No.101 食品のブランド化と流行作家 後篇

後篇 流行作家はどのようにして生み出されるか

 

アリゾナ州立大学社会心理学教授のR・チャルディーニ氏によりますと、人の心を動かす方法は、次のような6つの原理に集約されるといいます。(2007年10月11日:日経新聞夕刊より)

① 返報性の原理;相手が何かをしてくれたら、返さなければならないと思う心理を利用
② 社会的証明の原理;多くの人がやっていることに、引き摺られがちになる心理を利用
④ 好意の原理;好意をもつと、その人の言う事をうのみにしやすい心理の利用
⑤ 権威の原理;権威のある人に従ってしまう傾向の利用
⑥ 希少性の原理;もう後僅かですとか、これしかありませんといった言葉につられて、つい行動を起こしてしまう心理の利用
これらの一つ或いは複数の組み合わせによっているといわれています。
その8
「先ほども言ったように、流行作家を生み出す場合にも、似たような、心理的な操作方法が使われておる事が多いように思います」「ただこれが、純然たる騙しと違うところは、ここに、騙そうという、悪い企みが入っていないことです」「画商がまだ無名か無名に近いような作家に力を入れて取り扱おうと思うようになるのは、その作家の作品に、感覚的(殆どの場合はこれにあたります)、或いは理論的に(現代美術の場合には、感覚的というより理念に共感してというものもあります)、感動し、価値を認めたからです。無論画商も商売ですから、それだけでなく、この作家の作品は、将来絶対に売れるようになるという確信とそうなれば儲かると思う欲心も、もってはいるでしょうが、自分が素晴らしいと思ってもいない作品を、騙して売りつけてやろうとするようなよこしまな心はありません」「従って、その作品には、(取り扱いを決めた画商がはっきり意識してそういった選別をされているのかどうか分かりませんが、少なくとも、後の註に示してあるような条件を、備えているものと考えられます)(註参照)
註)
ⅰ)扱う画商の感性に合って、彼を感動させてくれる作品であること。
ⅱ)技術的に一定以上の水準で、その作品から、作家の表現しようとする意図が充分に伝わってくる作品であること
ⅲ)その作家の作品が、多くの人々の心にも、感動を与える、ないしは共感を呼び起こしうると考えられる作品であること
ⅳ)尚、この感動を与える、或いは共感を呼び起こすという点については、現代美術の場合などでは、感覚的な感動を与えるというより、理論的な共感を呼び起こすというものも入っております。
ⅴ)その時代に生きている人間の心を掴むためには、その時代を反映しているか、時代を先取りしている作品であること。絵画の歴史を紐解いてみたとき、絵画はその時の社会情勢、思想、そして科学の進歩などと、密接に関係しており、ある場合には、先見性すら示している事があるからです。(そういう意味では、グローバル化と漫画文化隆盛の今日、アメリカのポップアートの流れを汲む、漫画っぽい絵画、村上隆、奈良美智などが世界的にもてはやされるようになっている現状にも、合点できる所があります。)
ⅵ)作品に、オリジナリティがあること
ⅵ)作品に、美術史の中に残りうるほどの、斬新性ないし、革新性があること
「所で、例え、そういった優れた作品を生み出す作家がいらっしゃったとしましても、それを見出してくれる人がいなくては、誰にも分からないのですから、その作家の作品の価値は世間から認められません。作品の価値を世間に認めさせるためには、作家自身の努力のほかに、それを広く知ってもらうための売り出し作戦が必要となります。この作戦に一役買ってくれるのが、彼の作品に感動し、価値を見出し、取り扱いをきめてくれる画商達ですが、中でも、その作家の作品を一手に引き受け、取り扱ってくれることを決めてくれる、契約画廊は、その作戦に大きくコミットしてまいります」

 

その9

「画家と画商は、作品を売り出すために、いろいろなテクニックが使うわけですが、その方法も、それを分析すると、結局、前に言った、R・チャルディーニさんの、人の心を動かす原理の、どれかにあてはまってくる場合が多いようです」「フーン、で、どんな風に使われているの」「この(原理の)中で、比較的よく使われるのは、権威の原理、ないしは権威の原理と、社会的証明の原理の併用した方法です。一つの例をあげると、まずこういった売り出し作戦は、国内外の大きな展覧会や団体展、グループ展に出品することによって、著名批評家、有力画商の注目を集める事から始まります。その展覧会で受賞、海外での活躍情報、海外の美術展に入賞によって、注目されるようになる画家も多いようです。こうして、著名批評家達、有力画廊、画家仲間の中で、その作品が認められるようになってまいりますと、その画家に注目し、彼の作品の取り扱おうとする画商が現れてまいります。画家によっては、契約画廊となって、彼の作品の売り出しに全面的に協力を申し出てくれる画廊もでてまいります。その場合、そういった画廊は、その知名度を上げるために、全面的に協力します。内外の権威ある美術館(日本でなら国公立美術館といった場所)や、有名百貨店などで、度々個展を開くのに協力してくれたり、個展への新聞社の後援を取ってくれたり、評論家などからコメントをとってくれたりして、作家の知名度を上げるため努力してくれます」「それなら、展覧会で認められない作家は、画商や批評家達の注目を集められないということかしら。もしそうなら、全く新しい、革新的な絵画なんて出てくる余地はなくなってしまうはずだけど。だってそういった古い体質の展覧会って、海外の先進的な展覧会では違うかもしれないけれど、一般には、古い固定観念に依存する審美眼に囚われていて、なかなか新しい革新的な絵画を認めてくれようとしないもの。その上、そういった展覧会では、審査に当たって、師弟関係とか、情実、付いた先生の力関係、仲間内での政治力などといったものが幅を利かせているとも聞くし」「そうだね。まったく新しい絵画に挑戦している作家のような場合は、印象派の初期の時代でもそうであったように、古い体質の展覧会では、審査員自身が、理解出来ないのですから、認めてもらえないという事もあり得るだろうね。しかし画商や批評家もそういう従来の固定観念に囚われた人達ばかりではなくて、美術誌だとか、展覧会の情報などによって、広く美術界の動向に注目して、自身の感性に合う作品で、且、時代の最先端を走っていると思われる、革新的な画家の発掘につとめていらっしゃる(主として現代美術を取り扱っておられる画商達ですが)方々もいらっしゃいますから、見出されるためには、必ず既定の展覧会への入賞が必要というわけではないのだよ。ただこう言う作家を売り出すには、画商の苦労も多いだろうけどね」「こうしてある程度名前が売れてきた作家は、次は美術評論家などの推奨をとるように働きかけたり、美術雑誌や新聞などに取り上げてもらうように働きかけたりする事もあると聞いているよ」「エッ、そうなの、そういうのって、優れた作品だったら、放っておいても取り上げてくれるんではないの」「眼に留まって、彼らの感性に合ったり、理論的に共感できたりすれば、黙っていてもとり上げてくれるだろうけど、何しろ、画家の数なんて、非常に多いもんだから、小さなグループ展や、地方での活動の人は、眼にとまらない場合もあるから。またね、非常に革新的だったりした場合は、誰かが、その絵の意義と素晴らしさを、積極的に売り込んでいかない限り、その作品の意義に気付いてくれず、取り上げてくれないこともあるだろうからね。評論家にしても、美術担当の記者にしても、美に対する従来の固定観念に囚われている人が多いから、そこから抜け出した、新しい見方をしてくれる人は、始めのうちは、非常に少ないからねー。うまい具合に、外国の著名美術展での入賞だとか、国外の有名美術館への収蔵などといったニュースがでると、画商や評論家そして一般の人達の注目を引き、その作品の価値を、見直させることができる場合がありますが。なにしろ日本人というは、権威だとか海外の評価には弱いところがあるからね」(権威の原理)
「ほかに国内外のオークションでの高額落札のニュースとか、有名寺院の襖絵とか天井画の制作、公共の場所での壁画制作、勲章の受章等などといったメディア情報も画商や評論家たちの関心を惹くだろうね。こうしたニュースは、さらに一般の人々にまで伝わるから、世間の注目を集め、その作品の価値を高めるのに役立ちます。こうしたメディアからの情報の繰り返しは非常に有効で、こういった事によって、その作家の評価は益々高くなっていきます。そしてそれにつれて、同調性バイアス(偏り)現象が起こり、素晴らしいと感じる人がどんどん増えてまいります。そうするとその作家の作品を欲しがる人も増え、それに連れて、その価値(イコール価格)も、上がっていくというわけです」(社会的証明の原理)

 

その10

「他にも、百貨店などでの個展の後だとか、講演会の後などに、作家を囲む会だとか、サイン会などを催して、親近感を持ってくれるファンを殖やす努力をするとか、作家の国内外においての活躍状況を、マスコミや、ミニコミに繰り返し流す事によって、その名前を人々に印象付けるよう努めるとか、価格を維持するために、市場に出す作品の数をコントロールするとか、なるべく長く持ってくれそうなコレクターに買ってもらうようにする、投機や投資を目的とする人に売るのを避ける、市場に出てくる作品を買い支える等といったことが、よく行われておりますが、作家の知名度と、作品の価値を高めるためにとられている、これらの戦術も、要約してみれば、R・チャルディーニさんの言う、6個の原理のうちの、好意の原理、一貫性の原理、希少性の原理のどれかに帰しているように思います」

 

その11

「そんな話を聞くと、美術品の価値(註:俗世間では、価格で測られていますから、イコール価格とここでは考えてください)って何だろうって、考えさせられてしまうなー。」
「物の価格というのは、美術品に限らず、需要と供給によって決まってくるのは、誰もが知っているところだよね。だから需要が大きく、供給が少なければ、当然物の価格は上がってきます」「絵画などといった美術品は、もともと趣味の物で、生活必需品ではないのだから、特にその関係が密接で、興味のない人にとっては、どんなに素晴らしい作家の作品であっても、殆ど無価値だよね。ところが、それを欲しいと思う人にとっては、万金を払っても、惜しくないものでもあるわけです。一般に、まだ世間的にそれほど注目されていない作家の作品に対しては、コレクターの食指は動かないのが普通です。最初のうちはその程度の認識しかされてなかった作家に対して、彼の作品を感動してくれ、賛美してくれる人を生み出し、かつその数を増やしていき、そしてそれによって、その作家の作品を求める人々、即ち需要を生み出してくる為の方法として使われるのが(こうすることによって、その作品の価値すなわち価格をつりあげるわけですが)、前に述べた、R・チャルディーニ氏のいう、人の心を動かす方法というわけ。」「では、そこには無理して価値をつりあげられている作品も入って来るという事。それなら、そういった作品は、将来鍍金(メッキ)が剥げて、価値がなくなってしまうということはないのかしら」
「先ほどもいったように、多くは、画商がその作家を取り扱おうと決めるまでには、一人または複数の画廊店主の目だとか、評論家の目、そして展覧会の審査員の目などといった美術に関係する専門家達の複数の目をくぐってきているから、ブランド食品と同じで、その時点では、平均的な水準以上、それなりの固定ファンも付いているから、金銭的価値もあると思う。しかし将来とも、歴史の評価に耐えられるほどの価値を持ち続け得るかという事になると、それは疑問だね。長いタームで考えると、その価値(価格と連動して考えられることが多い)は変動するだろうね。今までの物故作家の例から考えても、殆どの作家は、将来的には、人気が離散して、価格が下がっていくと考えた方が妥当だと思う。 複数の人の眼を通り抜けて選ばれてきた作家達だけに、こういった作家の作品の価値が、全くゼロになることはないとはおもいますが。しかし歴史の評価に耐え、後々、美術史の一ページ、ないしは一行を飾ることができるのは、その中の、ごくごく一部だろうね。そういった意味では、古い審美眼に縛られた複数の人の目で選ばれ登場してきた作家より、時代の先が読める、新しい感性や、見識を持った画廊店主や、評論家達が、彼等自身の目で(他の画商の動向や、評論家や、他の画家達の意見に惑わされないでという意味ですが)取り扱いをきめたり、推奨したりした作家の方が面白いかも知れないね。こう言った作家の中から、歴史の評価に耐え、美術史の一ページに燦然と輝く作家が飛び出てくる可能性が強い事は、過去の歴史が物語っていますから(そのようになっていけるのは、その中のごくごく稀ですが)。しかし、そのような作家の作品を購入することは、大きな危険と背中合わせということも、知っておいてもらった方が、良いでしょうね。何故なら、こういった種類の作家の作品の価値というのは、最初にそれを見出した画商だとか、評論家といった人の個性と感性、すなわち個人的な審美眼や、見識によっている所が多いですから。もしその画商とか評論家に、歴史の評価に堪えられるような作品を、見出せるような、真の審美眼が備わっていなかった場合は、後々、その作品の価値を認める人の広がりを得ることが出来ないままに、やがて忘れられてしまう可能性だってありますからね」

 

その12

作家によっては、ある程度人気が出てまいりますと、その作品を求める人が少しずつ増えていき、そしてそれに連れ、価格もまた上昇、更にその価格の上昇にあわせて、それを求める人も多くなるといった、上昇スパイラルにのって価格が上がっていく場合があります。こうなってきますと、将来の値上がりを見込んでの、投資を目的とするお金だとか、短期的な鞘取りを狙っての投機資金などが入り込んでくるようになります。その作家の作品を愛し本当に欲しいと思っている人から、この作家の作品を飯の種にしようと思う人(主として画商)、そして投資や、投機の対象として買おうとする投資家などなどが入り混じって、撒き餌に群がる魚のように、買い漁り急騰することがあります。こうなってまいりますと、そこは、正常な需要と供給の関係が崩れた、ただ欲と、思惑の蠢く魑魅魍魎の世界となってしまいます。そしてその作品の価格は、その作品のあるべき位置から(註:多くの画商たちが、自分たちの経験から考え、その時点での、この作家の平均的な出来の作の価格と考えているものを指しています。) かけ離れた場所に、位置する所まで上ってしまいます。

 

その13

一般に、コレクター達は、このように急激に高くなってきますと、このまま買わないでいた時は 、日が経つにつれ、益々高くなってしまって、もう手の届かない価格になってしまうのではないかという恐怖心に駆られるようになります。そして、そのため慌てて買いに走りがちです。しかし、このように急激に価格変動をきたした作家の作品を、慌てて買うのが適切かどうかについては、疑問を感じます。一般には、このように急激に値上がりをする場合には、何か裏があるのではと、疑った方が妥当です。この作家の作品への投資だとか投機によって、或いはその作品の売買によって、儲けてやろうと企んでいる人たちのお金だとか、思惑などが入りこんできて、その作品の価格を底上げしている可能性が強いからです。普通の人が、こんなのに乗せられて、提灯買いを(他の人達が買うからといって、それに吊られて、買いにでること)しようものなら、(ある程度値上がりした頃を見計らって、投機資金は逃げてしまいますから)大損をするという事になりかねません。
それにもう一つ気懸かりな事には、こういった時期の作品の中には、作家への注文が多くて、捌ききれず、いかにも売り絵ですといった、ある程度手を抜いた作品が混じっている事があり得る事です。

 

その14

美術品(此処では主として絵画についてのべますが)は、先ほども申しましたように、興味のあるひとにとっては万金にも換えがたい価値がありますが、興味のない人にとっては、なんの価値もありません。特に今までの形式とは全く異なる革新的な表現様式や、理論に基づく現代絵画のような、理解し難い作品などの場合は、始めのうちは、その価値を認める人はごく僅かです。そして、もしそのまま、その価値を認める人の広がりを見る事が出来なかった場合は、その作家の作品はやがては、ごみ扱いされかねない存在でしかありません。そのような物に、価値を認めさせ、その作品が素晴らしいと思う人の数を殖やしていき、その作品に対して、お金を払う人を生み出そうとするわけですから、考えようによっては、こういった作品に価値を作り出そうとする人達は、無から有を生み出す、まるで魔法使いみたいなものです。まして、それの価格が急激に高騰していくような場合、それにさらに、投機資金という、怪しげな力が絡んできているのですから、一般の人々に、天国に上る夢を見させてくれる事なんて、お茶の子さいさいです。しかし夢はいつか覚め、バブルはいつか弾けます。人工的に持ち上げられすぎた価格は、いつかは、その作品の居るべき居心地のよい場所へと戻っていくのがその作品の宿命です。ブランド食品の場合の消費者ではありませんが、美術品のコレクターもこういった美術品を取り扱う画商達も、もっと賢くなるべきです。食品の美味しい不味いは、他の人の舌ではなく、自分の舌で決めるべきであり、絵の良し悪しは、自分の目と感性によるべきなのです。自分の感性に合わない作品を、誰かが何かをいっているからといって、充分理解もできないうちに、直ぐに手をださない事です。まして価格がどんどん上がっていくからというので、助兵衛心を出して、儲けてやろうと思って、それほど感性に合わない絵、好きでも嫌いでもない絵を買うなどと言うのは論外です。だからといって、革新的な新しい時代の絵画に飛びつくなというような、保守的な事を言っているわけではありません。むしろ新しい時代には、その時代に合った、新しい絵画(芸術全般に言える事ですが)が生まれるのが自然であり、その時代に生きる人間は、それを理解しようと努めるべきではあると思います。ただ理解出来ない、或いは共感できないにもかかわらず、ただ新しいからという理由だけで、或いは儲かるからという助兵衛な心で、安易に飛びつくのではなく、研究し、その作品を理解したり共感できたりするようになってから、購入されたほうがいいのではないかと言っているのです。