No.214 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その16

このお話はフィクションです

小説「廻る糸車 ~ 伝説の美女 西施像奇 ~」刊行のお知らせ
著者である弊社顧問 種田稔一による、長年に渡り積み重ねてきた見識と豊かな創造力が凝縮された一冊です。 時空を超えて描かれる壮大な歴史ロマンを是非お楽しみください。
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その16の1

昼でも薄暗く、昼夜のはっきりした区別のつかない、地下牢での生活は、日付の感覚をすっかり狂わせてしまいました。
私達(美貴)親子が捕えられ、この地下牢に閉じ込められてから、何日たったのでしょうか。
ある日、突然、私達は薄暗いお城の地下牢から、以前、お父様のお屋敷だった家の中に作られた座敷牢へと移されました。
それは、家の一番奥まった所にあった物置部屋を改造して作られたもので、四方木格子(よもぎこうし)をはめ込んで造られたその部屋は、まるで大きな鳥籠のようでした。
そこは、板敷きの床に、筵(むしろ)がしかれているだけの、窓もない部屋でした。
しかしそれでも、それまでの四六時中薄暗く、じめじめしていた地下牢に比べたら、天国と地獄ほどの差がありました。
しかし、私たちの世話をしてくれた下女達を始め、家の中を行きかう人々の顔ぶれは、全く変わってしまっていて、見知らぬ者ばかりとなっていました。
「どういう事かしら?お世話してくれる人達って皆、私の知らない人ばかりだけど。
お父さんの知ってる人いる?」と尋ねる私に対して、
「いや、わしも全く知らん者ばかりだ。一体、何が起こっているんだろう?
身の回りの世話をしてくれる者達の訛り(なまり)からすると、ここより少し北、郡上辺り連中のようには、思えるんだけど。世話をしてくれる奴らを捉まえては、訊いて(きいて)いるんだが、どいつも、あまり話したがらんから、今の所さっぱりわからん」
「そうなの、お父様にも見当がつかないの。
変ねー。
本来なら、頼正兄が、この家に住んでいるはずなのに、使用人たちの顔ぶれが、全部変わってしまっているなんて」と私が言いますと、
「地下牢に、何日閉じ込められていたのか、正確には解らんが、閉じ込められていたこの数日間の間に、わしら親子にとって事態は、あまり芳しくない方に動いたに違いないと思う」とお父様。
「と言う事は、この家はもう、お父様の物でも、お兄様の物でもなくなってしまった、と言う事なの?」
「その可能性が大きいんじゃないかな。
もし頼正が自分の物にしたんだったら、世話役の者達の中に、わしの知っている者だとか、わしの顔を見知っている者が、少なくとも一人や二人はいるはずだろ。
所が実際には、わしらの全く知らん者ばかりだし、相手も、わしらの事を全く知らんみたいだ。と言う事は、今この家は、わしらの全く知らない、誰かの居宅になっていると考えるべきだろうな」
「じゃー、お父様の国も城も、その誰かとやらに盗られてしまったと言う事なの」
「そう言う事。多分な。今の時代、そういう事は、どこの国でも、しょっちゅう起こっていることだから、冷静になって考えれば、取り立てて、憤慨したり、悲しんだりする程の事でもないかもしれん。だけど実際に盗られた側の立場になってみると、こんな悔しくて情けない話はないわなー。今までの経緯(いきさつ)から考えると、わしの領地は、おそらく、今度の反乱の加勢をした三木の勢力下にいる誰かに、組み入れたんじゃないだろか。
そこから推理すると、今度の戦で、功績があった武将の誰か、訛り(なまり)からすると、郡上篠山の東綱重あたりだと思えるが、そいつのものになったんじゃないだろうか」
「じゃー、頼正兄はどうなったのかしら?」
「食事を運んでくる女がちらっと漏らした所によると、この上保川を下った所にある、どこかの土地、多分それは、中の保の出城辺りの土地と城の可能性が強いと思うが、そこに配属されているんじゃないだろうか」
「中の保の出城って、道兼叔父様が、護っていたお城の事でしょ」
「そう、その城」
「じゃー、叔父様とその一族はどうなってしまったの?」
「悪い事に、頼正が反乱を起こしたあの朝、弟の道兼は、あいつらに討たれてしまったんだよ」
「エッ、そうなの。どうしてまた」
「その日、道兼は、朝早くに、わしの所へやってきて、打ち合わせをしていたんだが。その最中に、頼正達が乱入してきて、弟の道兼を、真っ先に、血祭りに上げてしまったんだよ。その日に限って、あれは、重要な会議だからと言うので、自分の一族の主だった者を、全部を引き連れてきていたものだから、あいつの城は、空っぽと言ってもいいような状態になってしまっていたんだよ。そこを狙われたんだから、どうしようもないわなー。
多分、抵抗らしい抵抗をする事もなく城は落とされてしまったんだと思う。わしの推量では、頼正は、その功績という事で、道兼の領地と城、そしてそれ以南の私の部下だった武将たちの土地を、拝領したんだと思う。でもなー、これがまた、一筋縄ではいかん土地ばかりだから、この後が、頼正は大変だろうなー。三木が、よほど強力な後ろ盾になってでもなってくれん限り、頼正の先は暗いと思うよ。
しかし、あの策略家の三木のことだから、頼正のあそこへの配属そのものが、もしかすると予め、あの土地の統治の失敗までも、計算の上の事かもしれんのだわ」
「えっ、どういう事」
「万一、頼正があの土地の統治に失敗してくれたら、責任を取らせて、この地から放逐する事ができるだろ。
またあの地の領主だった武将や、あの地の領民達に、反乱を起こされ、討たれてでもしてくれれば、自分の手を汚すこともなく、頼正の反逆の芽を、摘める事にもなるしね。だから、どちらにしても、自分達の損にはならん、と踏んでの事のように、思えてならんのだわ」
「そんなに腹が黒いの。三木(みつき)って」
「この戦乱の世の中、今伸し上がって(のしあがる)きているような奴は、三木に限らず、そう言った一筋縄ではいかん奴等ばかりだよ。そんな中を、頼正のような世間知らずで、人の腹の内を見抜けないようなボンボンが、生き抜いて行くのは、容易なことではないだろうな」
「もう今となっては、わしが親として、あいつにしてやれる事と言ったら、三木の謀略に引っかかって、軽挙妄動(けいきょもうどう:何も考えずに行動すること)したあげく、自滅と言う道を辿らんようにと、祈ってやる事くらいしかできないけどね。
可哀想になー」

その16の2

それから約3カ月、城主の息子の反乱だとか、内戦、前領主の捕縛、領主の交代などなどといった、いろいろなことがあった、川辺の郷にも、秋は、いつものように訪れておりました。
穫り入れの季節である秋は、穫り入れが終わるまでは、どこの城主も、戦を控えるようにしておりますから、領民たちは皆、戦のない、束の間の平穏を楽しんでおりました。
しかし頼正は一人、うつうつとして、楽しめませんでした。
最近では、例の小料理屋に、何日も何日も、入り浸り、酔いどれになっている事が、多くなりました、
酒は、どれだけ飲んでも苦いだけで、美味しくありませんでした。
飲めば飲むほど、頭は冴えわたり、気分は、落ち込むばかりでした。
三木の援助によって、父親からの政権の奪取には成功はしたものの、父親の持っていた城も、領地も、住処も、結局は三木の裁決によって、隣国の東綱重にもっていかれてしまったのです。
頼正に与えられたものは、叔父が統治していた中の保の出城と、その周辺の一集落、そしてそれ以南の斎木頼貞配下の武将達が以前に統治していた領地だけでした。
しかし中の保以南の斎木の領地は、以前から、どちらかと言うと、美濃の斎藤や、尾張の織田との結びつきのほうが、強い武将達の集まりで、飛騨の三木陣営に加わる事を強く拒んでいた連中ばかりです。
彼らは、郷士(ごうし)や国人たちが、自衛のめに、便宜的に、斎木頼貞を中心にして、より集まっていた、弱い結びつきの連合体でしかありませんでした。
従って、彼等は、強い自主性をもっております。
彼らは、頼正の反乱によって、頼正、東、三木の連合軍に攻め込まれた際は、一端は、城を明け渡して、領外へと退去してはいきましたが、戦乱が収まり、頼正、東の後ろ盾となっていた、三木の軍勢の大半が引き上げて行きますと、直ぐにその地に配備されていた、東、頼正配下の兵士達を追い払い、夫々が、以前に支配していた、自分たちの城と領地に戻り、以前のようにその地を支配するようになっております。
それを、領地として、拝領しても、三木の配下に入った、頼正の命令など聞いてくれるはずがありません。
何しろ、彼らには、今では織田という、強力な後ろ盾がついておりますから強気です。
下手に彼等の領地に、足を踏み入れようものなら、裏切り者だとか、親不孝者として、罵られるだけではすみません。
敵だとか、領主の仇(かたき)として、その場で討ちとられてしまいそうです。
そうかと言って、力すくで支配しようとしても、今の頼正には、単独で、彼らを、抑えきるだけの兵力を、集める力もありません。
以前の取り巻きだった連中は皆、その知行も兵力も三木によって、半分以下に削られてしまっていて、応援してくれたくても、出来そうにありません。
それなら、後ろ盾の、三木や、東綱重の援助はどうかといいますと、彼等は、自分達が、下手に動くことによって、織田との全面対決になることを、恐れていて、援けて(たすけて)くれそうもありません。
しかし、そうかといって三木や東達は、折角今回大軍を動かしてまで手に入れた斎木の領地が、今では、半分程度しか自分達の陣営に加わっていない現状には満足していません。
そこで、中の保の出城以南を、知行として頼正に与え。彼の責任において、その土地を取り戻し、統治させることにしたのでした。
しかしそこには、三木や東綱重の悪意ある策略の臭いが感じられます。
もし仮に、中の保以南の城主達が、うまく頼正の命に従って、三木の配下についてくれたなら、
川辺の郷の全てが、三木配下のものとなるわけですから、こんなうまい話はありません。
またもし頼正が統治に失敗したならば、それを理由に頼正を解任し、放逐することもできます。
そうなれば、中の保の出城以北の旧斎木領は、完全に東綱重の領地、すなわち三木の支配下に入れることができるわけですから。
どちらにしても、彼等に損はありません。
彼等は、それを狙っているに違いありません。
それを感じとった頼正は、今では完全に行き詰っておりました。
三木や東綱重の策略に乗っかって、今の窮地に陥っている自分の愚かさを呪いました。
進む事も、退く事も出来なくなった、頼正は自暴自棄に陥り、己を含め、この世の全てを、破壊し尽くしてしまいたい、という穏やかならざる思いが、入道雲のように、むくむくと湧き起こっておりました。

その16の3

私〈美貴〉達がお城の地下牢から、屋敷の座敷牢に移されて数日後の事でした。
私は座敷牢から連れ出され、新しいこの屋敷の主人、東綱重の前に、引き据えら(ひきそえる:つかまえてその場に座らせること)れました。
年は50歳前後、やや小柄で、小太り、全身これ好色と言った感じのその男は、私の身体を上から下まで、まるで舐めまわすように眺めた後、「そなたが楊貴妃の再来かと、噂の高い美貴殿か。なるほど評判通り、お美しい。このまま牢の中で腐らせてしまうには、あまりにも惜しい。どうだ、この家での、わしの妻になるというのは。もしそうしてくれたら、栄耀栄華だって思いのままに、させてやるぞ。どんな旨い物だって、どんな珍しい物だって、食わせてやるし、どんな素晴らしい着物だって着せてやるがどうじゃな」
「嫌でございます。私、夫、信光が亡くなりました今では、もう生きていても詮無い身でございます。今更この世の命に未練はございません。まして贅沢なんぞに何の興味もございません。折角のお申し出ではございますが、私、もう一度、他の方の所へ嫁いでいく気持ちなど毛頭持ち合わせておりませんの。まして夫の命を奪った仇である、貴方様の妾になるなど、考えただけでも、ぞっといたします」
「そんな事、言いなさるな。信光殿には、お気の毒な事をしてしまったが、直接手を下したのは、そなたの兄上、頼正殿であって、わしではないんだからな。結果において、わしがした事になってしまっとるが、本当の所は、わしの知らぬ事であったわ。それどころか、頼正殿によって、殺されそうになっていた、そなたや、そなたのお父上を、お城の地下牢から救い出してやったのは、このわしじゃぞ。少しくらいは、感謝されても良いと思うんじゃがなー」
「それは、それは、しかし折角のご配慮に対し、こんな事を申しては、何ですが、私にしても、お父様にしましても、もはや命には、何の未練もございません。それどころか、生き恥を曝している、今のような境遇で、生き長らえるくらいなら、いっそあの時、死なせて頂いた方が、むしろすっきりして、幸せだった、とさえ思えます。グダグダおっしゃってないで、一刻も早く、命をお取りください。私、貴方様の妾になるくらいなら、いっそ死んだほうがましだと、思っておりますから」
「よくよく、嫌われたもんだなー。
しかし、そんな事くらいで諦めるようなわしではないぞ。
女というもんには、嫌われりゃ、嫌われるほど、落とし甲斐があるというもの」
「・・・・・・・・」
「もしそなたが『ウン』と言ってくれさえしたら、お父上には、今よりずっと良い生活をさせてやるがどうじゃ」
「無論、そなたには、牢屋の中への出入りを、自由にさせてやるから、存分に親孝行をすることだって出来るんだぞ」
「お父様は、娘の身体を犠牲にしてまで、自分が良い思いをしたいと願うような、浅ましい人間ではございません。むしろ私が悲しんだり苦しんだりしている時は、その二倍も、三倍も悲しんで下さる人でございます」
「そんなお父上だからこそ、そなたは子として、お父上の為に出来る限りの事をすべきではないのか。お父上の余生を、今のような不便で不快なものでなく、もっと、もっと快適に送れるようにしてあげたいとは思わんのか」
「そりゃー、子としては、そうしてさしあげたいとは思いますわ。でもね、貴方様がおっしゃるような事になって、それをしても、お父様は喜ばないと思いますけど。いいえ、むしろ悲しむだけだと思います。だから絶対に嫌でございます。私自身だって、あんたのような狒々親爺(ひひおやじ)の世話になるくらいなら、死んだ方がましでございますし」
「そうか、それほどまでに言うか。それなら、そなたの望み通り、そなたの父親に、まず死んでもらう事にしよう。でもそうなると、そなたは間接的に、父親を殺した事になるのだが、それでも良いんだな」
「・・・・・・・・」
「そなた、わしの力を甘く見とると、後悔することになるぞ。わしはな、蝮の綱重とも言われている男じゃぞ。そなたは、殺されるのは、そなたと父親だけだと思っているようじゃが、そうではないからな。自分の子供、康継は、わしの手の届かない所に逃してあるから安心だと、思っているようじゃが、そうはいかんからな。何処に逃がしていようと、絶対探し出して、首をとってやるからそのつもりでおりな。その首を見た時の、そなたの顔をみるのが、今から楽しみだわ。そなたの首は、それまでは胴体に付けておいてやるから安心して待ってな。女ごときに、これほどの言い方で、断られたとあっては、末代までの恥辱。こうなれば、父、娘、孫三代の首を朱鷺城の前に並べんことには、わしの腹の虫が収まらんわ」
「・・・・・・・・・・・」
私は言葉を失ってしまいました。この男なら遣り(やり)かねないと思うと、恐ろしさと怒りに身体が自然と震えてまいりました。

その17へ続く