No.143 虎穴に入っては獲た(えた)ものは?その2

このお話はフィクションです万一、似たようなところがありましても、偶然の一致で実在の人物、実在の建物、実際にあった事件とは全く関係ありません。

 

その5

「そうかねー。それではそうする事にするか。では先ほど頼んだ絵の方だけで良いから、ひとまず持ってきて」
「こんな事、誠に申し上げ難いのですが、お支払いの方はどのようにお考えでしょうか。
私どもとしましては、お取引は、カード支払いか、現金決済と言う事になっておりますが。
「分かった。それくらいのお金は何時(いつ)でも準備してあるから、大丈夫」
「で、何時頃来てくれるの?うちの方は次の日曜日、13日が都合がよいのだけど」
「エッ、そんな日に。急にそんなこと言われましても。その日は、私どもの休日に当たっていまして、従業員が一人もいません。
しかも従業員達は、皆、夫々(それぞれ)、予定が組んでしまってあって、その日は、どうしても出られないと言っている日でございます。
出来ましたら、別に日にしていただきたいのですが」
「そうかね、残念だね。私も忙しい身でしてねー。その日を逃すと、後は、なかなか都合が付く日がなくて。でも、そのように言われてしまいますと、お宅にも都合がおありでしょうから、まあ、仕方がないですね。ではまたこの次、機会がありましたらと言う事にして、今回は諦めますわ」と言って話を打ち切ろうとされます。

 

その6

これには私もまいりましたね。
この話しぶりからすれば、価格を折り合いさえすれば、絶対に買って頂けると思われました。
しかもその価格の方も、作品を見て気に入っていただきさえすれば、最初に言われたような、無茶な価格まで下げなくても、こちらの希望も入れた価格で、なんとか、折り合いをつけて下さりそうな話しぶりです。(商人(あきんど)と言うものは、とかく商いの事になると、希望的観測を持ってしまいがちなものです)
私は慌てて、
「もしもし、ちょっとお持ちください。
その日、従業員達は夫々、どうしても抜けられない用事があるとかで、どうしても出られないと申しますから、連れていくわけにはまいりませんが、私の方は、その日、空いております。ですから、私だけで伺わせていただく事にしますが、それでもよろしいでしょうか。
ただ、私一人だと、あれだけ沢山の絵を、壁にかけたり、外したりがし難いので、できましたら従業員も一緒に行ける日をと思ったのでございます」と申しました。
すると
「あなた一人で構いませんよ。家のほうが、まだ完全に出来あがっていると言う状態ではありません。ですから、私の方としましても、そんな事迄していただこうとは思っておりませんから」
「そうですか。勝手ばかり言って、申し訳ありません。それではそういう事で13日、お伺いさせていただきます」
「で、何時頃お出でになりますか」
「車でと言う事になりますと、こちらまでは、随分とありますから、着くのは、1時半ごろになるかと思いますが」
「そうですか。残念ですね。出来ましたら、絵のお話をお聞かせいただきながら、お昼、御一緒にと楽しみにしておりましたのに」
「それは、それは、申し訳ありませんね。でも非常に距離もございますので、ちょっとお昼までに、そちらに着くのは難しいと思います。ですから一緒のお食事は、またこの次と言う事にさせていただき、今回は私、途中で簡単に済ませてから、お伺いさせていただきますので、よろしくお願いします」

 

その7

翌朝、念の為に、教えて下さった電話の住所に本当にお店があるかどうか、電話帳で確認すると同時に、そのお店が、その電話番号の所に、今もあるかどうかを確認するために、電話してみました。
すると2、3回の呼び出し音の後、先ほどのご主人が出られました。
「先日は済みませんでした。所で、先日、聞きそびれましたが、お土産に、東京の何か珍しいお菓子でも持って行こうと思うのですが、何かご希望でもおありですか」
「そんな心配、してもらわなくても」
「いえいえ、初めてお会いするわけですから、お近付きの印に、何かと思っております。
どうせ持って上がるのでしたら、お宅のお好きでないものを持って上がりましても、御迷惑になるばかりでしょ。ですから、どうか遠慮なくおっしゃってください」
「では、お言葉に甘えて遠慮なく言わせてもらえば,最近グーテ・デ・ロアとかというお菓子が、並ばないと買えないほどに流行っていると聞いたから、それがありがたいかな」
「かしこまりました。ではそういうことで」

 

その8

「福島までは遠かったねー。高速道路は思ったより空いていて、スイスイだったけど、なにしろ距離がありますでしょ。随分時間も掛かりました。
でも、期待に胸を膨らましていた私にとっては、そんな事、全く苦にはなりませんでしたけどね。
お昼も、お握りを車の中で食べるくらいにして済ませ、鼻歌気分で、只管(ひたすら)、車を走らせました。
市内の震災被害状況は、思ったより小さく、外見的には、あまり大した被害がないと言っても良いような家が殆どでした。そうはいっても、少し傾いているとか、屋根が壊れ、青い防水シートがかけられている家だとか、窓ガラス、壁などといった一部が破損している家等は、かなりありましたけどね。
お客様ご指定の場所に到着したのは、1時半ちょっと前でした。
行った先は、福島市の中心街から、少し外れた住宅街の中を走る、寂れた感じの商店街通り沿いにある、中古車販売業者の小さなお店でした。
ご主人は、私の行くのを、待ちかねていらっしゃったようで、店の前の駐車場に車を止めていると、すぐお店から出てこられました。
出迎えて下さったご主人は朴訥(ぼくとつ)そうな感じの、60歳前後の男性です。
「お遠い所、よく来て下さいました。さぞ、お草臥れ(くたびれ)になったでしょう。まずは、中に入ってお休みください」と店の中に招き入れてくださいました。
一般には、自動車販売業者にとっての日曜日というのは、家族連れで来店される方が多い、書き入れ時です。
従ってその日を休みとされている店と言う話は、あまり聞いた事がありません。
しかし行った先のその店は、日曜日休みなのか、従業員がいらっしゃらないのか、店の中は、御主人一人きりで、他に人の姿は見当たりませんでした。
ご主人が、自ら出して下さったコーヒーは、インスタントコーヒーでした。その上コーヒーカップは、国産の、色使いや、模様がけばけばしい感じの伊万里(伊万里焼の磁器の意)で、このお店の雰囲気には、馴染まず、違和感があります。
お店は、建て坪40坪前後の平屋建てで、前面が総ガラス張りとなっております。しかし窓枠のアルミサッシは細く、全体としてチャチな感じで、重厚さがありません。仮設店舗に毛が生えた程度といった建物です。
お店の中は、入り口を、やや入った所にカウンターがあり、それが店の半分を占めております。カウンター横には、土間が広がっていますが、カウンターの上も、カウンターの内側も外側も、段ボール箱だとか、小さな棚などといった、いろいろな物が雑然と置かれています。
入口を入った所、右手には安物の、メラミン板張り、アルミ脚の台が置かれ、その上に横幅2メートルほどの水槽が置かれておりました。
しかしその水槽の中は、緑色の藻が繁殖していて、何がいるのか分からないほど濁っていました。
もう何年もの間、手入れされていないに違いありません。
カウンター右側の、土間の片隅には、震災後配られたと見える、ポリ袋入りの飲料水が、渦高く積み上げられておりました。
またカウンター横の土間を殆ど独占するかのように、やや使い古された感じの、深紅の椅子、ガラスの天板の応接セットが並べられていました。
しかし箱だとか、シーツ、紐、物置台などといった物が、回りに雑然と置かれている真ん中に、土間に直に置かれた、その応接セットは、何ともちぐはぐで、違和感があります。
一目見た感じでは、店じまいした後の店舗のようです。本当にここで御商売をなさっているのだろうかなと疑わしい感じです。
店の前面にある駐車場も、6台置ける程度の広さです。しかしそこには、売値の表示もない2台ほどの国産自動車が停められていただけで、売りものらしい中古車の姿は見当たりません。
○○自動車と言う古ぼけた感じの建て看板がなければ、ここが中古自動車販売業者のお店だとは、到底思えないような有様です。

次回へ続く