No.104 遺されていたお宝?

このお話はフィクションで、実在の事件、人物とは全く関係ありません。

遺された財産の多少にかかわらず、遺産を巡っての、兄弟姉妹の争いは、非常に多くなっているそうです。相続をめぐっての争いの結果、兄弟姉妹のその後のお付き合いが、無くなってしまったというお話なども、よく耳にする所です。
私の知人の家の母親がなくなった時もそうでした。
この家、子供は4人姉妹、皆、それぞれ他家に嫁ぎ、一家を構えており、家を継いでいる者は誰もいません。その為、父親の死後、母親はずっと独りで暮らしておりました。
父親の生存中は、長女・恵美夫婦を跡継ぎにと考えていたようですが、長女夫婦の方は、財産は欲しいとおもっていますが、親の面倒を見たり、両親の死後、この家の跡継ぎとして、親戚づきあいだとか、仏様のお守をしたりするという事なんか真っ平と思っております。その上長女に特有の自分本位で、我儘,KYな所のある人でしたから、親子の気安さもあってか、母親の嫌がることでもズケズケ言うところがありました。
所が、母親の方はだんだん年をとってまいり、健康も損ねていますから、気弱になってきております。その為、若い頃のように、子供達と対等にやり合うだけの気力も、力も無くなっています。しかし親としての気位だけは残っておりますから、それだけに、子供からずけずけ言われる事は、強く応えるようでした。
その為、父親の死んだ後は、母親は、長女夫婦を後継ぎとは認めなくなっていました。親子の関係も、疎遠となり、長女が母親の所を訪れる事も殆どなくなっていました。
次女・裕子も又自己本位な人で、人からやってもらうのは当たり前、人の為には何もしようとしない女でした。それに非常に性格が強く、親といえども、容赦しません。何事につけても、自分の言い分を通し、押さえつけてしまうところがありましたから、子供の時からなんとなく母親は毛嫌いしておりました。その為、結婚式とか葬式といった、家の行事の時以外には、殆ど行き来がなくなっておりました。
結果母親は、面倒見がよく、優しく接してくれて、嫌な事をずけずけ言わない三女・君江を頼りにするようになり、病気になってからは、すっかり彼女を頼って、彼女に面倒を見てもらっておりました。
こんな状況の母親がなくなりました。その為、三女と四女・彩香に財産を自由にされてしまうのではないかと警戒する、長女、次女連合と、何もしなかったくせに長女面して財産だけは、取ろうとしていると思っている、三女、四女連合が激しく対立し、お通夜の時から、死者なんかそこのけでの角付き合わせが始まりました。
その争いに輪をかけたのが、母親の死後一週間目に出てきた遺書の存在でした。それには、自宅、預貯金、株券の殆どを三女に相続させ、残りのわずかな不動産だけをみんなで分けるようにと記されておりました。
見つけたのは三女で、何でも母親の遺品を整理しようとしている時、仏壇の片隅から見つかったとの事でした。その為、長女や次女は、遺書そのものの存在に疑いをもちました。
この遺書の真贋から始まり、これが、母親の意識が正常な時に、自発的に書かれたものかどうかといった所まで疑う、長女、次女連合と、それが正当なものであると主張する三女、四女連合との間で、激しいやり取りが繰り返され、一時は裁判にまで持っていこうかという所までいきました。
しかし、こうした争いも一年以上になりますと、互いに倦んでまいります。多少冷静に判断できるようになってまいります。いろいろな人から情報を集めることにより、裁判の勝敗の行くへも、大よその見当がつくようになってまいります。裁判する事による損得も勘定出来るようになります。
この為、間に立った司法書士のとりなしもあって、金融資産、土地の分割は、三女の、多少の譲歩のもと、大体は、母親の遺言通りに分ける事で、何とか決着がつきそうになってまいりました。
この分割案について四女は、もともと三女と仲が良かった上に、母親の亡くなるだいぶ前から、内緒でいろいろな物を貰っていましたので、(母親のすぐ近くに嫁いでおりました関係で、母親が元気な時から、何かと言うと母親に頼まれ、足代わりになって、こまめに用事をしていました。その加減だったのでしょう。母親がまだ元気なうちから、投信だとか、株券の一部をちょくちょく、彼女名義に変更してくれていました)何の異論もなくすんなり承諾しましたが、長女、次女の方はかなり不満そうで、まだまだ何かあれば、ひと波乱ありそうな雰囲気でした。
所が、ここにまだ、遺言書には、何の記載もない、宝石、絵画、道具類中でも富岡鉄斎の絵と小林古径の絵、そして、母親がお茶を習っている時に買い集めた茶道具類の分け方という難題が待っておりました。
母親の実家は、母親が結婚した当時は、とても裕福な呉服屋さんでした。その母親が、結婚の時、お嫁入り道具の一つとして実家からもらってきたのが、この二本の軸でした。母親の常々自慢していたところによりますと、これらの絵、特に鉄斎山水図は母親の父親が大金を払って買ったもので、非常に価値の高い物だとの事でした。母親はこれを家宝のようにとても大切にしておりました。従って姉妹の誰もがそれが価値ある作品である事を知り狙っておりました。病床で三女に話していた母親の考えでは、この絵も含めて、宝石、衣類、そしてお茶道具などの家財道具全てを、この家を相続する三女に持っていて欲しいと言うことだったようです。しかし、それは三女だけが聞いていただけで、他の誰もが知りません。従って、三女がそれらを相続することには、皆絶対反対です。三女が母親の意向を伝えても、誰も信じません。充分すぎるくらいに取っておいて、それでも不足で、その上、宝石や道具類まで独り占めしようとするのかと、怒りだす始末です。彼女達の意見では、三女はすでに充分すぎるくらいもらったのだから、宝石や、道具類については、遠慮して欲しいと言うものです。
こうして相続問題は再び暗礁に乗り上げてしまったように見えました。
その時、この相続に関して、ずっと相談に乗っていてくれていた老司法書士が、三女に「君江さん、お母さんの気持ちを大切にして、相続を決めようとされる気持ちは、よく分かります。しかし相続の事で裁判までもっていくというのはどうでしょうね。裁判まですれば、姉妹の間の亀裂は決定的なものになってしまって、修復が効かなくなりますよ。考えても御覧なさい。年をとった時、親しく話せる身内が回りに一人もいない生活を。子供なんかは、いつかは親元を離れて飛び立っていきますよ。年とってから話し相手になってくれ、頼りになるのは姉妹だけです。裁判にまで、もっていっても、結局弁護士を喜ばせるだけで、痛み分け。残るのは姉妹の不信感だけです。それではあまりにも悲しいと思いませんか。お母さんの意向はそれとして、他の財産を分けた時と同じように、貴女も少し譲る事にして、まとめる方向にもっていった方が良いのではないでしょうか」と諭します。
「宝石だとか、書画、骨董に関しては、分けることが出来る物は4人で分け、分けることのできないものは売って金銭に替えて分け事にされてはどうでしょう。そもそも宝石や、書画骨董なんて、売る段になると、皆さんが思っていらっしゃるほどに、金銭的価値はないものですよ」と申します。
即断で決心がつきかねた三女は、一応「妹と相談して」という事で帰ってきて、早速四女彩香に彼女の意見を聞きました。四女もまた長い争いに、倦んできておりました。それに万一裁判になって、細かく母親の財産を洗い直された場合は、母親から生前に、他の兄弟に内緒で貰った金融資産の事が、全てばれてしまう恐れもありました。
従ってその案を聞いたとき、不承不承という顔でしたが、「君江ちゃんがいいというのならそれで良いじゃない。家の為、母の為に、何もしようとしなかったお姉ちゃん達が、お宝の分け前を平等に取っていくと思うと、一寸癪だけどね」と言って、賛成してくれました。
「本当に絵とか抹茶茶碗も、みんなで均等に分けるの。でもあんなものどうして分けるのよ」と四女が聞きます。
「私としてはお母さんが大切にしていた鉄斎の絵だけは本当は貰っておきたいと思っているのだけどね。それだけくれれば、他の物は、みんなで好きなように分けてもらってもかまわなのだけど、どう思う」と三女。「そう、しかしあれは皆が狙っているから、チョット無理かもしれないと思うわ。私、私は出来れば小林古径の白鷺が欲しいんだけど。これ、もしも、誰も何も言わなかったら、私が貰う事にしようかなー」と四女。「良いんじゃない。うまい具合に、誰も何も言わなかったら、そうしなさいよ。しかしお姉ちゃんが、お母さんの死後、家の中をあちらこちら見て歩いていたから、多分気付いていると思うよ」「まず皆の様子みてからにしなさい」という事で話が終わりました。
書画骨董や宝石の分配はやはりすんなりとはいきませんでした。鉄斎の絵は、みんなが夫々、自分の所に欲しいと思っていました。宝石類は4人姉妹で、なんとか分ける事ができましたが、抹茶茶碗や、絵は分割することができませんからすんなりとはいきません。特に富岡鉄斎の絵は、お母さんがあんなにも大切にしていた物だから、とても価値があるに違いないと、姉妹皆が思っているだけに、簡単にはいきません。従って、最後は、売ってお金にして分けるより仕方がないと言う事になりました。母親の気持ちでは、これだけは子孫に伝えていって欲しいと思っていたようですが、この絵は1000万円以上もすると姉妹は皆思っていますから、誰も譲ろうとしません。
三女はその絵は、自分の手元に置いてやることが、一番母親の喜ぶ事だろうとは思いました。しかしそうは申しましても、絵画に何の趣味も持っていない彼女は、自分の相続した財産の中から1000万円以上ものお金を持ち出してまで、その絵を、自分の手元においておく気にはどうしてもなれませんでした。そこで、みんなの言うとおり、売ってお金で分けることに同意しました。その時長女が「そういえば小林古径の軸もあったと思うけど知っている」と言い出します。「うん、知っているよ。これもお母さんがお嫁入りのとき実家から貰ってきたんだってね。確か鉄斎の軸と一緒に長持ちの中に入っていたと思うよ」と返事しながら三女は四女の顔を見て苦笑しました。「それも一緒に持っていって売ってきてよ。あれだって結構お金になるらしいわよ」と長女。「お母さんがお茶を習っているときに使っていた抹茶茶碗はどうする。私、お茶はやってないから、価値があるのかないのか解からないけど。どうなのいい物ある」と四女。「この間少し見せてもらったけど、あまり価値がありそうな茶碗はなかったわよ。でもお母さんの使っていたものだし、もし皆さんがそれほど欲しくないなら、私今、お茶を習っているから、形見として貰いたいわ」と次女。「欲しいならもっていっても良いけど、中里何某とかという有名な作家の茶碗、買ったようなこと、お母さん昔云ってなかった」と彩香が嫌味たっぷりな口調でいいます。すると「そう、気付かなかったわ。もう一度見直してみるけど、もしそんな茶碗があるのでしたら、骨董屋さんに買い取ってもらって来て下さって構わないわ」と言います。
「それではそういう風に分けるということで良いですね」「後から遺産分割協議書を作って送らせてもらいますから、皆さんの捺印と印鑑証明お願いします」「所でいろいろ売ることになりますが、その時どなたか立ち会ってくれますか。それとも私の一存で売らせてもらっても良いかしら」と三女。「任せるわ」と他の3人。「私も出来るだけ高く売るように心がけますが、後から値段の事、とやかく言わないでね」と君江が重ねて念を押しましたが、皆に異論はありませんでした。
後日、三女は四女を誘って、信用の置けるとおもわれる画廊にそれらの道具類をもっていきました。
彼女達は、良いものだから、物凄い値段で売れるに違いないと思って、張り切ってでかけました、
所が、持っていった画廊のご主人は、少し見ていただけで「そうですか。お母さんのご実家はさぞかしご立派なお家だったのでしょうね。これらの絵も、ご先祖様の素晴らしかった時代の証として、手元において大切になさったらいかがでしょう。分けられないから困るとおっしゃるのでしたら、どなたか代表の人がお持ちになればよろしいのでは」と言うだけで、買おうとはしません。そこで二人が「これっていくらくらいで買っていただける物ですか」と思い切って切り出して見ますと、困ったような顔をしながら主人は、「申し訳ないですが、私どもの扱っている品物とは違っていまして」と言います。「私どもも、遺産相続が絡んでいますから、他の姉妹に報告しなければなりませんから、はっきりおっしゃっていただいた方がいいのですが」と三女が言いますと、「それでははっきり言わせていただきますが、この鉄斎は怪しいと思います。大体こういったものは、絵に相応する箱,共箱などの中に入り、時代にあった表装がしてないと、それだけで価値がなくなってしまうのですよ。箱はどうされました」と画廊の店主。
「箱は多分古くなって壊れてしまったので棄ててしまったと思いますが」
「表装も新しくなっているようですがこれはどうしてでしょう」
「あまりに古くなったものですから、母が京都の表具士さんの所で表装し直したようです」「素人の人はついついそういったことをしてしまうのですよね。こういったものは表装の時代性や程度と、絵との整合性も大切なのですがね。その表具師さんもひどい事をしますね」
「所でこういった古いものは、一般的に鑑定が難しいだけに、最近は所定の鑑定書がついていないと、市で値が通りません。ただ正直にもうしますと、この絵に関しては、鑑定に出すまでもないほどに絵が違っているように思います。鉄斎の絵はこんな弱々しい線ではありません。全体に受ける感じも丸みを帯びていて、柔らかすぎます。もし、どうしてもとおっしゃるのでしたら、鑑定に出すお手伝いをしてもよろしいのですが、多分鑑定料金だけ棄てる事になりますよ」と画廊の店主は言います。「それではこの古径の絵はどうでしょう」と末の妹が勢い込んで申しますと「この絵は印刷に後から手彩色したものです。もし値段をとおっしゃるのでしたら、奮発しても、まあ5千円もあればいいところでしょうね」といわれます。「それではあの鉄斎の絵はいくらくらいで」と恐る恐る君江が聞いてみますと「私どものお店で扱う品物ではありませんから、市(いち)に出して代わりに売る事になるのですが、さあー、いくらになりますか。あまり出来の良くないほうの贋物ですからねー。1,2万円くらいにはなりますかしらね。」という返事。
二人は顔を合わせて黙ってしまいました。あんなに期待に胸を膨らませてやってきたのに、シャボン玉が弾けたように夢が消えてしまったのです。もうあの中里何とかの抹茶茶碗の値段を聞く勇気もなくなりました。二人はしょんぼりとしてそのお店を辞しました。
「何、お母さんの言っていた宝物って、紙くずみたいな物だったの?お母さんは最後まで知らなくて、却って幸せだったわね」「でどうする?又姉ちゃん達、ぶつぶつ言うかもね」「そんなもの好きなように言わしておけばいいのよ。どうせ何しても文句しか言わない人たちだから」「でこの茶碗は」「そんなもの裕子姉さんが欲しがっていたから、あの人にあげましょうよ。そうすれば満足するでしょうから」「それじゃこの絵は」と四女。「価値がないからといって、もし私等が貰ったら、本当は良いものなのに、自分達が欲しいものだから、嘘を言っていると勘ぐられると癪だから、この際、私はもう辞退することにしたわ」と三女。「そうだわね、あそこであんな値段という事は、他所へもって行けば、もっと廉いに決まっているものね。私も辞退しておくことにするわ。なまじもらうと、後いつまでも、騙したとか、余分にあげたと言われかねないものね」と四女も言います。結局鉄斎の絵は長女の所に、古径の絵と茶碗は次女のところに納まりました。妹達は意地悪にも、売りに行った時の様子を詳しく話しませんでした。
「どうも鑑定書が付いてないから、良い値段で売れないみたい。ひょっとすると、鑑定に出すまでもないのでないかとも言われたから、鑑定にもださず、売ることもせずに、帰ってきてしまったわ」「売りに行くのって、なんだか質屋さんに行くみたいな気恥ずかしさがあるから、もうこれ以上、持って歩くのは嫌。だからあなた達が好きなようにしてもいいわよ」と言って、姉達に渡しました。
売りに行った先での詳しい状況を知らない姉達は、「妹達あんな事を言っているけれど、そんなもの、鑑定に出したわけでないから解らないのに。町の骨董屋さん程度が、どれだけ知っているというの。本当は良いものなのに、見る眼がないから、安い値段を言ったのにきまっているわ。そんなものを信じて、要らないと言うなんて、あの子等なんておめでたいんでしょう。お母さんが、あれほど大切にしていたあの絵が、偽物であるはずがないのに。」と喜んで持っていきました。
鉄斎の絵をもらう事になった長女も、古径の絵と茶道具をもらう事になった次女も、直ぐに鑑定に出して、もしも本物だと言うことになった場合は、「もう一度分けなおして欲しい」と言われかねないと思ったものですから、鑑定に出しませんでした。
大きな夢を抱いて、長女も次女も今なお、これらの物を大切にしまっております。これらの作品は、次ぎ、誰かが売りに持っていくまでは、ご先祖様の裕福だった時代の話と一緒に、家宝として、子々孫々に語り継がれていくことでしょう。そして何代か後の相続のとき、誰が相続するかで、再び兄弟間の揉め事の種になるかも知れません。なんとも罪作りなお話です。

終わり