No.181 廻る糸車、西施像奇譚 その2

(お祖母ちゃんの昔話、因果は巡る糸車より)
註1:西施・せいし・・・中国春秋時代、越の伝説上の美女の名前。
楊貴妃と並ぶ、中国古代における、傾国の美女の一人。
古代中国4大美女の一人で、彼女のあまりの美しさに、魚も泳ぐのを忘れ、沈んでしまったという伝説が残っている。
彼女、もともとは、貧しい洗濯女に過ぎなかったが、その美貌によって、越王、匂践(こうせん)に見いだされ、,越が呉に敗れた時、呉王、夫差の下に献ぜられました。
呉王、夫差は、まんまとその計略に乗せられ、西施の色に溺れ、政治を怠り、その結果、呉は弱体化し、後に越王に滅ぼされた。
呉の滅亡後は、彼女の美貌に越王、匂践が惑わされるのを恐れた、匂践夫人によって、皮袋に入れられ、長江に沈められたと言われておる。
更に詳しくは文の中ほどにある註をご覧ください。
註2: 奇譚(きたん)・・・世にも珍しい話、
註3:
登場人物について:
寿美:長女
吉治:長男(丸吉商店店主)
金佐衛門:次男
留吉:三男(その3から登場)
奈津:次女(その3から登場)
勘助:吉治に雇われ、丸吉商店で働いている。
泰乃:吉治の妻

 

その4

僅かな伝手(つて)を頼りに、郡上霧峰藩の城下町に流れてきた勘助は、口入屋の口利きで、慈恩院の門前に位置する、乙姫横町の穀物商、丸吉商店に、住み込みの手代として雇ってもらえる事になりました。
丸吉商店は、50歳代半ばを過ぎた、老夫婦二人だけで、ひっそりと、お米や雑穀類、豆類の小売りをしている、小さな、小さな、こじんまりしたお店でした。
だから、本来は、人を雇うような余裕などありませんでした。
ところが、悪い事に、主人の吉治が、その年、中風を患い、その後遺症で、左半身の多少の不自由さが残ってしまいました。
その為、医師からは、このままでは、中風(脳出血後に残る後遺症によるマヒ状態のこと)を再発する恐れがあるから、出来たら、仕事は控えるように、もし続けるなら、くれぐれも無理をしないようにと、強く、釘をさされてしまいました。
しかし仕事を助けてくれる跡継ぎもおらず、さればと言って、その日暮らしの小さな商いで、糊口(ここう:暮らしを立てる、口すぎ、世すぎ)を凌いで(しのいで)いる身、今、商いを止める訳にはまいりません。
商売を止めたら、薬代に事欠くどころか、その日の生活費にも事欠きます。
故に、例え病気の再発による、命の危険があろうと、麻痺が更に悪化する恐れがあろうと、不自由な身体を鞭打ちながらでも、毎日、働かざるを得ませんでした。
商売の手助けをしてくれる、使用人を雇うのが、一番なのですが、吉治の所の台所事情では、他のお店並の給金を払う余裕がありません。
少しの給金で、なんとか人を雇えないかと、いろいろ考えた末、口入屋に「なるべく、商人の所で働いていた経験があり、直ぐに商いの助けとなるような人を探してほしいと思っています」
「なお、お給金につきましては、お店がこんな状態で、余裕がございませんから、今の所、お給金はあまり弾めません。虫の良い話で、来てくれる人が見つかり難いかも知れませんが、さしあたっては、三食と、寝る所の提供以外は、お小遣い程度のお給金で我慢していただきます。
その代わり、まじめに働いてくださって、この人ならと思うことができた場合は、私達の所は子供もいません事ですし、将来は、私達の後を継いでもらって、この店をやっていただくつもりでおります。
万一、その時、独立して自分でやりたいとおっしゃった場合は、このお店をお値打ちにお譲りしてもよいとも、思っています」
「また頑張ってくださって、お店を、今以上儲かるようにしてくださった場合は、その儲けの四分の一を歩合給として差し上げることにします」、
と言う条件で、探してくれるように頼みました。

 

その5

一般に、ある程度の商いの経験をもっていて、すぐに仕事の助けになる様な人材は、殆どが、ある程度以上の年令となっていて、既に世帯持ちです。
だから。妻子を養う事が出来るか、出来ないか、分からないような、そんな低いお給金では、話になりません。
こういった人達にとって大切なのは、将来の、実現するかしないか、はっきりしないような、あやふやな約束よりも、今日の確実な収入です。
従って、丸吉商店の条件に応じて、お勤めしてもよいという人は、なかなか現れませんでした。
そうした時、その条件でもよいからといって求人に応じてきたのが勘助でした。
勘助は、年こそ、丁稚奉公の年を過ぎていますが、本当は、それまで、一度も商売人の所に、お勤めをしたことはありません。
しかし如才のない勘助は、「私、商売こそ違ってはいますが、江戸では、備後屋さんという、酒屋さんの所で長い間手代をしていました。でも運が悪い事に、そこの旦那様が米相場に手をお出しになり、大損をされて、店を畳んでおしまいになりました。
だから、私、辞めざるを得ませんでしたが、お勤めしていた時は、お店の皆さん方から、結構重宝(ちょうほう:便利がられ役立って)がられ、可愛がられておりました。
従いまして、最初のうちは、扱っている物が違いますから、多少、戸惑うかもしれませんが、少しお時間をお貸し頂ければ、直ぐに要領を覚え、お役に立つようになることが出来ます。
その条件で、構いませんから、是非ご紹介下さい。
きっと喜んで頂けるよう、しっかり働かせて頂きますから。
もしお役に立たなかったり、お気にいらなかったりした場合は,何時、辞めさせられてかまいませんから」と経歴を誤魔化し、必死に頼み込んで、上手い具合に丸吉商店に雇ってもらえる事になりました。
丸吉商店の主人吉治は、勘助を見た時、直感的に、はっきりと口では言えない、胡散臭さを感じ、雇う事に、最初は躊躇(ためらい)をみせました。
しかし勘助には、殿様の、ご家来衆である、上村伊織様の請書(うけしょ)が付いていましたし、吉治の側には、一日も早く、使用人を決めなければならなかった事情がありましたから、さしあたりということで、雇ってもらえることになったのでした。

 

その6

それから20年余、勘助も今では、名も、藤兵衛と改め、故あって、丸吉商店から別れて、新たに作った丸喜屋と言う、川船運送業と、
藩内の物品を広く買い集め、それを長良川の川下の町や村々のお店に売り歩くと同時に、川下の村や町から買い集めてきた品々を、藩内のお店に卸売りする事を業とする大問屋の、主人(あるじ)となっております。
あの時、丸吉商店に雇われた勘助は、雇おうとした時の吉治の心配をよそに、真面目に、正直に、実に良く働きました。
あの仲間小屋の一角で、毎日毎日、ゴロゴロしながら、遊びや悪さに耽るといった、自堕落な生活に明け暮れていた頃とは、まるで別人のようでした。
悪い遊びに走る事もなく、主人の目を盗んで仕事の手を抜いたり、さぼったり、店の売り上げ金を、猫ババしたりするようなこともせず、懸命に仕事を覚え、駒鼠のように働き、ひたすら丸吉商店の為に尽くしました。
そんな勘助の姿に、「良い跡取りができた」と目を細めて喜んでいた、吉治でしたが、勘助がきてから4年目、再度の卒中発作で、突然亡くなってしまいました。
ちょうど勘助が、仕事をあらかた覚え、もう一人でも店を、なんとか、やっていく事が出来そうになってきた時の事でした。
夫の死後、妻の泰乃は、お店を続けていくべきかどうか悩みました。
子供がいないために、老いてからは、互いに頼りあい、もたれ合うようにして生きてきた夫です。その夫の突然の死に、落ち込んで、やる気が無くなってしまった事が第一の理由でした。
しかしそれ以上に、大きかったのは、泰乃には、自分と使用人の勘助とで、これ以上お店を続けていく自信がなかったことでした。
吉治は、彼の生存中は、お店の事については、仕入れから、お金のやりくりにいたるまで、その一切を、一人でとり仕切っていて、他の者には、それが、例え、妻であっても、口出しを許しませんでした。
その為、泰乃は、店の経済状態も知らなければ、商いのやり方についても、何の知識も持っていませんでした。
彼女がやってきた事といえば、店番をする事だけでした。
だからこの後、どのようにお店をやっていったらよいか、皆目、見当が付かなかったのです。
にもかかわらず、すっきりと店を止めるという決断がつかなかったのは、吉治の家の台所事情にありました。
長い吉治の病気によって、貯えを使い尽した吉治の家は、いま清算した場合、清算によって、いくばくかのお金でも残らない限り、明日の食事代にも事欠くような状態でしたから。

 

その7

吉治の初七日の法事の為に、親戚一同が集まった席で、この店の今後についての話合いが行われました。
「で、義姉さんは、この後、このお店をどうしようと思っているの」と金佐衛門が最初に口を切りました。
金佐衛門は、吉治の直ぐ下の弟で、この席では長女に次いで二番目の年長になります。現在も、鍛冶屋町で、農機具の修理販売をするお店を持っておりますが、店は既に息子が跡を継いでいて楽隠居の身です。しかしこの席では、経済的にも、時間的にも、一番恵まれている人間で、一番重んじられております。
「突然の事で、どうしたら良いか私には、皆目、見当が付きません。
大体主人は、昔から、お店の事については、何も教えてくれませんでしたから、この店の経営状況がどうなっていたかも、知りませんでした。
主人が病気になってから以降は、あまり儲かってなさそうだという事を、うすうす感じていたくらいでした。
まして、そんな主人でしたから、仕入れ先だとか、商品の納入先などについても、知らされていません。
だから、この先、私と手代の勘助とだけで、お店を続けてやっていけるのか、いけそうにないのかの見当もつきません。
また、もし経理上は、なんとかやっていけそうということになりましても、それなら、どのようにこの店を、やっていったらよいのかと言う知識も私にはありません。
そういうわけで、私としては、このお店を買ってくれる人がいた場合は、その人に、このお店をお譲りして、その方にやってもらうのが一番かなと思っております。
もしお身内衆の中のどなたかが、主人に替わって、このお店をやって下さるというのであれば、それにこした事はありません。その時は、私も、店番くらいには雇ってもらえないかとは、思っておりますが」と泰乃。
「泰乃、あんた、知らない、知らないというけど、帳簿くらいは見る事が出来るでしょ。
それを見さえすれば、この店の現状なんか、誰でも、すぐにわかったはずよ。
この店、吉治が病気になってから後は、ずっと、赤が続いていて、これ以上は、とても続けられそうにないそうよ。
あんた、知らない、知らないと、知らないふりしながら、あんたの身の振り方も含めて、この店の後始末を、私達兄弟に背負いこませようという魂胆で言っているんじゃないの」と農家の嫁に行っている吉治の長姉、寿美の怒ったような、尖がった(とんがった)喚き声(わめきごえ)。
「すみませんお義姉さん、そんな気持ちは、全くありません。もしこのお店、赤字続きで、続けていかれないと言う事でしたら、清算後の赤につきましては、私の所で出した不始末です。なんとしてでも、私がなんとかしなければとは思っております。
先ほどの話、なんだか、私が責任逃れの為に、言っているように、とられてしまったようですが、お恥ずかしい事に私、本当に分からないのでございます。
なにしろ、私が幼かった頃は、家が貧しくて、寺子屋にも行かせてもらえませんでした。だから字が読めませんの。
帳簿を見せられましても、チンプンカンプン、全くわからないのでございます」と泰乃の涙声。

続く