No.152 ある文化人の転落の軌跡 その5

このお話はフィクションです似たような事件、地名、人物が出てきたとしても、偶然の一致で、実際の事件人物とは全く関係ありません。

 

その15

もともと井田氏は長い事、教職に在り、しかも比較的若い時から、狂俳の宗匠として活躍されていた為に、教育者として、又、文化人として尊敬されている、この市では比較的名の通っている方です。
従って、恥を恐れ、名を非常に大切にしています。
嘘も方便として、虚実織り混ぜ、駆け引きに奔走する世俗な商業世界とは、無縁の世界に生きてきた人でした。
従って、骨董商から委託されて売った商品の中に、随分怪しげなものが混じっていた事が分かってくるにつれ、とても悩みました。
そうかと言って、今更、返品を受けるだけのお金はもっていません。
やむなく骨董商の指示通り、買ってくれた人には対処して、なんとか収めておりましたが、本心では、良心が痛み、耐えられない程になっていました。
金繰りの苦労の上に、こんな心労が重なり、ついには、高血圧の為、医師から、絶対安静を命じられるようになってしまいました。

 

その16

しかし美術館の経営状態は、身体の具合が悪いからといって、漫然と休んでおられるような状態ではありませんでした。
病を押して美術館の運営費を調達する為に、奔走していた彼のもとへ、坂本繁二郎の作品を買っていった画商、あの浅茅氏から電話が掛かってきたのです。
「お宅の美術館が高山市で開いていた展覧会の時、購入した坂本繁二郎の油彩、あれ贋物でした。
よってお宅に引き取っていただきたいと思いますが、何時頃がよろしいでしょうか」
といってきました。
最初は、これまで骨董を買って行った後、クレームをつけてきた人達と同じように考えていました。
だから骨董商に教えられた対応で済ませようと思っていました。
そこで、気の弱い井田氏は、ボランティアで手伝ってくれている受付の男性に、対応をまかせました。
しかし、浅茅氏は簡単に引き下がってくれませんでした。

 

その17

浅茅氏としては、明らかに贋物である事が分かった以上、返却に応じてくれるのは当たり前である。しかも買ってきた相手が美術館であるから、相手も非を認め、簡単に返却に応じてくれるであろうと思っていました。
その為、最初のうちは、受付の男性を通して、電話で返品交渉をしていました。
ところが、直接の関係者でない人が相手の為か、言う事がコロコロ変わって、一向に埒が明きません(らちがあかない:物事のかたが付かない、話が、捗らないの(はかどらない)意味)
館長に取り次いで欲しいというのですが、出張していて留守だとか、病院に行って今は居ないとか、いろいろ理由を付けて、取り次いでくれません。
やむを得ず浅茅氏は、美術館を訪れ、代理人とではなく、館長その人と、直接交渉する事にしました。
訪れた美術館は、先程も申しましたように、想像以上の寂れ様でした。真っ昼間だというのに、館内には来館者一人おらず、一杯付けられた照明の灯りだけが、煌々(らんらん)と館内を照らしていました。その光景は、映画で見た、全ての生物が滅び去った、終末世界に迷い込んだかのような異様さです。
館長は、外出していていませんでした。
受付の男性に連絡を取ってもらった所、「所用で美濃加茂市から、関市方面を回って帰る予定だから、何時になるかは、はっきり言えない。多分戻るのは夕方近くになる」との事でした。
そこで館長の帰りを待つことにしたのですが、だだっ広い空間にガスストーブが付けられているだけの館内は寒く、コートを身に纏って(まとって)いても寒く、水洟(みずばな:冷気で鼻水が出ること)が止まりませんでした。
しかし、このまま帰ったのでは、何のために一日使ってきたのか、意味が無くなってしまうと思った浅茅氏は、何時間かかろうとも、辛抱強く、館長の帰りを待つ事にいたしました。

 

その18

井田氏が戻ってきたのは夕方の5時近くでした。
未だ浅茅氏が待っているとは思ってもいなかったのか、浅茅氏が立ち上がって、自己紹介しながら初対面の挨拶をした時は、すこし驚き、たじろがれた様子でした。
一通りの挨拶が終わると早速、
「お宅から購入したあの坂本繁二郎の油彩、あれ、贋物で駄目と言われてしまいました。
お宅のような、れっきとした美術館から出たもので、しかもきちんとした鑑定書迄ついている作品に、そんな事があるはずがないと思った私は、念のために、所定鑑定人の所に問い合わせましたところ、この手紙に書かれていますように、所定鑑定人からは、『作品自体が、坂本繁二郎のものではありませんし、鑑定書も、私の所の出したものではありません』との事でした。
先般来(せんぱんらい:先頃より)、何度も交渉してきたのですが、一向に良いお返事がいただけないのですが、
美術館ともあろうものが、贋物を売っておいて、知らぬ顔で、弁償にも応じないと言うのはどういうお心算(しんさん:心づもり)ですか。
もしどうしても返金に応じていただけないというのでしたら、私どもは、刑事、民事の両面で告発させていただくより仕方がありません。それでもよろしいのですね」と
この絵についての、所定鑑定人坂本暁彦氏からの回答書をさし示しながら、浅茅氏は詰め寄りました。
受付の男性から聞いていた通り、館長はいかにも教育者といった感じの、理に弱そうな人でした。
だから、浅茅氏から詰め寄られると、反論もできず、ただ黙ってうつむいているだけでした。
「これが最後の交渉です。もしどうしても、返金に応じていただけないのでしたら、民事、刑事の両面から、責任を追及せざるを得ませんが、どうされます」と浅茅氏が再度念をおします。
じつはこれが、井田氏の最も恐れていた所でした。
万一、これが刑事事件として訴えられ、新聞記事にでもなろうものなら、美術館の面目(めんぼく)も、自分の信用も一気に落ちてしまいます。
そうなりますと、美術館を続けていく事は困難となるでしょうし、井田氏自身も、地元に居難くなってしまいます。

 

その19

「それだけはおやめ下さい。もしそんな事になりますと、郷土の誇りである、花咲先生の名誉を傷つけてしまう事になりかねませんから」。
「今回の件、本当に申し訳なく思っております。
おっしゃる通り、非は、全面的に私どもにございます。
従って、私としましては、返品に応じて、すぐにお金をお返しすべきだとは、前々から思ってはおりました。
ところが、何しろ美術館が御覧のような状態でしょ。返金したくても、今の所、返すお金の手当てが出来ない状態です。
今月の半ばには、中津川市の公民館をお借りして、先生の挿絵原画、出張展覧会の開催を企画しております。その時、その会場で、先生の油彩だとか、絵ハガキ、コピー画の展示即売会をして、少しお金を作る予定になっております。
申し訳ありませんが、その時までしばらくの、御猶予願えませんでしょうか」と館長の井田氏。
「お言葉を返すようですが、この先生の油彩って、本当にそんなに売れますか?
私の見た所、こういった名前も知られていない人の絵が、そんなに売れるとは思えませんけどねー。
まして絵ハガキだとか、コピー画のような、単価の低いものは、どれだけ売れたとしても、金額としては、たかがしれているのではないですか。
まさか、そこでまた、他の人の絵画だとか骨董の類をお売りになる、お心算じゃーないでしょうね。
そもそもあの骨董の類、あれは何処から持っていらっしゃったものですか。
あんな筋の悪いもの、館長だとか、花咲先生の持ち物じゃーないでしょ。
私が、坂本繁二郎を買わせていただいたおり、ついでに観させていただきましたが、ありゃ―、ちょっと酷過ぎですよ。
館長は骨董の方の知識、どれほど持っていらっしゃるか知りませんが、わたしの観たところでは、あんなのは、本物と言えるかどうか怪しいか、もし本物であっても、美術的な価値は3流以下のものでしたよ。
それをあたかも美術館の館蔵品ででもあるかのようにして売っておられましたが、あれは、大間違いですよ。
貴方の所へ、苦情がきているかどうかは、知りませんが、少なくとも、あれによって、お宅や、美術館の信用をかなり失くしたと思いますよ。
どんなにお金にお困りになっても、あれは、おやめになった方がよろしいのではないでしょうか。もしお金がいるから、ああいった企画もやらざるをえないとおっしゃるのでしたら、委託品と明示し、品物は露天の骨董商がやっているように、価格表示をするだけにして、後は真贋は不詳として、買って行く人の判断に任せた方がいいんじゃないですか」と浅茅氏。
「おっしゃる通り、もう骨董を売るのはこりごりです。
だから、今度の中津川でも、売りません。お兄さんの了解をえましたから、花咲先生の油彩画の方を、少しお値打ちにして売らせてもらうつもりです。花咲先生は戦後の一時期、中津川の方でも、教鞭をとっていらっしゃいましたから、価格を抑えさえすれば、美術館に協力して買って下さる人は、出てくると思います」
「そうですか、やはりあれらの骨董は、美術館の物ではなかったんですね。
所で今日始めて、先生の油彩画は観せてもらったのですが、花咲先生って、とても器用な方で驚いています。
若い時はいろいろな画家の様式を真似て、描いていらっしゃったようですが、まさか、私が買った絵、あれって、花咲先生が若い時、自分の勉強のためにと、模写された絵じゃーないでしょうね」
「もしも、そうだとすると、これは大変な事になりますが」
「そんな事は絶対にありません。
もうここまで来ましたら、本当の事を言わせていただきますが、坂本先生の絵を含めて、あれらの骨董や絵画は、全てある骨董商から委託されて販売したものです。
花咲先生の遺された油彩の中には、浅茅さんに買って頂いた、偽の坂本繁二郎の絵画のような図柄の絵が入っているのを、見たことがありません。
だからあの絵は、骨董商が、どこからか、贋物と知らずに買ってきたものか、或いは自分が偽造させて、偽の鑑定書を作って付けたかの、どちらかだと思います。
先生はとても几帳面な方で、先生の画かれた作品は、全て年代順に並べて、きちんと保存してありましたから、あの絵が、絶対に花咲先生の画かれた作品でない事は断言できます。
どうか花咲先生の名誉を貶める(おとしめる)ような、そういった言い方をするのだけはお止め下さい。
自分で間違った事をしておいて、今更こんな事を言えた義理ではありませんが、お願いします」
「そうですか。やはりお宅の美術館の名前が、格の落ちる骨董の箔付けに利用されたというわけですね。
「だったら、その骨董商に弁償してもらいなさいよ。
『あれは完全に贋物だった。だから、絵は返すから、お金の方も返して下さい』と言ってやったらどうですか」
「それが、なかなか、そうはいかないのです。何しろ相手はこういった苦情には慣れていらっしゃるようで、一筋縄ではいきません。
今回の件での、浅茅さんへの対応のしかたも、この為、浅茅さんの不審とお怒りを余計にかうことになったようですが、苦情への対応のしかたは、全て、その骨董商の示唆と指導のもとにしたことです。
要するに彼は『買った方が、自分の目で見て、良いと思って買っていったのだから、自己責任である。だから仕方がないと諦めるように持っていったらよいのです』と言う人ですから」
「そうですかねー。でも偽坂本画伯のこの絵は、他の骨董の場合とは少し事情が違うのでは?
この場合は偽の鑑定書まで付けているんですよ。
これは歴とした(れっきとした)犯罪です。
『返金に応じてくれないというのであれば、刑事告発してやる』といってやったらどうです」
「悲しい事に、私どもの立場ではそれが言えません。
私どもがその骨董商を刑事告訴をした事が新聞にでも載りますと、これまで美術館で売っていたものが、骨董商からの委託販売品だったということがバレてしまうことになります。
美術館が骨董商と組んで,如いかがわしい骨董品を売っていたなんて事が、新聞にでも載ろうものなら、これまた、贋物を売ったと同じくらいの大打撃を、美術館が受ける事になりかねません」
「そうですねー。そうするとやはり、貴方に払って貰うより仕方がないと言う事になるのですかね。お願いしますわ、何とか無理してでも払って下さいよ」と浅茅氏。
「すみません。そうしたいのは山々ですが、私、今迄にこの美術館の為、随分お金を使ってきて、もう、立て替えてお支払したくても、いま直ぐでは、支払うようなお金がありません。
今の私は、借金の山です。それに追われてその日の生活費にも困っているような状態ですから」
「そうですか、困りましたねー。この事について、家を出て行かれたという、奥さんや、お子さんに一度相談されてはどうでしょう。出ていったとはいえ未だ籍は残っているんでしょ。だったら旦那の一大事なんだから、何とか考えて下さるのではないでしょうかね」
「そんな事をしたって、無駄です。女房、子供達は、もうとっくの昔、花咲かおる狂いの私に、厭きれ果て(あきれはて)、愛想を尽かして、出ていってしまっているのですから。もし会いに行ったとしても、会ってもくれないでしょう」と言われますと、人の良い浅茅さんは、同情してしまって、もうこれ以上強いことが言えなくなってしまいました。

 

その20

考えてみれば、井田氏も気の毒な人です。女狂いだとか、賭けごとといった自分の為の道楽で、身を持ち崩したわけではありません。
ただ、ただ高山市の文化遺産ともいうべき、挿絵画家、花咲かおる画伯の遺していった、生涯の全作品を保存し、その功績を、広く一般に知ってもらおうと努力されただけです。それが結果において、花咲先生のお兄さんからはあまり歓迎されず、妻や子供には去られ、全財産を失っただけでは足りず、多額の借金まで背負い込む事になってしまったのですから。
結局、偽坂本繁二郎の代金は、次に中津川ですることになっている、花咲かおる出張展覧会での、油彩の売上金で、できる限り弁済する事。それで弁済しきれない場合の残金は、井田氏の年金の中から、隔月、10万円ずつ支払ってもらうと言う事で、折れ合うより、仕方がありませんでした。