No.223 油滴天目の油滴に刻まれた涙痕  (戦国の世を駆け抜けた女) その25

このお話はフィクションです。

その25の1

小高くなっている丘の上に立って、見下ろすそこには、この地の覇権を争って戦った、父・頼貞の姿を始めとして、夫・信光の姿も、裏切り者の兄・頼正や、仇敵・東綱重の姿もなく、この地の、最後の覇者として君臨していた織田方の将・松野宗重の姿もありませんでした。
前四人は、戦に敗れ姿を消し、後者は、この前の大地震とそれに続いて起こった大災害によって、一族、諸共、今では土の下となっています。
ささやかな幸せを求めているだけだったのに、心ならずも、戦に巻き込まれて右往左往させられていたこの地の住民たちの姿も、日々のちょっとした出来事に一喜一憂しながら営んでいた里人達の平凡な営みの姿も、今ではそれらの全てが、岩と赤土の大地に飲み込まれてしまってそこにはありません。そこは斑模様に広がる残雪の中から、大小様々な岩々が顔を出す、荒涼たる一面の丘陵大地が拡がっているだけでした。
木一本さえ生えておらず、生き物の姿が感じられないその大地を、冷たい風が通り過ぎていくだけのその光景は、まさしく平家物語に語られてくる、諸行無常の言葉そのものの姿でした。
私はしばらくの間、ただ茫然と、その大地を眺めておりました。
その時でした。
私の眼前に、突然、あの日、この地の、ここにあった城で死んでいった、あの女人(にょにん)たち、東氏方と、織田方の決戦の日、この城を枕にして死んでいった、東氏方のあの女人達の顔が浮かんでまいりました。
それは、失っていた過去の記憶の中で、そこだけが気掛かりになりながら、どうしても思い出すことができなかった、最後の記憶部分でした。
彼女たちは皆、口をパクパク動かして、何かを訴えておりました
その口の動きは「悔しいよー、恨めしいよー、何も悪い事していないのに、どうしてこんな暗くて寂しい所にいなけりゃならないの。
悲しいよー、寂しいよー、可愛い子供や、愛しい夫に会いたいよー。
暗いよー、寒いよー、早く助けてー」
などなどと訴えているようでした。
私はその時、はっきり解ったのでございます。
はっきり解らないままに、誰かに、何かを頼まれ、それをしなければならないと、いつも急き立てられ(せきたてられ)ているようだった思いが、何であったかを。
そしてなぜ最近、この地のあの城の夢を、再々見るようになったのかとか、なぜ今日、この地の方向へと、足が向いたのかという訳を。

その25の2

私はまず、やや大きめの岩の上に、お聖人様の直筆と伝えられている南無阿弥陀仏と書かれた、御称号の軸を並べて、俄か作りの仏壇を拵え(こしらえ)ました。
次いで、台になるような平らな石を拾ってきて、その上に、家から持ってきたお握りの包と、お水の入っている竹筒を並べ、お供えとした後、お経を上げました。
この世に未練を残しながら、この地で、命半ばにして、死ななければならなかった沢山の人々の霊を弔い、その成仏と来世の冥福をお祈りしました。
私にはもう、敵と味方の区別も、敵だった者への憎しみも、恨みもありませんでした。
この世に未練があって、今もなお、この地を彷徨っている魂(たましい)も、この世での悪行の報いとして、因果応報の理に従って、あの世で、幾世代にもわたって、地獄の責苦を受け続けなければならない魂も、皆、皆哀れでした。
戦に勝った方の人間も、負けた方の人間も、阿弥陀如来のお救いの道を教わる事もなく、前世からの宿縁に従って、物欲、権力欲といった妄執に取りつかれ、互いに憎しみあい、恨みあい、悩み、苦しみ、悲しんだ挙句、殺す、騙す、盗るなどといった、より罪深い方向へ、仏の救いから、さらに遠くへと、離れていった人々の魂や、妄執にとりつかれたまま、死んだ後なお、この世を彷徨い続けている魂達が、ただ、ただ哀れでした。
私は、仏説阿弥陀経、正信偈、御文章の三部の経を選び、それを誦しながら(ずしながら:声を出して読む)この地で死んでいった全ての人々の魂に、救いの手をお差し伸べくださるよう、阿弥陀如来にお願いしました。
心を無にして、ただ一心不乱に経を唱え、祈り続けました。
不思議なことに、私が経を唱え始めるとまもなく、城の最後の夜一緒だった、あの女人達(にょにんたち)の姿だけではなく、
夫・信光や、父・頼貞などといった懐かしい顔に混じって、兄・頼正や、東綱重などなどといった以前は、敵方だった武将達や、あの戦いに加わって死んでいった兵士たち、そしてこの地の最後の覇者にして城主であり、昨年の大震災の被害者でもあった、松野一族とその家来や、この地の領民だった者達の顔などなどが、次々に現れてまいりまして、辺り一面がそれに余って、一杯になりました。
最初のうちは、彼らの顔には、人によって違ってはいましたが、無念さだとか、恨み、憎しみ、悲しみ、悔しさなどなどが、滲み(にじみ)出ておりました。
しかし経が進むに連れ、それらの顔は安堵したかのように、次第に穏やかになっていき、やがて合掌しながら次々と、西空の彼方へと消え去っていきました。

その25の3

こうして、この地で、非業の最後を遂げた人々の供養を済ませた後、私は、どこかに父の遺品と言えるものは、見つからないかと、あちらこちら探し回りました。
しかし、どこが我が家だったかもわからない残雪と、岩と赤土に覆われた大地での、土中に埋まっている物、しかも、それがどれほどの深さにあるか分からない物で、その上、はっきりこれと決まったものではなく、漠然と、父が使っていた、見覚えのある物といった、雲をつかむような、そんな探し物が、簡単に見つかるはずがありませんでした。
時だけがどんどん過ぎ去っていきました。
それでも私は、もうこれ以上探していると、うちへ帰る事ができなくなるという時が来るまで探し続けました。
しかし、結局何も見つかりませんでいた。
私は諦めて、歩き始めました。
諦めきれなかった私は、家があったと思われる方向を、何度も、何度も、振り返り、振り返りしながら、山を少しずつ下っていきました。
少し下ったところまでやってきた時のことでした。
草臥れ果てて、引きずりながら歩いていた私の爪先に、何か固い先のとんがったものが当たり、躓いて、転びそうになりました。。
見るとそれは、この地に見る、他の岩石とは全く違った石質で、しかも明らかに人の手の入っている石の角でした。
もしやと胸を高ぶらせながら、少し掘り下げてみますと、現れてきたのは見覚えのある、私の家の門の脇に祀られていた、あの地の神様の祠の、箱の部分でした。
東の家来によって、割られた、油滴天目茶碗の欠片を隠しておいた、あの祠(ほこら:神を祭っておく建物)に違いありません。
それは、片方の扉が閉まったまま、斜めに傾いた、仰向きの姿で、埋まっておりました。

その25の4

私は祠の周りの土を、半分ほど取り除いた状態で、祠の中に詰まっていた、小石と赤土を掻き出していきました。
期待してはいけない、こんなところまで流されてきている以上、探している物なんか、もう入っているはずがないと、
心に言い聞かせるのですが、手はその言葉とは裏腹に、期待と緊張で、震えが止まりませんでした。
半分の扉が閉まった状態だったせいで、祠に詰まっていた泥土は、水を含んで柔らかく、それを取り出すのは、思ったより楽でした。
私は拾った棒切れで、祠に詰まっていた泥土を崩し、それを両手で掬いだす(すくいだす)動作を繰り返しました。
どんな小さな欠片でも見逃すまいと、取り出す度に、それを土の上に広げて、点検しましたから、泥土を取り除く作業は、思ったより時間をとってしまいました。
夕方が近づくにつれ、掬い出す泥土は、冷たさを増し、真っ赤に腫れ上がった手は、痺れてしまって、思うように動かなくなってしまいました。
それでも、手をこすったり、息を吹きかけたり、懐の中に突っ込んで温めたりしながら、私は、懸命に泥土を書き出す作業を続けました。
こうして何十回目のその動作に入った時のことでした。
その時はもう、祠の中に残っている泥土は、ほんの僅かになっていて、固まった泥土を取り崩すために突き刺す棒の先が、時々祠の壁に当たるようになっておりました。
その棒の先に,石壁とは違った感触のものが当たるのが感じられたのでございます。
もしや、と思った私は、焦る心を、抑えながら、その部分の上に被っている泥土とその部分の周りにあった泥土を、少しずつ慎重に取り除き、粗方取り除いた後、その部分を含む泥土の塊を、塊のまま外に取り出しました。
その物の周りの泥土を取り除いていきますと、やがて土の塊の中から、黒っぽい陶器の欠片が現れてまいったのでございます。
その陶片は、横一寸、縦一寸五分程度の大きさしかありませんでしたが、持っていた竹筒の水をかけて、被っていた土を洗い流しました。
すると、多少褪せて色が変ってはおりましたが、黒い釉の中に、夜空の星状に浮かぶ白い点々模様が現れたのです。
それは、まさしく、父が大切にしていた、あの天目茶碗の破片に違いありませんでした。
私の目からは涙が零れ落ち止まらなくなってしまいました。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
ありがとうございます、ありがとうございます。
かげさまで、父の形見ともいうべき、油滴天目茶碗の欠片を、見つける事が出来ました。
これも一重に、阿弥陀如来のお陰でございます、
これで私も、心置きなく、この地を去ることができます。
本当にありがとうございました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
私はその場にしゃがみ込むと、こみ上げる嗚咽をこらえながらご称号を唱えつづけました。

その26へ続く