No.160 お墓の中まで その7

このお話はフィクションです似たような,名前、事柄が出てきましても、偶然の一致で、実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。又、実在の地名が出てきましも、フィクションの中の一場面として利用しているだけで、実在の土地、人物、家名とは無関係です。

 

その20

「お母ちゃん、今度の土曜日、あの人、ほら、山之内淳志さん、あの人の所へ、英子さんとおっしゃる妹さんが、遊びにいらっしゃるというの。
その方、学年は一年下だけど、私と同じ、名古屋第一高等女学校の学生さんだって」
「だから三人で、夕ご飯一緒に食べないかと言われているのだけど、行っちゃ駄目?」
「久美ちゃん、貴女、タオル返しに行っただけじゃなかったの。何時の間にそう言う話になったのよ」
「こういう事になると思ったから、私は反対だったのに。
哲さんったら(久美の父親)簡単に良いというものだから。
もし病気がうつったらどうするつもりなの」
「そんな事言ったってさー、タオル渡した後、そのまま、『ハイ、さよなら』なんて言う訳にはいかないでしょ。
淳志さんが、いろいろ話しかけてこられるのに、それを無視して帰ってくるなんて、そんな失礼なことできないわ、私」
「それにさー、お母ちゃんが心配していたあの病気の事だけど、もう殆ど良くなっているのだそうよ。
何でも、来年4月には、学校に復学するつもりだと言ってらっしゃったわ。
だから行ってもいいでしょ」
「そりゃー、妹さんもいらっしゃると言うのならね。でもそれなら、一度向こうのご両親にもご挨拶しておかなければならないわね」
「またまた、ややこしい事を。何度も言うけど、別に淳志さんと、今後、ずっとお付き合いしようと言う訳じゃないのよ。たまたま、遊びに来ている先での、一時的な交友にすぎないのよ。そんな形式的な事、必要ないと思うけどなー。
大体ね、あそこの家、とても自由な家風で、子供のする事に、あまり親が口出しされないそうよ。
だから、お母さんが、そんな電話をしたら、かえって、びっくりされてしまうのではないかしら」
「へー、そうかねー。でもお母さんだって、淳志さんってどう言う人か、一度くらいは、見ておきたいなー。それなら、3人でのお食事会の時、お母ちゃんも、ちょっとだけ顔出したいのだけど、駄目?」
「そんな、偵察するような事をしなくても、淳志さんって本当にいい人なのだけどなー。
お母ちゃんなんか、直接会ったら、一言、話しただけで、もう、その人柄に惹かれてしまうくらいの人よ。
何しろ大変な、物知りで、その上思慮深く、博愛精神に富んでいらっしゃるのですから。
私、淳志さんって、人間としては、宮沢賢治さんのような人だと思うわ。
ただ療養中の身だから、今の所、宮沢賢治さんのように、誰かの為に、直接手を貸すような事はされていないけど。
だから私、とても尊敬しているの」
「フーン、大変な入れ込みようだけれど、そんな素晴らしい人なの。だったら余計にお会いしたいなー。
お母ちゃんが腕によりをかけて、ご馳走作って持っていくけど、それでどう?」
「多分良いと思うよ。聞いてみるけど。でも妹さんもご馳走持っていらっしゃるそうだから、あまり沢山だと、食べきれないかも。
それに、こんな時節だから、うちだって、うちの食べる分の、食材を集めるのに四苦八苦しているような状態でしょ。それなのに、そんな無理しなくても良いのに。
もし食べ物を、作って来てくれるとしても、ちょっとだけで、良いよ」

 

その21

「英子さん、羨ましいなー、良いお兄さん持って。でもお母さんも分かってくれたでしょ。淳志さんの人柄、私が言っていたとおりの人だったでしょ」翌朝、朝食の手伝いをしながら久美が切り出しました。
「そうね。よくわかったわ。確かに、真面目で、優しくて、人柄は信用できそうね。
それに物知りで、話題も豊富だから、どれだけ話をしていても、飽きない人だったわねー。
昨日は、お母ちゃんも楽しくて、つい長居してしまって、悪い事したわね。
後で、何かおっしゃっていませんでした?」と母親、和子。
「別に、何も。それどころか、英子さんなんか、お母ちゃんの事が大好きみたいで、『今度遊びに来る時も、お母さんも連れてきてよ。』なんて言ってらっしゃったわよ」
「そう、それなら良かった。若い貴方達の邪魔をして、迷惑がられたかなと思って、少し気になっていたんだけど。
そうなの、そう言ってくださったのね。
実はね、私も英子さんの事も大好きなのよ。
だって素直で、とても可愛い人ですもの。
あんな女の子が、もう一人うちにもいたら、どんなによかったかなー、なんて、つい欲の深い事考えちゃった」
「でもこんな事言うと、また煩がられる(うるさい)かもしれないけど、あの家で、部屋に上がるのは、英子さんか、どなたか、お身内の方がいらっしゃっている時だけになさいね。
どんな良い人でも、男の人は、男の人だからね。男の一人住まいの所に、部屋に上がり込むような、はしたない〈不作法でみっともない〉真似だけは、絶対しちゃ駄目よ」
「分かっているって、心配しなくても。そう言った女の嗜み(たしなみ:心掛けとか、つつしみの意)については、おばあちゃんから、耳に胼胝(たこ)ができるほど聞かされているから」

 

その22

「ねー、お父ちゃん、ここを引き払う前に、一度くらい、知多半島の先端、師崎(もろざき)まで、足を延ばそうよ。お母ちゃんもいいでしょ」。
「良いけど、遠いよ、あそこまでは。電車も常滑(とこなめ)までしか通っていないしね。そこに何かがあるの?」
「それがね、淳志さんの言うには、そこの突き出た崖下には、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中に出てくる、ブリオシン海岸を想わせるような化石の見つかる石の海岸があるのだって。
切り立つ崖下にある、その石の海岸に立って、太平洋に連なる真っ青な海を見ていると、いつの間にか自分も、あのジョバンニのように、銀河鉄道に乗って、無数の星屑が光っている、大空のブリオシン海岸にやってきたような気分になれるというの」
「良いよ。でも、すぐ別れなければならない私達には、それって、ちょっと酷い(むごい)かもしれないねー。
3人とも辛くなるといけないから、心の奥深くに抱え込んで、お互いに、触れないようにしている、別れの辛さや、悲しみが、そんな所へ行けば、ジョバンニの別れの悲しみや、孤独の辛さと交錯して、一気に吹き出して来そうな気がするけど、それでも良い?
お母ちゃん、貴女はどう思う?」
「私、 私は別にかまわないわよ。そんなロマンチックな場所なら、是非行ってみたいわ。
どうせ、毎日、毎日別れの辛さに脅えながら過ごしているのですもの。今更そこへ行ったからって、どうと言う事もないわ。
それよりお父ちゃんこそ、耐えられないのでは?
私はね、『私達は、兵隊さんのように、戦場にいくわけではない。
勤めさえ果たせば、無事に日本に帰ってきて、また会うことができる』と、自分で、自分に言い聞かせるようにしているの。
そうじゃないと、耐えられないから。
だから、今は、せめて、こちらにいる間だけでも、出来る限り、久美ちゃんの傍にいて、親子三人で過ごした時間の思い出を、残そうと思っているの。
親子離れ離れに過ごさなければならなかった、この10年余の孤独と寂寥感を、少しでも、癒すためにね」

 

その23

「ただ今」
「お帰り。楽しそうな顔。今日も会ってきたみたいね」
「ウン、今日はね、この辺りで、一番アサリが獲り易い所を教えてもらったの。は-い、お土産」
「まあ、こんなに沢山。久美ちゃん一人で」
「そうだよと、言いたいところだけど、ほんとうはね、淳志さんが獲った分も、はいっているの。
彼、そんなに沢山は、いらないからと言って、殆どくれたから」
「ほんと、あんたがせがんで、殆ど全部、貰ってきたんじゃないの?」
「フ、フ、フ・・、そんなことないもん。くれるというから、しかたなく、もらってやっただけだもん」
「それじゃ朝食にしましょうか。お父ちゃんを起こしてきてくれる」
「分かった。お父ちゃん。起きて。こらー、寝坊し過ぎだぞ。早く起きろー。起きろー、寝坊すけ。早く起きないと擽る(くすぐる)ぞー」
「分かった、わかった。降参、降参。今起きるから。
毎日、毎日、久美ちゃんに付き合って、海に山にと行かされているものだから、もう、草臥れて(くたびれて)しまって。
それにしても久美ちゃんはすごいなー。今朝だって、もう散歩してきたんだろ」
「そうよ。私なんか、毎日、毎日お百姓仕事していて、鍛えられているから、そこら辺にいる男なんか顔負けよ」、
「お父ちゃん、この子の話、聞くのは半分で良いのよ。早起きする訳はねー、他にもあるのですからね。お父ちゃんに、ばらしちゃおうかなー」
「いやらしいわねー、お母ちゃんったら。女同士の秘密と言う事になっていたじゃないの」
「知っているよ。そんな事。いまさら教えてもらわなくても。
この時間に散歩にでると、途中、淳志君と会えるからと言う事だろ。
別にお母ちゃんから教えて貰わなくたってとっくの昔から知っているよ」
「あれ、ばれていた。おかしいな。どうしてばれたのかな?」
「そんなの、久美ちゃん見てりゃー、すぐに察しがつくよ。
何しろ久美ちゃんは、頭隠して尻隠さずだから。
何かと言うと淳志さんが、淳志さんがといって、話の中に、しょっちゅう、彼の名前が出てくるんだから」
「そうかー、お父ちゃんにまで分かってしまっていたのか-。
でも、別にお父ちゃんに隠さなければならないような、変な関係じゃないから、まあ良いか。
だって淳志さんは、何でも知っている大人だし、私は何にも知らない子供だもの。
彼から見れば、私なんか、てんでガキンチョ。女としては見てくれていないと思うなー。
なにしろあいつ、私の顔をみるといつも、『じゃじゃ馬、仔馬、仔馬のポニー』と呼んで、からかってくるくらいだから。
きっと面白いガキンチョくらいにしか、思われてないわ。
まあ、こんな真っ黒ケの、跳ねっ返りじゃー、そう思われても、仕方がないけどね。
でも、私としては、その分、気取らなくてもよいから、楽と言えば楽だけどね」
「そうかね。淳志君も見る目がないなー。久美ちゃんが、ハクチョウの子供だと言う事が分からないなんて」
(註:アンデルセン童話、「みにくいあひるの子」に出てくる、白鳥の子供)
「違うよ。淳志さん、私の事を、買ってはくれているのよ。
だって、これからの女性は、知識も身につけなくてはと言って、いろいろな事を話してくれるのよ。
ただ、私が、こんな真っ黒な上、幼稚なものだから、大人の女としての魅力は、感じないみたい」
「お母ちゃんも、久美ちゃんも、ベタ惚れな所を見ると、よほど好青年らしいね。で、淳志君は将来、何になる心算(つもり)なの」
「お父さまの後を継いで、お医者さんになる心算みたいよ。
だから、官立名古屋医科大学、もうすぐ名古屋帝国大学になるそうだけど、そこを狙っているんだって。
できれば、国木田独歩のように、医者をやりながら、小説を書いて、自分を訪れる人達に、身体の健康を取り戻してやるだけでなく、広く人々に、心の健康も取り戻してやれる、そんな人生を歩みたいとも言ってらっしゃったわ」
「そう、立派だねー。お父ちゃんも、一度会ってみたいなー」と父親、哲。
「良いよ。一度聞いてみるね。なんなら今度の土曜日、英子さんがまた、こちらにいらっしゃるそうだから、その時、今度は、あの人達、家へ呼んだらどうかしら。いけない?ねー、お母ちゃん」
「食事の後、皆で、一緒に、トランプ遊びだとか、百人一首取りしようよ。
そうそう、淳志さん、バイオリン弾けるといっていたから、あいつの演奏で、合唱会開いても面白いとおもうけど」
「そうね、私達も、間もなくここを、引き払っていかなければなりませんから、最後に、みんなでワイワイ、思いっきり騒ぎましょうか。
幸い、こんなご時世だから、ご近所の別荘、何処も使われていないようですから、目くじらを立てられる心配もありませんしね。
そう言えば、お父ちゃんもハーモニカが、とても上手いのよ。お父ちゃん、ハーモニカ持ってきてなかった?」
「多分カバンの奥にあったと思うよ。たしか、久美ちゃんに、お父ちゃんのハーモニカの腕前、披露したいと思って持ってきたはずだから」
「だったら、もっと早く出してくれればよかったのに」と口をとがらす久美。
「だって、久美ちゃんに、毎日、毎日、あちらこちらと、引っぱりまわされていたから、ハーモニカなんか吹いている暇なんかなかったんじゃないの」
「そうだったわね。毎日、随分歩いたものね。蝉取りにも、魚釣りにも連れて行ってもらったし、水泳も、あさり獲りも、水族館通いもしたし、普通の子供が、子供時代にお父ちゃんに遊んでもらったのなんか比べものにならないくらい、遊んでもらっちゃったもんね。
よーし、それじゃ、今度の土曜日の夜は、お正月のように、思いっきり騒いで、食べるぞ-、食べ物だって、もうこの後、何日もこちらにいないのだから、そんなに残しておく必要ないものね。
ご馳走作りなら、私も手伝うから、まかせて」と久美の弾んだ声。
「そうね、・・・でもそれより、子供たち3人には、会場作りの方、お願いするわ。
思い出に残るような雰囲気作り頼むわね。
淳志さんって、美術の方も詳しい方だから、そう言うのって、得意じゃないかしら?」

次回に続く