No.76 白い馬から落っこちた王子さまとお姫様(白馬の王子様番外編)

このお話はフィクションで、類似した所がありましても偶然の一致で、実在の人物、事件とは関係ありません。

 

前にお話ししました あの白馬の王子さまと結ばれたお嬢様は 相変わらず幸せそうな生活を 送っていらっしゃるようですが、世の中、そうはいかないことも結構沢山あります。これからするお話も、そのようなお話の一つで、折角乗った白馬から、落っこちてしまった王子さまとお姫様の物語です。
私の友達の一人にワシントンで画商をなさっている女性がいらっしゃいます。最初にお会いしたのは今から10年くらい前の事でしたが、長年連れ添っておられた旦那様と離婚され、画商を始められたばかりの頃でした。 従って取り扱っている絵画は おのぼりさん目当ての いわゆるパン絵の類が殆どで、場所も商店街の外れに近い所でやっていらっしゃいますから 経営は苦しそうでした。しかしその人は、「長い間苦労してきましたから、今の苦労なんて苦労のうちにはいらないわ」「金銭的な苦労も確かに大変ですが、毎日毎日の精神的な苦労に比べれば、問題になりませんわ」と笑っておっしゃるのです。「でもお子さんも、おありの事ですから、かつては愛し愛されていらっしゃったこともおありでしたでしょうに」と申しますと「そりゃー 確かに結婚する前はこれこそ私の王子様だと思いました。デモね、其れが結婚第一日目から、いろいろありましてね。結局この歳になって 落馬という事になってしまったのですよね」といわれます。
以下この少し薹(とう)の立ったお姫様のお話です。
私の家はかっては父が官撰の県知事をしていました程の名門で、兄も、ついこの間まで大蔵省のトップクラスの職にありました。従って子供時代は、其れこそ蝶よ花よと皆さんから大切にされ、幸せ一杯に育てられてまいりました。年ごろになってからの縁談も、降るほどにあったのですが、どの人も今一つ気乗りせず、ぐずぐずとしていました。こうして過ごしておりましたある日の事です。父の所に訪ねて来ていらっしゃった一人の青年が、何処で見られたのか、私の事をとても気に入ってしまわれ、是非是非お付き合いさせていただきたいと申し込んでくださいました。そのお方は、ハーバード大学出身の大秀才で、米国でお仕事をしておられたのですが、とても背が高く、ハンサムで、社交的、しかも長い米国生活で身についておられるレディファーストの振る舞いは、とてもやさしそうで、当時の日本人の青年からは想像もできないスマートさでした。父などは真っ先に気に入ってしまい盛んに薦めます。当時の日本では(終戦後未だ少し立ったばかりの頃でしたから)男女の交際も今のように自由ではなく、異性とお話する機会もほとんどありませんでしたから、いろいろお話して下さる言葉がすべて素晴らしく聞こえ、豊富な知識から繰り出される言葉の数々は、まるで魔法の言葉のように私の心に甘い楔を打ち込み、アメリカ式の洗練された女性への振る舞いは、紳士的で、もの柔らかく、 クモの糸のように私の心を絡めとってしまったのです。いつも先ず私を立て、庇護しながら行動して下さる姿は、まさしくナイト、此れこそ私の理想、白馬の王子様だと思ってしまいました。

所が甘い夢もその時まで、新婚第一日目から悲劇の種子が膨らんでまいりました。新居での第一日目、夕食を終わってテーブルを片づけ始めた時の事です。食べ残しのお魚を捨てようとしました所、夫がさっと立ってきて 怖い顔をして、それを戸棚にしまいこんだのです。私の家では食事の残り物などは、全て捨ててしまうという習慣でしたから、戸惑っていますと、夫は「もったいない事をしてはいけません。未だこんなに残っているのですから、明日の朝の食事に使いなさい」というのです。朝のお食事で其れを食べる時の辛さ、何しろ気持ちが悪くて、でも辛抱して食べようとしたのですが、中々咽喉を通っていかなくて、涙ばかり出てきたのでございます。それから後の毎日が、万事この調子です。お財布はもちろん夫が握り、毎日のお金使いも、日常の食事の買い物を始めとして 鉛筆一本にいたるまで細かくチェックし、余分なものは注意します。日常の会話でも、私が話をすると、少しでも間違っていると、言葉づかいの一つ一つから、論理的な間違いにいたるまで、いちいち間違いを正してきます。しかも、其の正しかたは、先生が生徒に諭すように懇々と説明し、正してくれるものですから、そのうちに主人の前にでると、緊張してしまって、言葉がなかなか出てこなくなってしまいました。それでも、未だ最初のうちは、夫の頭の良さを尊敬し愛していましたから、自分の到らなさと無知を反省し、何とか、この人についていこうと努力しました。
しかしそれも年とともに夢は覚め、次第に夫の本質が分かるにつれ、夫との間の距離を感じる様になってきたのです。特に長男を育てている時の、夫の無関心と非協力は許せませんでした。言葉も不自由な外国での子育ては、想像以上にストレスが多いにもかかわらず、子供が泣き喚いていようと、ぐずついていようと、全く無関心に、いつもと同じように、おしゃれに身を窶して(やつ)出て行く夫の姿を見ておりますと、夫の言う事が何だか白々しく聞こえだし、夫への不満と不信感が、次第に増大していったのでございます。子供が成長してまいりますに連れ、このままでは自分が無くなってしまう。こんな人生で終りたくないと思い 、私も真剣に自立への道を探る事にしました。

夫は、あまり良い顔をしなかったのですが、夫も子供も外に出ている時間を利用して、お友達の店の手伝いに行く事にさせてもらいました。外に出てみますと、もともと社交的な性格でしたから、友達も沢山に出来、お客様の信用もついてまいり、自分に自信もついてまいりました。人とのお話も いちいち考えて話さなくても皆さんが、そのまますんなりと受けて下さいますから、とても気楽です。こうして外に出ている時は、陽気で明るく、夫の前では、借りてきた猫のように慎ましやかにと言った、二重生活をしばらくは続けていたのでございました。ところが其れもいつしか限界がきてしまいました。そうこうしているうちに、夫への嫌悪感から、夫が側に近づいてくるだけで、肌に鳥肌が出るようになってしまったのでございます。こうした私を見かねたか 息子が「どうしても合わないなら、お母さん別れても良いんだよ」といってくれます。そこで私も息子が医大を卒業するのを待って離婚を申し出ました。離婚を持ち出した時の夫は、突然の事だったようで、しばらくは、鳩が豆鉄砲を喰らった時のような顔をしておりました。私の方は、何食わぬ顔をして、従順な妻の役を演じながら、密かに、爪を研ぎ、自立の準備をしていた訳ですから、女とは恐い生き物ですね。
こうして、多少すったもんだはありましたが、財産の分与も終り、今やっと生きているという実感の毎日でございます。馬から落ちてよく見てみれば、白馬も、唯の駄馬でしたし、王子様も唯の中老の男にすぎません。一人になって困惑していらっしゃる侘しげな姿は、長年連れ添ってきただけに、多少気の毒に思います。何しろこちらが勝手に白い馬に乗せ、王子様にしたて そして落馬させてしまったようなものですから。しかし其れだかといって再びあの生活に戻るつもりはありません。もうこりごりです。

画廊の女主人はこのように話してくれました。お話というのは、聞いた方の一方的な見方が入っておりますから、御主人だった人には、又別の言分があると思います。従って、どちらが正しいかなどとは言えません。どちらにしても現実は厳しいという事です。話しは変わりますが 画商さんは比較的自分の意見をきちんと持っていらっしゃいますし、しかも慣習などに囚われない自由な考え方の人が多いので、普通の社会より、離婚経験者がやや多いように感じられます。