No.97 第一印象と鑑定

その1

人と人とが付き合って行く上で、第一印象というのは非常に大きな働きをするような気がいたします。無論、第一印象が全てではありません。それほど第一印象が良くなかった場合でも、お付き合いをしている間に、良い人だという事が分かってくる場合だってありますし、逆に、第一印象では、良かったのに、後で裏切られる事も多々あります。しかしこういった間違いも、人生経験などといった学習によって、年をとるにつれ間違える事は少なくなっていくように思います。
第一印象は、本能的な警戒心に、経験だとか、伝聞、読書などといった学習による知識が積み上げられる事によって獲得してきた、瞬間的な判断能力と思われますが、出会った瞬間に、自分と、他者と間合いを計るこの働きは(例えば、敵か見方かだとか、自分の役に立ちそうかそうでなさそうかなどを計る働き)、人類という種族にとっても、人個人においても、自然界で生き延び、更に繁栄していく上で、非常に大きな役割をはたしてきたとおもわれますし、又今後とも重要な役割を担っていくに違いないと思われます。

 

その2

この第一印象は又、美術商が、美術品を見たとき、それが、本物か、贋物かを見分ける際にも、とても重要です。
このお話は、私が独立して間もない頃のお話ですが、私のところに、「藤田嗣治、小磯良平の絵を売りたいから、一度見にきてくれないか」という電話があったことがあります。
私どもの所では、このような場合、お互いの負担を少しでも少なくするために、お売りになりたいと言うご希望のお客様から、事前に、出来る限り詳しく、その絵に関する情報を送っていただき、予めその作品についての知識を得ておいて、お伺いする事にしております。
今度売りたいといってこられて作品は、送られてきた作品も鑑定書も、写真でみる限りでは、はっきりとした、疑わしい点は見当たりませんでした。(註:私が独立したての頃は未だ、インターネットが今ほど普及してなくて、作品の詳細を知りたい場合は、主としてこのように写真に頼っていた時代でした)しかしその時は強く意識しませんでしたが、送られてきた写真をみた瞬間、潜在意識に、なんとなく引っ掛かるところがあったようです。良い作品に出会った時に感じる、いつもの喜びが感じられません。お訪ねする約束の日になっても、なんとなく気が進みません。そこで、仲間の画商Kさん(この人、真贋を観分ける目のとても秀でている人で、絵画の鑑定については、私の師匠格の人です)に頼んで、私の画廊の番頭という事で、一緒に来てもらうことにしました。

 

その3

通されたのは、お電話を下さった方の会社の応接室で、そこには、Y,Kodamaサインの入った風景画(パリ風景)がかけてあります。案内に出ていらっしゃった奥様のお話では自分の所は、建設業を営んでいらっしゃるとの事でした。
私達はご挨拶もソコソコに、早速ご主人から絵画をみせていただくことにしました。
出してこられた絵は、小磯先生の作品は、椅子に座った婦人像で、横向きに座って、顔だけ斜めにしている、先生の絵によくある構図です。一方藤田先生の作品は、猫をだいた少女で、これまた、しばしば見かける図柄です。しかしそれらの絵を見た瞬間は、「違う、これは小磯良平先生のものじゃない」、「こちらも、藤田嗣治先生の作品にしてはおかしい」と感じました。しかし、じっと見ているうちに、違和感が薄れ、次第にそれらしく見え出してきてしまいました。
私は思わずKさんの方を見ましたが、彼は何も言いません。ただ黙って私のすることを見ているだけです。
私は次に、絵画についている鑑定書を拝見させていただきました。小磯先生の作品には、梅田画廊の、藤田先生の作品には、東京美術クラブの鑑定書といった具合に、夫々所定の鑑定機関名の入った鑑定書もついております。どちらも、今まで見てきた所定鑑定機関の鑑定書の様式をとっており、鑑定書の印も、ほぼ間違いなさそうです。私はもう一度、作品の方に目を戻しました。すると、じっと見ているうちに、益々目がその作品に馴染んできてしまって、本物ではないかとさえ思うように、なってしまいました。そしてその見方を正当化する、いろいろな理屈が、私の心の中に芽生えてまいりました。例えば「先生達が描かれた沢山の絵の中には、こういうふうな雰囲気の絵も混じっているのではなかろうか」とか「売り絵として描かれた絵なら、こういうふうに多少雑な描き方の絵も入っているのではなかろうか」というふうに。
念のために、来歴を聞いてみました所、ご主人が言われるには、「今から20年くらい前のことですが、家を建てた際、施主から、株だったか商品相場だったかで、大損を出してしまったので、お金を払うことが出来なくなってしまったと言われて困った事があります。その時、その代金の代わりにということで、これらの絵はもらってきたものです。だからそれ以前のこの絵の来歴は、私には分かりません。でも、この絵の元の所有者は、大きなお茶の問屋さんを営んでいらっしゃった方で、昔からの大金持ちの家ですから、私は安心してもらってきました」との事でした。

 

その4

間違いなく本物だと信じていらっしゃる様子のここのご主人さんは、「で、この2点、いくらで買っていただけますか?」ときりだしてこられました。しかし、迷っている私は、とっさに返事が出来ません。最初に見たときに感じた、「違う」「本物じゃない」という印象が気になります。「・・・・」と返事をするのを躊躇している私を見て、「もしご希望なら、今此処にかけてある、児玉の絵も一緒にもっていってもらっても良いのですが。三点だったら、幾ら出してくださいますか」と畳みかける様に聞いてこられます。
どのように返事したものかと、迷っている私を見かねたのか、私についてきてくれた、Kさんが「すみません。チョットうちの社長と二人だけで相談させてもらいたいと思いますから、少しだけ、お時間いただけませんか」と助け船を出してくれました。
私達二人が部屋の外に出ようとしましたところ、ご主人は「どうぞ、此処でご相談なさってください。私の方が、席を空けさせてもらいますから。それで、どれくらい時間をみておいたら良いでしょうか」と聞かれます。「それほどお時間を取らせません。ほんの5分か10分程で結構でございます」とKさん。「それでは、この電話、内線で自宅に繋がっておりますから、ご相談が終わりましたら、お電話ください」と言われて、ご主人は出て行かれました。

 

その5

「オイちゃん、あんたこれ買う気」とKさんが聞いてきました。「うーん、どうしたものか、迷っていた所。最初見た瞬間は、怪しいと思ったんだけど、じっと見ているうちに、だんだん本物らしく見えてしまって」「駄目だよ,オイちゃん。こういうものを観る時は、最初の印象を大事にしなくちゃー。作品を観る目というものは、長い間見ていると、だんだんその作品に目が馴染んでしまって、贋物に対する違和感がなくなってしまうものなんだから。その上、人間というのは悲しいことに、頭の中で、もし本物だったら、これくらいで買う事ができれば、これ位儲かるだろうなといった、そろばん勘定までするようになるだろ。そうすると、ますます目が曇ってしまうんだからね。私だったら、絶対に買わないよ」「大体、これらの作品、鑑定書からして、本物じゃないと思うよ」「ほんと。どうして分かった」「それは企業秘密。既にもらってある、これらの絵と鑑定書の写真をもっていって、夫々の絵の所定鑑定機関に問い合わせてごらん。それも勉強だから、但し鑑定書のサイズはきちんと測っておいたほうが良いよ」と言われてしまいました。

 

その6

ご主人に、どのように切り出したら良いかと迷いましたが、決まらないままに出たとこ勝負でいくことにして、ご主人に入ってきてもらいました。
「いろいろ検討させて頂きましたが、今度のお話、もう少しこちらで調べさせていただいて、それからお返事させていただくということにしたいと思いますが、それで如何でしょう」と切り出してみました。するとご主人は「良いですよ。でもこんなきちんとした鑑定書まで付いているというのに、なお、何を調べるというの?」と大分、ご不満そうです。「申し訳ありません。私どもとしましては、精一杯のお値段で、いつも買わせていただいておりますものですから、それだけに、どうしても慎重にならざるをえないものですから。一日二日のうちにお返事させていただく心算ですから、少しの間だけ、お待ちくださいませんか」「なお大変恐縮ではございますが、この鑑定書のサイズを測らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」と申しました。すると社長さんは「結構ですよ。但し、他からもお話がきておりますから、そちらが私の思っているような条件で買って下さるといわれましたら、そちらと決めさせていただくことになりますが、それでもよろしいですね」と言われます。私の心の中には、未だ少し未練がありましたが、それだからと言って,他に売られてしまうのを防ぐために、預かり金を置いておくには危険すぎる作品のように思われます。そこで決心して、「分かりました。それではそういう事で、よろしくお願いします」と言うことで、2通の鑑定書のサイズを測り、その家を辞去してまいりました。

 

その7

帰りの自動車の中で私は、Kさんに尋ねました。「どうしてあれらが駄目だと分かったの」と。ところがKさんは、「企業秘密。あんたが自分で勉強しなさい」と笑いながら言って教えてくれません。「意地悪、ねえ、教えて。教えて。どケチ」と私。「困るなー、やんちゃ娘には。仕方がない、教えてあげることにするか」とKさん。さらに続けて「じゃー聞くけど、最初にあれらの作品を見た時、貴女、どうしておかしいと思ったの。それらの作品の写真を見ながらもう一度、じっくり順序だてて考えて、言ってごらん。どう、何処がおかしいと思った」「うーん。藤田の作品は少し表情が甘くシャープさが足りないような気がした。それと少女の背景の建物などの描き方が雑である事、猫の前足が、不自然な形をしている事などかなー。でも何より、問題だと思ったのは、はっきりと言葉にしてはいえないけれど、全体としてみた時、藤田の絵と感じが、全く違うという風に感じられたことが一番大きかったのではないかしら」「そう、その通り、それが一番大切なんじゃないかなー」「じゃー小磯の方は?」「小磯の方もやはり、一番大きかったのは、今まで見てきた小磯の絵と見た感じが、全く違うと言う事だとおもう。この絵には、小磯の女性像に見る、あのきりっとした感じが伝わってこないもの。こまかいところを一つ一つあげるとすると、顔の表情が小磯らしくない、背景の書き方がやはり雑、特に椅子の木製の肘掛部分など、椅子とのバランスが悪くて、今にも折れそうに思える、全体として、モチーフの捉えかたが甘いという事かなー」「それだけ見ていて、どうして買おうと思ったの」「うーん、今駄目だと思って見たから、欠点を上げることができたけど、瞬間的には、なんだか違うなと思った程度でしょ。でも作品としては、あんまり良く似せて出来ているので、見ているうちに、だんだん、違和感がなくなってしまったのね」
「鑑定書で何か気付かなかった」「この人たちの鑑定書を、それほど沢山に見てきたわけでないから、はっきりとは言えないけど、鑑定書は間違いないのでは」と私。「それが違うのだよ、どちらも真っ赤な偽物、何もかにもうまく似せて作ってあるけど、微妙なところで違っているんだね。こういうところが(この詳しい説明は、贋作者に情報を与える事になりますから伏せさせていただきます)まったくちがっているんだよ」「でも鑑定書が例え本物であっても、私は買わなかったと思うよ」「どうして、貴女が言うとおり、見た瞬間、これは、藤田の絵でも、小磯の絵でもない。応接室の児玉も,児玉じゃないと思ったからね。多分、同一の贋作者が描いている物だと思うよ」「エーッ、どうして」「だってもう一度思い返してごらん。どの絵も確かにそれぞれの作家の特徴を似せて描いているけど、絵がかもし出す雰囲気としては、三つとも同じように感じなかった」「そう言われればそうだねー。なるほどよく分かった。さすがKさん、すごい。でも私、そこまでなれるかしら」
「大丈夫。こんなの、経験積み重ねだから。沢山見て、沢山勉強すれば、自然に正しい観
方が身についてくるものだから」「こういった作品を見る上で一番大切なことは、さっきも言ったように、第一印象、即ち見た瞬間に感じるその絵から受ける感じです。その後、細かい点について検討する時は、本物らしさを探すのでなく、本物としては、おかしいと思う点を探していく事です。そうすると自然に真贋は見分けられるようになりますから」「話を飛ばして悪いけど、その第一印象って、感みたいなところもあるでしょ?だったら感の悪い人は、良い美術商になれないということ」「確かに感は大事だと思う。でもねー、それは本物を沢山見るという経験によって、練磨される部分が大きいから、沢山見れば、誰でも、ある程度の正確さでなら、感じられるようになると思う。そういう点では、オイちゃんなんか、感もいいし、沢山の作品に当たる機会にも恵まれているから、直ぐ私なんか追い抜いてしまうと思うなー。その節は、私が貴女のところに助けを求めに行くことになるから、その時は頼むね」「またまたご冗談を。でも助かったわ。本当に今日はありがとうございました」

 

その8

その後、それらの作品を主として取り扱っておられる有名画商さんにも後学の為に、写真と鑑定書を持っていって問い合わせてみました。
すると、どなたも、Kさんの言われたとおりのご指摘でしたが、そのとき聞きに行った先の一人の画商さんが「Oさん。悪いけど、この絵、他の画商が、確か2ヶ月前にも、全く同じような話をして、聞きにこられたことのある絵ですよ。その時駄目だと、はっきり言っておいたのですがねー。」と言われるのです。
あの売主の社長さんの、その時の話では、これらの作品は、未払いの建設代金の代わりとしてもらってきてから以後、一度も人に見せたことがないとの、お話でしたのに変な話です。
あれからもう十何年、お陰さまで非常に沢山の経験をつませていただき、人をみる目も、物を観る目も格段に進歩をしたと思います。しかし、この世界、奥が深くて、まだまだ勉強不足、毎日が研鑽の日々です。何の道も、極めるという事は、本当に険しくて、難しい事です。