付け馬のついていた画商さん

 先日、ある地方に住んでいらっしゃるお方(Aさん)より電話がありました。

「B画伯とG画伯の絵を売りたいのですが。」
「保証書と共箱が付いていて、たぶん間違いのないものだとは思いますが、なんとなくこの絵を買った画商さんの事が信用できなくなったものですから、買った絵も気になって。」
とおっしゃいます。

「でもせっかくお買いになったのですし、もし本物でしたら、そのままお持ちになっていたほうが良いのではないでしょうか。絵には何の罪もないことですし、それに今お売りになると随分お損もでることですし。」
と私が申し上げますと、

「それがね、居間に掛けておいて毎日観ているものだけに、不愉快な思い出を持った絵は持っていたくないのですよ。同じ飾っておくにしても、すっきりした気分の絵を飾っておきたいと思いましたね。」
とAさんはさらにおっしゃいます。

「お売りになりたいとおっしゃるのでしたら、喜んで買わせていただきますが、買ってからそんなにお時間も経っていないことですし、まず買った画廊さんに相談されたほうが良いのではないでしょうか。そのほうがご損も少なくてすみますよ。」
と私。

「イヤー、もうあの画廊さんとはもう連絡とっていないのですよ。お宅では取扱い作家でないとおっしゃるのでしたら、他に当たってみようと思っているのです。もし買ってくださるのでしたら、いくらくらいで買っていただけるのでしょうか?」
とAさん。

しかし、状態や真贋などの事もあるので、お話だけではきちんとしたお返事が難しく、実際に拝見するために、美術品専門の輸送業者を手配するので、絵を送っていただきたいとお願いしました。Aさんいわく、「一日も早く手放したい絵」だそうで、そのようにして送っていただくことになりました。

さて、それから数日後のことです。Aさんから画廊に電話があり、
「お願いしました絵、今日送りました。ちょうど3日後に東京で用事が出来ましたから、ついでにそちらに寄らせてもらいます。絵はその時まで預かっておいていただけませんか?お話もその時と言うことでよろしくお願いします。」と言われます。

そうして送られてきました二枚の絵は、確かにB画伯とG画伯の作で真贋の点では問題ありません。状態も悪くありません。どうしてもすぐに手放したいと言われるほどの問題を抱え込んでいる絵には見えません。強いていえば、あまり人気がない絵柄で、眼が肥えたコレクターはあまり手を出さないような作品です。こういった絵は、お値段はお手頃でも、いざ売るとなると安くなってしまうことがあります。

後日、画廊にお越しになったAさんは、年のころ40歳少し過ぎ、眼鏡のよく似合うとても好感のもてる紳士です。話し振りも穏やかで理論的。とても理不尽なことを言われる人には見えません。名刺を出されながらの自己紹介によりますと、ある地方都市で薬局チェーンを展開されていらっしゃるとの事です。

「間違いなく本物ですし、今とても人気がある作家の作品ですから、やはり今はお持ちになっていたほうが良いのではないでしょうか。でもどうしてまた、買ったばかりの絵を手放したいとおっしゃるのでしょうか。別にこれは今度の売買とは関係ありませんが、もし差し支えなかったら、その訳をお聞かせ願えませんか?」と尋ねますと、

「別にその画商さんと大変なトラブルを起こしたというわけではないのですよ。ただ私のほうが他の信頼できそうな画商さんにお願いしたいかなと。」
「数回お付き合いしたものの、その画商さんとはうまが合わず、疎遠になってしまい、そうしたら彼の持ってきた絵そのものまでも急に愛着も持てなくなり、所有している気がなくなってしまったのです。」

こう言われながらその業者さんが嫌になられた理由をぼちぼちと話してくださいました。

そのお話によりますと、Aさんの家にいらっしゃるようになった画商さんは、Aさんの住んでいる町から約40キロ位離れた所におられるSさんという業者さんです。
Sさんはきちんとしたお店を構えておられる方ではなくて、訪問販売を主としておられる、いわゆる風呂敷画商といわれている画商さんのようです。友人の紹介ということで訪ねてこられるようになり、見せて下さる絵が、なんとなくしっくりこないものばかりだったそうです。

Aさんはそれまで絵などは買ったことはありませんでしたが、見るのは好きで、よく展覧会へ行かれたり、暇があると画集を眺めて楽しまれていたそうです。
なので、いろいろな画家の代表的な絵がAさんの頭に入っていたのですが、その絵に比べるとどうもSさんの持ってくる絵は今ひとつピンとこず、いつもお断りされていました。

ところがこのSさん、Aさんとのやり取りから、Aさんが絵を好きだということに気付き、いつか商売になると思われたのでしょうか、その後も懲りずに何度も足を運びます。持ってくる絵を何度も断られているうちに、Aさんの意向がわかってきたようです。

「ご主人は注文が難しいですから。大体、展覧会や画集にあるような作品を頭の中にイメージしていて、それに応じたものを買おうとされてもそれは無理ですよ。特に展覧会に出品されたような絵は、絵そのものがとても大きくて一般の家では飾る場所もありません。しかも作家自身も普通のコレクターには売りたがりません。その上、お値段も張りますから、ちょっと手に入れにくいと思います。しかし、そういった大作に劣らないような出来のこういった絵も扱っているのですが、どうでしょうか?」

とSさんは言いながら、持ってきた絵以外にも、いろいろな絵の写真を持ってきて、見せてくるようになりました。そうした写真で持ってこられる絵のなかには、結構気に入った絵も混じっていることがありました。それらの絵を実際にみたいとAさんがお願いすると、

「それでは次回持ってきましょう。しかしあの絵、今、とある所に貸し出してあるものですから、ちょっとお時間をいただきたいのですが。」
「あの作家の絵は、最近とても人気があるものですからもう売れてしまっているかもしれません。もしそのときは御免なさいね。」

といって帰られるのですが、しばらくすると、

「ご主人(私の事)すみませんでした。やはりあの絵売れてしまいました。あの先生の絵は人気があるものですから、すぐ売れてしまうのです。」

といつも同じような言い訳をされるのです。そして、

「しかしあの絵は、仕入れた値段が高かったものですから、ずいぶん割高になっていましたよ。それに比べるとこの絵は同じ先生の絵ですが、随分お値打ちになっていますよ。どうせ買って置かれるのなら、いっそこちらの方にされたらいかがでしょう。こちらのほうが随分お得だと思いますけれどね。」

と言って別の絵を勧められるのです。こういったセールストークに乗せられて買わされてしまったのが、これら二枚の絵なのです。

「しかしよく考えて見たら絵に定価があるわけでなし、あの絵が号いくらなのに、この絵は号いくらで買えるから割安などという言葉を信じる方が馬鹿なのですよね・・・」とAさんは肩を落としておっしゃいました。

確かに同じ先生の絵だって、一般的な出来の良し悪しや、人気のあるなしもあるでしょう。扱う画商の好みによって値段のつけ方の違いもありましょう。人気だとか、好みといったってこれまた漠然としたものです。そういったことを考えると最後はコレクターが、自分が持っていたいと思う絵を買うことが一番大切です。

そうしてAさんは、これらの絵を買ってからよくよく考え「やはり自分の気に入った絵しか買わないから、他の絵は勧めないでください」と画商さんに言ったのです。

すると今度は、写真で良いなと思った絵を持ってきてくださるようになったのです。そして、ある時に持ってきてくださった絵は大変に気に入ったものですから、「少し考えたいから2~3日置いていってください」と申しました。

ところがSさんが、

「それが他にも今買いたいというお話がありまして、即金でお払い願うのでなければ、そちらのほうに今日持っていく約束になっているものですから。」

と言って持って帰られてしまったのです。この時、チラッと外の方に目を向けると、門の外にもう一人の人がいらっしゃったようでした。しかしその時は「やはりあの絵は人気のある絵だから、すぐ他にも持っていかれるところがあるのだな」という程度の認識でした。

しかし、それから二ヶ月くらい後のことです。やはり写真で見せてくださった絵の中に欲しいと思う絵があったものですから、「見せて欲しいと」申しましたら、Sさんは、

「やはりお目が高いですね。あの絵は大傑作ですから、もう引っ張りだこです。でもちょうど手元に戻ってきていることですし、ご贔屓にして頂いていることですから明日にでも持ってまいります。しかし何しろ引っ張りだこの作品ですから、お買い上げいただけるのでしたら、内金として半金以上のお金を、当日払っていただきたいのですが。」

とおっしゃるのです。馬鹿にお金が忙しい話だから、少し気になったのそうなのですが、それでも気に入った絵でしたから、持ってきていただくことになりました。

その絵はとてもすばらしく、一目で買う決心をされました。ところがその日は自分の仕事が忙しくて、Aさんも奥様も銀行へお金を下ろしに行く時間がありませんでした。そこでSさんに、

「いい絵ですね、これなら私の好みにぴったりです。」
「ぜひ欲しいですから置いていってください。ただ今日は忙しくてお金を準備する時間がなかったものですから、清算は明日させていただくということにしてくださいませんか。手付金として○○円はお支払いさせていただきますがそれでいいでしょ。」

と申されましたところ、

「今日、半金以上お支払いしていただくようにお願いしておきましたのに。それでは明日また参ります。決済はそのとき一括で結構ですから、前金も今日は結構です。」

と言われてさっさと絵を持って帰っていかれてしまいました。

Aさんとしては、買うといっているのですから、絵は当然置いていかれるものだと思っていました。従って絵を持って帰っていかれるのを見た時、最初は唖然とされ、そして時間がたつに連れて、次第に不愉快になっていったそうです。

「明日お金を払うといっているのに、たった一日のことを、絵を置いていかれないなんて、よほど信用がないのか」とAさんは癪(かん)に障ったものですから、その日のうちにSさんに電話を掛け「やはりその絵は要らないから」と言ってお断りになられました。

そして、それ以降疎遠になり、Sさんも尋ねて来なくなったそうです。

その日、奥様がSさんの帰り際を見かけたときに、また別の男の人が玄関の外に待っていて、Sさんが出てくるのを待ちかねていたようにSさんから絵をもらうと、別の方向に帰っていってしまわれたと言います。
「お父さん変だよね。あの絵本当にSさんの絵?なんだか怪しげな人と一緒だったわよ。なんだか気持ち悪いわ」と奥様も不審がっていたそうです。

そうして、ますますSさんを疑心暗鬼になり信用できなくなり、そのうちにこれらの買った絵も、見ているとSさんのことが思い出され、だんだん持っていたくなくなってしまったというわけです。
これがAさんの話の粗方(あらかた)です。
この話を聞いた後、私はAさんに、
「購入代金の全額を支払っていない段階で、作品をお客様に渡すことは一般的にはしておりません。なぜなら作品を持ち逃げされる恐れもあるからです。」
ということを話したところ、Aさんも
「うーん、そういうものなんですかね・・」
といぶかしげな顔をしていました。
いずれにしてもこのような件があったため、銀座の画廊で長年やっている私のところに来られたようでした。

お話が終わった後、しばらく私どもで扱った絵の一覧を見ていらっしゃったAさんでしたが、

「しかし今見ていますと、おいださんのところで扱っていらっしゃったこの絵も、Sさんが写真でみせてくださった絵ですが、おいださんの所とSさんのところ、なにか関係がおありなのですか?たとえば絵を貸し借りする間柄とか、ここへ仕入れにこられる中だとか。」と聞かれました。

「全く知らない人です。無論取引も一度もありません。ただ私どものホームページにこれらの絵は載せてありましたから、多分それを印刷して持っていかれたのだと思いますよ。」とお答えしました。

「変ですね。どうしておいださんのところの絵を、いかにも自分の絵みたいな顔をして持ってこられたのでしょうね。もし私が見せてほしいといったらどうされるつもりだったのでしょうね」と不思議そうに、いつまでも独りつぶやいておられました。

この話、この業界の事を知らない外の世界の人にはわかりにくいかもしれませんね。
しかし、これはいたって単純な話でして、Sさんはそれほど資本がなくて自分の絵はあまり持っておらず、他の業者さんから借りてきて商売をしていらっしゃるという方なわけです。
通常お客様の所に持っていかれる絵は、いつも取引があるところから借りてこられ、あとは、写真で商売されるというところですね。
しかし、写真の絵は、大体が全く面識のない業者さんの持ち物のこともありますから、借りに行ってもそんなに気安く貸してもらえません。
貸すほうだって、面識のない業者さんに貸すということは、持ち逃げされるリスクを伴うことですから、むやみやたらに貸すわけにはいかないのです。

そうかといって、Sさんのような業者さんは、必ず売れると決まっていないものを買ってくるわけにもまいりません。もし買ったとしても、それがお客様に売れなかったときに困りますし、のちに処分するときは大損が出る可能性が強いからです。
そこでいろいろな伝(つて)を頼りに借りにいくのですが、このとき業者さんによっては(その月の売り上げが少ない、開業して間もないなどの時、つい口車に乗って貸してしまわれることがあるようです)、売買の場所まで付いていくことを条件に貸してくれる事があるのです。

ただ、運悪く作品を戻してこないような業者に貸してしまうとに、玄関のところで待っていたのに、そのまま品物を持って裏口から出て行ってしまい、ドロンされてしまうといった篭脱け詐欺(かごぬけさぎ:詐欺師などが表口に人を待たせて中に入り、裏口から抜け出して跡をくらますこと)にひっかかることがあります。

多分、それが、門の外に「付き人(付け馬)」のついていらっしゃった理由だと思います。
「付け馬」とは、もともとは、遊廓における、料金の不足を徴収するために客の帰宅に同行する店員を指す俗称のことですが、Sさんという業者さんは、他の業者から絵を借りてAさんの家へ持っていったので、貸した業者さんは、Sさんがそのままドロンすることを怖れて、Aさんの家の門の外で、「付け馬」になっていたんでしょうね。

「そう言った訳ですから品物を置いていかれなかったのは、ご主人のことを信用されなかったのでも、馬鹿にされたのでもなく、置いていくことができなかっただけの事だと思います。貸しているほうは現金との引き換えでなければ品物を渡してくれないわけですから、この場合でしたら、ご主人が現金で決済してあげない限り、品物は置いていくことはできなかったのです。」
「従ってそれほど悪気あっての話ではないのではないでしょうか。」

と私はAさんを慰めましたが、結局はやはり

「元々自分の好きでもない絵を押し込まれたということもあって、見ていると不愉快になるのです。」

と言われて、絵を手放していかれました。

商売は信用が第一です。Sさんの場合も、自分の身の丈に合った商いに徹すべきだったのでしょうね。
仮に写真で商売されるにしても、確実に借り出してくることができるところの物に限るべきだったのです。借りることができるかどうかわからないような先の作品をどうしても扱わねばならないようなときは、

「うちの作品ではありませんから、お客様のものなので、一度借りられないか交渉してみましょうか。」

というように正直に言うべきだったのです。

Sさんの場合、信用を得たと思っていろいろされたことが、却(かえ)って信用を失わせてしまったというわけです。

「策士、策に溺れる」ですかね。