No.213 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その15

このお話は フィクションです

その15の1

頼正が、金蘭の谷への進撃を開始したのは、頼貞の予測通り、頼正が謀反を起こした日から六日後の事でした。
当日早朝、出陣式をかねた戦勝祈願の為、朱鷺城〈トキジョウ:頼貞の居城〉のある山の麓にある、八幡神社境内に集結した兵士は、
頼正派の武将達が率いる兵士を始め、頼正を助勢するために派遣されてきた郡上の東綱重配下や、飛騨の三木配下の兵士など、合わせて、およそ五千でした。
鎧兜で身を固め、夫々の武具を手に、旗指物を背にして、整列している五千からの兵士の姿は、まさしく壮観と言う言葉がぴったりの光景でした。
しかしその大半は、飛騨各地の領主からかき集められてきた三木配下の兵士達で、頼正の為に集まった、川辺の郷の武将達とその家来の数は、ごく僅かでしかありませんでした。
それでも、そんな大軍を前に頼正は上機嫌でした。
山岐一族討伐戦の出陣式の為に集まってきた諸将を前にして、頼正は
「親を背いてまで、立たなければならなかった今回の決起に対し、私の苦衷をお察し下さり、これほど沢山の方々の、ご参加を頂けました事、感謝に堪えません。
特に、今回の決起に対し、かくも沢山の御助力を賜りました、三木の大殿と、東氏とには、ここにあらためて厚く御礼申し上げます。
私、今後は、このお二方の、この御恩に報いるために、我が身を顧みることなく、働かせて頂く所存でおります。
所で今日の戦いの意義でございますが、これは、今回の決起の有終の美を飾る為の最後の戦いとも言うべきものでございます。
私どもは、今回の決起によって、父、斎木頼貞が、この国を、間違った方向に導こうとしていたのを、引きとめ、正しい方向に引き戻す事に、ひとまず成功いたしました。
しかし、これまで父を誤った方向に導いてきた、君側の奸(かん:邪悪な人)とも言うべき、山岐一族につきましては、信光こそ幸いにも、討ちとる事が出来ましたが、その一族につきましては、まだまだ、無傷のまま残っております。
このまま放置しておきます事は、私どもの将来に、禍根を残す事になるのは必定でございます。
従いまして私は、今日の戦によって、今後彼らが、私どもの行く手に立ち塞がる事のないように、彼等一族を完璧に殲滅し、我が国が、二度と間違った方向に誘導され事のないようにしておく所存でございます。
しかしながら相手は、なにしろ、悪名高き山猫野郎のきゃつらめでございます。
従いまして私、本日の参集にあたりましては、彼らとの戦いは一筋縄ではいかないものと、相当の覚悟をしてまいりました。
所が、今日お集まり頂きました、皆様方のご威容を拝見させて頂きました事によりまして、気が抜けるほど安心してしまいました。
山岐一族の奴等が、どれほどの味方を集めていようと、どれほど守りを固めていようとも、この陣容の前には、もはや問題ではないと思えるからでございます。
奴等の方こそ、この大軍を目にしたら、それだけで、怖気づいて、逃げ出してしまうんではなかろうかと、思えてなりません
もし仮に、この陣立てに、立ち向かってくるようなバカ者がいたとしましても、もはや問題にならないと思います。
幸いにも、先陣をお任せ頂きました私としましては、あっという間に蹴散らしてみせる所存でございます」
「しかし頼正殿、油断は禁物ですぞ。
相手は何しろ奇襲の山岐だとか、山猫の山岐と称されているような奴等ですぞ。
昼間は、山の中に潜んでいて、夜になると、どこからともなく表れて、襲ってくるような奴等ですからね。
万一、金蘭の谷の砦に、立て篭もりでもされようものなら、こりゃー、ちょっとやそっとじゃーない、厄介なことになりかねませんぞ」
と三木家配下の武将の一人が申しますと、
「そう言えば、あの砦、今、どうなっているのだ。
ここ数日前から、全く連絡が取れないときいているんだが」
「・・・・」
「やはり、もう山岐の奴めらに、乗っ取られてしまったんかな」と他の武将が続けます。
「何度も合図の狼煙(のろし)を送っているのですが、返事が戻ってこん所からみると、そうかもしれません。
先ほど、斥候(せっこう:敵の様子をさぐる兵士)を送りましたから、そいつらが戻ってさえくれば、あそこの状況が、ある程度、掴めるんではないかと思います」と頼正。
「でも、あんな砦くらい、万一奴らに盗られたとしても、どうって事、ないんじゃないのか」と東配下の武将の一人。
「さようでございます。なにしろこちらには、皆さん方のような精鋭が、こんなに沢山、ついているのですから。
その上、今回は、三木殿の所の、鉄砲隊まで付けて頂いたんですから」と頼正。
「そうだよ。いくら奇襲の山岐と言ったって、これだけの大軍を前にしたら、手も足も出んのと違うか?
大体、あそこって、全部合わせたって、五十にも、満たなんような奴等でしょ。
そこへ、他所からの味方が少しくらい、ついたとしても、そんなの、今の我らにとっては、屁でもないんじゃないのか。
一揉みだよ、一揉み」と東配下の武将の一人が威勢よく応じます。
「そうですよ、全く心配ないと思いますよ。
あいつらが、仮に、砦への、立て篭り作戦をとった場合、あいつら、その全兵力を砦の守りに、使わにゃーならん事になりますぜ。
そうなると、あいつらが得意とする、陽動作戦は取れんことになるわなー。
そうかといって、多少の援軍が加わっていたとしても、五十やそこいらに、少しくらい増えた兵士では、それを砦の内組と外組に分けた場合、どちらも、人数が少なすぎて、我らのこの大群の前にしては、戦にならんのと違うやろか?」と他の東配下の武将が言います。
「確かにそうかもしれませんなー。
でもなー、この戦に負けた場合、あいつら一族は、根絶やしになってしまうんですからね。
だから、あいつらだって、死に物狂いで、かかってくるに違いありませんぜ。
“窮鼠かえって猫を噛む”の例えもあることだから、よくよく用心してかからんと」と先ほどの三木家の武将が返します。
「そう、そう、そのとおり。
あいつらも、必死ですからなー。ここはやはり、よっぽど気を引き締めてかからんと。
万一、砦の攻略に時間をとられ、夜に縺れ込んだりしようものなら、ちょっと厄介なことになりかねませんぜ。
ここは、油断せんと、あらゆる事態を考え、対策を立ててから、とりかからんことには。
何しろ奴らというのは、昼間は、山の中にかくれとって、夜になると爆裂弾を抱えて、自分諸共、突っ込んでくるような、命知らずの奴ばらばかりですからね」と三木配下の別の武将が応じます。
「そう言った話、たしかに聞いております。
だからこそ、何としてでも、日のあるうちに、決着をつけなければとは思っとります。
そこで作戦ですが、私ども主力部隊が、砦を攻略している間に、残りの者たちは、あいつらの住処の方を片付けてもらえんやろか。
あそこは、元・金鉱の山師達だった奴等の住処だもんですから、沢山のお宝がまだ眠っているはずです。
その上、あそこは、綺麗な女が多いというので評判の集落でもあるんです。
ですから、そっちの方の好者(すきもの)にとっては、
これまた堪えられん(こたえる:ここでは我慢できないほど良い気分の意)場所ですぜ。
砦攻めの部隊に入った者のような、大手柄を立てる事は出来んかもしれませんが、その代わり、こちらには、それなりの、戦の見返りは得られるはずです」と頼正。
「ただ、ここで一つお願いしておかなければならん事は、“略奪するも良し”、“凌辱するも良し”ですが、終わった後、奴等の住処を始め、部落の全てを、綺麗さっぱり焼き払って頂きたいということです。
集落に残っている人間も、全てきれいさっぱり、消してください。
女、子供、年寄りといえども、情け容赦はいりません。
後顧の憂い(こうこのうれい:後々の心配)を断つために、一人残らずきれいさっぱりやってしまってください。

その15の2

一時でも早く攻撃を開始したいと思った頼正は、前もって出しておいた斥候の帰りが、あまりにも遅いので、戻ってくるのを待たずに、金蘭の谷に向けて出発しました。
出発して小半時もたった頃でしょうか、途中で、やっと戻ってきた斥候と出会う事が出来ました。
所が、戻ってきた斥候は、「そんな砦も集落も、何処にも見当たりませんでした」と言います。
「そんなはずがなかろう。上保川を遡った所に、山が二つに割れて、峡谷の入り口を作っている所があっただろう。
そこに、その谷に覆いかぶさるように突き出ている方の山の上に。砦があるはずだが」と聞いても、
「いいえ、上保川を遡りましたら、途中で山が崩れ、そこで川が切れて無くなってしまっていて、砦らしい建物も、
人の住んでいる集落らしい所も周辺には見当りませんでした」と言い張ります。
おかしいとは思いましたが、どうなっているのか見当もつきません。
そこで、ともかく川が途切れている所まで、まず行ってみようと言う事になり、兵を急がせました。
砦のあった辺りまでやってきた頼正は、その光景に驚きました。
あの金蘭の谷への入り口に、相対するように聳え立っていた二つの岩壁が、その上にあった砦諸共崩れ落ちて無くなり、岩壁の間を流れていた上保川は、そこで堰き止められ、途切れてなくなってしまっていました。
それより川下は、水がほとんどなくなり、以前川底だった所の、所々につくられている水溜まりには、大小さまざまな魚たちが
プカプカ浮き上がり、喘いでおりました。
回りの山に登って眺めた、頼正と彼に付いてきた武将達が目にしたのは、大部分の家が、燃やされて無くなってしまっている集落跡と、既に、そこに、水がたまり始め、小さな湖のようになっている光景でした。
梅雨の間に、山々に降り注いだ雨水を集め、水暈を増した、上保川と紅谷川の水が、ここで堰き止められ、ここ数日の間にもう田や畑、そして低い所にあった家々や木々を呑み込み、水の底にと沈めてしまっていました。
人の気配は全くありませんでした。
一族揃って、何処かへ移り住んでいったものと思われます。
皆、よほど急いで退去して行ったものと見え、焼け残った、家々や、家財道具などの破片、焼け焦げた衣類などが、あちらこちらに、浮かんでおりました。

その16へ続く

No.212 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その14

このお話は フィクションです

その14

それからどれほどの時間が経った事でしょう。
「美貴、美貴、美貴だろ」と肩を揺すって呼ぶ声に、私は自分が、薄暗い部屋の中にいる事に気付きました。
びっくりした私は、その手を払いのけると、慌てて部屋の隅へと逃げ込みました。
背中に当たっている俵の臭いに混じって、カビ臭い土の臭いや、籠城の為に貯蔵してある、色々な食べ物の臭いが、突然どっと鼻に襲いかかってまいりました。
「美貴、美貴、私だよ、私、お父様」と聞き覚えのある男の声。
薄明かりの中、かすかに判別できる男の顔は、まさしくお父様のお顔でした。
「わー、お父様、お父様」私はお父様に抱きつくと、思いっきり大声を上げて泣き出しました。
それまで止まっていた涙が、次から次へと流れ出てきて止まらなくなってしまいました。
同時に、信光を失った悲しみと、信光を殺した兄・頼正への憎しみが、新たに、甦ってまいりました。
美貴を抱いている、父・頼貞の目からも、涙が流れ始めました。
「お父様、信光が、信光が」
「何、どうした?信光殿がどうしたと言うのだ?」
「ワーッ、ノ、ノ、ノブミツが、やられてしまった―、ワー」
「エッ、信光殿もやられたのか、誰に、頼正にか」
「直接、やったのは、誰か分からない奴等だけど、命令しているのは頼正」
「そうか、信光殿もやられなさったか、これで、わしの国も終ったかもしれんなー」
「お父様の所は守っている侍が随分いたのでしょ。それがどうして?」
「今の時代、他家でこういう事が起こった例を、散々見させてもらってきたんだから、もっと、もっと用心しておるべきだったんだろうなー。
けれど、まさか、自分の子供に限って、と言う思いがあったもんだから、それが仇(あだ)となってこの体たらく。
我ながら情けないし、信光殿はじめ、諸将に、申し訳ない」
「そうよねー。
夫も、こういう事態が起こるかもしれないと、前々から思ってはいたみたいで,お父様にも、その事を進言して、対策を考えてもらわなければと言っていましたんですよ、
でもね、それがこんなに早くなるとは思っていなかったみたい。
夫としては、今度の会議で、お父様も、頼正兄も両方が立つようにしさえすれば、さしあたっては、丸く収められるのではないかと言っていたんですから。
それがまさか。その会議前に、頼正が事を起こすなんて、あいつ、馬鹿じゃないの。
そんなことしなくたって、領主の座はちゃんと自分のものになったのに。
信光も、随分用心はしていたのですが、そのまさかが、仇となって、頼正派のやつらに先を越されてやられてしまったというわけ。
悔しいなー。
頼正兄が、もう少し待ってくれさえすれば、頼正めの立つように考えてくれていたのに。
ほんとうに、悔しい―」
「お城の回りには、お父様派らしい武将だとか、兵士達の死骸がごろごろ転がっていましたわ。
だから、お父様派の武将達は、殆ど全滅かもしれないわね。
あの人達だって、まさか、今日、こんな事になるなんて思ってもいなかったでしょうから、連れてきた、家来の数も少なかったでしょうし、どうしようもなかったんでしょうね」
「で、この後、私や、お父様はどうなると思う?
まさか直ぐに殺そうというのじゃないわよねー」
「分からん。
なにしろ、今度の仕掛けは、頼正一人でやった事ではなさそうだからなー。
妻が捕らえられてない事や、随分沢山の兵士が動員されている所から考えると、妻の実家の三木(みつき)めが、後ろで、糸を引いているに違いない。
そうなると、これは大変なことで、お前も、わしも、助からんかもしれんぞ」
「夫が亡くなってしまった以上、私は、生きていても仕方がない身だから、殺されたってかまわないけど、
康継や、安乃さん始め、山岐一族の人達の事だけが、気掛かりだわ。
もう康継は、無事にあの新天地へ着いたかしら。
私がいないから、叔父さま達を困らせているんじゃないだろうか。
山岐一族の者達は、全員、上手い具合に、あの谷から退去できたかしら」
「谷からの退去って?
それどういうこと?」
「実はねー、お父様。
夫は、『自分がいる限り、お父さんと、お兄ちゃんとの間で起こる後継者争いによる戦は、避けられそうもない。
でも、もしそうなった場合は、この国は、どこかの大名の餌食になってしまうだろう。
だから、そうなる前に、自分は身を引くつもりだ』とかねがね言っていたの。
そこで、お父様には無断で、申し訳ないことですが、頼正兄が領主になった場合、嫌がらせに備えて、十日くらい前から、谷の一族の者達を、少しずつ、他の地へと、移していましたの。
更に、今度の会議がもつれ、万一、私達が捕まったり、殺されたりといった事件が起こった場合は、残っている谷の住民全員が、直ちに、あの谷から退去する手筈になっていたのです。
ですから、私達がやられた後、直ぐに、頼正達に、あの谷へ、攻め込まれでもしていない限り、山岐の一族は、もう今頃は、頼正らの手の届かない所まで行ってしまっているはずです」
「フーン、そういう事か。
それにしても手際のよい事で。
信光殿は、前々から、そのような事を言っていたからなー。
きっと、今度の会議の前に、その話をするつもりだったんだろう。
あまり、わしが強く引きとめていたものだから、言いそびれていたんだろうが、気の毒な事をしてしまったなー。
でも、あいつは、天才的な戦略家だったから、あいつの才能が惜しくて、ついつい強く引き留めてしまっていたんだよ。
娘婿である信光殿に、頼り切っていた所もあるし、もっともっと出世してほしいという欲もあったものだから、ついなー。
それにしてもまっ事、惜しいことをしたなー。
悔しいよのー」
「夫が亡くなってしまった今となっては、どうでもいい事ですけど、夫は、そういった栄達を望んではいませんでしたの。
あの人は無欲な人で、望んでいたのは、戦(いくさ)のない世の中がくる事だけだったんです。
そんな平和な世の中で、『皆、特に真面目に働く者達が、穏やかに、そして幸せに暮らしていけるような世の中になって欲しい』と
いつも、口癖のようにいっていましたんですから」
「そうか、気の毒な事をしたなー、良い婿殿だったのになー。
お前が心配している、山岐一族の立ち退きについては、絶対、上手く行くから大丈夫だよ。
わしが考えるに、まず頼正一派の連中達程度の頭では、今度の反乱を起こすことだけで精一杯で、信光殿が、一族全員を引き連れて、谷を出ていくなんてことは考えもつかんことだと思う。
だから、頼正派の連中は、信光一族の動きに、何の注意も、警戒もしてなかったはずだ。
故に、山岐の一族は、何の妨害も受けることなく、やすやすと谷から脱出していくことが出来たと思う。
それに、もう一つ、反乱を起こした頼正達が、反乱に成功した後、真っ先に手を打たなければならない先は、お前の所ではないと思う。
わしを支持していた連中の中には、途中で異変に気付いて、引き返して行った武将も沢山いるし、今回の反乱によって、わしの城で討たれた連中も、それぞれの居城を守っていた家来達が、まだいるはずだ。
誰が考えたって、そいつらが、このまま黙って引き下がってくれるとは思えないだろ。
もし頼正たちが、このまま何もせず放っておいたとすると、早晩彼ら頼貞派の武将達が手を組み、陣容を整えて、反撃してくるのは明らかでしょ。
それ故、頼正たち反乱軍としては、彼ら頼貞派の武将達同士が手を結び、反撃の陣容を整える前に、先制攻撃によって、この地から、頼正派の武将達を一掃しておかなければ、と考えるのは、理の当然だよね。
そうなると、頼正たち反乱軍が、三木氏から余程大きな支援でも受けていない限り、わし達を破った後、最初に、山岐一族を、攻撃すると言う選択肢は、まずないと思うなー。
なにしろ山岐一族というのは、とても手強い相手で、中途半端な軍勢では、攻め切れるものでない事は、このあたりではよく知られているところだからね。
わしの計算では、山岐一族への攻撃が始まるのは、わしの派の連中を屈服させた後になるだろうから、五から六日後という事になるだろうな、多分」

その15へ続く