙雲山諸共きれいになくなり、その麓にあったはずの八幡神社の鎮守の森も、社や大鳥居ごと、きれいさっぱり消えてしまっておりました。
城のある仙雲山を、三方から取り囲むように広がっていた、川辺の郷(さと)も、家々はいうまでもなく、林や森も、田や畑も、その全てが、なくなり、溶けはじめた残雪の中から、大小さまざまな岩石と赤土そして大木の根が頭を覗かせているだけの、一面の荒野と化しておりました。
以前、上保川が流れていた、仙雲山の麓にあった渓谷も、今はすっかり埋まってしまっていて姿を消し、残雪と石交じりの赤土の中から、岩や、材木、木の根などが、所々頭を覗かせているだけです。見渡す限り、丘陵地形の荒野と変わっております。
峡谷を流れていたあの上保川も、すっかり姿を変え、川床となっている岩石の間を、泡立ちながら、縫うようにして流れゆく、浅い急流に、かろうじて、以前の面影を留めているだけです。
もう如月の終わり(旧暦の2月、今の3月)と言うのに、春の遅いこの地方の風は冷たく、その風のなかを歩いても歩いても、目に入ってくるものは、岩石と大木の根っ子と残雪だけで、私の探し求めている、かっての父の城、朱鷺城の痕跡も、我が家のあった場所や沢山の人が泣いたり笑ったりしていた集落の痕も見つかりませんでした。

その25へ続く