No.55 優雅でゆったりした一日を過ごしたいとお思いの方へ

バブルが弾けてから以降、どの企業も利益優先が至上命題となり、文化的な事業や社会的事業に眼を向ける余裕がなくなってしまいました。他方、地方の文化活動の一翼を担ってきた、地方の行政組織もまた、それまでの放漫行政のつけと、長く続く不景気による税収不足で、文化事業に割くことができる金額を大幅に減らしてきております。
これらの影響は、企業を後ろ盾とする私立の美術館はいうまでもなく、地方財政に依存していた県立、市立といった美術館の活動にも大きな影響を与え、バブル絶頂期のような、先導的で、面白い試みをする美術館が、少なくなってしまいました。そんな現状の中、一つのコンセプトの基にエリア全体として、アートエンターテインメントの空間を提供しながら、アート啓蒙活動 をしている面白い美術館をみつけました。
それは富士山の山麓、東名インター沼津I.C.から車で約5キロの所、駿河平の一角、クレマチスの丘と呼ばれている場所にあります。そこはビュフェ美術館を中心として、文学館、彫刻美術館、個人美術館、イングリッシュガーデン、レストラン、ならびにカフェなどが立ち並び、自然と花と食、そしてアートをテーマに、絵画や文学、食文化に、景観、花、庭園、建築(美術館、文学館、レストランなどの建物)、彫刻などといった空間芸術を加え、自然とアートと食とを複合した、一大アート・エンターテインメントエリアが形作られております。

エリアはビュフェエリアとホワイトガーデン・ヴァンジエリアの二つのエリアに分かれ、ビュフェエリアにはビュフェ美術館、ビュフェ子供美術館、レストランカフェのオーガニック・ビュフェ、そして井上靖文学館、駿河平自然公園、ホワイトガーデン・ヴァンジエリアにはヴァンジ彫刻美術館、木村圭吾サクラ美術館、クレマチス・ホワイトガーデンとその中にある小さなオープンカフェ(ガーデナースハウス)、有名シェフがプロデュースするイタリアレストランの名門マンジャペッシェ、有名日本料理店の主人がプロデュースする「和」のガーデンバサラ、ピザとカフェのチャオチャオなどからなっております。
エリアの敷地はとても広く、しかも鑑賞すべきものがあまりにもいろいろあり、一日でこれを回りきり、堪能する事などは無論不可能です。又ここでのそのような小忙しい(こぜわしい)時の過ごし方は、「美しいものに触れ、味わいながら、ゆったりした気分で贅沢な時を過ごす」というこのクレマチスの丘のコンセプト(このエリアを見ての私の推定ですが)とそぐわないように思われました。そこで私達もそのような小忙しい鑑賞の仕方はやめ、ここでのゆったりした時間を大切にする事にして、ビュフェ美術館、ガーデンバサラ、ヴァンジ彫刻美術館、そしてクレマチス・ホワイトガーデンを回るに止めました。

森の緑の海の中に突然に現れる、大きな三角形の帆を拡げた帆船のような白い建物それがビュフェ美術館です。正面には船のシンボルのように大きな一本の木が枝を広げ、その横にはビュフェの蝶のブロンズ像が来訪者を歓迎し案内してくれるかのように並んで建っております。美術館内での作品の展覧のし方としては、作品を年代順に並べるといったごく常識的な並べ方で、特に特徴的な所はありませんが(実際問題として、作家を真に理解する為には、この展観方法が最も適当かもしれません)、特記すべきはその作品の数の多さと質の高さです。17歳から自ら命を絶った71歳のときまで、彼の作品の中で、各年代のモニュメントに相当するのではないかと思われるような作品の数々が並べられております。

① 第二次世界大戦後の荒廃と混乱の中、都会の孤独と不安、焦燥に苛まれ(さいなまれ)、悲哀と絶望と虚無の谷間を彷徨っていた(さまよう)1946年から1949年代の、モノクロームの時代と言われる年代の作品群。

② そして絶望と悲哀の谷間から抜け出せないまでも、社会から受け始めた名声によって、僅かに自信と、希望を見出す瞬間もあるようになったのではないかと思われる1950年から1955年代の、プロヴァンスの時代といわれる年代の作品群(これは私の勝手な推測による分類かもしれませんが、作品の質から言えば1956年代の作品もここに入れて良いのではないかとも思われますが)。

③ アナベルという愛すべき伴侶と、社会的な名声や、経済的な安定を得て、明るくて美しい色彩を使い、力強く自信に満ちた筆致の描線で描き始めた、希望と喜びに満ち溢れた1955年から1963年代の、新しい画風の探求の時代といわれる年代の作品群。

④ しかし天才故の狂気のなせる業か、このような精神的な安定の時期も長くは続かず、捉えて離さない孤独感、創作上の悩み、老、病、死への恐怖などと戦うかのように、明暗、躁鬱の激しい気分の変動を画面にぶつけるように描くようになった、1964年から1970年代の激しい時代と呼ばれる年代の作品群。

⑤ ビュフェの作品といわれなければ、彼の作品である事が解らないような、不思議な静謐さが画面を占めている、写実的な技法で描かれた、1971年から1975年代の写実的な時代と呼ばれる年代の作品群。
(この時代の作品も注意深くみておりますと、彼の鬱屈した感情が画面の随所に隠されているようです。しかしそこに狂気はなく、まるで精神科のケアでも受けているかのような、不思議な静謐と安定感が画面を占めております)

⑥ そして誰もが覗く事も手助けする事も出来ない、絶望と孤独の深遠と安定と幸福の間を揺れ動きながら、いろいろなモチーフをその時々の感情に任せて描き分けている、モチーフの多様化の時代と呼ばれる1976年から最晩年の1999年代にいたる作品群等などが、年代を追って見られるように並べられております。(註:作品の年代による分類は、ビュフェ美術館鑑賞ガイドに準拠しております。各年代の特徴については、作品から感じた私の感想に基づく記述です。従ってビュフェの研究者には異論があるところかもしれません)

特に特筆すべきは1955年以前のもっとも評価の高いモノクロームの時代からプロヴァンスの時代といわれる年代の傑作が数多く展観してある事で、同じように不安と焦燥、悲哀と絶望の谷間に揺れ動く、私達都会人に強い共感を与えてくれます。

ビュフェ美術館のもう一つの特徴は、子供美術館を設け、子供達へのアートの啓蒙を心掛けておられる事です。この殺伐とした心の砂漠時代、美術の理解を通して感性を磨き、より豊かな生活、より優しい心を養成しようとされている試みは、注目に値します。

ビュフェ美術館を出た私達は、エリア内循環バスに乗ってホワイトガーデン・ヴァンジエリアの入り口付近にある、和の美術館「ガーデンバサラ」に入りました。ここは前面が太い孟宗竹に囲まれた二階建てのガラス張りの建物です。お料理は徳島〔青柳〕のご主人がプロデュースされているとかで、とても美味しく、又最後に多種類のデザートの盛られたお皿が出てきたのは感激でした。お給仕してくださる従業員の方々も、超一流ホテルのウエイターに負けないくらいに礼儀正しく、そのうえよく気がつき、愛想がよくて親切です。ゆっくりと運ばれてくる食事を、眼下に広がるクレマチスの丘の景色を眺めながら、ゆったりと摂っておりますと、まるで王侯貴族にでもなったようで、豊かで満ち足りた気分に浸ることが出来ました。
両側が高いコンクリートの壁に囲まれた、4から5mくらいの通路を通り抜けると、突然目の前に山の木々の向うにどこかの街並みを見下ろす、雄大な景色が飛び込んでまいります。その山の斜面、一番高い所に、緑の林をバックにアポロンの丘に聳え立つアポロンのような、大きな石像が聳え立ち、それを少し下った、ブロンズで造られた黒い竹薮の斜面を、ブロンズの立像が苦悩の表情を浮かべながら歩いているのが眼に入ってまいります。それがヴァンジ彫刻美術館の始まりです。山の斜面と美術館の屋根にあたる部分の一部を利用して、眼下に見下ろす町並みと山の緑を背景に、いろいろな彫刻が絶妙のロケーションで、ゆったりと展観されております。そこにおかれた夫々の彫刻は、もともと最初からそこに存在していたかのように、与えられているテーマを演じ、何かを語りかけております。これがこの彫刻美術館の第一部とも言うべき上段の屋外展示場です。ついでその屋上入り口から屋内に入り、階段を伝って下に降りますと、第二部とも言うべき屋内展示場が眼に入ってまいります。この屋内展示場は広い部屋の一部分が壁面によって二つの空間に区切られ、作品が冗漫な展示にならないように工夫されております。
この建物下の出入り口を出た所に拡がる青々とした広い芝生の庭とそこに展示されている彫刻群が、この美術館の第三部とも言うべき屋外展示場です。芝生の上に置かれたベンチに座って、自然の景観とその空間の中にぴったりと嵌り(はまる)込んでしまっているかのように立っている、ヴァンジの彫刻と対話しておりますと、人間の本質についていろいろ考えさせられ、まるでギリシャ時代の哲学の広場に時間を逆行させたかのような錯覚にとらわれます。日曜日であるにもかかわらず、鑑賞する人々はそれほど多くありませんでした。ちらほら歩いている人々は皆それぞれのスタイルで、ゆったりとした時間の流れと彫刻を味わっています。若い夫婦に連れられてきていた、三、四歳の子供などはとても楽しそうで、青い芝生の上を走ったり、転がったりしながら彫刻の周りで遊んでいます。やがてお母さんの呼ぶ声に、彫刻の横の小丘を駆け抜けて走りよっていきましたが、その子の帽子の白が、濃い緑の芝生の上にくっきりと残像を残し、まるで映画のワンシーンをみていたかのように感じました。ここでの時の流れは非常に穏やかで、あまりにものんびりとしているものですから、また俗世に戻らねばならないと考えると、立ち上がるのが億劫になるほどでした。この芝生を横切った一角、出口近くに、蔓性植物の壁に囲まれた、小さな英国式庭園があります。クレマチス・ホワイトガーデンと命名されている場所です。クレマチスの時期を過ぎた今日でも、いろいろな小さな花がその庭園一杯に咲いておりました。その囲まれた空間の織りなす雰囲気は、バーネットの児童文学に出てくる秘密の花園のような密やかな(ひそやかな)喜びをあたえてくれます。(ここでのハーブティーも美味しいです。)
ヴァンジの彫刻につきましては私は聞いたのも、見たのも、始めてでした。従って詳しい事は解りません。しかしこれらの作品を見た印象では、彼もまた繊細な現代人の一人として、社会との係わりや、人間の本質について思索し、現代の閉塞状況や孤独に苦悩しているのが感じとれました。しかしそれらの作品を通して彼が発するメッセージは、一方的で押し付けがましいものではありません。その作品を通して話しかけ、一緒に考える事を求めているような気がいたしました。余分の物を削ぎ落とし、簡明で、力動感溢れる曲線が作り出してくる彼の人物像から、圧迫感や、とり澄ました近寄りがたさを感じる事もありません。もっと身近で、親しみを感じさせてくれました。これは彼の作品には、開かれたパンドラの箱のように、希望という光を秘めているからではないかと思います。

最後に花と緑に彩られたコンクリートの壁と緑いっぱいの山肌の間の道を通って出口のところにたどりつきますと、そこには、かの有名なイタリア料理の名店、マンジャペッシェがありました。周りの環境を含めてその建物の雰囲気はとてもロマンチックです。私がまだ幼い子供だった時、将来大人になったら住んでみたいと願っていた、物語の中に出てくる王女様が住むお屋敷のようです。今回は時間もありませんでしたから、訪れる事は出来ませんでしたが、次回はぜひ行ってみたいと思っています。(要予約らしいですのでご注意を)