No.60 都会のジャングルには大蛇もいればキョンシーもいます キョンシーがいっぱい

バブル崩壊の影響は銀行、建設業、不動産業者だけにとどまらず、日本全国どの業種もその後遺症に悩まされていたものです。私たち画商の世界も例外ではありませんでした。不動産のバブルに踊り、株のバブルに狂奔し、絵の思惑買いに走った揚げ句、借金塗れになり、その借金の重みに耐え兼ねて明日にでもパンクしてもおかしくないといったような業者さんが、一杯いらっしゃった、ほんの少し前のお話です。
私たちの業種は不思議な業種でして、約束手形や小切手といったものはあまり使用せず、信用だけで他人のものを借りてきて、それで商売が出来るというところがあります。その結果あちらにもこちらにも借金があって、普通の業種ならとっくの昔に潰れてしまってもおかしくないといったそんな業者さんが、いっぱしに商売をしていらっしゃるから恐い時があります。今回はそんな業者さんに泣かされたお話です。

私が画廊を開いて数年後くらいのある日のことです。もうお店をしまおうかなと思った夜の7時半頃のことでした。交換会(業者のオークション)で一度か二度お目にかかっただけで、それほど深いお付き合いがあったわけでもないSという業者さんが入っていらっしゃいました。Sさんは東京美術クラブの会員もしていらっしゃる老舗の業者さんで、しかも銀座にある画廊専門の貸ビルのオーナーでもある方です。結構上下関係のうるさい画商の世界では、普通ならなかなか口もきいてもらえないくらいの存在の方です。そのSさんが私の画廊にかかっていた中川一政の絵を指差して「この絵、売らしてもらえないか」といわれるのです。その絵は私も別の画商さんから借りていた絵なのですが「この絵を欲しいといわれるお客さんがあるので言い値で良いから譲ってほしい」と言われます。確かその当時1700万円位の売り値だったと思うのですが「それでお話してきますから、それでは少し貸していただきますね」と言われ、さっさと唐草模様の風呂敷きに包んでしまわれました。お支払いの条件を聞きますと「向こうのお客さんの都合もありますけど、1~2週間くらいの間にはお支払い出来ると思います」と言われます。
今ならもっと慎重にお貸しするのですが、老舗の画商さんで、ビルのオーナーでもありますので、当時の私には若輩者という遠慮もあり、あまり詮索することも出来ず、言われるままに簡単にOKしてしまいました。そそくさと出て行かれるSさんの後ろ姿を見ているうちに、その絵の借り方のあまりの慌ただしさに不安になって、知り合いの画商さんあちこちに聞いてみますと「あそこは危ないかもしれないよ」と口をそろえて言います。それでも、まさかあんな老舗が、それもビルまで持っていらっしゃる老舗の画商さんが、どうにかなるなんてことは、当時の私には想像もつかないことでした。それなので気になりながらもぐずぐずと1週間待ちました。ところがそれっきりナシの礫で何の返事もありません。
1週間目、たまりかねてその画廊を訪れてみました。画廊はガランとしていてほとんど絵も置いてありません。これはと、ますます心配になり、ちょうど画廊に帰ってきていらっしゃったSさんに「あの絵どうなりました?」と聞きますと「もう売れていまして、お客さんのところに置いてあります」との返事。「それでお支払いの方はいつになりましょうか?」と聞きますと、ぐずぐずされるだけではっきりした日にちを言われません。「先方の都合で少し遅れるから、待ってくれ」と言われるだけです。
これはますます怪しいと思いましたので、すぐに契約書を作っていただき、奥さんを保証人にして1週間後にお支払いしていただくことにしました。それでも私にとっては「こんな老舗が」という思いもあり、疑心暗鬼で、それ以上にあまり強いことも言えず、心配しながらあと1週間だけ待つことにしました。

そして1週間後に訪れた画廊にはSさんの姿はありません。奥さんの態度もそわそわしてなんとなく変です。これはいよいよやられたかな思いましたが、もしその絵を盗られると、私の画廊がその絵の代金をまるまるかぶることになります。絵を借りていた画廊の方へ即刻支払わねばならなくなります。まだ画廊を開業して数年目のことでした。ここで1700万円も引っ掛けられたら大変なことです。父が開業の資金を貸してくれていたのですが、こんなドジを踏んだら「もう止めろ」と言われかねません。私も必死です。暗がりの中を外で何時間もSさんの帰りを待ちました。11月頃のことでした。その待っている間のなんて長く、寒かったことでしょう。
12時ちょっと過ぎまで待っていたでしょうか。やっと帰ってこられたSさんを捕まえて、お支払を迫ったところ、50万円くらいは支払ってくれたのですが、あとは言を左右してて支払っていただけません。「後1週間待ってくれ」と言うのです。もうこうなると事態が切迫していることは誰の目にも明らかです。「どうしても払って下さい」と私も必死に粘ったのですが、どうにもなりません。結局明日100万をもってあがり、残りの支払いは先付け小切手をきって下さるということで話をつけ、翌日まで待ちました。

さて翌日Sさんはいらっしゃったのですが、金策に困って集めてきたという様子で、40万の現金だけしか持ってこられません。知り合いの弁護士さんに頼んで、ビルに担保権をつけてもらうことで話をつけました。その時のSさんは「権利書は、今手元にないので、担保権を設定するのは3日後にしてくれ」とのことでした。
結局Sさんはその5日後くらいに逃げてしまわれたのですが、担保を設定しにいったビルには、この設定を待っていた2日間の間に、高利貸しによる担保権が十数本も設定されてしまいっていたのです。だから担保権を設定してもなんの役にも立たず、1600万円余を丸損してしまいました。後からわかったことですが、Sさんに引っかかった画廊の数は何十軒にもあがり、借り倒された総額もかなりの額になったということです。

余談ですが、このすぐ後のこと、私どもと以前から数回お取引があったT画廊さんのお話です。このTさん、実はお支払いが滞りがちで、いつもお金を支払っていただくのに難渋していた画廊さんですが、そのTさんが、E画廊から借りていた梅原の何千万円もする絵を「名古屋で欲しいといっている人がいらっしゃるから、見せにいく間ちょっと貸して欲しい」と言ってこられました。当時の私としては、損を少しでも取り戻したい心境でしたから「うまく売れれば、これで損害が少し軽くなるのではないか」と思い、すぐにその話に飛びつきそうになりました。しかし、最近その画廊さんの支払いが滞っているのが気になったものですから、父に相談しましたところ「絵を貸すというのは、現金を貸すのと同じことですよ。そんな危ない人に、他の方の絵を貸して、もしまた取られたらどうやって弁償する心算なのですか。どうしてもその人に絵を貸さねばお付き合い上まずいというのなら、名古屋のその買い手という人のところまで誰か店の人をついていかせ、見せるだけ見せたら、一緒に持って帰ってこさせなさい。絶対に預けてきてはいけません」と忠告されました。
これまでのお付き合いもあり、なんとなく言い辛かったのですが、ここは鬼になってと思って、いろいろ条件を出しましたところ「それじゃいいです」といって、この話はオジャンになりました。ところがこの人も、それから一ヶ月ぐらい後に破産宣告をし、それまでにあった借金を踏み倒してしまわれました。もしあれを貸していたら、それこそ泣き面に蜂といったことになっていたでしょう。本当に危ないところでした。
この業界は、ほんとうはもうとっくに破産していてもおかしくないような業者さんが、他所から作品を借りてくることによって商売することができる不思議な世界です。実際には、とっくの昔に倒産されているような業者さんが、キョンシーのように生き返って、うろうろ商売されていることがあるこの世界、どんなに気をつけていても引っかかることのあるこの世界、私はいつも綱渡りのようにびくびくしながら、用心して歩いております。

 

註:この世界も最近では、やっと不況のトンネルの出口が見えだしたようで、このような借金を踏み倒されたというお話を聞く機会も、大変に少なくなっております。
この話は創作されたもので、多少ヒントをいただいているところはあるかもしれませんが、実際の人物、事件とは関係ありません。